ヴェラ・ブリテン嬢(ヴェラ・ブリテン(一八九三年十二月二十九日-一九七〇年三月二十九日)。イギリスの看護師、作家、平和主義者。)のパンフレット「混沌の種子」は無差別爆撃、あるいは「抹消」爆撃に対する雄弁な非難である。「イギリス空軍の急襲によって」彼女は言う。「ドイツ、イタリア、そしてドイツに占領された都市の多くの無力な無実の人々が、中世における最悪の拷問に匹敵する負傷と死の苦しみを被っている」フランコ将軍やフラー准将といったさまざまな有名な爆撃反対論者がこれに対する賛同者として持ち出されている。しかしながらブリテン嬢は平和主義者とは異なる考えを取っている。明らかに彼女はこの戦争に勝利することを切望しているのだ。ただ私たちが「正当」な戦争手段を守り、民間人への爆撃を中止することを望んでいるだけだ。爆撃によって後世の人々の目に映る私たちの評判が汚されることを彼女は恐れているのである。彼女のパンフレットは爆撃制限委員会(コーダー・カッチュプール、ヴェラ・ブリテン、スタンリー・ジェヴォンズらによって一九四二年に設立された組織。イギリスとドイツの双方に空爆の中止を求めた。)によって出版されていて、この委員会は似たようなものを他にも出版している。
さて、爆撃やその他の戦争行為を見れば嫌悪を感じずにいられる者は一人もいない。一方で後世の人々の意見を気にかけるような良識ある人物も一人もいないのである。そして戦争をひとつの手段として受け入れ、それと同時に明らかに野蛮なその特徴に対する責任を回避しようと望むことには何か非常に不快なものがある。平和主義はもしそれによる帰結を受け入れる意志があるのであれば擁護可能なひとつの立場ではある。しかし「限定的」あるいは「人道的」な戦争を語るものはどれも全くのたわ言である。平均的な人間は決して宣伝文句を調べることに頭を悩まそうとはしない事実がそれを示している。
こうしたものと関連して使用される宣伝文句は「民間人の殺害」「女性や子供の虐殺」、そして「私たちの文化的遺産の破壊」である。空爆は地上戦よりもこうした種類の出来事を引き起こしやすいのだとなんとなく考えられている。
もう少し詳しく調べた時、最初に頭に浮かぶ疑問はこうだ。民間人を殺すことが兵士を殺すことよりも悪いのはなぜだろう? ともかく避けられるのであれば子供を殺してはならないことは明らかだが、全ての爆弾が学校や児童養護施設に落ちるのはプロパガンダのパンフレットの中でだけのことだ。爆弾はさまざまな人々を殺すが実のところ代表的な一部はあまり殺さない。なぜなら子供や妊婦は普通は一番最初に避難させられるし、若い男たちの一部は徴兵でいなくなるからだ。おそらく際立って多い爆撃の犠牲者は中年だろう(最新の情報によるとこの国ではドイツの爆撃によって六千人から七千人の子供が殺されている。私が思うに、これは同じ時期の交通事故による死者よりも少ないはずだ)。一方で「通常」の、あるいは「正当」な戦争は最も健康で勇敢な若い男性人口の全てを選び出して虐殺する。ドイツの潜水艦が沈むたびに五十人前後の健康な肉体と精神を持った若い男たちが窒息死させられるのである。しかし、まさに「民間人への爆撃」という言葉に拳を突き上げるであろう人々が満足気に「我々は大西洋の戦いに勝利している」と繰り返すのだ。ドイツやそれに占領された国々に対する私たちの空爆がどれだけの人々を殺し、またこれからさらに殺すかは神のみぞ知るだがロシアの前線で起きた虐殺がどこであれ近くでは決して起きないことは確信できる。
歴史における現段階では戦争は避けがたいものである。そしてそれが起きざるを得ないのなら若い男たちに加えて他の者も殺されることが悪いことだとは私には思えないのだ。一九三七年に私はこう書いた。「飛行機が戦争の状況を変えつつあることを考えてときどき私は慰められる。次の世界大戦が起きた時にはおそらく私たちは歴史上かつてない光景、すなわち銃弾で貫かれた好戦的愛国主義者を目にすることだろう(戦場に行かずに国内で好戦的な発言をする人間も爆撃されるという意味。)」私たちはそれをまだ目にしていないが(言葉が矛盾するようだが)いずれにせよ、今回の戦争の苦しみは明らかに先の戦争よりも広く共有されている。戦争を可能にするもののひとつである民間人の免責は打ち砕かれた。ブリテン嬢とは異なり、私はこれを残念には思っていない。若者の虐殺に限定することで戦争が「人道的」になるとも、老人も殺されるからといって「野蛮」になるとも私には感じられないのだ。
