タイムマシン, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

第四章


「次の瞬間、われわれは向かい合って立っていました。わたしと、この未来からきた繊細そうな生き物です。かれはまっすぐにこちらに歩み寄って、目を見て笑いかけてきました。かれの振る舞いに恐怖の徴がまるでないことがすぐにわかって驚きました。それからかれは、後に続いていた二人のほうを振り返り、奇妙なとても甘く液状のことばで語りかけたのです。

他の人々もやってくるところで、すぐにこうしたexquisiteな生き物たち八人から十人ほどに囲まれました。一人がこちらに話しかけます。奇妙なのですが、自分の声がかれらにはきつくて深すぎるのではないか、という考えが浮かびました。そこでわたしは頭をふって、耳を指さすとまた首を振りました。かれは一歩進み出て、ためらうと、わたしの手に触れました。すると、他にも柔らかく小さな手が背中や肩に触れるのが感じられました。わたしが本物かどうか確かめているのです。これにはまったく怖いことはありませんでした。このきれいな小さい人々には、何か安心させるようなものがありました――優雅な穏やかさ、なにか子供じみた警戒心のなさ。さらにみんな実にか弱く見えて、九柱儀のように一ダースくらいまとめて放り投げられそうでした。でもかれらの小さなピンクの手がタイムマシンをいじっているのを見たとき、急に動いて警告しました。ありがたいことに、手遅れに成る前に、わたしはこれまで忘れていた危険に思い当たり、マシンのバーの上にかがむと、マシンを動かす小さなレバーをねじってはずし、ポケットにおさめました。それからなんとか意思疎通ができないかと思いつつ振り返りました。

それからかれらの姿形をもっとしっかり見てやると、かれらのドレスデン磁器じみたきれいさに、さらに奇妙なところをいくつか見つけました。髪はみんなカールしていましたが、首とほおのところで急になくなっていました。顔には毛がまったく見あたらず、耳は不思議なくらい小さいものでした。口も小さく、唇は明るい赤でいささか細く、小さなほおがとがっていました。目は大きくて優しく、そして――これはこちらのエゴのように思えるかもしれません――期待したほどの興味を示してくれていないようにさえ思えたのです。

かれらはわたしと意思疎通をしようという努力をまったく見せず、単にまわりに立ったまま柔らかいクークー言う音で話し合っているだけだったので、こちらから会話を切り出しました。タイムマシンと自分を指さしました。それから時間をどう表現したものかちょっと躊躇してから、太陽を指さしました。すぐに紫と白のチェックを着たふうがわりにきれいな小人物がわたしの仕草を真似て、雷の音を真似てこちらを驚かせてくれました。

一瞬ひるみましたが、かれの身振りの含意は単純きわまりないものでした。いきなり、ある疑問が頭に浮かびました。この生き物どもはバカなのではないか? これがどんなにショックだったか、なかなかおわかりいただけないと思います。二八〇〇年かそこらの人々は、知識の面でも技芸の面でも、あらゆる点ですさまじく進歩しているだろうと昔から思っていたのです。ところがその一人がいきなり、現在の五歳児並の知的水準しかないことをうかがわせる質問をするのですから――要するに、わたしが雷雨にのって太陽からやってきたのか、ときいたのです! かれらの服装や、か細い軽い手足、細い姿を見ても保留していた判断が、本格的によみがえってきました。失望の流れが心を横切りました。一瞬、タイムマシンを作ったのは無駄だったのかと感じました。

わたしはうなずくと太陽を指さして、雷鳴を実に真に迫って真似て見せたので、みんな怯えたようでした。みんな一歩かそこら下がると頭を下げます。それから、一人がこちらに笑いながらやってきて、まるで見たことのない花の輪を持ってきて首にかけてくれました。このアイデアは、楽しげな拍手で迎えられました。そしてすぐに、みんなあちこちへと走り回って花を探し、笑いながらそれをわたしに投げかけて、花びらで窒息死そうなほどでした。ご覧になったことのない皆さんは、数え切れない年月にわたる育成が作り出した花の繊細さやすばらしさが想像もつかないでしょう。そしてだれかが、おもちゃを手近な建物で展示しようと思いついたようで、わたしは白い大理石のスフィンクス(それはずっとこちらを観察し、驚きぶりに微笑するようでした)の横を通って、腐食した石造の広大な灰色の建築物につれてこられました。連れだって歩くうちに、圧倒的に深遠で知的な子孫への確信をもった期待がふと思い出され、我ながらおかしくてたまりませんでした。

