明日の田園都市 エベネザー・ハワード

各種提案のユニークな組み合わせ


「人間というのは、現状では群れ集うハチにも似た存在だ。一つの枝に、ハチがひとかたまりになって群がっている。かれらの立場は一時的なものであり、いずれ変わらざるを得ない。いずれ飛び立って新しい住まいを見つけなくてはならない。ハチは一匹残らずこれを知っているし、自分の立場を変え、他のハチの立場を変えるつもりはあるけれど、群全体が飛び立ちまでは、どのハチもそんなことはしないのだ。群は飛び立てない。一匹が別の一匹にしがみついて、お互いに相手が群から離れるのを防ぐので、みんなしがみつき続ける。その立場から逃れる道はないかのようだ。ちょうど、社会の網にからまってしまった人々にそう思えるように。実はハチには、それぞれが命をもった生物で羽根を二枚持っていなければ、それ以外の行き場はない。人間の場合も、もし各人が生きた個人で、キリスト教的な人生を獲得する能力を贈られていなかったら、それでなにも問題はなかったはずだ。もしこうして飛べるハチたちの中で、一匹たりとも飛び立とうとしなければ、群は決してその位置を変えないはずだ。人間とて同じこと。キリスト教的な生の獲得能力を持った人々が、それにしたがって生きるのに他人の先導を待っていたら、人は決してその態度を変えることはないであろう。そしてハチのがっちりした固まりを、飛び立つハチの群に変えるのに必要なのは、たった一匹のハチが羽根を開いて飛び立つことで、そうすれば二番目、三番目、十番目、百番目がその後を追うであろう。同じように、逸脱がほとんど絶望的にも思える社会的生活の魔法の環をうち破るには、たった一人の人物がキリスト教的な立場から人生を眺めて、自分の人生をそれに従ってまとめあげることだ。そううれば、他の人々もその範に従うであろう」――レオ・トルストイ『神の王国はあなたの中にある』(1893年)

前章では、本書の読者の前に差し出されたプロジェクトの原理と、社会改革スキームの中で実際に経験的な試験にかけられて、悲惨な終わりを迎えたものの原理との、大きなちがいについて述べた。そして、ここで提案している実験の特徴は、過去の失敗例とはまったくちがっているので、この実験を実行した場合に生じるであろう結果の参考として、過去の失敗はまったく不適切であるとも主張した。

さてこのスキームは全体としては新しいし、新しい分検討の余地もあるにはちがいない。でもそれが過去のさまざまな時代に提案されたスキームをいくつか組み合わせたものであって、しかもその組み合わせかたが、それぞれのいちばんいいところを引き出すようにしつつ、時にはその作者たちにさえはっきりときれいに見えていた危険や困難は排除するようにした、という点から、このスキームは大いに注目に値するといえるはずだ。ここでの目的はそれを示すことである。

手短に言えば、わたしのスキームは、まったく別の三つのプロジェクトを組み合わせたものだが、これまでこの三つが組み合わされたことはないと思う。その三つとは、(1) エドワード・ギボン・ウェイクフィールドとアルフレッド・マーシャル教授による、人口の組織的な移住運動提案、(2) トマス・スペンスが最初に提案し、後に(重要な変更を加えて)ハーバート・スペンサー氏が提案した、土地保有システム、そして (3) ジェームズ・シルク・バッキンガムによるモデル都市である。

原注:真理の探究において、人々の思考がいかに同じ流れをたどるかを示すとともに、こうして組み合わせられた提案がしっかりしていることについて、追加の議論の提供するために、以下のことを述べておいたほうがいいかもしれない。わたしは、マーシャル教授の提案もウェイクフィールドの提案も、本書を書いた後まで観たことはなかったし(ただし後者については、ジョン・スチュアート・ミル『政治経済の要素』でごく短く参照されているのは観ていたが)、バッキンガムの仕事も観たことがなかった。バッキンガムの仕事は、ほとんど50年前に刊行されているのに、ほとんど黙殺されているようだ。

