現代憲政評論 選挙革正論其の他, 美濃部達吉

緊急勅令違憲問題と若槻内閣の辞職


今回の内閣の更迭は、変例の多い日本の立憲政治でも殊に異例に属するもので、憲法問題としても政治問題としても、いろいろの点に注目を要するものが有る。


第一に、内閣が枢密院の反対によつて総辞職を余儀なくせられたことは、今度が初めての例で、外国には日本の枢密院のやうな制度は全く存在しないのであるから、固よりさういふ例の有るべき筈なく、即ち世界を通じて憲政史上空前の出来事といふべきである。

立憲政治の普通の事情からいへば、内閣の倒壊するのは、内閣の内部の不統一から来る社会的瓦解か、総理大臣の死亡又は不健康に基く辞職か、然らざれば衆議院の多数から不信任の意思を示されたことに原因するものでなければならぬ。健全な立憲政治において、外部から内閣を倒閣せしめ得べき力を有するものは、唯国民の代表者としての衆議院のみに限らるべきもので、貴族院すらも内閣の進退を左右し得べき権威を有するものであつてはならぬといふのが、憲政の普通の理論である。況んや枢密院の決議によつて内閣を倒壊せしむるに至つては、憲政の甚しき変態である事は言ふを待たぬ。

併しながら、日本の憲法が既に内閣および帝国議会の外に別に枢密院なるものを設けて、これを至尊の最高顧問府として居る以上は、時としてかういふ事態を生じ得ることは、まことにやむを得ない結果で、もしかくの如き結果を避けようとするならば、それは枢密院を廃止するより外に途は無いであらう。

何となれば、枢密院は内閣に対し独立の地位を有するもので、随つて枢密院が内閣と意見を異にすることの有るのは固より当然であり、しかしてその意見の相違が内閣の重要な政策に関して生じた場合には、枢密院の反対のために内閣の重要な政策を実行することが不可能となり、随つて内閣が辞職を余儀なくせられることのあるのもやむを得ざる結果であるからである。

これを今回の事例に付いて見るも、若槻内閣は台湾銀行救済のために緊急勅令発布の計画を立て、これに依らねばその救済は不可能であるとし、しかも枢密院はこの緊急勅令をもつて憲法上許され得ないものとしてこれを否決したのであつて、若し、この緊急勅令が真に憲法違反であるとすれば、枢密院は憲法擁護の機関とも称せられ、憲法の正当なる適用を維持することを、もつとも重要なる任務とするものであるから、これを否決したことも当然の処置といはねばならぬ。しかもこれがために内閣はその重要な政策を遂行することを得ない事となり、しかして内閣はこの手段を外にしては台湾銀行を救済し財界を安定する途なしとするのであるから、この反対に逢うて総辞職を余儀なくせられたのもまた当然の結果である。即ち枢密院がこれを否決したのも憲法上当然の事であり、その結果内閣が辞職したのも当然の事であるとすれば、内閣が枢密院の決議によつて倒壊することの有り得ることは、日本の憲法の当然予期する所といはねばならぬ。

しかもさういふ結果の生ずることが、健全なる立憲政治の理想からいつて望ましいことであるや否やは、すこぶる疑はしいところで、もしそれが望ましくないとすれば、吾々は枢密院制度そのものの存在について考慮せねばならぬ。いやしくも枢密院の存在を認むる以上は、内閣が議会の信任を得て居るに拘らず、枢密院の反対によつて辞職を余儀なくせらるることの有り得ることは、今回の事例がこれを証明して余りあるものである。


第二に、若槻内閣の発せんとした緊急勅令は、枢密院の言ふ如く果して憲法違反であるや否や。

この問題に対しては、私はそれが憲法違反であるとする主張が、相当の理由あるものであることを信ずるものである。

若槻内閣の緊急勅令案として発表せられたものによると、それは二の事柄を含んで居る。一は日本銀行をして無担保貸付をなさしめようとすることであり、一は政府が日本銀行に対し二億円を限度として右の無担保貸付から生ずることあるベき損失を補償する契約を結ぶことである。第一の点は日本銀行条例に対する例外法であるから、法律に代る勅令たることを要し、随つて憲法第八条第一項によるものであり、第二の点は予算外に国庫の負担となるべき契約をなすもので、財政上の緊急処分であり、随つて憲法第七十条第一項によるものである。即ちこの緊急勅令は憲法第八条および第七十条によつて発せんとしたもので、この二ヶ条殊に憲法第七十条の要件がこの場合に果して備はつて居るや否やが、問題の分るるところである。

憲法第七十条には「公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需要アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハザルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得」とある。即この条によつて財政上の処分をなすには、憲法第八条による緊急勅令よりもその要件が一層厳重であつて、唯内外の情形に因り議会を召集し能はざる場合に限りてこれをなし得るのである。即ち議会の閉会中であつても原則としては必ず臨時会の召集を要し、唯臨時会を召集することの出来ない場合にのみ、この非常手段が許さるるのである。

今回の場合は事情固より急を要したことは、この緊急勅令の否決と共に直に台湾銀行の休業となり、延いて財界空前の大恐慌をひき起したことによつても証明せられたのであるが、台湾銀行の窮状は議会の開会中から既に知られて居た事柄で、その閉会後僅に二三週間を経たばかりで、その間に予期せられない災厄が新に突発したのではなく、その救済の為にする所謂震手法案すらも、輿論の囂々ごうごうたる反対を抑へて、僅に議会を通過するを得たばかりであるのに、更に二億円といふ巨額の国庫金を一銀行の救済の為に費やさうとするのに、臨時議会をも召集せず政府の単独の権力を以て実行せんとするのは、如何にも乱暴な処置であつて、憲法上到底忍容し得らるべきものとは信ぜられぬ。

それであるから枢密院がこれを否決したのも、政治上から見て穏当の処置であるや否やは全く別間題として、単に法律上の問題として之を見れば、敢て其の権限を超えたものと謂ふべきではない。

第三に、今回の事例に付いて吾々の最も遺憾とする所は、ある一二の銀行を救済する為に国民に数億円の負担を負はしむるやうな結果を惹き起しながら、其の何故にここに至らしめたかの詳細の原因が国民の前に明示せられず、其の責任が何人に帰すべきかすらも明白にせられないことである。民心を険悪ならしむる最も大なる原因の一は、国家の権成をもつてする賞罰宜しきを失ひ、責任の帰結すべき所を明にしないことに在る。今回の緊急勅令案は公共の安全を保持するため緊急の必要ありとして提案せられたものである。しかも公共の安全を危ふからしめた者は、決して天災でもなければ、事変でもなく、人為にその原因を有つて居ることは明である。果して然らば公共の安全にかくの如き大なる危害を加ふるに至つた者は当然その責に任じなければならぬ。その責任者を明にせず、その必然に受くべき処罰をも加へず、独り国民をして巨額の負担に任ぜしむるのは、民心を悪化せしむる大なる原因でなくして何であらう。

(昭和二年四月二十五日発行「帝国大学新聞」所載)