絶えず反論を受ける二つの報道活動がある。ひとつはカトリックへの非難で、もうひとつはユダヤ人の擁護だ。最近、偶然にも私は中世・近世のヨーロッパにおけるユダヤ人迫害を扱った何冊かの本を評論する機会を得た。その評論によって私はよくある反ユダヤ主義の手紙の束を受け取ることになった。もう千回目にもなろうが、それによって私は最も直接的な関係を持つ人々さえもこの問題を避けていると思い知ったのだった。
こうした手紙が不安にさせる点はそれが必ずしも狂った人間によって書かれたものではないということだ。私がここで問題にしているのはシオン賢者の議定書を信じている人物ではないし、政府によってぞんざい扱われ、良い仕事に就いている「異邦人」を目にすると怒りにかられる罷免された陸軍将校でさえない。そうではなく、そうしたタイプの人間に加えて、卑劣な事業のやり方や公共心の完璧な欠如を理由にユダヤ人は自業自得であると固く信じている小規模事業家や知的職業人がいるのだ。こうした人々は理性的で、バランスの取れた手紙を書く。人種差別的信念を否定し、さまざまな例を挙げて自分の言うことの全てを裏付けるのだ。彼らは「善良なユダヤ人」の存在を認め、多くの場合、自分も初めは反ユダヤ的感情を持っていなかったが、ただユダヤ人がどのように振る舞うのかを目にしてそう考えざるを得なくなったのだと断言する(ヒトラーは「我が闘争」でちょうど同じことを言っている)。
反ユダヤ主義に対する左派の姿勢の弱点は、それに合理主義的な角度から近づこうとすることだ。ユダヤ人に対してされる非難が真実でないことは明らかである。真実であるはずがないのだ。反論可能なものもあるし、そもそもそうした悪の独占体制を築ける者など誰一人としていないのだ。しかしたんにそう指摘してもたいして得るものはない。反ユダヤ主義は支配階級によって本当の社会悪から注意をそらすために「仕組まれた」ものだというのが左派の公式見解である。実際のところユダヤ人はスケープゴートにされている。これは疑いようもなく正しいが議論としては全く役に立たない。ある信念が不合理であると示して見せても人はそれを捨てはしないのだ。また私の経験ではドイツにおけるユダヤ人迫害について語るのも無駄だ。相手がほんのわずかでも反ユダヤ主義的傾向を持っていると、そうしたものはまるで鉄ヘルメットに当たったエンドウ豆のように跳ね返されてしまうのだ。もし理性的議論が少しでも効果を持つとすれば、言われるようなユダヤ人の犯罪があり得るとしたらそれは私たちの住む社会が犯罪に報いる場合だけだと指摘するのがせいぜいだろう。もしユダヤ人が全て詐欺師だと言うのなら私たちは詐欺師が成功を収められない経済体制を築くことで彼らに対処すればよい。しかし、ユダヤ人が闇市場を支配し、行列の先頭に割り込み、兵役を回避しているといった信仰箇条を信じる人間にそうしたことを言っていったい何の役に立つだろう?
反ユダヤ主義の原因については詳細な調査をおこなえるだろうし、原因は全て経済にあるという仮定で先回りして調査を避けるべきではない。おおまかに言えば「スケープゴート」理論が正しいとしても、それだけではなぜ他の少数派集団でなくユダヤ人が選ばれるのかを説明することも、彼らが何のためのスケープゴートにされているのか明らかにすることもできないのだ。例えばドレフェス事件といったものは経済的観点での説明が容易にできるものではない。イギリスについて言えば、明らかにすべき重要なことはユダヤ人に対して今まさにどのような非難がなされているのか、反ユダヤ主義が本当に増加しているのか(実際のところは過去三十年にわたって減少している可能性もある)、そして一九三八年以来の難民流入によってそれがどれほど激化しているかである。
反ユダヤ主義の原因は経済(失業や商売上の嫉妬など)にあると乱暴で直情的に考えるべきではないし、また「分別ある」人々はそんなものに影響されないと考えるべきでもない。例えば反ユダヤ主義は作家の間でとりわけ盛んなのだ。机から立ち上がって本を調べるまでもなく、私はヴィヨンやシェイクスピア、スモレット、サッカレー、H・G・ウェルズ、オルダス・ハクスリー、T・S・エリオット、その他多くの著者について、ヒトラーが権力の座に就いた後に書かれたなら反ユダヤ主義的と呼ばれたであろう文章を思い浮かべることができる。ベロックとチェスタートンは反ユダヤ主義を弄んでいるか、それ以上のことをしているし、尊敬に値する他の作家たちはナチ的形態のそれを多かれ少なかれ受け入れている。明らかにこの神経症は非常に根深いものであり、自分は「ユダヤ人」と呼ばれる実在しない存在を憎んでいると人々が言う時に彼らがいったい何を憎んでいるのかはいまだはっきりしない。そして反ユダヤ主義がどれほど広まっているのか明らかになることへの恐怖がその真剣な調査の一部を阻んでいるのだ。
次の数行はアンソニー・トロロープの自叙伝から引いたものである。
ペイン・ナイトの「趣味」(一八〇五年に出版されたリチャード・ペイン・ナイトの著作「An Analytical Inquiry into the Principles of Taste」を指す。)が出版されて出回った時、いくつかのギリシャの詩が含まれた文章が書かれた。それはまるでばらばらに引き裂かれてごたまぜにされ不快なごみのごとく炎にくべられたもののようだった。要するに解剖というよりは叩き切ったようなものでいくつかの節回しの間違いさえ見られた。そして燃え殻から煙が立ち上るときになって初めてその数行がピンダロス(古代ギリシャの詩人(紀元前五一八年-紀元前四三八年)。)のものとわかったのである!