では今挙げた順番に、これらの提案を観ていこう。ウェイクフィールドは、著書『Art of Colonization(植民地化の技法)』(J・W・Parker, ロンドン、1849)で、植民地を形成するときには――ここでの植民地は、自国の入植地を指すのではない――科学的な原理に基づいて行うべきだ、と主張している。かれはこう述べている(p.109):

「われわれが送り出す入植者たちは、手足だけの存在であり、頭も胴体もない。加わっているのは、一人前以下の人物ばかりであり、多くはただの貧困者や、ひどいときには犯罪者たちだ。入植地は、コミュニティのたった一つの階級の人物だけで構成されていて、しかもその階級とは、いちばん役にたたず、われわれの国民的性格を広めるのにもっともふさわしくない連中だ。われわれが故郷で慈しんでいるような思考や感情に対応したものをもつ種族を産み育てるのに、これほどふさわしからぬ連中はいない。

古人たちは、母国を代表できるような入植者たちを送り出した――あらゆる立場の入植者がいたのだ。われわれは畑に、つる草や自立できない植物を植え、それらが巻き付けるような、もっとしっかり育つ木はまるで植えない。支柱もなしのホップ畑、植物は混乱したようにからまりあって、もつれた山となって地面を這い、あちこちではまばらなイバラやドクニンジンにしがみついている、というのが現在の植民地にふさわしい紋章だろう。

古人はその植民地の首長か指導者という名誉ある職に、主要人物の一人を任命することから始めた。国の首長でないなら、労働者を導く女王蜂のような存在、と言おうか。王国では、王家の血筋をひく王子を選んだ。貴族社会なら、最も高貴な貴人を。民主主義国では、いちばん影響力のある市民を。これらの人々はもちろん、自分の生活における地位の一部をいっしょにつれていった――伴侶や友人、直近の親族なども含め――自分と一番身分の低い人々の間の階級の人々である。そして、そうすることがいろいろな形で奨励されてもきた。

最下層の人々は、ここでも喜んで従った。なぜならかれらは、自分の暮らしていた社会状態から離れるのではなく、それと一緒に移住するのがわかったからだ。それは、かれらが生まれ育ったのと同じ社会的・政治的なまとまりだった。そして、それに反するような印象がすこしでも生じるのを防ぐべく、異端の迷信の儀式を移植するときにも、それは最高度の厳粛さで執り行われた。自分たちの神や祭りやゲームをいっしょに持っていった――一言で、母国に存在した社会の肌理をまとめて維持していたものすべてを。移住者たちの心や目が懐かしがるであろうもので、動かせるものはすべて移動させられた。

新しい植民地は、コミュニティ丸ごとが時間や偶然のために規模を縮小してしまっただけで、そこに生き残った人々にとっては基本的に同じ家や国が残されているかのように作られた。あらゆる階層の成員からの広い貢献でできあがり、したがって入植されると同時に成熟した国となり、それを送り出した国のあらゆる構成部分を備える存在となったのだ。それは人口の移転であり、したがって入植者としても、コミュニティの高い存在から低い立場へ突き落とされたというような失墜の感覚はまったくなかったのである」

訳注:後の編者によると、これは実はウェイクフィールド自身の文ではなく、ウェイクフィールドが著書の中で引用している別の人物の文章だそうな。でも議論としてはウェイクフィールドの考え方と齟齬はないとのこと。なお、この引用で批判されているのは、オーストラリアとニュージーランドへの入植。ここには犯罪者が主に送り込まれている。

ジョン・スチュアート・ミルは著書『政治経済の要素』第一巻8章3節で、この論考についてつぎのように述べている:

「ウェイクフィールドの植民地理論は、大いに関心を集めてきたし、間違いなく今後もさらに関心を集めることだろう。(中略)かれの方式は、各植民地にその発端から農業人口に対してある比率で町民を配することと、土壌を耕すものたちがあまりに離ればなれになって、その町民人口を市場として活用するというメリットを享受できなくならないようにすることのための取り決めである」