建物は巨大な入り口をしていて、全体はとてつもない大きさでした。もちろん一番興味をひいたのは、増える一方の小さな人々の群衆で、また目の前で影をつくりなぞめいた様子で口を開ける、大きな開いた入り口も興味をおぼえました。かれらの頭上ごしに見た世界の全般的な印象は、美しい茂みや花のごちゃごちゃした荒れ地、長く放置されていたのに雑草のない庭園、というものでした。背の高い奇妙な白い花が突出しているのをたくさん見かけました。たぶんすべすべの花びらは、差し渡しで三十センチはあったでしょうか。それは色とりどりの茂みの中、あちこちに散らばって生え、野生のようでしたが、でも申し上げたように、そのときにはじっくり観察はしませんでした。タイムマシンはシャクナゲの中の土盛りの上に、無人で残されました。

入り口のアーチは豊かに彫られていましたが、もちろんその彫刻をあまり細かく見はしませんでした。ただし通過するときに、古いフェニキア装飾のなごりを見たような気はして、さらにそれがひどく壊れていて風化しているのに驚かされました。明るいふくを着た人々がもう何人か戸口でわたしを迎え、みんなで中に入りました。わたしはむさくるしい一九世紀の衣服をまとって、それだけでもグロテスクなのに、花で飾り立てられて、明るく柔らかな色合いのローブと輝く白い手足のうねる集団に囲まれ、メロディアスな笑いと楽しげな会話の渦中にいたのです。

巨大な入り口は、それに比例して巨大な広間に出ました。そこは薄暗くなっていました。屋根は影になっていて、窓は部分的には色つきガラスで覆われ、部分的にはガラスなしでしたが、抑えた光を通していました。床は何かとても堅い白い金属の大きなブロックでできていました。プレートでもスラブでもありません――ブロックで、しかもかなりすり減っていました。たぶん過去の世代が行ったり来たりしたせいで、通り道の部分は深くえぐれています。その広間の長手方向に沿って、磨いた石のスラブでできたテーブルが無数にあって、それが床から三十センチほど持ち上がっており、そのてっぺんには果物の山がありました。一部は、一種の肥大したラズベリーとオレンジだと見受けられましたが、ほとんどは見たことのないものです。

テーブルの間にはものすごい数のクッションが散乱しています。そのクッションの上に、わたしの先導者たちはすわり、わたしにもすわれと身振りで示します。見事なまでに何の儀式もなく、かれらは手づかみで果物を食べはじめ、皮や芯などはテーブルのまわりの丸い空地に投げ捨てています。わたしもかれらの顰みに習うのはやぶさかではありませんでした。のどが乾いて腹も減っていたからです。そしてそうしながら、暇を見てはその広間を観察していました。

そして何よりも驚いたのは、その荒れ果てた様子だったかもしれません。ステンドガラスの窓は、幾何学模様しか示していませんでしたが、あちこちで割れていて、その低い部分にかかっているカーテンにはほこりが厚くこびりついています。そして手近な大理石のテーブルのかどが砕けているのも目につきました。それでも、全般的な雰囲気はきわめて豊かで壮麗でした。その広間で食事をしているひとは、数百人ほどだったでしょうか。そのほとんどが、できるだけわたしの近くにすわり、興味津々でわたしをながめ、食べている果物の上で小さな目を輝かせています。みんな同じ、柔らかいのに強い絹状の材質を身にまとっていました。

ちなみに、かれらの食事は果物だけでした。遙か未来のこの人々は厳格な菜食主義者で、かれらといっしょにいる間は、ある程度の肉体的な渇望にもかかわらず、わたしもまた果物だけ食べるしかありませんでした。実はあとでわかったのですが、馬も、牛も、羊も、イヌも、すべてイクシオザウルスの後を追って絶滅してしまったのでした。でもその果物はすばらしくおいしいものでした。特にわたしがいた間ずっとシーズンだったらしき果物――三面のさやに入った小麦粉状のものです――は特においしくて、それがわたしの主食でした。最初はこうした各種の奇妙な果物や、目にした奇妙な花にとまどいましたが、やがてその重要性が理解できるようになってきました。

