メイカーズ コリイ・ドクトロウ 第三部

第四十二章


階段をあがってくるスザンヌを目にするとホテルのバーテンダーは彼女のためにラプラプを作り始めた。中をくりぬいたパイナップルにアルコール度数の高いラムを注いで小さな傘の飾りを添えたカクテルだ。これこそ昼間のパークでの戦いの疲れを解きほぐすための完璧な割合で調合された神経抑制剤だと彼女は思っていた。昼間、彼女はディズニーハリウッドスタジオでパフォーマンスする役者の群れのあとをついて回って時間を過ごしていた。衣装を身につけた百人近い役者たちはモノクロ時代のハリウッドの複雑に入り組むコメディーを演じていた。彼らはひるむことなくその図太さを発揮して観客の中から人を選び出しては自分たちの演し物に飛び入り参加させていた。

足には靴擦れができてしまっていたがまだエプコットでの夜の演し物がある。バーテンダーが彼女にパイナップルのグラスを差し出し、彼女は自分のストラップをバーに向かって二回振った……一度目はドリンクの支払いで、次のはバーテンダーへの気前のいいチップだ。バーテンダーはひどく陽気で、見ていて面白い男だった。その相手が面白がるように彼女に話しかけてきた。

「殿方がお呼びです。スザンヌさん」彼が首をかしげながら言った。「隅に置けませんね」

指し示された方を見るとバー・スツールに座った男が見えた。いらいらした子連れの父親には見えなかったし、愛に満ち溢れた新婚旅行客にしてはいささか老け過ぎている。実務的な熱帯向けのスラックスとウエスタンシャツを着た姿はひどく場違いだった。男がほほえんで彼女に小さく手を振った。

「なんなの?」

「一時間ほど前に来られてあなたについて尋ねられました」

振り返って彼女は男を見た。「どんな感じだった?」

「ここで働いている方のようにお見受けしました。社員カードでの支払いはしませんでしたが、そうしかけました」

「OK」彼女は言った。「一時間経っても私が戻らなかったら捜索隊を派遣してちょうだい」

「健闘を祈ります」彼女と強く握手を交わしながらバーテンダーが言った。

彼女はパイナップルのグラスを持ったままバーの中を流れるように歩いていった。

「こんにちわ」彼女はそう挨拶した。

「チャーチさん」男が言った。相手の警戒を解くように力のこもった笑みを浮かべて相手は続けた。「サミー・ペイジです」

もちろん彼女はその名前を知っていた。その顔も言われてみれば見覚えがある。彼が彼女に手を差し出す。だが彼女は握手を交わそうとはしなかった。彼は手を下ろすと自分のズボンで手の平をぬぐった。

「楽しんでいただけていますか?」

「とっても。お気遣いありがとうございます」自分のカクテルを一口すすりながら、これがもう少し真面目で相手を威圧するような飲み物だったらよかったのにと彼女は思った。紙のパラソルが添えられたラムが注がれたパイナップルではどうにも締まらない。

彼がためらいがちに笑う。「あなたの記事は読みました。今まで気がつかなかったとは自分でも信じられない。あなたは六日もここに滞在されているのに私が気がついたのは今日のことだったんですよ? どうやら私はずいぶん間の抜けた悪役らしい」

思わず彼女は小さな笑い声をたてた。「まあネットは広大ですから」

「しかしあなたの記事は気に入りました。記事を読んでからなんというか自分がシリコンバレー時代に戻ったような感じがしているんです。昔、マーキュリー・ニューズが紙媒体で配達されていた頃にはよく読んでいました」

「まるで歩く化石ですね」

彼は自分の頭を軽く叩いた。「まあ話をさせてください。ご存知でしょうがこの頃、私は訴訟じゃなくてものを作る仕事でとても忙しんです。物事を前に進めることにエネルギーを注いでいます。前に進むのを妨げることにではなくね。とてもわくわくすることです」

彼女はポケットに手を突っ込むと小さなメモ帳と鉛筆を取り出した。「メモをとっても?」

彼がむせた。「できれば内密な話し合いといきませんか?」

彼女はメモ帳を持ち直した。「いいえ」彼女は最終的にそう言った。「もし何か公表が必要なものがあれば私はそうしなければなりません。あなたが正直に話をしてくれたことに配慮はします。ですが率直に言って、ペイジさん、あなたを特別扱いして話したことを公表しないわけにはいきません」

彼は自分の飲み物をすすった……大人びたハイボールで角氷が一つ浮いている。たぶんスコッチのソーダ割りだろう。「OK、いいでしょう。それでは記録してください。私も正直に話します。あなたの記事は大好きです。あなたの著書はどれも私のお気に入りだ。ここであなたに会えて本当に嬉しいんです。私たちはものすごいものを作り上げたし、今もこれまで以上にすごいものを作っていると私は思っています。あなたの一番新しい記事にあったお金の話は正しい……この場所にある作品には細心の注意が払われています。この地位はそうやって築かれてきたのです」