ロンドンからの組織的移住運動についてのマーシャル教授による提案はすでに述べた。けれど、そこで述べた論文から、次のような下りも引用しておこう。

「方法はいろいろあるだろうが、おおむねの計画としては、この目的専用でもほかと兼用でもいいから委員会をつくって、ロンドンの煤煙からずっと離れたところに入植地を作ることを検討することだ。なんらかの手だてでしかるべき小屋をそこに買ったり建てたりしてから、低賃金労働に雇われている人たちに打診をすることになる。

まずは、固定資本がほとんどない産業を選ぶだろう。そしてこれまで見てきたとおり、ロンドンからの移転が重要な産業はほとんどすべて、この範疇に入る。さらに、自分の雇い人たちの悲惨な状況を本当に気にかけている事業主をさがす――そういう人は数多いはずだ。そういう事業主といっしょに、その助言を聞きながら、委員会はその雇い人たちや、雇われるにふさわしい人たちと仲良くなる。移住のメリットを示し、相談面でも資金面でも移住を助けてやる。仕事のやりとりを助け、事業主は入植地でその代理業を始めることもできる。

でもいったん始まれば、これは自立できるはずだ。雇い人がときどき指示を受けに戻るのを考えても、輸送費は家賃の節約分よりも小さいはずだからだ――特に自家農園での産物まで考慮に入れればまちがいない。そしてロンドンの悲しみが創り出す、飲酒の誘惑を取り除くことで、それと同じくらいか、または上回る節約が可能だろう。

これは最初のうちは、かなり受動的な抵抗にあうだろう(かなりみんなしりごみするだろう)。未知のものはだれでもこわいけれど、特に自分の自然な源泉をなくした人たちにとってはそうだ。ずっとロンドンの片隅に住んでいた人たちは、陽光の下で縮みあがってしまうかもしれない。家でも大した知り合いはいなかったにしても、だれも知り合いがいないところに行くのを怖がるかもしれない。でも、やさしく何度も説得すれば、委員会は思い通りにできるはずだ。知り合い同士がいっしょに引っ越すよう、暖かく、辛抱づよく同情しつつ、最初の変化の恐怖を取り除いていくのだ。同業でない複数の企業の仕事をまとめて送り出すのもいいだろう。しだいに豊かな産業地域が形成されて、そのうち純粋に利己的な理由で、事業主たちはロンドンの主工場を閉鎖して、この入植地に工場を新設するかもしれない。最終的にはみんなが利益を被るけれど、中でも最大のメリットを受けるのは、地主たちとその入植地につながる鉄道である」

原注:ロンドンの大製造業者が一つだけ、仕事をロンドンのイーストエンドから田舎に移す、というのは、マリアン・ファーニンガムの小説『1900?』の主要テーマとなっている。

いまのマーシャル教授の提案からの引用の最後の文ほど、まず土地を買い取ることが必要だということを協力に指摘するものがあるだろうか。そうすれば、トマス・スペンスの非常にすばらしいプロジェクトが実行できて、マーシャル教授の予見する地代の上昇を防止できるのだ。スペンスの提案は百年以上前に提出されたもので、これも望んだ結果を一挙に得る方法を示唆している。

「であれば、あなたがたは人々が教区のやとった教区財務部に支払う地代を考えてほしい。そのお金で教区は政府に、議会や国会がその時に認めた金額の一部を支払うわけだ。そのお金で、教区の貧乏人や失業者を救うわけだ。必要な係官の賃金を支払うわけだ。家屋や橋などの構造物を建て、修理するわけだ。人や馬車のために、便利で喜ばしい道や道路や通路をつくり、維持するわけだ。運河など、交易や交通のための設備をつくるわけだ。荒れ地に植樹して耕地化する。農業振興など、振興するにふさわしいものすべての振興用補助金。そして一言で、人々が適正だと思うことすべてを行うために使い、これまでのように奢多や高慢など各種の悪徳を支持し広めるためには使わない。(中略)かれらの中では、地元民だろうと外国人だろうと料金や税金は一切支払われない。さきほどのべた地代だけだ。みんなそれだけを、その人物が(中略)そこで占有する土地の量や質や利便性に応じて教区に払い込む。政府、貧困者、道路など(中略)はすべてその地代によってまかなわれ、それだけですべての商品や製品、しかるべき交易での雇用や行いは、完全に無税となる」(1775年11月8日、ニューキャッスルの哲学協会で読まれた講演から。これを印刷したために、協会はこの著者に対して協会除名という栄誉で報いたのであった)