でも、いまは遙か未来の果物の夕食の話をしていたんでしたっけ。やがて食欲が少しおさまり、わが新しい人々のことばを断固として学ぼうという決意をしたのです。明らかにそれが次にやるべきことでした。手始めにその果物を使うのがお手軽そうでしたので、それを持ち上げて、一連の問いただすような音や身振りを開始しました。いわんとするところを伝えるのはずいぶん苦労しました。最初のうち、その努力はオドロキの凝視か、とめどない笑いをもって迎えられたのです。でもやがて、金髪の小さな生き物がこちらの意図を理解して、名前を何度も繰り返しました。連中はぺちゃくちゃしゃべって、何が行われているかを延々とお互いに説明しあわなければすまないようで、その言語の見事なかわいい音をたてようという最初の試みは、すさまじくおもしろがられたのでした。でも、自分が子供たちの中の校長先生のような気分になって、辛抱強く続けるうちに、やがていくつかの名詞句を使いこなせるようになりました。それから指示代名詞、そして「食べる」という動詞もものにしました。でもそれは遅々としてはかどらず、小さな人々はやがて退屈して、こちらの質問から逃げようとしはじめます。そこでわたしは、むしろ必要にかられて、向こうの気が向いたときにすこしずつ教えてもらおうと決めたのです。そしてすぐに、それがいかに少しずつかを思い知ることになりました。というのも、これほど怠惰ですぐに疲れる人は見たことがなかったくらいだったのです。

この小さなご主人たちについてすぐに気がついた奇妙な点は、かれらが関心を持っていないということです。かれらは子供のように、驚きの叫びをあげつつやってきますが、子供のようにやがてこちらを調べるのをやめて、ほかのおもちゃをおいかけてふらふらと向こうにいってしまいます。夕食と会話の発端がおわって気がつくと、こちらを囲んでいた人々はほとんど全員いなくなっています。またわたし自身、すぐにこの小さな人々を無視するようになったのも奇妙なことです。飢えがおさまると同時に、入り口を通って日に照らされた外に出ました。これら未来の人々にはさらに続々と会いましたが、みんなしばらくついてきて、ぺちゃくちゃしゃべっては笑い、親しげに微笑して身振りをしてみせると、またわたしを放ってどこかへ行ってしまいます。

大ホールから出ると、夕暮れの穏やかさが世界を覆いつつあり、あたりは夕日の暖かい光に照らされていました。最初、ものごとは実に困惑させるものでした。何もかも、自分の知っている世界とはまるでちがっています――花でさえも。後にしてきた大建築は、広い川による峡谷の斜面に立っていましたが、テームズ川は現在の位置から一マイルほどもずれていたでしょう。二キロかそこら離れたところにある丘のてっぺんに上ってやろうと思いました。そこからなら、紀元八十万二七〇一年の地球をもっと広く見渡せるでしょう。ちなみに、タイムマシンの小さなダイヤルが記録していたのはそういう日付けでした。

歩きながら、世界のおかれた豪華な廃墟状態をなんとか説明するのに役立つどんな印象でもいいから探し回ったものです――というのも、廃墟状態にはちがいなかったからです。たとえばちょっと丘をあげると、巨大な大理石の山が大量のアルミのかたまりでまとめられていて、急な壁の広大な迷路やくしゃくしゃの山があって、その中に非常に美しいパゴダのような植物――イラクサかもしれません――があったのですが、それが葉のまわりがすばらしい茶色に染まっていて、トゲもないのです。なにやら巨大な構造物の倒壊した残骸なのは明らかでしたが、何のために建てられたものかは見極められませんでした。後になって、非常に奇妙な体験を運命付けられていたのはここでした――もっと奇妙な発見に初めて出くわすことになるのです――が、その件についてはまた折りを見て話すことにしましょう。

突然思いついて、しばらく休んでいたテラスからあたりを見回すと、小さな家がどこにも見あたらないのに気がつきました。明らかに戸建て住宅や、それどころか世帯そのものが消えたようです。緑の中のあちこちに、宮殿のような建物がありましたが、わがイギリスの風景で実に特徴的な性質を形成している家屋や小屋は、消えていました。

「共産主義か」とつぶやきが口をついて出ました。

そしてそこからの連想で別の思いつきが浮かびました。わたしは、後についてきた半ダースほどの小さな姿を見ました。そして一瞬で、その全員が同じ形の服装をし、同じ柔らかい毛のない顔立ちと、同じ女の子じみた丸みを帯びた手足をしていることに気がつきました。今までこれに気がつかなかったのは奇妙に思えるかもしれません。でも何もかもがあまりに奇妙だったのです。いまや、事態がはっきりと見えてきました。服装でも、その他現在では両性のちがいを示す各種の特徴や装束の差においても、この未来の人々はまったく同じだったのです。そして子どもたちは、わたしの目には親のミニチュア版にしか見えませんでした。その時点で、この時代の子どもたちは少なくとも肉体的には実に早熟だと判断しましたが。後にこの見解の裏付けは山ほど得られました。