その数行の著者が誰なのかトロロープは明らかにしていないので、もし読者が教えてくれれば実にありがたいと思う。しかし私がこれを引いたのには別の理由もある――つまりそこに含まれる文学批評家への恐ろしい警告のため――そしてトロロープの自叙伝へ注目を集めるためである。これは実に興味をそそる本である。それはその大部分が金銭にまつわる話であるためでもあるのだが。
J・F・ハラビン氏の戦争地理学の地図帳(一九四〇年に出版されたJ・F・ハラビンの著作「The geography of the war」を指すものと思われる。)に対する、タイム・アンド・タイド誌での論争は地図が扱いにくいものであり、写真や統計と同じように疑いの目を向けられるべきものであることを思い出させてくれる。
あらゆる国が地図上で自国を赤く塗っていることは地味ではあるが興味深いナショナリズムの現れである。また自国を本来よりも大きく見せる傾向もある。これは実際の偽造行為を働くこと無く可能だ。なぜなら地球を平らな面として投影すればどのようにしても一部がゆがむからである。帝国自由貿易「十字軍」の時期、学校には無料配布された大きな壁掛け用のカラー地図があった。その地図はこれまでにない投影法で作られていて、ソビエト連邦が矮小に描かれている一方でインドとアフリカが誇大に描かれていた。その次に民俗学的地図や政治的地図が現れた。プロパガンダには最も効果的な題材だ。スペイン内戦の時期にはスペインの村では地図が鋲止めで掲げられていたが、そこでは世界が社会主義国家、民主主義国家、ファシスト国家に塗り分けられていた。それを見ればインドが民主主義国であり、一方でマダガスカルやインドシナが「社会主義」に分類されていることがわかるのだ。
今回の戦争は私たちの地理学の改善へ向けた何かを成し遂げるだろう。五年前には、クロアチア人はヤギといっしょに歌を歌うと考え、ミンスクとピンスクの違いも全くつかなかった人々が今ではヴォルガ川がどの海に注ぐか言えて、たいして調べることもなくガダルカナルやブティダウンがどのあたりにあるかを指し示すことができる。数百万とは言わないまでも数十万のイギリスの人々がDnepropetrovsk(ドニエプロペトロフスク。ウクライナのドニエプル川河岸の港湾都市のロシア語での名称。)をほぼ完璧に発音できるのである。しかし地図の判読を一般的なものにしたのは戦争である。ウェーヴェル(アーチボルド・ウェーヴェル初代ウェーヴェル伯爵(一八八三年五月五日-一九五〇年五月二十四日)。イギリスの軍人、政治家。)のエジプト会戦の頃になってさえ、イタリアはアフリカと同盟を結んだと思っている女性と私は会ったことがあるし、一九三八年に私がモロッコに出かけた時には私が住んでいた村――確かにとてもひなびた村ではあったがロンドンからほんの五十マイルしか離れていない――の人々の何人かがそこに行くには海を渡る必要があるのかと尋ねてきた。もし何らかの一団の人々(とりわけ庶民院の議員に私はこれをやってみたい)に記憶だけでヨーロッパの地図を描くよう頼めば、かなり驚くような結果になるだろう。真に教育に関心をよせる政府はどれも、現在は高価で貴重な世界地図が全ての学童の手に届くものになるよう取り計らうだろう。どの国がどの国の隣にあるか、ある場所から別の場所への最も早い経路はどれか、船が岸から爆撃される可能性があるのはどこか、そうできないのはどこかといった概念無しでは、平均的市民の外交政策への考えにどういった価値があるのか理解することは難しい。