この提案と、本書が提出する土地改革提案との唯一のちがいは、方式のちがいでなく、それを開始するための手法なのだということは理解されるだろう。スペンスは、どうも人々が命令によって既存の所有者を廃し、この方式を一気に全国一律に確立しうると考えていたようだ。でも本書では、この方式を小規模に開始するために必要な土地を購入し、この方式が持つ内在的なメリットによって、それが他でもだんだん導入されるようになるという提案がなされている。

スペンスが提案を行ってからおよそ七十年後に、ハーバート・スペンサー氏は(まず一般的な自由平等の法則の当然の帰結として、あらゆる人々はみんな平等に大地を使う権利があるという大原則を述べてから)、この問題についていつもながらの勢いと明晰さをもって、次のように述べている:

「しかし、人々がみんな平等に大地を使う権利があるという考え方は、どういう結論へとつながるのだろうか。土地に境界のない野生の時代に戻り、根やイチゴや狩猟の獲物で食いつながなくてはならないのだろうか。それともフーリエ氏やオウエン氏、フイ・ブラン社などの管理に任せられなくてはならないのか? いずれでもない。このような考え方は、最高の文明とも矛盾せず、財の共有などを持ち出す必要もなく、既存の取り決めをあまり派手に革命する必要もない。必要となる変更は、地主の変更だけだ。

区分された所有権は融合して、人々による共同株式保有に移行すべきだ。国は各個人の所有におかれるのではなく、大企業体――つまりは社会――の所有になるべきだ。農民は、自分の耕す土地を孤立した所有者から借りるのではなく、国から借りるようになる。ジョン卿猊下の代理人に地代を支払うかわりに、それをコミュニティの代理人か、代理人助手に支払うことになる。執事たちは個人に仕えるかわりに公共の官吏となり、土地の占有は借地だけになる。このように秩序化されたものごとは、道徳法と完全に調和している。そのもとでは、万人は平等に地主となる。同じく万人は、自由に借地人となれる。

現在は空いている農地に対し、A、B、Cなどが競合して、その一人だけがその農地を占有しても、純粋な平等の原理にはまったく抵触しない。全員が、自由に地代の競りに参加できる。辞退するのもまったく自由だ。そしてその農地がAかBかCのだれかに貸し出されたら、全員が自分の望み通りのことをしたことになる。ある人は、しかるべき金額を土地の使用について仲間の人々に支払うことに同意したわけだ――残りはその金額を支払うのを拒否しただけだ。したがって、このような方式のもとでは土地は囲われて、占有されて、耕作されるけれど、それは自由平等の原則に完全に従う形になるのである」(『Social Statistics(社会統計)』第9章8節)

しかしこのように書いてから、ハーバート・スペンサー氏は後に、自分の提案の障害となる大きな困難を二点発見して、この提案を何の留保もなく完全に引っ込めた。その困難の最初のものとは、国家所有と不可分だとかれが考えた、各種の弊害である(1891年刊行の『Justice(正義)』補遺B、290ページを見よ)。二番目は、既存の地主にとっても利益となり、コミュニティにも見返りがあるような条件で土地を購入するのが不可能だ、とかれが考えたことである。

