トロイア物語:都市の略奪者ユリシーズ アンドリュー・ラング 第三章

美しき手のヘレネーへの求婚


ユリシーズが青年で、結婚しようと考えていたころ、人々の暮らしぶりはこのようなものであった。人生最悪の事態は、身分が高く美しい王女が捕虜となって、父や夫を殺した男の町に奴隷として連れ去られることだった。さて、当時この世でもっとも美しい女は、テュンダレオース王の娘、ヘレネーだった。若い王侯たちは誰もがヘレネーのことを聞きつけ、結婚したいと望んだ。そこでその父親は、王侯たちを皆自分の宮殿へと招き、もてなして、なにをくれるのか聞き出した。他の王侯にたちまじって、ユリシーズも行った。だが、その父の王国は、そのあたりの他の王に比べ、小さく、起伏のおおい島であり、ユリシーズに勝ち目はなかった。ユリシーズは背は高くなかった。非常に屈強で活動的ではあったが、肩幅の広い背の低い男だった。しかし顔立ちはよく、他の王侯と同じように、黄色い髪をヒヤシンスの花ような房にしていた。その態度はとてもためらいがちで、最初はとつとつと喋っていたが、後には自由に話をするようなった。人のやることならなんでも上手で、耕すことも、家を建てることも、船を作ることもできた。それに、一人を除けば、ギリシア一の弓の名手で、今はもう亡くなったエウリュトスという王の大弓を曲げることができた。この弓には他の誰も弦を掛けることができなかったのだ。しかし彼には馬がなく、また大行列をなす家来衆もいなかった。それで、簡単にいえば、ヘレネーもその父親も、多くの背が高く、男っぷりのよい、黄金の飾をきらめかせた若い王侯の中から、夫としてユリシーズを選ぼうなどとは思ってもいなかった。そうはいっても、ヘレネーはユリシーズにはとても親切で、二人は厚い友情で結ばれていた。そのことが、最後にはヘレネーにとっては幸運となるのだが。

テュンダレオースはまずすべての王侯に、夫として選ばれた王の味方となり、諍いがあればいつも、その側に立って戦うという誓いを立てさせた。それから、ヘレネーの夫に、ラケダイモーンの王、メネラーオスを名指したのだ。メネラーオスは勇敢な男ではあったが、強者たちの一人ではなかった。もっとも背が高く、力が強い巨人のアイアースやユリシーズの友人のディオメーデース、あるいは自分の兄で、ミュケーナイの富める都の王、アガメムノーンのような戦士ではなかったのだ。このアガメムノーンがすべての王侯たちの長であり、戦のときには全軍を率いる将軍であった。その都を守っていた思われる石彫りの大きな獅子像は、アガメムノーンが戦車で駆け抜けた門の上に、今なお建っている。

最高の戦士アキレウスは、ヘレネーの求婚者の中にはいなかった。なんとなれば、彼はまだ子供だったし、母親の海の女神、銀の足のテティスが、遥か彼方の島でスキューロスのリュコメーデース王の娘たちと一緒に女の子として育てようと送り出してしまったのだ。テティスがこのようなことをしたわけは、アキレウスはたった一人の子供であったし、もし戦争に行けば、すばらしい栄誉を勝ち得るであろうが、若くして死に、二度と母親に会えないだろうという予言があったからなのだ。もし戦が始まっても、遥か彼方で少女たちに混じって、少女の服に隠れておれば、アキレウスは見つかるまいと考えたのだ。

こうして長いあいだことがらを熟慮した末ついに、テュンダレオースは美しきヘレネーをラケダイモーンの富裕な王メネラーオスに与えることにした。そしてヘレネーの双子の姉妹で、これまた美しきクリュタイムネーストラーを、王侯たちの長たるアガメムノーン王に与えた。皆、最初はともに幸せに暮らしたが、それは長くは続かなかったのだ。

そうこうするうち、テュンダレオース王は兄弟のイーカリオスと話をした。イーカリオスにはペーネロペーという名の娘がいた。ペーネロペーはとても愛らしい娘ではあったが、いとこの美しきヘレネーの美しさにはほど遠かった。それに知ってのとおり、ペーネロペーはこのいとこをあまり好いてはいなかった。イーカリオスはユリシーズが強く賢いことに感心し、娘のペーネロペーを妻に与えた。そしてユリシーズはペーネロペーを深く愛した。お互いかくも心から愛し合った夫婦はほかになかった。二人は連れだって岩だらけのイタケーへと去って行ったが、おそらくペーネロペーは自分の家とヘレネーの家の間に広々とした海が横たわっていることを悲しんだりはしなかっただろう。なぜならば、ヘレネーは絶世の美女というだけでなく、やさしく優美で魅力的であったので、彼女に会って恋に落ちない男はいなかったのだから。ヘレネーがほんの子供の頃、ギリシアの物語では有名な、名高いテーセウス王子が、成長したら結婚するつもりで、彼女を自分の都アテーナイへと連れ去ったことがあった。その時ですら、彼女が原因で戦が起こった。というのは、ヘレネーの兄たちが軍勢を率いてテーセウスを追いかけて戦い、そうして家に連れ戻したのだから。

ヘレネーは妖精の贈物を持っていた。たとえば「星」とよばれる大きな赤い宝石があった。ヘレネーがその宝石をつけていると、赤い雫がしたたり落ちるようにみえたが、その白い胸、「白鳥の娘」とよばれるほどに白いその胸に、ふれて染みをつくる前に消えさってしまうのだった。ヘレネーは男でも女でも相手の声とまったく同じ声で話すことができたので、エコーともよばれた。また、年老いて死ぬなどということはなくて、最後にはエリュシオンの野、つまりこの世の果てへと去って行くと信じられていた。そこは人がもっとも住みよい場所で、雪も降らず大嵐も来ず雨も降らないが、大地を輪のように囲んでいるオーケアノスの河が西風を送り、美しい髪のラダマンテュス王の民に涼しく吹いてくるのだ。ヘレネーについてはこうした物語が語られている。ユリシーズは彼女と結婚する運がなかったことを残念とも思わなかった。それほどにヘレネーのいとこで妻であるペーネロペーを好いていた。ペーネロペーはとても賢くすばらしかったのだ。

ユリシーズは妻を連れ帰ると、習慣にしたがって、父ラーエルテース王の宮殿に住んだ。だがユリシーズは自分たちの部屋を手ずから作ったのだ。宮殿の中庭には大きなオリーブの木が生えていて、その幹は広間の彫刻のある高い柱と同じほどに太かった。この木のまわりに部屋を作り、目の詰んだ石で仕上げ、そのうえに屋根をふき、きちんと閉まる扉をつけた。それからオリーブの木の枝をすべて切り落とし、幹をすべらかにすると、寝台の支柱のかたちに仕上げ、寝台の枠を金、銀、象牙で象眼して美しく飾った。ギリシアにはこのような寝台は他にはなかったし、この寝台をそこから動かすことなど誰にもできないのだった。この寝台の話しはもう一度この物語の一番最後に出てくるだろう。

さて時はうつり、ユリシーズとペーネロペーはテーレマコスという一人息子を設けた。父ユリシーズの乳母であったエウリュクレイアがその子の世話をした。皆とても幸福で、ユリシーズは自分の土地や羊や豚の群の世話をし、一番速い猟犬のアルゴスを連れて狩に行ったりしていたのだ。


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