現代政治の詳細について議論するのは私の本業ではないが、今週はぜひとも言わなければならないことがある。他には誰もそうしようとしないからだ。直近のワルシャワでの蜂起に対してイギリスの報道機関が取っている卑怯で臆病な態度に私は抗議したい。
蜂起が起きた報せが届くやいなや、ニューズ・クロニクル紙やそれに類した各紙は際立って非難がましい態度を取った。ポーランド人たちは連合国側のラジオ放送が過去何年にもわたって説いてきたことを実行したのだからその罰を受けるのは当然である、外部の援助は得られないし、その資格も無いというのが一般的な論調だった。いくつかの新聞は、数千マイル彼方のイギリス・アメリカ人たちによって武器と補給品が投下されたようだと恐る恐る掲載した。私が知る限りでは、それが二十マイルほど離れたロシア人たちによるものだろうと掲載する者はいなかった。ニュー・ステイツマン紙は八月十八日の紙面で、こうした状況で有効な援助を与えられるかどうかさえ疑問視している。全て、あるいはほとんど全ての左派の新聞は、赤軍が迫った時に蜂起するよう支持者に「拙速」な指令をしたとしてロンドンの亡命政府を激しく非難した。こうした考え方は先週のトリビューン紙へのG・バラクロフ氏からの投書ではっきりと表明されている。彼は次のような明確な非難をおこなっている。
ワルシャワ蜂起は「自発的な人民による蜂起」ではなく「ロンドンの自称ポーランド政府からの指令によって始まった」ものだ。
蜂起の指令は「イギリス政府やソビエト政府と協議されることなく」与えられ、「蜂起と連合国軍の行動を一致させようという試みはされなかった」。
ポーランドの抵抗運動は、ギリシャの抵抗運動がヘレネスのゲオルギオス王(ギリシャ国王ゲオルギオス二世(一八九〇年七月二十日-一九四七年四月一日)。ヘレネスは古代ギリシャ人が自己の民族の総称として用いた名称。)の周りに結集したようには結集されていない(これはロンドン政府に対して「亡命」や「自称」といった言葉が頻繁に使われることでさらに強調されている)。
ロンドン政府はロシア人たちが到着した時にワルシャワを保持しておくために蜂起を引き起こした。そうすれば「亡命政府の交渉上の地位をより良いものにできる」からだ。言われているように、ロンドン政府は「ポーランドの人々の大義を裏切って自身の不安定な公職の任期を下支えする用意があり」、そのことも同じ影響をもたらしている。
こうした非難のどれひとつとして証拠は影も形も無い。とはいえこれらのうちの一つ目と二つ目はもしかすると立証できるかもしれないし、真実なのかもしれない。私自身の推測では二つ目は真実であり、一つ目の一部は真実だ。三つ目の非難は最初の二つを無意味なものにしてしまう。もしロンドン政府がワルシャワの人々の大半から受け入れられていないのであれば、なぜ彼らはその指令に従って絶望的な反乱を起こしたのだろうか? 蜂起を理由にソスンコフスキ(カジミェシュ・ソスンコフスキ(一八八五年十一月十九日-一九六九年十月十一日)。ポーランド亡命政府の無任所大臣、自由ポーランド軍最高司令官。)といった者たちを責めるのであれば、ポーランドの人々が指導を求めていたのは彼らであると自動的に認めることになるのだ。この明らかな矛盾は何度も各紙で繰り返されているが、私の知る限りでは、誠実にそれを指摘している人物は一人としていない。「亡命」といった表現の使用について言えば、それは全くの修辞学的ごまかしである。ロンドンのポーランド人たちが亡命者であるのなら、ポーランド国民解放委員会(ロンドンのポーランド亡命政府へ対抗する形で一九四四年七月にソビエト連邦主導で設立されたポーランドの臨時政府。ルブリン委員会とも呼ばれる。)だってそうだし、占領された全ての国の「自由」政府も同じだ。なぜロンドンへ逃れれば「亡命」で、モスクワへ逃れればそうでないのか?