しかしながら読者のみなさんが、ハーバート・スペンサー氏がいまや引っ込めた提案に先立つスペンスの方式を検討してくれれば、スペンスのスキームは(この拙著で提案したスキームと同様に)、国家統制に伴うと思われる反対論から完全に逃れていることがわかる(原注:しかしハーバート・スペンサー氏は、国家統制は本質的に悪いという自分の理論を覆すかのように、以下のように述べている。「国家があらゆる場合に同じ性質を持つという前提から始まる政治的な思索は、完全にまちがった結論にたどりつくしかないのである」)。スペンスの提案では、わたしのものと同じく、地代は人々との接触から遠く隔絶された中央政府が徴収するのではない。人々がまさに暮らしている教区が徴収するのだ(わたしのスキームでは、その自治体がこれを担当する)。ハーバート・スペンサー氏が思いついたもう一つの困難はといえば――つまり地主にとっても利益となり、購入者にも見返りがあるような条件で土地を購入する困難――これはハーバート・スペンサー氏が出口を見つけられず、せっかちにも克服不可能と結論した困難である――この困難は、農業地や過疎地を買い上げて、スペンスの提案したような形で貸し出して、ウェイクフィールドと(それより多少は慎ましい形ではあれ)マーシャル教授が支持したような、科学的移住運動を実施することで、完全に取り除かれているのである。

ハーバート・スペンサー氏がいまでも「絶対的倫理の格言」と呼ぶもの――あらゆる人々はみんな平等に大地を使う権利がある――を現実生活の領域に持ち込み、それを信じる者たちがすぐにそれを実現できるようなものとするようなプロジェクトというのは、最高の公共的な重要性を持っているはずだ。過去の人が過去に不道徳な基盤を敷いてしまったがために人は最高の道徳的原理にしたがうことができないのだ、と大哲学者が実質的に主張し、「でも、もし社会的規律がいま生み出した倫理的感情を持ちつつも、まだ個人ごとに分割されていない領域にいたなら、人は光や空気について平等を主張するのと同じくらい、土地についての平等を主張することにためらいを持たないだろう(『Justice(正義)』第11章、85ページ)」と主張するなら――そうであってくれればと願わずにはいられない――確かに人生はあまりに不調和に思える――新しい惑星に移住することで「社会的規律がいま生み出した倫理的感情」に浸る機会が生じればと思ってしまうほどだ。しかしながら新しい惑星や「まだ個人ごとに分割されていない領域」は、われわれが本当にせっぱつまっているのでなければ必要はない。というのも、開発されすぎた高価格の土地から、比較的更地で占有されていない土地への組織的移住運動によって、この自由と機会の平等を生きようと望む人は、みんなその通りに生きられるようになる。そして地上での、秩序だったと同時に自由な生活の可能性が、みんなの心と頭にはっきり描き出されるはずだ。

スペンスとハーバート・スペンサー氏の提案、そしてウェイクフィールドとマーシャル教授の提案にわたしが組み合わせた、第三の提案はジェイムズ・S・バッキンガムのスキーム(原注:バッキンガムのスキームは、1849年頃にPeter Jackson, St. Martins le Grandが刊行した『National Evils and Practical Remedies(国の邪悪とその現実的な対処法)』という著作に述べられている)の根本的な特徴を一つ含んでいる。ただしわたしは、意図的にかれのスキームの本質的な部分を除いてある。バッキンガム氏はこう述べている(p.25):

「わたしの思考はこうして、既存の町の大きな欠陥に向けられ、そしてこうした欠陥の最大のものを避けて、既存のどの町にもないような美点に置き換えるような、モデル都市を一つつくるのが望ましいと考えた。」

その著作でかれは、1,000エーカーほどの町の敷地図とスケッチを披露する。人口は25,000人ほど、周囲は広い農業地に取り囲まれている。バッキンガムはウェイクフィールドと同じく、農業コミュニティと工業コミュニティを組み合わせるメリットの大きさを理解しており、次のように示唆している:

