メイカーズ コリイ・ドクトロウ 第三部

第五十八章


一週間後に帰ってきたスザンヌが見つけたのはリビングルームに座り込んだ二人だった。二人は家具を全て壁ぎわに押しやり、ボードゲームのボードを重ねるようにして床を覆っていた。何種類ものゲームのカードや紙幣やコインがゲームボードの縁に平積みにされている。

「このひどい有り様は何なの?」彼女は機嫌よく尋ねた。レスターからペリーが来ていることは聞いていたので何かおかしなことが起きているだろうと覚悟はしていたがそれでもこれにはかなり驚かされた。レスターは静かにするよう手で制してから二つのさいころを振った。さいころは床を転がり、そのうちの一つが置かれた炉格子をすり抜けて落ちた。

「三ポイント」ペリーが言った。「格子をすり抜けなかった分が一ポイント、すり抜けた分が二ポイントだ」

「金網をすり抜けなかったら二ポイントで、落ちたら一ポイントって言わなかったか?」

「それじゃあそれぞれに一.五ポイントずつで手を打とう」

「紳士諸君のみなさん」スザンヌは言った。「私は質問したと思ったけど? すなわち『このひどい有り様は何なの……』って」

「カルビンボールさ」レスターが答えた。「昔懐かしい『カルビンとホッブス』のまんがにでてくるやつだ。二度と同じルールが適用されないというルールなんだ」

「それから君はマスクをしなくちゃならない」ペリーが言った。「ただし俺たちはこのがらくたの上でステップを踏み続ける」

「周りは何も見えない」レスターが言った。

「コーカスレースだ!」ペリーが叫ぶとあたりを駆けまわり始めた。レスターは立ち上がろうともがいてから倒れこんだ。

「俺は信じないぞ」彼は言うと二つの十面さいころをとって投げた。「八十七」彼が言った。

「よしきた」ペリーは答えると戦艦ゲームのボードを拾い上げ「Bの七」と言い、さらに「ところでスコアは?」と聞いた。

「オレンジ対七だ」レスターが答える。

「オレンジはどっちだ?」

「おまえの方だ」

「くそ。OK、一休みしよう」

スザンヌはなんとか笑いをこらえようとしたが無理な話だった。とうとう体を二つに折り曲げて彼女は笑い出し、笑い涙が彼女の顔を流れた。ようやく体を起こすとレスターが足を引きずって彼女に近づき思いがけないほど力強いお帰りの抱擁をした。レスターの匂いが、長年ベッドをともにしてきた男の匂いがした。

ペリーが手を差し出して彼女の手をとったので彼女は彼の体を引き寄せて長い熱烈な抱擁をした。

「戻ってきてくれて嬉しいわ。ペリー」彼の両方の頬にキスしてから彼女は言った。

「君に会えて最高の気分だよ。スザンヌ」彼が言った。彼女の記憶の中の彼よりも痩せて髪はまばらに白くなっていたが変わらず海賊のような男前な姿だった。

「あなたがいなくて私たちずっと寂しかったわ。今までのことを全部話してよ」

「たいして面白い話でもない」彼は答えた。「いや本当に」

「にわかには信じられないわね」

そこで彼が旅の話をすると二人はその世界の縮図のような内容に楽しく耳を傾けた。彼が出会った興味深い人物たち、彼が食べた信じられないような食事、ひどい労働環境、印象的だったヒッチハイクの旅といった話だ。

「それで終わり?」スザンヌは言った。「それがあなたのやってきたこと?」

「これが俺のやっていることだ」

「それであなたは幸福なの?」

「不幸ではないな」彼が答えた。

おもわず彼女は頭を振った。ペリーが体を強ばらせた。

「不幸じゃないことの何が悪いんだ?」

「なにも悪いことは無いわ。ペリー。私は……」彼女はそこで口ごもり言葉を探した。「初めて私があなたに会った時のことを憶えている? あのショッピングモールの廃墟であなたたち二人に会った時のことを? あなたは幸福なんてものじゃなかった。笑いが止まらないくらいだったわ。あのブギウギエルモのことを憶えている? 彼らが運転していた自動車のことを?」

ペリーは目をそらした。「ああ」彼が穏やかな声で言った。その声はどこか歯切れが悪かった。

「私が言っているのはこんな風にやっていく必要はないってことだけよ。あなただったら……」

「何ができるって言うんだ?」彼が言った。怒ったような声だったが彼はただ動揺しているだけだと彼女は思った。「俺ならディズニーのために働ける、作業場に一日中座り込んで誰も気にもしないごみくずを作っていられるっていうのか? 人生最後の日まで賃金奴隷でいられる、ご主人様の法人お抱えの動物園で檻に閉じ込められた猿になれるって?」それはかつてレスターが口にした言い回しだった。それでスザンヌはペリーとレスターがそのことについて話し合ったのだとわかった。

ソファー(二人はソファーをカルビンボールの道具の脇に押しやっていた)に座った彼女にぐったりともたれかかっていたレスターが警告の声を上げて彼女の膝をぎゅっとつかんだ。なるほど、それについてはもうちゃんと議論済みとうわけだ。

「あなたたち二人は私が今まで出会った中で一番の起業家精神の持ち主だわ」彼女は言った。ペリーが鼻先で笑った。

「もっと重要なのはあなたたちが一番幸せそうだったのは私たちが出会った頃、純粋に喜びのためにものを作ってそれをコレクターに売っていた頃だってことよ。今、ギボンズ・バンクスのオリジナル作品に金を払うコレクターが何人いるかわかる? あなたたち二人はずっとそうしていけるのよ……」

