一九四〇年のある夜、あの大規模な高射砲の一斉射撃が初めてロンドンに轟音をとどろかせた時のことだ。射撃が始まった時に私はピカデリーサーカスにいて避難のためにカフェ・ロイヤルに逃げ込んだ。中にいた人ごみの中で、整った顔立ちで体格の良い二十五歳くらいの一人の若者がピース・ニュース紙を手に、それを周囲のテーブルの人間に押し付けるように示して何か面倒を起こしているようだった。私は彼との会話に加わったのだが、その会話は次のようなものだった。
若者「言っておきますがね、クリスマスまでには全てかたがつきますよ。和平になることは明らかです。私はサミュエル・ホーア卿(サミュエル・ホーア初代テンプルウッド子爵(一八八〇年二月二十四日-一九五九年五月七日)。チェンバレン内閣時の内務大臣、航空省大臣。一九四〇年にチェンバレン内閣は総辞職し、チャーチル内閣へ変わる。)を信じてます。見下げたやつらの一員であることは私も認めますが、ホーアはまだ私たちの味方です。ホーアがマドリードにいる間は寝返りが起きる希望はずっとあります」
オーウェル「侵攻に対して彼らがやってきたあの準備についてはどう思ってるんですか――そこら中に作ってきた防空壕や地域防衛義勇隊といったものは?」
若者「ああ、あれはドイツ人たちがやって来た時に労働階級を壊滅させる準備をしているだけのことですよ。抵抗しようとするような愚か者も中にはいるでしょうが、チャーチルとドイツ人との間で話がまとまるまでそう長くはかからないでしょう。心配ありません。すぐ終わりますよ」
オーウェル「子供たちがナチスへと育つところを本当に目にしたいと思ってるのですか?」
若者「馬鹿げてます! この国でドイツ人たちがファシズムを奨励するとはあなたも思っていないでしょう? 自分たちに戦いを挑むような戦闘的人種を育てようとはしませんよ。彼らの目的は私たちを奴隷に変えることだ。手の届く範囲にあるあらゆる平和運動を奨励するでしょう。これこそ私が平和主義者である理由です。彼らは私のような人間を励ますでしょう」
オーウェル「そして私のような人間は撃ち殺すというわけですか?」
若者「実にお気の毒ですが」
オーウェル「しかし何だってあなたはそんなに生き残ろうと必死なんですか?」
若者「もちろん、そうすれば自分の仕事を進めていけるからですよ」
会話している中でこの若者が画家であることを私は知った――腕の良し悪しはわからないが、いずれにせよ、絵を描くことに真摯な関心を持っていてそれを追求することで貧しさに直面することを覚悟していた。ドイツの占領下で、おそらく彼は画家として作家やジャーナリストよりもいくらかましな扱いを受けられるだろう。しかしそれでも彼の言っていることには非常に危険な誤りが含まれている。この誤りは全体主義が現実のものとなっていない国々に今、大きく広がっているものだ。
独裁的な政府の下でも内面は自由でいられると思うのならそれは間違いだ。今、さまざまな形態の全体主義が世界のいたる所で目に見えて勢いを増していることに対して、実に大勢の人々がこうした考えで自身を慰めている。通りでは拡声器が怒鳴り声を上げ、屋上には旗がはためき、短機関銃を手にした警官があちらこちらを徘徊し、四フィートもの大きさの指導者の顔がそこら中の広告掲示板からにらみを利かせている、しかし屋根裏部屋では隠れた体制敵対者たちが完璧な自由のもと自分たちの思想を記録できる――多かれ少なかれこうした考えである。そして多くの人々は、これこそドイツや他の独裁国家で現在おこなわれていることだという印象を持っている。