「実現性がある場合には常に、農業労働と製造業労働を混ぜ合わせて、さらにはその労働で作られる記事や材料の種類も多種類を織り交ぜることで、それぞれの製品の労働を短くして、いろいろなものの作業を交代でできるようにするべきだ。そうすればあまりにしばしば生じる、単調な仕事がいつまでもいつまでも繰り返されるという事態からくる退屈や嫌気から人を解放し、満足をつくりだすことができるからだ。それに雇用の種類が多ければ、どんな単一の仕事でもかなわないほど、肉体的、精神的な機能を完全に活用することになるのである」

しかしながら、こうした点においてこのスキームはわたしのものと実によく似ているけれど、でも実はかなりちがっているのだ。バッキンガムは、社会の害悪の原因が競争と飲酒と戦争にあることをつきとめたと考えて、完全に内在化された協力システムの構築によって競争を絶滅させようとした。飲酒は、酩酊物質をすべて完全に排除することで排除しようとした。そして火薬を完全に禁止することで戦争を終わらせようとした。かれは資本金400万ポンドで巨大な企業をつくり、それが広大な土地を購入して、教会や学校や工場や倉庫、食堂、住宅などをつくり、その賃料も年30ポンドから300ポンドまでさまざまに設定することを提案した。そしてあらゆる生産活動を、農業だろうと工業だろうと、全領域をカバーする一つの大きな事業として行って、競合を一切認めないことを提案している。

外見的にはバッキンガムの方式とわたしのいまの方式は、大農業地の中のモデル都市という設定の面では似ている。工業と農業の両方が、健全で自然な形で行われるようになるわけだ。でもいまの説明で、両者のコミュニティ内部での生活はまったくちがったものであることがわかるだろう。田園都市の住民は、手を組む自由を完全に享受して、個人や共同での作業や探求をきわめて多種多様に実行できるのに対して、バッキンガムの都市の住民たちは、硬直した組織という型にがっちりはめられて、そこから逃れるには、この取り決め自体から脱出するか、あるいは小さなセクトへと分裂するしかない。

本章をまとめよう。わたしの提案は、まず過密な都心部から過疎の地方部に向かう、移住運動を組織するような試みを真剣に行うべきだ、ということだ。そしてこの作業を全国的な規模で達成しようという性急な試みで、人身をまどわしたり、組織者たちの努力を無駄にしたりしてはならない。まずは一つの移住だけに、思考と関心をたっぷり注ぐことだ。ただしその移住は、魅力的で、かつ人材豊富となるように十分大きなものでなくてはならない。移住者たちは(移住が開始される前にしかるべき取り決めを行って)、自分たちの移住に伴う地価上昇分についてはすべて自分たちが獲得できることを保証されるべきだ。

そしてこのために組織をつくり、その組織は移住者たちが自分でいいと思ったことをするのを認めると同時に(ただし他人の権利を侵害しないという条件でだが)、「税・地代」を全額受け取って、移住運動によって必要となったり望ましいとされるような公共事業にあてるものとする――こうすることで、地方税をなくすか、少なくとも強制的な徴税の必要性を大いに引き下げるわけだ。そして移住すべき土地に、建物や建造物がほとんどないという事実からくるまたとない機会は、最大限に活用される。田園都市は拡張しても、自然の無料の贈り物――新鮮な空気、日光、息をつける空間と遊ぶ余裕――は必要な限りたっぷりと保存されるようにレイアウトされ、さらには現代科学の成果を活用することで、技芸が自然を補うようにし、生活は喜びと楽しみにあふれたものとなる。

そしてこの提案は、不十分な形で提案されてはいるけれど、熱狂者が熱にうかされたようにして一晩のうちにでっちあげたようなスキームではなく、数多くの人々の思慮に満ちた調査と、多くの誠実な魂による辛抱強い努力に起源を持っているのだ、ということを認識することが重要だ。そのそれぞれが何らかの価値をこのスキームにもたらし、やがて時と機会が満ちれば、そうした要素を有効な組み合わせへと溶接するには、ほんの慎ましい技能でよかったというわけなのだ。


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