気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1944年8月25日 ビルマの戦い、レオナルド・メリック、爆撃跡に生える植物


ビルマとビルマの戦いについてのかなりの量の資料がインド・ビルマ協会によって私の元に届けられた。この協会はこれらの国々におけるヨーロッパ人コミュニティーを代表する民間団体で、クリップススタッフォード・クリップス(一八八九年四月二十四日-一九五二年四月二十一日)。第二次世界大戦中、インドの全面的な戦争協力を得るためにイギリスが派遣した使節団の代表を務めた。の提案書に基づいた「穏健」政策を支持する団体だ。

インド・ビルマ協会が公正にも訴えているところによると、ビルマはその広報活動においてとてつもない問題を抱えているという。多くの観点から明らかな重要性を持っているにも関わらず一般の人々はビルマに関心を抱いていないが、当局は人々にビルマの問題点が何なのか教え、それがどのように私たち自身と関係しているのかを説明する人目を引くブックレットを作り出すことさえできていないのだ。ビルマでの戦闘についての新聞記事は一九四二年以来、一貫してはっきりした情報を与えず、とりわけ政治的観点からの情報は全く無い。日本人が攻撃を仕掛けるやいなや、新聞とBBCはビルマの全ての住民を「ビルマ人」と呼ぶ習慣を身につけ、この名称をはるか北に住む明確に異なる区分の半未開の人々にまで適用している。これはたんにスウェーデン人をイタリア人と呼ぶような不正確さというだけでなく、日本人支持者のほとんどがビルマ族で、少数民族の大部分は親イギリス派であるという事実を覆い隠してしまう。現在の戦いで捕虜が捕らえられた時に新聞はそれが日本人なのか、あるいはビルマやインドのパルチザンなのかを決してはっきり書かない――これは非常に重要な点なのだ。

一九四二年の戦いの頃に出版されたほとんど全ての書籍は誤解を与えかねないものだ。自分が何について語っているのかはわかっている。私はそのほとんどを書評したのだ。そうした書籍は、予備知識の無い、かなりの反イギリス的偏見を持ったアメリカ人ジャーナリストによって書かれたものか、防衛に務め、不名誉なもの全てを覆い隠そうと気をもむイギリスの役人によって書かれたものかのどちらかである。確かにイギリスの役人と軍人は彼らの責任でない多くのことについて責められていたし、この国の左派が抱いていたビルマの戦いについての見方は頑迷な保守主義者ブリンプスが抱いていた見方と同じくらい歪められていた。しかしこの問題は真実をおおやけにしようという公的な努力が無かったために起きたものなのだ。私が知る限りでは価値ある情報を伝える原稿は確かに存在した。しかし商業的な理由によって出版社が見つからなかったのだ。

三つの例を挙げることができる。一九四二年、(極端なナショナリスト政党である)タキン党の党員で、日本人と密かに手を組んでいた一人の若いビルマ人がインドへ逃れた。彼は日本人による支配がどのようなものかを見て日本人についての考えを改めていた。彼は「ビルマで何が起きたか」という題名の短い本をインドで出版し、それは大筋においては明らかに信頼の置けるものだった。インド政府はずさんなやり方だったが確かにそれを二部、イングランドへ送った。それを再版するよう私はさまざまな出版社に説得を試みたが、毎回、失敗した。彼らが挙げる理由は皆、同じだった――大多数の一般人が興味の無い話題には紙を費やすだけの価値は無いと言うのだ。その後、ビルマを扱ったさまざまな旅行記を出版しているエンリケス少佐がイングランドに一冊の日記をもたらした。内容はビルマの戦いとインドへの撤退についてだ。これはとてつもない暴露的文書――ところどころに不名誉な暴露があった――だったが、先の本と同じ運命に苦しんだ。目下、私はある別の原稿を読んでいる。ビルマの歴史、経済状況、土地所有制度といったものについて価値ある背景情報を与えてくれるものだ。しかしそれが出版されないであろうことに私は少額なら賭けても良い。少なくとも、紙不足がなんとかなるまでは難しいだろう。

多くの秘密を明かすことになるだろうが同時に枢軸国支持者のつく嘘に対抗する大きな助けとなるこうした書籍のために紙や資金が用意されないのであれば、政府は、一般の人々がビルマについて何も知らず、関心も無いことに驚いてはならないだろう。そしてビルマに当てはまることは、重要だが無視されている多くの他の問題についても当てはまる。

しかしここで提案しておこう。商業的には売れないだろうが未来の歴史家には有用となる可能性のある文書は何であれ、委員会、例えば大英博物館によって設立されたものに提出されるようにするのだ。もし委員会がそれを歴史的に価値のあるものだと判断したら、それを数部だけ印刷して学者が使えるように保存する。今のところ、商業出版社に採用されなかった原稿はたいてい最後はゴミ箱送りになる。広まっている嘘を正せたかもしれない機会のどれだけがそんな風にして失われたことか!


汚泥が書店に押し寄せて良書が絶版になる時代だ。レオナルド・メリックの小説の一、二冊が安価な版で再出版されるのを最近知って私はとても喜んでいる。

レオナルド・メリックは決して十分には評価されない作家であるように私には思われる。何はともあれ決して人気作家ではなかったし、一九一四年以前の時代における多くの特徴的な欠点を抱えていて、当時の中流階級的価値観をほとんど当然のように思っていた。しかしその作品は誠実であるだけでなく、生計を立てることの難しさを扱ったあらゆる作品が持つのと同じ魅力を持っている。その最大の特徴は苦闘する芸術家、たいていは役者を扱っていることで、高尚な「芸術」はほとんど登場しない。全てが家賃を払うための恐るべき努力を中心に展開するが、同時に「敬意に値する」のだ。レオナルド・メリックを読んで以来、旅役者の生活の恐ろしさ――日曜の旅と隙間風の吹く薄暗い演劇場、野次を飛ばす観客、「ママ」が仕切る劇場の下宿、白い陶器製の尿瓶と絶えず漂う魚のフライの臭い、下劣な競争と恋愛、公演旅行の真っ最中に全ての売り上げを持って消える詐欺師の支配人――は私の頭の中で特別な一画を占めている。

レオナルド・メリックに挑んでみたい方全員に言っておきたい。パリを扱った作品には手を出さないように。ウィリアム・J・ロック的で退屈だ。「神だった人間」か「リンチの家」「ペギー・ハーパーの地位」を読んで欲しい。異なる作風だが、これも読む価値があるのは「俗物たち」である。


読者の中にいる植物学者で誰か、爆撃跡によく繁茂しているピンクの花をつける雑草の名をはっきりと教えてくれる者はいないだろうか。

私はこの植物はウィローハーブだと言われて育ってきた。また別のよく似た、しかしはっきりと異なる、湿地で育つ植物についてはローズベイ、あるいはフランス・ウィローだと教えられた。しかし私が気がついたところではオブザーバー紙で執筆しているウィリアム・ビーチ・トーマス卿はこの爆撃跡に生える植物をローズベイ・ウィローハーブ、つまり二つの名前を組み合わせた名で呼んでいるのだ。私が調べた野草図鑑は助けにならなかった。この植物について語っている他の人々は三つの名前全てを区別せずに使っているように見える。私はこの問題を解決したい。その理由はと言えば、五十年に渡るネイチャー誌の特派員も間違えることがあると知って満足したいだけなのかもしれないが。


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