この人々が暮らしている安楽さと安全性を見ると、男女がそっくりなのも考えてみれば予想がつくなと感じました。男の強さと女の柔和さは家族のための制度であり、職業の区分は物理的な力の時代において圧倒的だった必要性にすぎないのです。人口がおちついて豊富になれば、多産は国にとっては喜びではなく悪となります。暴力がほとんど生じず、子どもたちが安全なところでは、効率のいい家族の必要性は下がり――いやまったく不要となり――子供のニーズに応えるために性の役割特化も消えます。われわれの時代ですらその萌芽は見られますし、この未来の時代にはそれが完成されたのです。申し上げておきますが、これはその時点でのわたしの推測です、後に、これがいかに現実に及ばないものだったかを思い知らされることになるのですが。

こうしたものをおもしろがって眺めているうちに、きれいな小構造物に目が向きました。キューポラの下の井戸のようなものです。いまだに井戸があるというのは不思議だな、とふと思いましたが、また思索を続けました。丘のてっぺんには大きな建造物はなく、そしてわたしの歩行力はどうやらすさまじいものだったようで、じきに初めて一人にしておいてもらえました。自由と冒険の奇妙な感覚を持って、わたしは頂上まで登りました。

そこにはなにやら見たこともない黄色い金属の座席があって、それがあちこちピンクがかったさびで腐食し、柔らかいコケで半分覆われています。腕置きは、グリフィンの頭を模して鋳造・彫刻されています。そこにすわり、その長い一日の日暮れの下に広がる、われらが古き世界の広い眺めを見渡しました。それはこれまで見たこともないほど甘く美しい眺めでした。太陽はすでに地平線の下にもぐり、西の空は燃えるような黄金で、そこにいくつか紫と深紅の水平の雲がたなびいています。眼下にはテームズ川の峡谷で、そこに川が磨かれた鉄のように横たわっています。すでに濃淡様々な緑のあちこちに点在するすごい場所についてはお話しました。一部は廃墟、一部はまだ居住されています。あちこちに、地球の荒れた庭の中に白や銀色の人影が浮かび、あちこちに何かキューポラやオベリスクの鋭い垂直線が見かけられます。生け垣もなければ財産権のしるしもなく、農業の存在もうかがえませんでした。全地球が庭園になってしまったのです。

そうやって眺めつつ、わたしは見てきたものについて、自分なりの解釈をあてはめ出しました。そしてその晩にわたしの頭の中で形成された解釈は、こんなものでした(後に、自分の理解が半分しか正しくなかったこと――というか、真実のごく一面をほんのかいま見たにすぎなかったことを知るのですが)。

自分がたまたま人類衰退期にやってきたのだと思えました。赤い日没が、人類の没落を連想させたのです。初めてわたしは、現在われわれが取り組んでいる社会的な努力の奇妙な帰結を認識しはじめました。でも、考えてみれば、それは確かに論理的な帰結ではあります。強さは必要性の結果として生じます。安全性は、弱さを有利にします。人生の条件を改善しようと言う作業――人生をますます安全にする、真の文明化プロセス――はゆっくりとクライマックスに到達したのです。人類連合は自然に対し、一つ、また一つと勝利をおさめました。現在ではただの夢でしかないことが、意図的に取り組まれ、勧められるプロジェクトとなりました。そしてその成果がわたしの見ていたものだったのです!

なんと言っても、今日の衛生状態と農業はまだ未熟な段階でしかありません。現在の科学は、人間の病気のごく一部を克服しただけですが、それでもその活動範囲を着実にたゆまず進めています。われわれの農業や園芸は、ほんのちょっとした雑草を破壊して、ごく少数の豊かな植物を耕作しますが、その他多くは勝手にバランスを実現するに任せています。ごく少数の――考えてみれば、何とも少ない数です――お気に入りの植物や動物をゆっくりと選択交配によって改善します。こんどは新しい向上した桃、こっちではもっと便利な牛の種類。ゆっくりとしか改善できないのは、われわれの理想が漠然としてうつろいやすく、また知識がとても限られているからです。というのも自然も、われわれも不器用な手の中では引っ込み思案でのろいからです。いつの日か、このすべてはもっとうまく案配されて、それがますます改善されるでしょう。よどみや逆流はあっても、それが流れの方向性です。全世界が知的で教育を得て、協力するようになります。物事は自然を支配すべくますます速度を増して動くでしょう。最後には、賢く慎重にわれわれは、人類のニーズにあわせて動植物のバランスを調整しなおすことになるでしょう。

この調整が、思うに実施され、そして成功したにちがいありません。それもわたしのマシンが跳び終えたあらゆる時間すべて、時間の幅のどこかで。空気にはブヨはいないし、地表には雑草もキノコもありません。いたるところに果物と、甘く美しい花があります。美しいチョウがひらひら飛んでいます。理想的な予防薬が実現されました。滞在中ずっと、伝染病がある様子はまったく見受けられませんでした。そして腐敗と分解のプロセスでさえ、こうした変化によって根本的な影響を被っていたようだ、と後で言わざるをえません。