戦争を「制限」するという国際合意に関して言えば、破っても割に合うのであればそれが守られることは決して無い。先の大戦のずっと以前に国々は毒ガスを使わないことに合意していたがそれでもやはり使った。今回は差し控えているが、それはただ毒ガスが運動戦において比較的効果が薄く、また一方で民間人に対してそれを使えばまず間違いなく同種の報復が引き起こされるからだ。アビシニア人といった反撃できない敵に対しては毒ガスはためらうことなく使用された。戦争はその本性からして野蛮なものであると認めた方が良い。自分たち自身が野蛮人であると理解すればいくらかの改善が可能になるし、そうでなくとも少なくとも改善を考えられるようになる。
トリビューン紙への投書の一例である。
ユダヤ人に買収された編集者宛、トリビューン紙、ロンドン
ポーランド軍のユダヤ人ども
おまえらは我らが気高いポーランドの同盟者がユダヤの害虫どもの扱い方を知っているからと言ってずっと非難している。彼らはユダヤ人に買収された編集者、共産主義の新聞の全部をどう扱えばいいのかも知っているぞ。おまえらがイディッシュ野郎どもやソビエトに雇われていることはわかっている。おまえらはイギリスの敵の仲間だ! 報いの日は近い。用心しておけ。ユダヤの豚どもは絶滅させられる。ヒトラーのやりかた――イディッシュ野郎どもを取り除く唯一のやりかたでな。滅びよ、ユダ。
レミントンのタイプライターで打たれ(S.W.の消印)、さらに、これは私の考えでは興味深い点だと思うが、カーボン紙による写しになっている。
こうした種類の人間をよく知る者であれば、どのような保証、証明、最も確かな決定的証拠をもってしてもトリビューン紙が共産主義の新聞でもソビエト政府に雇われているわけでもないことをこれを書いた者に納得させられないとわかるだろう。ファシストの非常に興味深い特徴のひとつは――ここで言っているのは素人ファシストである。ゲシュタポはもっと賢いだろうと思う――左派政党がそれぞれはっきりと異なっていて、同じ目標を目指しているわけではないと認識できないことである。その外観がどうであろうとも決まって左派政党はひとまとまりのならず者だと見なされているのだ。手元にあるモズレーのブリティッシュ・ユニオン・クォータリー誌の創刊号(ちなみにそこにはあのヴィドクン・クヴィスリング少佐による記事が掲載されている)ではウィンダム・ルイスさえもがスターリンとトロツキーについて、まるで二人が同じような人物であるかのように語っていることに私は気づいた。またアーノルド・ルンは自著「スペインでの演習」の中で、トロツキーがスターリンの指導の元で第四インターナショナルを開始したと言いたいようなのである。
同様に、私の見たところではトロツキストはヒトラーに雇われているわけではないと信じている共産主義者はごくわずかだ。ときおり私はトロツキストがヒトラーや他の誰かに雇われているのであれば彼らもたまには資金に余裕があるはずだろうと指摘する実験を試みてきた。しかし無駄だった。効果は無かったのだ。ユダヤ人の陰謀という考えや、政治に関わるイギリス人は誰であれ全員お互いに秘密の謀略を共有しているというインド人ナショナリストの間に広まっている考えについても同じことが言える。フリーメイソンが革命組織であるという考えは中でも最も奇妙なものだ。この国では、バッファローズ(イギリスの友愛組織のひとつ。正式名称は「王立アンテディルビアン・バッファローズ騎士団(Royal Antediluvian Order of Buffaloes)」)がそんな代物であると考えるのと同じくらい根拠の無いことだろう。今は違うかも知れないが一世代にも満たない以前には、フリーメイソンの集会には尻尾を通すための穴をズボンに開けた、夜会服に身を包む悪魔が姿を現すと信じているカトリックの修道女がいた。形は違えどこうしたたぐいのものはほとんど全ての者に襲いかかり、現代におけるあるはっきりしない精神的必要に確かに応えているように思える。