気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1944年6月23日 アナトール・フランス、カトリックのプロパガンダ


先々週のトリビューン紙にはジェラード・マンリ・ホプキンス生誕百周年の記念記事が掲載されていたが、そのすぐ後、アメリカン・ネイション誌の四月号をたまたま読む機会があって私は一九四四年があるもっと有名な作家の生誕百周年でもあることを思い出した――アナトール・フランスだ。

二十年前、アナトール・フランスが亡くなった時には彼の名声は唐突な低迷に苦しんでいた。人気を博すには長生きしすぎた高尚な作家がとりわけよく陥りやすい低迷のひとつだ。フランスでは、愛すべきフランスの習慣に従って彼が死の床にある間、そして亡くなって間もない頃に彼に対して悪意ある個人攻撃がなされた。とりわけ毒のあるひとつはピエール・ドリュ・ラ・ロシェルによるものだった。後にナチス協力者となる人物だ。イングランドでもアナトール・フランスは価値がないと見なされるようになっていた。この数年後に週刊誌好きのある青年がアナトール・フランスは「実に下手くそなフランス語を書く」と私に断言したことがある(後にパリで彼と再会したが、そこで初めて私は彼が手助け無しでは路面電車の切符も買えないことに気づいた)。フランスは、現在では誰もが「正体を見破れる」下品でまがい物の独創性のない作家と考えられていた。同時期にはバーナード・ショーやリットン・ストレイチーについても同じような見方がされるようになっていた。しかし実に奇妙なことにこの三人の作家は今でもよく読まれている一方で彼らを中傷した者たちのほとんどは忘れ去られている。

アナトール・フランスへの嫌悪がどれほど純粋に文学的なものだったのか私にはわからない。確かに彼は過剰に評価されていて、当時はそのマンネリとしつこいポルノのためにこの作家にうんざりしていた者がいたのは間違いないだろう。しかし一部は政治的動機によって彼が攻撃を受けていたことは疑いない。偉大な作家だったのかそうでなかったのかはともかく、彼は百年かそれ以上にわたって争われている政治・文学の大乱闘における象徴的な人物の一人だった。聖職者と反動主義者たちはちょうどゾラを憎むのと同じように彼を憎んでいた。アナトール・フランスはドレフュスを擁護した。相当な勇気が必要なことだ。彼はジャンヌ・ダルクの嘘をあばき、フランスの歴史を面白おかしく描き、なによりも隙あらばチャーチルをからかった。彼はまさに、聖職者や報復主義者、ドイツ野郎に復興を許すなと説いておきながら、後になるとヒトラーのブーツを舐めて磨いた人々が最も嫌う人物だったのである。

アナトール・フランスの最も特徴的な作品、例えば「鳥料理レエヌ・ペドオク亭」に現在も読み直す価値があるかどうかはわからない。それらにあるものは実のところ全てヴォルテールにある。しかしベルジュレ氏アナトール・フランスの作品「パリのベルジュレ氏」を指す。についての四つの小説については話が別だ。とてつもなく愉快であることを別にすれば、これらは九十年代のフランス社会についての最も価値ある描像とドレフュス事件の背景を教えてくれる。「クレンクビーユ」もある。私がこれまで読んだ中で最高の短編小説のひとつであり、図らずも「法と秩序」への辛辣な攻撃となっている。

しかし、アナトール・フランスが「クレンクビーユ」のような物語で労働階級のために声高に語れるにせよ、また彼の作品の廉価版が共産主義の新聞で広告されているにせよ、決して彼を社会主義者に分類するべきではない。彼は社会主義のために働く意志を持っていたし、隙間風の吹く集会場で社会主義についての講演をすることさえし、それが必要かつ不可避であることを知っていたが、彼が主観的にそれを望んでいたかどうかは疑わしい。社会主義の到来によって世界は病人がベッドで寝返りを打つのと同程度の負担の軽減を得られるだろう、とかつて彼は言っている。危機の中で自分を労働階級と同一視する準備が彼にはあったが、彼の作品「白き石の上にて」から見て取れる限りではユートピア的未来という考えは彼を落胆させている。フランス革命についての彼の小説「神々は渇く」ではさらに深い悲観主義が見て取れる。気質からして彼は社会主義者というよりも急進主義者なのである。現在ではこの二者の中でも稀になっているであろう方の種族であり、その急進主義、その自由と知的誠実さへの情熱こそがベルジュレ氏についての四つの小説にその特別な色合いを与えているのである。


