このコラムを使ってブレインズ・トラスト(一九四〇年代から一九五〇年代にかけて放送されたBBCの人気ラジオ番組、テレビ番組。ジュリアン・ハクスリーやシリル・ジョードといった人物がパーソナリティを務めた。)を猛非難しないのはなぜなのか、と口頭や文章で何度も私は尋ねられた。「どうかお願いだからジョードに一発食らわせてくれ」と読者の一人は言ってきた。さて、ブレインズ・トラストが実に悲惨な代物であることを否定するつもりはない。どのラジオだろうがそれが始まったら必ずスイッチを切るという意味では客観的に言って私は反ブレインズ・トラスト派だ。全てが自発的で検閲無しであると装うまやかし、真剣な話題は常に避けて「なぜ子供の耳は突き出しているのか」といったタイプの質問に終始する姿勢、司会者のたくましい牧師補のような熱意、しばしば起きる耳障りな声、無能な素人出演者が一分間に十シリングや十五シリングをもらいながら「えー、あー、えー」と言っているところ、全てが実に耐えがたい。しかし私はこの番組に対して私の知り合いの多くが持っているのと同じ憤りを感じられないのだ。それがなぜなのか説明しておくことには価値があるだろう。
最近では人々の多くはブレインズ・トラストに飽き飽きしつつあるだろうが、長い期間にわたってそれは正真正銘の人気番組だった。イングランドだけでなく世界のさまざまな所で視聴されていて、その手法は軍隊や民間防衛隊の無数の討論グループに採用されていた。俗に言う「真似するに値する」アイデアだったのだ。そしてなぜそうなったのか理解するのは難しくはない。一九四〇年頃までこの国で支配的だった新聞やラジオでの討論の標準によってブレインズ・トラストは大きな前進の一歩となったのだ。少なくともそれは自由な言論と知的な真面目さを目指したショーとなっていた。最近では「政治と宗教」については沈黙を守らざるを得なくなっているが、鳥の巣のスープだとかネズミイルカの習性だとかいったものについての興味深い事実や歴史の断片、聞きかじりの哲学の知識をそこから手に入れられた。この番組が平均的なラジオ番組よりもつまらないかどうかは定かでない。全体的に見てこの番組は啓蒙主義の味方であり、それが少なくとも一、二年の間は何百万もの聞き手に受け入れられた理由なのだ。
これはまた頑迷な保守主義者がこの番組を嫌い続ける理由でもある。ブレインズ・トラストはG・M・ヤング(ジョージ・マルコム・ヤング(一八八二年四月二十九日-一九五九年十一月十八日)。イギリスの歴史家。)やA・P・ハーバート(アラン・パトリック・ハーバート(一八九〇年九月二十四日-一九七一年十一月十一日)。イギリスのユーモア小説家、脚本家。)(またダグラス・リード(ダグラス・リード(一八九五年三月十一日-一九七六年八月二十六日)イギリスの小説家、脚本家、ジャーナリスト。)氏)のようなタイプの右派知識人による止むことのない攻撃の標的にされていて、聖職者の一団の下でブレインズ・トラスト対抗番組が企画された時には頑迷な保守主義者たちはこぞってそれがジョードとその仲間たちよりどれほど優れているかを言って回った。こうした人々はブレインズ・トラストを思想の自由のシンボルと見ていて、番組それ自体は馬鹿げたものであっても、それが持つ性質は人々に考えることを始めさせるものであると気づいているのである。あなたや私はおそらくBBCを危険な転覆的組織とは考えていないだろうが、特定の陣営ではまさにそう見なされていて、この番組に干渉しようとする止むことのない試みがなされている。その敵を知れば人となりについていくらかはわかるものだが、右派的思想を持つ人々全員が最初からブレインズ・トラストを――そして公的なものであれ私的なものであれ討論グループというアイデア全体を――嫌っていたこと、それこそがこの番組にどこかしら優れたものがあることの証なのだ。これが、すでに相応の皮肉を受けているとはいえ、私がジョード博士にちょっかいを出そうとあまり思わない理由なのだ。むしろ私は言いたい。もしそのレギュラー出演者が(そうであってもおかしくはない)エルトン卿(ゴドフリー・エルトン初代エルトン男爵(一八九二年三月二十九日-一九七三年四月十八日)。労働党の政治家、歴史家。)やハロルド・ニコルソン(ハロルド・ニコルソン(一八八六年十一月二十一日-一九六八年五月一日)。イギリスの外交官、歴史家、労働党の政治家。)氏、アルフレッド・ノイズ(アルフレッド・ノイズ(一八八〇年九月十六日-一九五八年六月二十五日)。イギリスの詩人、小説家、劇作家。)氏だったとしたら、ブレインズ・トラストがどんな風だったかを考えて見てほしいと。
