気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1944年5月26日 合衆国における反イギリス感情、大都市に住む人々の恐ろしいまでの孤独


先日、私はある若いアメリカ人の兵士と話した。彼は私に――他の大勢の者が言うように――アメリカ軍の中では反イギリス感情が全く普通のことになっていると教えてくれた。彼はつい最近この国に到着したのだが、ボートから降りながら波止場にいた憲兵に「イングランドはどんな具合だい?」と尋ねたそうだ。

「ここの女の子たちは黒人と一緒に出歩いてるよ」そのMPは答えた。「彼女たちは彼らをアメリカン・インディアンと呼んでる」

そのMPから見て、それこそがイングランドについての特筆すべき事実だったわけだ。同時に私の友人が教えてくれたところによると、反イギリス感情は暴力的なものではなく、不満にはっきりとした原因があるわけではないそうだ。そのかなりの部分はおそらく故郷を離れた時にほとんどの人々が感じる居心地の悪さに理由をつけるためのものなのだろう。しかし合衆国における反イギリス感情というテーマ全体に関してはぜひとも調査の必要がある。反ユダヤ主義と同様、それには一連の非常に多くの相矛盾する説明が与えられていて、これまた反ユダヤ主義と同様、おそらくは他の何かに対する精神学的な代用物なのだ。他の何に対するものなのかということは調査を必要とする疑問である。

一方で、うまくいっているように見えるイギリス・アメリカ関係の部門がひとつある。数ヶ月前に公表されたところによるとすでに二万人ものイギリスの若い女性がアメリカの兵士や水兵と結婚し、さらにその数は増え続けていると言う。そうした女性の一部はアメリカ赤十字社によって組織された「合衆国軍人の花嫁のための学校」で、新しく住む国での生活についての教育を受けているところだ。そこで彼女たちはアメリカの行儀作法、習慣、伝統についてのこまごまとしたことを教えられている――おそらくは、アメリカ人は誰もが自家用車を所有していて、アメリカの住宅は全てバスルームや冷蔵庫、電気洗濯機が備え付けられているというあの広く共有されている幻想についても矯正がなされていることだろう。


マトリモニアル・ポスト誌とファッショナブル・マリッジ・アドバタイザー誌の五月号には花嫁を探す百九十一人の男性と花婿を探す二百人を超える女性の募集広告が掲載されている。こうした広告は六十年代かそれより前から一連の雑誌に掲載され続けていて、いつの時代も非常によく似通っている。例を挙げよう。

大卒、二十五歳、身長六フィート一インチ、痩せ型、園芸や動物、子供、映画などを好みます。二十七歳から三十五歳で、花や自然、子供を愛好する女性と出会いたいです。背が高く標準体型でイギリス国教会教徒であること。

一般的な広告内容はこうしたものだが、ときおりもっと風変わりなものに出くわすこともある。例えば次のようなものだ。

二十九歳、独り身、身長は五フィート十インチ、イギリス人で太り型です。温和で物静か、さまざまな知的関心、強い道徳的背景(絶対的な良心的兵役拒否者として無条件で登録済み)、進歩的、創造的、文学的傾向。珍しい切手の販売業を営んでおり、収入は不安定ではありますが、十分な額。水泳、サイクリングが得意で、ときおり少しどもることがあります。次のような希少な、親切で順応性のある、教養のある若い女性を探しています。姿、声が良く、三十歳以下、秘書かそれに類した方、大胆な性格で、金銭や社会的役得に左右されず、真のユーモアの才能を持ち、信頼して協働できるパートナーであること。資産は重要ではありませんが、性格は極めて重要。

こうした広告で常に印象に残るのは応募者のほとんど全てが結婚相手として際立って望ましい人物であることだ。ほとんどの者が、寛容かつ知的で家庭を愛し、音楽の才能があり、忠実で誠実で愛情深く、鋭いユーモア感覚を持ち、女性の場合には容姿端麗である。そして大部分の場合、経済的にも何ら問題が無いのだ。結婚することがどれだけ致命的に容易であるかを考えれば、「黒髪、色白、痩せ型で身長六フィート、教養があって思いやり深く、陽気かつ知的な性格、年収千ポンドで資産有り」の三十六歳の大卒の男性が新聞の囲み記事で花嫁を見つける必要があるとは想像もできないだろう。「大胆な性格の若い女性、左派的思考傾向、現代的な考え方」で「健康的で見栄えの良い容姿、栗色の巻毛、青灰色の瞳、色白の肌、自然な顔色、飛び抜けて健康的で、音楽、芸術、文学、映画、演劇に関心があり、散歩、サイクリング、テニス、スケート、ボートを好む」という場合も同じだ。どうしてこんな模範的な人物が広告を出す必要があるのだろうか?

マトリモニアル・ポスト誌は全く公明正大なものであり、その広告は入念に検査されていることは注記しておかなければならない。

これらが本当に明らかにしているのは大都市に住む人々の恐ろしいまでの孤独なのである。人々は仕事のために集まり、それが終わると遠く隔たれた我が家へと散らばっていく。どこであれロンドン中心部では隣に住む人々の名前でさえ知ることはまれなのではないだろうか。

何年か前、私はポートベロ・ロードのあたりでしばらく下宿をしていたことがある。高級とは言いがたい地域だったが、大家は、とある爵位を持つ女性の侍女をしていたことのある評判のいい女性だった。ある日、玄関扉の調子が悪くなって大家とその夫、私の全員がその家から閉め出されてしまった。明らかに二階の窓から入り込む必要があり、隣人は大工だったので私は彼からはしごを借りようと提案した。大家はどこか落ち着かない様子に見えた。

「それはしたくないわ」ついに彼女は言った。「彼のことはよく知らないでしょう。私たちはここに十四年住んでいるけれど、両隣の人たちのことは詮索しないように注意していたの。このあたりのご近所ではそうしたくなかったのよ。いったん話すようになったら馴れ合ってしまうでしょう」

そうして私たちは彼女の夫の親戚からはしごを借りなければならなくなり、大変な労力と苦労をおして一マイル近くもそれを運ぶ羽目になったのだった。


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