気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1944年7月7日 古典教育、文明世界の生活、自発的な沈黙、熊の色は何色か?


カリフ・ウマルウマル・イブン・ハッターブ(五九二年頃-六四四年十一月三日)。初期イスラムの指導者の一人で、第二代正統カリフ。がアレクサンドリア図書館を破壊した時、彼は写本を燃やして十八日間に渡って公衆浴場を温め続けたと言われていて、エウリピデスや他の者たちによる膨大な数の悲劇作品が完全に取り返しのつかないまでに失われたと言われている。少年だった頃にそれを読んだ時、何とすばらしいことかと満足したことを憶えている。辞書で調べなければならない言葉がだいぶ少なくなった――それが私の思ったことだった。こうして見ると――まだ四十一歳に過ぎないが――私もずいぶん歳を取ったものである。私が教育を受けたのはラテン語やギリシャ語から逃れることがまず不可能な一方で「英語」は学校の科目とはほとんど見られていなかった時代のことなのだ。

最近では古典教育は下火になってきているが、今でもアイスキュロスやソフォクレス、エウリピデス、アリストファネス、ヴァージル、ホラティウスなどのさまざまなラテン・ギリシャ作家の現存作品全体を通じて鞭を打たれた大人の数が十八世紀の英語の名作を読んできた大人の数よりもはるかに多いことは間違いない。人々は口先ではフィールディングヘンリー・フィールディング(一七〇七年四月二十二日-一七五四年十月八日)。イギリスの作家、治安判事。しばしば「イギリス小説の父」と呼ばれる。「捨て子トム・ジョーンズの物語」などの作品で知られる。やその他の者を褒めそやすが、それらを読んではいない。友人たちにいくつか質問をしてみればそれがわかるだろう。例えばこれまでに「トム・ジョーンズ」を読んだことのある者がどれだけいるだろうか? 時代が下った後の作品である「ガリバー旅行記」でさえ読んだことのある者はそう多くはない。ロビンソン・クルーソーは子供向け版ではある種の人気があるが、作品全体としてはあまり知られておらず、(タルタリアでの旅行記である)第二部が存在することさえ知る者は少ない。私が想像するに、中でも最も読む人が少ないのはスモレットだ。ショーの戯曲「ピグマリオン」の主な筋書きは「ペリグリン・ピックル」から抜粋されたもので、これは今まで印刷物の形では誰も指摘したことがないと思うが、この事実がこの作品を読んだ人の少なさを示している。しかし最も奇妙なのは、知る限りではスモレットがスコットランド・ナショナリストに持ち上げられていないことだ。彼らは、バイロンは自分たちのものだと主張するほど注意深いというのにだ。しかし、英語を話す諸民族が生み出した最高の小説家の一人である上に、スモレットはスコットランド人であり、当時、そうしても自分の経歴には何の得にもならないというのにそれを公然と明らかにしていたのだ。


文明世界の生活

(ある一家がお茶を飲んでいる)
ブーン、ブーン、ブーン!
「警報は出ていたっけ?」
「いいや、解除されてるよ」
「警報が出ていたように思うんだけど」
ブーン、ブーン、ブーン!
「またあれが飛んできてる!」
「大丈夫だよ、何マイルも向こうだ」
ブーン、ブーン、ブーン!
「見て、飛んでくる! テーブルの下に早く!」
ブーン、ブーン、ブーン!
「大丈夫だよ、だんだん音が小さくなってる」
ブーン、ブーン、ブーン!
「戻ってきた!」
「円を描いてるようだ。だから戻ってくるんじゃないかな。後ろにそのための何かが付いてるんだ。魚雷みたいに」
ブーン、ブーン、ブーン!
「神様! 上で爆発する!」
静寂
「今すぐ下に潜って。頭をしっかり隠して。赤ちゃんがいなくて本当に良かった!」
「あの猫を見て! 猫も怯えてる」
「もちろん動物はわかってる。振動を感じ取れるんだ」
ドカーン!
「大丈夫だ、何マイルも向こうだって言ったろう」
(お茶が続いていく)


イブニング・スタンダード紙に執筆しているウィンタートン卿が「国家の安全を危険から守ることについて今回の戦争で議会や報道機関などが見せている特筆に値する(全体的には規則や法令によって押し付けられたものではない)沈黙」について語ったこと、そしてそれが「文明世界からの称賛を浴びた」と付け加えていることに関しては私も承知している。

イギリスの報道機関がこうした自発的な沈黙を守ることは戦時に限った話ではない。イングランドの最も目立つ特徴のひとつは公的な検閲がほとんど存在せず、それにも関わらず、少なくとも大勢の人間が読む可能性のあるものにおいては支配階級にとって本当に不快なものは何ひとつ掲載されないことだ。何かについて言及すべきで「ない」となると、本当に言及されなくなる。こうした姿勢は(私の記憶ではこれはオーウェルの記憶違いで、この詩はヒレア・ベロックではなくハンバート・ウルフによるもの。)ヒレア・ベロックによって次のような短詩に要約されている。

賄賂や歪曲、望めない
幸いなるかな! イギリスの報道記者
しかしこの者、何をするかを見てみれば
賄賂の必要、無いからだ

賄賂も、脅迫も、罰則もない――ただ頷きと目配せでことは済むのだ。よく知られている例はあの退位の一件である。あのスキャンダルがおおやけにされる数週間前には何十か、何百か、何千の人々がシンプソン夫人についての全てを聞き知っていたが、一言たりとも報道されなかった。デイリーワーカー紙さえ報道しなかったのだ。一方でアメリカやヨーロッパの新聞はこの話題で持ちきりだった。しかしはっきりとした公的な禁止措置があったわけではないと私は思う。ただ政府の「要望」とこのニュースを拙速に「報道しない」という全体の合意があっただけだ。他にも報道に対する罰則が無かったにも関わらず日の目を見なかったニュースのよい例を思い出すことができる。

最近ではこうした遠回しな検閲が書籍にまで及んでいる。もちろんのことだが情報省M.O.I.は公式見解を示したり、禁書目録一覧を発表したりはしていない。ただ「勧告」するだけだ。出版社が原稿を情報省へ渡し、情報省はあれやこれやが望ましくないだとか、時期尚早だとか、「良俗に資さない」とか「示唆」する。そしてはっきりとした禁止やあれやこれやを報道してはならないという明確な声明が無いにも関わらず、公的な方針は決して無視されることがないのだ。サーカスの犬は調教師の鞭の音で飛び上がるが、本当によく訓練された犬は鞭が無くとも宙返りして見せるものだ。そしてこれこそが、内戦もなく三百年にわたって一緒に暮らしたお陰でこの国で私たちが到達した状態なのである。


ここに知能テストとして時々使用されているちょっとした問題がある。

一人の男が家から真南に向かって四マイル歩き、一頭の熊を撃った。それから真西に向かって二マイル歩き、さらに真北に向かって四マイル歩くと再び家に戻った。熊の色は何色か?白。男の家が北極点にあり、北極熊なので。

興味深いのは――私が観察した限りでは――普通、男性はこの問題に答えられるのに、女性はそうでないことだ。


©2023 H. Tsubota. クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-非営利-継承 4.0 国際