「レスターの医療費が……」

「レスターの医療費は問題じゃない。あなたたち二人が一緒に取り組めばお金はいくらでも稼げる。レスター専用の病院だって買える」それにどちらにしろレスターはそう長くはもたない。口には出さなかったがそれは事実だった。彼に症状が初めて現れて以来……全てのファトキンスに症状が現れて以来、何年もの間、彼女はその問題に向き合ってきたのだ。今では初めの頃のように胸が塞ぐ思いをせずにそのことを考えることができるようになっていた。取材で一週間の旅行に出ても毎晩すすり泣いて目を腫らしながら彼がまだ生きていることを確認するためにレスターに電話せずともやっていけるようになった。

「他の全てをやめてずっとやれと言っているわけではないのよ……」レスターには時間は残されていないのだ「……だけどそれに挑戦しないでいたらあなたたち二人は気が狂ってしまうわ。見てよ。あなたたちがやっているこのボードゲームだかなんだか……」

「カルビンボールだ」ペリーが言った。

「カルビンボール。それ。あなたたちは今言ったようなことのために生まれてきたのよ。あなたたち二人は互いに高め合っている。ペリー、正直に言って。あなたにはこれ以上にやるべきことなんか無い」

彼女は息をつめた。ペリーと最後に話してから長い時間が経っていた。こんな風なことを彼に言う機会があったのはどれくらいぶりだろうか。以前であれば慎重に熟慮を重ねることもなかっただろうが今は……。

「一晩じっくり考えさせてくれ」ペリーが言った。

つまり答えはノーだということだ。ペリーが答えを一晩先延ばしにしたことはなかった。彼には決断力がある。時には間違った決断をすることもあったが決断に迷うことはなかった。

その夜、レスターは彼女の背中をマッサージした。彼女が旅先から帰るとサイドテーブルに置かれた彼女のハンドクリームを使っていつも彼はそうした。彼の手はかつてはとても力強い機械工らしい手だった。彼女の背中のこりをずんぐりとした指のピストン運動で休むことなくもみほぐすことができた。今ではその手はなめらかに変わり愛撫を繰り返すだけだ。擦り付けられるだけでとてもマッサージとは呼べなかった。彼女が旅から戻るたびにそのマッサージは穏やかになり、またどこか愛情を増していった。だが彼女はかつてのあのマッサージが恋しかった。時にはもう彼の手を煩わせることはやめるよう言うべきだと思うこともあった。しかしそれが意味するであろうこの儀式の終わりが……そして彼の死によって終わるこの儀式があと何回残されているのかを考えることが彼女は恐ろしかった。

短い背中のマッサージが終わると彼は彼女と一緒に毛布の下に体を滑り込ませた。彼女は彼を長い間抱きしめ、背後から彼を愛撫した。彼のうなじに顔を寄せ、彼のお気に入りのやり方でその鎖骨にキスした。彼が小さな声でうめいた。

「愛している。スザンヌ」彼が言った。

「急に何?」

「君が帰ってきて嬉しいのさ」彼が言った。

「私がいない間、あなたは自分の体にちゃんと気をつけていたようね。ペリーと一緒にいた時もね」

「あいつをムッソ・アンド・フランクに連れて行った」彼が答えた。「俺は豚みたいに食った」

「そしてその対価を払ったってわけね?」

「ああ。何日もかけてな」

「いい気味だわ。ペリーはうちの子にひどく悪い影響を与えるのね」

「あいつがいなくなれば寂しく感じるだろうな」

「彼がいなくなると思ってるのね?」

「君だってあいつがそうするとわかっているだろう?」

「まあそうね」

「癒えることのない傷もあるんだ」彼が言った。「俺はそう思う」

「それは違うわ」スザンヌは言った。「彼はあなたを愛している。彼にとってここ何年間かで一番楽しい一週間だったことは間違いないわ」

「それじゃあなんであいつはここに留まろうとしないんだ?」レスターの声はぶっきらぼうでまるで泣き出しかけているようだった。これまでにそんな声を聞いたのは彼が激しい肉体的な痛みに襲われた時だけだった。その声を聞くことも最近では次第に多くなっていた。

「たぶん彼は自分のことを怖がっているだけよ。彼は長い間、逃げまわってきた。彼が何から逃げまわっているのかをあなたは自分自身に問う必要があるわ。私に言わせれば彼は自分自身から目を背けることに人生を費やしている」

レスターがため息をつき、彼女は彼を強く抱きしめた。「いったいどこで俺たちは道を誤ったんだ?」

「あら」彼女は答えた。「道を誤ってなんていない。ただ私たちが何かを成し遂げようとした人間だってだけ。大きな何かを。いつだってあなたは変化を起こそうとしていた。自分ができることに向き合って変化を起こそうと。これは結果を伴うことを実行した結果よ」

「やれやれ」彼が言った。「旅先じゃ君はいつだって禅の公案みたいなことを言っているな」

「自分と向き合う時間がたくさんとれるから。あなた読んだの?」

「俺が読んだかって? スザンヌ。寂しくなったら俺はいつだって君の書いた記事を読んでいる。そうするとまるで君と一緒に家にいるように感じるんだ」

「ロマンティストね」

「本当にシャーベットトーストにいわしを乗せて食べたのか?」

「馬鹿にしたもんじゃないわよ。思ったよりおいしい。いえ、かなりおいしいわ」

「そいつは君に任せた」

「ムッソ・アンド・フランク両氏の意見を聞こうじゃない……ぼっちゃん。あなたは他の誰かの食べ物の好みを批判できる立場じゃないもの」

幸福のため息を彼がついた。「愛しているよ。スザンヌ・チャーチ」

「あなたはいい人だわ。レスター・バンクス」


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