四番目の非難は、ロシアはできるだけ多くのポーランド人抵抗者が殺されるようにワルシャワへの攻撃を停止したというオッセルヴァトーレ・ロマーノ(ローマ教皇庁の半公式の機関紙)紙の意見と精神的に対を成すものだ。真実をはっきりさせようとは思っておらず、ただできるだけ敵対者に泥を塗ろうというたんなるプロパガンダ主張者による、証明されていない、証明不可能な主張である。そして私がこの問題について報道で読んだ全てが――いくつかの全く無名な新聞やトリビューン紙、エコノミスト紙、イブニング・スタンダード紙に掲載されたいくつかの記事を別にすれば――バラクロフ氏の投書と同じ水準にあるのだ。
さて、私はポーランド事情については何も知らないし、たとえもし私にその力があったとしてもロンドンのポーランド政府とモスクワの国民解放委員会の間の争いの仲裁をしようとは思わない。私が懸念しているのはイギリスの知識人階層の態度なのだ。彼らは、自分たちがロシアの方針と信じているものへは疑問の声を少しも上げられない。どんな展開になろうとだ。そして今回、彼らは、ワルシャワで戦う仲間を助けるために私たちの爆撃機を送ってはいけないと示唆するという前代未聞の卑劣な行為をしたのである。ニューズ・クロニクル紙などによって印刷された方針を鵜呑みにする左派の大多数は私以上にポーランドのことなど知ったことではないのだ。彼らが知っていることと言えばロシア人たちがロンドン政府に反対していることと対抗組織を設立していることだけで、彼らの関心の範囲について言えばそれで問題は終わりなのだ。もし明日、スターリンが解放委員会を捨ててロンドン政府を認めれば、イギリスの知識人階層全体はまるでオウムの群れのようにその後に従うだろう。ロシアの外交政策に対する彼らの態度は「この政策は正しいのだろうか誤っているのだろうか」ではなく「これはロシアの政策である。どうしたら私たちはそれを正しく見せかけられるだろう」なのだ。そして、たとえそうでも、その態度は権力的な観点から擁護されるのである。ロシア人たちは東ヨーロッパで大きな力を持っていて、私たちはそうではない。従って私たちは彼らに反対してはならない。これはその本質からして社会主義とは相容れない「防ぎようのない邪悪には異議を唱えてはならない」という原則を生じさせる。
わずかな例外はあるものの、なぜイギリスの知識人階層がソビエト連邦に対するナショナリスティックな忠誠心を発達させ、不誠実にもその政策に無批判なのかについてはここでは論じられない。ともかく私はそれを別の場所で論じている。しかし最後に検討に値する二つの事項を挙げておきたい。
まず最初は、イギリスの左派ジャーナリストと知識人一般へのメッセージだ。「不誠実と臆病は常に代償をともなうことを覚えておくことだ。ソビエト体制、あるいは他のどのような体制であれ、何年にもわたってその靴を舐めるプロパガンダ主張者に自らなっておいて、その後ですぐさま精神的良識を取り戻せるとは思わないことだ。いったん淫売になれば最後まで淫売なのだ」
二番目はもう少し大きな検討事項だ。現在、世界においてイギリス・ロシアの友好と協調よりも重要なものは無く、それは率直な発言無しには実現できないものである。外国と合意を結ぶ最良の方法はその政策への批判を控えることでも、彼らについて一定の無知な状態に自国の人々を放置することでもない。現在のところ、イギリスのほとんど全ての報道機関が卑屈な態度を取っていて、そのせいで普通の人々は何が起きているのかについて極めてわずかしか知らないし、五年以内に自分たちが拒絶するであろう政策に強い支持を与えかねない状況だ。はっきりしないやり方で伝えられているところでは、ロシアの講和条件はとてつもなくベルサイユ的なもので、ドイツの分割、天文学的な賠償、大規模な強制労働を含むと言う。こうした提案がほとんど無批判に推し進められ、さらに左派の報道機関の多くではそれらを褒め称えるために下請けの物書きが雇われることさえされている。その結果、平均的な人間は提案されていることの非道さを理解できなくなっているのだ。時が来た時にロシア人たちが本当にそうした条件を実行に移そうとするのかどうか私にはわからない。私の推測ではそうしないのではないかと思う。しかし確かに言えることは、もしそのようなことが実行されたとしても、イギリスの一般の人々、そしておそらくはアメリカの一般の人々も、戦争熱が冷めた後には決してそうしたものを支持しないということだ。ひどく不当な講和条約はどのようなものであれ、前回同様、イギリスの人々にその犠牲者への不合理とも呼べる同情の念を呼び起こすことになるだろう。イギリス・ロシアの友好は両国が合意できる政策があるかどうかにかかっているのであり、今、自由な議論と誠実な批判をすること無しには不可能なのである。「スターリンは常に正しい」という原則によっては真の同盟は存在できない。真の同盟に向けた第一歩は幻想を剥ぎ取ることだ。
最後に、これについて私に投書する人々へ一言、言っておきたい。このコラムのタイトルに再度、目をやり、トリビューン紙の編集者が必ずしも私の言うことに同意しているわけではなくとも、言論の自由という信念を実践していることを皆さんに思い出していただきたい。
[注記:このコラムはヴァーノン・バートレットの記事がニューズ・クロニクル紙の八月二十九日の紙面に掲載される前に書かれた。記事ではともかくも報道機関を通して広まっている政策へのいくらかの不同意の声があげられていた(原著者脚注)]