議会での「あなたの議員」にまつわる小競り合いはおそらく前より多少は落ち着いてきていて、それは最終的にブレンダン・ブラッケン(ブレンダン・ブラッケン初代ブラッケン子爵(一九〇一年二月十五日-一九五八年八月八日)。イギリス保守党の政治家。戦時中にチャーチル内閣で情報省大臣を務める。)がこの本の輸出を禁じるつもりはないと明言したからだが、それでもやはりこれは悪い兆候である。ビバリー・バクスター(ビバリー・バクスター(一八九一年一月八日-一九六四年四月二十六日)。イギリス保守党の政治家。)氏は保守党の反撃で今まさに火を吹き上げている大砲の中で一番強力なものというわけではないが――大砲というよりはたいていは自爆する自家製迫撃砲の方が近い――しかしそれでもその発言の厚かましさは注目に値する。彼は次のような理由で本の発禁を求めている。(a)その著者が獄中にあること(b)内容が「下品」なこと(c)「ロシアとの関係に悪い影響を与えかねない」こと。もちろん(a)はたんに偏見に訴えかけるためのものだが、(b)と(c)は煎じ詰めれば、この本が、保守党の過去の行いがどのようなものだったかを思い出させると言っているのだ。「あなたの議員」のような本には私も文句を言いたいが、少なくともこの本は誰もが認める事実をほとんど完全に網羅していて、その内容は全て容易に検証可能である。内容の大部分は一日当たり六ペンスを支払えば誰でも見られる議会議事録から見つけ出せるのだ。しかしバクスター氏も気づいているように「あなたの議員」は議会議事録やさらには名士録さえ決して読もうとは思わない何万人もの人に読まれる可能性がある。だからこそ輸出を禁じ、またできればこの国でもその評判を落とそうとしているのだ。保守党議員がどのような人物なのか、どんな証券を所有しているのか、決定的に重要な問題でどのような投票をおこなっているのか、戦争が起きる前にヒトラーについて何と言っていたのか、決して人々に知られてはならないのだろう。自分たちの過去の行いを隠しておきたい十分な理由が保守党にあるかどうかは神のみぞ知るである。しかし二、三年前はそんなことは口にもしなかったわけで、そこに違いがある。
またブレンダン・ブラッケンは答弁の中で、この本には「とてつもない勇敢さで自らの国にその命を捧げた」アーノルド・ウィルソン卿への「悪意に満ちた非難」が含まれていると言って、戦闘でのアーノルド・ウィルソン卿の死を理由に彼への非難が不当であることを言外に匂わせている。
アーノルド・ウィルソン卿は勇敢で称賛に値する人物である。彼が支持した政策が破綻した時、彼はその結果に向き合う用意があった。その年齢にも関わらず王立空軍への入隊を強く要求し、戦死した。私はこれよりずっとひどい振る舞いをした公人を他に大勢思い出すことができる。しかしそれと彼の極端に有害だった戦前の行いとの間に何の関係があるというのか? 彼の経営する新聞であるヒッチン・マーキュリー紙は率直に言って親ファシスト紙で、ほとんど最後の瞬間までナチ体制にお世辞を言っていた。名誉ある死を遂げれば過去の行いの結果を帳消しにできるとでも思っているのだろうか?
最近では海外から雑誌を買うことはできないが、ニューヨークに友人がいる人にはポリティクス誌を一部せびってみることをおすすめする。マルクス主義の文芸評論家であるドワイト・マクドナルドが創刊した新しい月刊誌だ。私はこの雑誌の方針、つまり(平和主義者とは違った観点からの)反戦主義には同意しないが、知的な文芸批評と高尚な政治分析というその組み合わせには敬服した。認めざるを得ないのは残念だが、イングランドにはアメリカのこうした雑誌群――というのも、ポリティクス誌と同じタイプのものが他にもいくつかあるのだ――に比肩するような月刊誌や季刊誌は存在しない。私たちはいまだに、審美的な感受性を持つのであればトーリー主義者に違いないという半ば無意識の考えに取り憑かれている。しかしもちろんのことだが、アメリカの雑誌のこの現在の優越は一部には戦争によるものである。政治的観点から見て、この国においてポリティクス誌と最も近い対応関係を持つ雑誌は、私が思うにザ・ニュー・リーダー誌だ。この二誌の体裁や文体、取り上げられる題材、知的水準を比較するだけで、いまだ余暇とパルプ材が存在する国に暮らすことの意味を見て取ることができる。