社会的な勝利も影響を受けていました。わたしが見たのはすばらしい家屋に住んで、華々しく着飾った人類でしたが、いまのところかれらが何ら労働にいそしんでいるところは見あたりませんでした。苦労のかけらもありませんし、社会的・経済的な闘争もないようです。店舗、広告、交通など、われわれの世界を構成するあらゆる商業は消え失せていました。そしてその黄金の午後に、ここが社会的パラダイスだという発想にとびついたのも当然でしょう。人口増からくる困難も解決されたようで、人口は増加をやめたようでした。

でもこうした条件の変化には、必ずその変化への適応が伴います。生物科学が何もかも間違っていれば話は別ですが、人類の知性や強さの原因はなんでしょうか? 苦労と自由です。活発で強く賢いものが生き延び、弱い者が押しやられるための条件です。有能な人々の忠実な連合、自己抑制、辛抱、意志決定に報いる条件です。そして家族制度とそこから生じる感情、強い嫉妬、子供への優しさ、親の自己献身は、すべて幼き者たちにさしせまった危険があればこそ、正当化も支持もされるのです。さて今や、その差し迫った危険はどこにあるでしょうか? すでに夫婦間の嫉妬、強すぎる母性、あらゆる強い情熱をよくないものとする感情が生じていて、それは今後さらに成長するでしょう。いまやこれは必要ないし、われわれを不快にするだけだし、野蛮な残存物で、洗練された快適な生活における不協和音なのです。

ここの人々の肉体的な脆弱さ、知性の欠如、そしてあの巨大で豊富な廃墟群のことを考えました。そして、自然が完全に征服されたのだという信念は強化されました。というのも戦いの後には静寂が訪れます。人類は強く、エネルギッシュで、知性的であり、その豊富な活力を総動員して、自分の暮らす環境を変えようとしてきました。そしていまや、その変化した条件に対する反応がやってきたのです。

この完全な快適さと安全という新しい条件の下では、われわれにとっては強みであるあの落ち着かないエネルギーは、弱点になるのです。われわれのこの時代ですら、かつては生存に必要だったある種の傾向や欲望は、絶え間ない失敗の原因となっています。たとえば肉体的な勇気や戦闘への愛は、文明人には大して役に立ちません――むしろ足を引っ張るかもしれない。そして肉体的なバランスと安全の状態にあっては、力は、肉体的なものも知的なものも、場違いです。数え切れないほどの年月にわたり、戦争や個別暴力による危険はなかったのだろう、とわたしは判断しました。野獣からの危険もなく、体質の強みを必要とする無益な疫病もなく、苦役の必要もない。そんな人生にとって、われわれが弱者と呼ぶ者たちは、実はもはや弱くはない。かれらのほうが適応しているのです。強者ははけ口のないエネルギーに悩まされることになりますから。わたしの見た建物のすばらしい美は、いまや無意味となった人類のエネルギーの最後の盛り上がりによるものだったのでしょう。でもその後人類は、生存条件との完璧な調和に落ち着いたのです――その勝利の反映が、最後の偉大なる平和を始めたのでした。これは昔から安全のもとでのエネルギーの運命ではありました。それはアートとエロティシズムに向かい、やがて怠惰と退廃に向かうのです。

この芸術的な勢いすらやがては死に絶えます――わたしの見た時代ではほぼ死に絶えていました。日光の下で自らを花で飾り、踊り、歌う――芸術精神で残ったのはそれだけ、他には何もありません。それさえも、いずれは満足しきった無活動の中に消え去るでしょう。われわれは苦痛と必要性という砥石のおかげで鋭敏でいるのであり、その憎むべき砥石はここではついに壊されたのです!

深まりゆく闇の中に立ちつくしながら、わたしはこの単純な説明で世界の問題を見切ったと思ったのです――こうした興味深い人々の秘密すべてを理解したと。おそらくかれらが人口増を防ぐために考案した仕組みがあまりに成功しすぎて、人口は一定に保たれるどころか減少傾向となったのでしょう。それで遺棄された廃墟も説明がつく。きわめて単純な説明だし、実にもっともらしい――まちがった理論の常として!」


©2003 山形浩生. この版権表示を残す限りにおいてこの翻訳は商業利用を含む複製、再配布が自由に認められる。プロジェクト杉田玄白 (http://www.genpaku.org/) 正式参加作品。