「ですがあなたはここでのものとは違うプロジェクトに多大な労力を注ぎ込まれていたんですよね? あなたについては聞いたことがあります。ペイジさん。デス・ウェイツにインタビューしたことがあるんです」彼がたじろぎ、彼女はメモをとった。不安気な彼を放って彼女はメモを書き続けた。冷ややかな怒りのようなものがメモを書く彼女の腕をはいのぼってきた。「そのインタビューでこの場所に対する彼の言い分やあなたが何をしたかについては聞きました」

「私の手はきれいなものじゃない」彼が言った。「だが償おうとしているんだ」彼が口をつぐんだ。あのバーテンダーが二人を見ていた。「ちょっと歩きませんか? もっと内密の話ができる場所がいい」

彼女は少し考えた。「着替えてきます」彼女は言った。「十分後にロビーで会いましょう」

彼女はテニスシューズを脱ぎ捨てるとウォーキングサンダルに履き替え、清潔なシャツとズボンを身につけてからゆったりとしたスカーフをショールのように羽織った。夕日が湖を血のように染めていた。ロビーに向かって大急ぎで引き返そうとしたところで彼女は踏みとどまりレスターへ電話をかけた。彼女の指は自分の意思を持ったかのように動いた。

「やあ、君か」電話の相手は言った。「まだマウシュビッツを楽しんでるのかい?」

「ますます事態は奇妙な方向に進んでいるわ。あなたには教えてあげようと思って」彼女は言った。サミーが姿を現し彼女と話をしたがっていることを彼女は彼に伝えた。

「おいおい、妬けちまうね」レスターが言った。「そいつは俺の最大の宿敵なんだぞ」

「私はそんなふうには思わなかったわ。どちらかと言えば魅力的な……」

「おい!」

「粘着質で強欲そうなやつだったわ。心配しないで。レスター。あなたが恋しいわ。わかってるでしょう?」

「本当に?」

「本当に。ここでの仕事も終わりそう。すぐにうちに帰るわ」

長い沈黙の後、鼻をすするような音が聞こえた。相手が泣いてることに彼女は気がついた。大きく彼が鼻をすする。「すまない。嬉しいよ。君が恋しくてたまらない」

「私も……私も恋しいわ。聞いて。私はこれからあの男に会いに行ってくる」

「ああ。頑張って。夕食がすんだら電話して何が起きたか教えてくれ。その間に俺はDiaBをもっと攻略しておく」

「道を切り拓け。それこそが正しい」

「異議なし」

サミーと彼女はロビーで会った。「湖の周りを散歩しながらにしようかと思うんですが」彼が言った。「周囲をひとまわりする道があるんです。内密な話にはぴったりだ」

彼女は湖を眺めた。十二時の方向にマジックキングダムのメインゲート、三時の方向にはアルファベットのAの形をしたコンテンポラリーホテル、九時の方向にはウェディングケーキのようなフランド・フロリディアン・リゾートがある。

「行きましょう」彼女は言った。彼は人工の白い砂浜へと彼女を先導し、湖に沿って進んでいった。しばらくすると八角形のタイルが敷き詰められた歩道へと出た。タイルの一枚一枚にはどこかの家族の名前と日付が刻まれている。

「あなたの記事は本当にすばらしい」

「それはもう聞きました」

しばらく二人は歩き続けた。「なぜ私がここに来たのかを思い出させてくれるんです。以前はスタートアップで働いていました。楽しい体験だったがあまりに儚いものだった。今、ウェブ上にあるもので五十年後も変わらずに存在するものを挙げられる者はいないでしょう。ブランド名は生き残るかもしれません。だが誰が確かなこと言えます? だってそうでしょう。Yahoo!のことを憶えている人がどこにいます? 確実に言えるのは何かを作っても一、二年、どんなに長くても十年もすれば消えてなくなってしまうということです。

だがここでは……」彼は両手を広げてみせた。二人はコンテンポラリーホテルのあたりまでたどり着いていて、彼女はその馬鹿馬鹿しいほどの豪勢さの全てを目におさめることができた。まるでつい先日できあがったばかりのようだったがそそり立つアルファベットのAの形をした構造やその中を貫いて走るモノレールは明らかに現在とは異なる時代に属するものだった。まるで博物館に飾られた芸術作品かあるいは内戦の様子を再現した戦場に置かれたミサイル発射装置のようだ。

「わかります」

「壮大で永遠だ。何か……全てをのものを……年月に耐え得るようなものにしようという信念があります」

「それを言うためだけだったらわざわざ人気のない場所に私を連れ出す必要はなかったのでは」

「ええ、そうですね」彼が口をつぐんだ。「なかなか難しいものです。私があなたに話したいと思っていることはもし公になれば私の名誉を傷つけることなんです」

「そして内密にするよう約束させたところで私はあなたを見逃す気はない」

「その通り」

「それであなたはジレンマに陥っているというわけですね?」太陽は今にも沈みそうで二人の足元の敷石がきらきらと光をまき散らして光っていた。熱帯の花々の香りや湖の爽やかな匂いが漂う心地の良い夕べだった。涼しいそよ風が彼女の髪をそよがせる。

彼のあげるうめき声が彼女の耳にも聞こえた。彼女は楽しんでいた。この男がおこなったことへの当然の報いではないか?