確かにごく薄いピンク色共産主義が「赤」であることからここでオーウェルは中道左派を「ピンク」と表現している。――エビのペーストほどの色合いであると言わざるを得ないが、それでもピンク色である――を帯びたニューズ・クロニクル紙がなぜ職業的ローマ・カトリック教徒の「ティモシー・シャイ」(D・B・ウィンダム・ルイス)にそのユーモア記事で日々サボタージュをおこなわせているのか私には全く理解できない。ビーヴァーブルック卿のエクスプレス紙に彼の同輩カトリック教徒の「ビーチコマー」(J・B・モートン)がいることはもちろんもっと納得しやすい。

この二人が仕事に励んでいた過去二十年ほどを振り返ると、反動的理念の中で彼らが支持しなかったものを見つけ出すことは難しいだろう――ピウスツキユゼフ・ピウスツキ(一八六七年十二月五日-一九三五年五月十二日)。ポーランド共和国の建国の父とも称される政治家。独裁的な政権運営をおこなったことで知られる。、ムッソリーニ、宥和政策、むち打ち刑、フランコ、文学に対する検閲、それら全てに対して彼らは、まっとうな人物であれば誰であれ本能的に異議を唱える褒め言葉を見つけ出している。社会主義や国際連盟、科学研究に対してはそれに反対するプロパガンダを止むことなく続けてきた。ジョイス以降の全ての読むに値する作家に対しては罵りのキャンペーンを続けてきた。彼らは悪意ある反ドイツ主義だったが、それもヒトラーが現れるまでのことで、ヒトラーが現れるとその反ドイツ主義は目に見えて冷めていった。言うまでも無く、現在、とりわけ彼らの憎悪の標的となっているのはベヴァリッジだ。

この二人を純粋で単純なコメディー作家と見なすのは誤りだ。彼らの書く一言一句がカトリックのプロパガンダを目的としていて、少なくとも彼らの仲間の狂信者の一部はそうした意味で彼らの著作を高く評価している。その全体的な「路線」はチェスタートンやそれに類した作家を読んだことのある者であればおなじみのものだろう。主音はイングランドやプロテスタント国全体に対する中傷である。カトリックの観点から見るとこれは必要不可欠なのだ。カトリック教徒、少なくとも護教論者は、自分がカトリック国の優越性や現代に対する中世の優越性を主張しなければならないと感じる。ちょうど共産主義者が自分はどんな状況でもソビエト連邦を支持しなければならないと感じるのと同じだ。イギリスのあらゆる特徴的なもの――紅茶、クリケット、ワーズワース、チャーリー・チャップリン、動物へのやさしさ、ネルソン、クロムウェルといったもの――に対する「ビーチコマー」や「ティモシー・シャイ」の止むことのないからかいはこれが原因なのだ。そしてまたイギリスの歴史を書き換えようというティモシー・シャイの試みやスペイン無敵艦隊の敗北について考えた時に彼から上がる憎しみのうなり声もこれによるものだ(スペイン無敵艦隊のことがどれだけ気に食わないのだろう! いまさら誰がそんなことを気にするというのか!)。さらには小説家に対する止むことのない嘲りもそうだ。小説は本質的には宗教改革後の文学形式であって、全体的に見てカトリック教徒は得意としていないのだ。

文学、政治のどちらの観点から見てもこの二人はチェスタートンの皿のたんなる残り物である。チェスタートンの人生観はある意味で間違っていて、彼はとてつもない無知に行く手を阻まれていたが、少なくとも彼は勇敢だった。金持ちと権力者に攻撃を仕掛ける用意があり、そうしたことによって自身の経歴に傷を負った。しかし「ビーチコマー」と「ティモシー・シャイ」の二人ともが自身の人気を危険に晒していないことは実に奇妙だ。彼らの戦略は決まって回りくどいものなのだ。つまり、もし言論の自由の原則を攻撃したいと思ったら、まるでそれこそが典型的な例であるかのようにブレインズ・トラストを嘲ることで攻撃するのだ。ジョード博士なら反論もされないだろう! 彼らの最も深く根ざした信念さえもそれが危険となれば冷蔵庫の奥底へしまい込まれてしまう。今回の戦争の初期、そうしても安全な頃には「ビーチコマー」は悪意ある反ロシアのパンフレットを書いていたが、最近では反ロシア的発言が彼のコラムに現れることは無い。しかし人々の親ロシア感情が消えされば再び彼らはそうするだろう。「ビーチコマー」と「ティモシー・シャイ」のどちらかが私のこうした発言に反応するかどうかは興味あるところだ。もしそうなれば、それはやり返される可能性が高い相手に彼らのどちらかが攻撃を仕掛けた初めての記録例となることだろう。


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