どうしてこうした考えが間違っていると言えるのか? 実際のところ現代の独裁は昔ながらの専制主義のように抜け穴をそのままにはしないという事実、また全体主義的な教育方法によって知的自由への欲求がおそらく衰退するであろうことについては目をつぶろう。最大の間違いは、人間が自律的な個々の存在だと想像していることである。独裁的な政府の下で謳歌できるであろう隠れた自由などというものは馬鹿げている。あなたの思考は決して完全にあなただけの物にはならないからだ。哲学者や作家、芸術家、さらには科学者でさえ、励ましや観客、それだけでなく絶えざる他者からの刺激を必要としているのだ。会話せずには思考することはほとんど不可能である。もしデフォーが本当に無人島で暮らしていたらロビンソン・クルーソーを書くことはできなかっただろうし、書きたいとも思わなかっただろう。言論の自由を奪うと創造的能力は干上がるのだ。もしドイツ人たちが本当にイングランドにやって来たら、たとえゲシュタポが彼を放っておいたとしても、あのカフェ・ロイヤルでの私の同席者はすぐに自分の絵がひどくなったことに気づくだろう。そしてヨーロッパが解放されたあかつきには、それが何であれ独裁者の下で秘密裏に生み出された価値ある著作が――例えば日記といったものであれ――どれほど少ないかが私たちを驚かせるであろうことのひとつになると私は信じている。
イースト・ロンドン少年裁判所の委員長であるバジル・エンリケス(バジル・エンリケス(一八九〇年十月十七日-一九六一年十二月二日)。イギリスの慈善活動家。)氏は今まさに「現代少女」問題に夢中である。イギリスの少年は「全く立派なもの」だが少女となると話は変わる、と彼は言っている。
本当の不良少年に出くわすことはめったに無い。今回の戦争は少年よりも少女に大きな影響を与えているようである……最近では子供たちは週に何度も映画に行って自分たちの想像するアメリカのぜいたくな暮らしを観ているが、実際のところ、そうした映画はかの国へのひどい誹謗中傷に過ぎない。また音楽と称される、マイクロフォンを通したひどく騒々しいジルバの騒音を耳にして悪影響を受けている……今や十四歳の少女たちは十八、十九の少女と同じような服を着て、同じようにしゃべり、全く同じ汚らしい汚物を顔に塗りたくっているのである。
エンリケス氏は知っているのだろうか。(a)過去の戦争のずっと以前から少年犯罪を映画の悪い真似事のせいにするのはすでに普通になっていて、(b)「現代少女」は二千年以上、全く変わっていない。
人類史における大きな失敗のひとつは女性に自分の顔を塗ることを止めさせようと長年にわたって試みていることだ。ローマ帝国の哲学者は、現在、女性に向けられる非難とほとんど変わらない言い回しで当時の女性の軽薄さを非難している。十五世紀には眉毛を抜くという憎むべき習慣を教会が非難した。イギリス清教徒やボリシェヴィキ、ナチスが化粧を止めさせようと試みたが成功しなかった。ヴィクトリア朝時代のイングランドでは口紅は別の名前で売られるほど恥ずべきものだったが使われ続けた。
エリザベス朝時代のひだ襟からエドワード朝時代のホブルスカートまで、多くのドレス・スタイルが説教壇から非難されたが効果は無かった。一九二〇年代にスカートがこれまでになく短くなった時には不適切な服装の女性をカトリック教会が認めることは無いとローマ教皇が布告したが、どうしたわけか女性のファッションには何の変化も無いままだった。ヒトラーの「理想的な女性」、レインコートを着た極めて地味なその見本はドイツ全土と世界の他の地域の多くに掲げられていたが、わずかな追従者しか生み出さなかった。エンリケス氏が何を言おうがイギリスの少女たちは「汚らしい汚物を顔に塗りたく」り続けると私は予言しておこう。刑務所の中でさえ、女性受刑者は郵便かばんから取った染料で唇に紅をさすと言われている。
ではなぜ女性は化粧をするのかというのはまた別の問題だが、性的誘惑がその主な目的かどうかは疑わしく思える。爪を赤く塗ることを気色の悪い習慣だと思わない男性はめったにいないが、それでも何十万もの女性がそれをし続けている。一方でエンリケス氏が知れば慰めになるだろうこともある。化粧は無くならないにせよ、ヴィクトリア朝時代の美女たちが自分の顔を「エナメル化」していた頃や「詰め物」によって頬の輪郭を変えることが普通だった頃に比べれば事態はずっと単純になっているのだ。スウィフトの詩で描かれた「若く美しきニンフのお床入り(ジョナサン・スウィフトの詩。美しい女性がかつらや付け眉毛、含み綿、義眼、入れ歯を外して床につく様子を描き、うわべの美しさに惑わされる愚かさを戒める内容。)」のあの頃に比べれば。