「もう一度やり直すチャンスをください。私はある情報を持っています。もしそれをあなたに渡せばハリウッドにいるあなたの友人たちは恐ろしい痛手を被らずにすむでしょう。情報源として私が特定されないように骨を折ってくださるという条件のもとでだけ私はこの情報をあなたにお教えします」

今、二人はマジックキングダムのところまで来ていた。二人の背後にはメインゲートがそそり立ち、駅から走り出す蒸気機関車が警笛を鳴らした。満足気な遊び疲れた子供たちが広場を横切ってフェリーやモノレールの乗り場に向かっていく。足元の敷石は虹色の光に照らされてきらきらと輝き、熱帯に住む鳥たちの呼び交わす声が湖に浮かぶパイレーツ・オブ・カリビアン・アドベンチャーアイランドから聞こえた。

「なるほど」彼女が言った。周りの家族連れは笑い声を上げながら押し合いへし合いしている。「OK。一度だけです。今回はオフレコにしましょう」

サミーは神経質そうにあたりを見回した。「歩き続けて」彼が言った。「ここから離れた人のいない所に戻りましょう」

この人混みはなかなかいい雰囲気だと私は思いますけど。彼女は思ったが口には出さなかった。代わりに彼女は言った。別に問題は無いんじゃないでしょうか? もし何か公表すべき内容があっても他の情報源から入手したと言えます。

「彼らはあなたの友人たちを訴えようとしている」

「それは知っていますが?」

「私がということじゃない。彼らは戦争を始めるつもりだ。思いつく限りの訴えをでっちあげるつもりなんだ。だが問題は警官隊の襲撃じゃありません。彼らが全ての通信、文書、ファイルを暴こうとしているということです。根こそぎだ。あなたの友人たちを吊るし上げる口実が見つかるまで全てのメールを漁るつもりです」

「あなたは『彼ら』と言っていますが……あなたがその『彼ら』ではないんですか?」

暗すぎて相手の顔は見えなかった。しかし彼女の質問に彼の落ち着きが無くなったことがわかった。

「違う。今回は違うんです」彼は口をつぐむと湖の方に目をやった。「いいですか。私は今、仕事に打ち込んでいます……何と言うか……すばらしい仕事なんです。DiaBのことです。まさに新天地を切り開いているところなんだ。私たちはアメリカの全ての家庭に3Dプリンターを届けているんです。あなたの友人であるレスターのやっていることは実のところ私たちの助けになるものだ。私たちが発明しているものは全く新しい……」

「ビジネスですか?」

「いいや。ビジネスなどではありません。世界だ。これこそニューワークが成し遂げられなかったものなんです……全てのリビングルームに3Dプリンターを置く。決定的に重要な要素です。表計算ソフトが現れる何年も前からパーソナルコンピューターもギークも存在しました。その後で全ての家庭にパーソナルコンピューターを置く理由ができた。そして私たちはインターネットやソフトウェア産業を手に入れた。新しい世界です。それこそ私たちが向かうべき場所なんです。私が成し遂げたいと思うものなんです。残りの人生を訴訟に費やすようなことを私はしたくない。私はものごとを成し遂げたいんだ」

彼は小道の脇に生えた雑草を蹴りつけた。「人々の記憶に残るようなことがしたい。歴史の本に名前が残るようなことがしたい……山積みの訴訟なんてまっぴらだ」

スザンヌはしばらく黙ったまま彼の横について歩いた。「いいでしょう。それでそのために私に何をして欲しいんですか?」

「私が考えていたのはもし……」そこで彼は黙った。「いいですか。私は以前も一度同じことを試みました。私の味方になってくれることを期待してろくでなしのフレディに全てを話しました。やつは私を騙した。あなたがフレディと同じだと言っているのではありません。しかし……」

スザンヌは立ち止まった。「私にどうして欲しいんですか? 私や私の仲間たちとあなたは友人とは言えない仲です。あなたが何かすばらしいものを作っていることは間違いないですが、同じようにすばらしいものをだいなしにする手助けをしていたことも事実です。あなたは自分のことを謎めいた『彼ら』の犠牲者のように語っていますね。ですが私の考えるところではあなたと『彼ら』の間の違いは少しばかりの意見の相違だけのように見えます。あなたの会社でおこなわれている駆け引きや権力闘争の道具として使われる気は私にはありません」

「いいでしょう」彼が答えた。「いいでしょうとも。言われるだけのことを私はしてきた。お世辞にも褒められないことをしてきました。その通りだ。だが私は挑戦したいんです」

彼女の態度は硬いままだった。いい大人がすねたところで彼女がそれに同情を感じることはない。彼が彼女に教えたいことが何であれ、この男と議論する価値はなかった。

体を震わせながら彼がため息をついた。「ああ。あなたの楽しい夕べの邪魔をしてしまったようですね。埋め合わせをさせていただけませんか? 私のお気に入りのライドがいくつかあるので紹介しても?」

その言葉に彼女は少し驚いた。少し考えてみたものの断る理由はない。「わかりました」彼女は答えた。


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