ペンギン・ブックスは今まさにフランスでも一冊当たり半クラウンの価格での書籍出版を開始し、出足は実に好調だ。近刊の中にはアンドレ・ジッドの「ジャーナル」の連載最新回もあり、そこではドイツ占領時代も扱われている(ナチス・ドイツによるフランス占領は一九四四年八月二十五日に終わった。)。昔からのお気に入りに目を向けたところ、アナトール・フランスの「神々は渇く」(フランス革命期の恐怖政治についての小説である)があって、私の脳裏にある思いが浮かんだ。処刑の様子を描いた短編でどんなすばらしいアンソロジーを作れるだろうか! 文学作品の中にはそうしたものが何百も散らばっているに違いなく――そう推測できるだけの理由が私にはあるのだが――それらは平均的に見れば戦争を描いた作品よりもずっと優れているに違いないのだ。
多くの例の中ですぐに思い出せるのはサッカレーの描いたクルボワジエ(フランソワ・ベンジャミン・クルボワジエ(一八一六年八月?-一八四〇年七月六日)。雇い主を殺害した罪で一八四〇年にロンドンで四万人近い観衆に囲まれて絞首刑に処せられた。観衆の中にはディケンズやサッカレーがいた。)の絞首刑の様子、「サランボー」での剣闘士の磔刑、「二都物語」の最後の場面、バイロンの日記や手紙で描かれているギロチンの様子、また一七四五年の反乱の後におこなわれた二人のスコットランド貴族に対する断首で、これはホレス・ウォルポールによるものだったと思う。アーノルド・ベネットの「老妻物語」にはギロチンを実に詳細に描いた章があるし、ゾラの小説のひとつにはとても恐ろしいもの(サクレ・クール寺院についてのものだ)がある。さらにジャック・ロンドンの短編「支那人」、プラトンによるソクラテスの死についての説明もある――このリストはいくらでも続けられるだろう。また詩でもたくさんの例を挙げられることは間違いない。例えば古い絞首刑のバラッドがあって、キップリングの「ダニー・ビーバー」はおそらくそれに何らかの影響を受けている。
非常に印象的なのは、処刑を肯定的に書いたものがひとつもない、あるいは私が思い出せる限りでは存在しないことだ。支配的な雰囲気は決まって恐怖である。一見したところ社会は極刑無しでは成り立たない――生きたままにしておけば安全を脅かすような人々が存在する――のに、しかしその厳しい状況が訪れた時には他の人間を殺すことが正しいと冷血に感じる者は誰もいないのだ。かつて私は人間が吊るされるところを見たことがある。思慮ある者であれば誰でも、それが恐ろしい、自然に反した行為であると知っていることは疑いない。私が信じるところでは常に同じことが起きる――処刑がある時には看守も囚人も等しく、刑務所中が不安げになるのだ。極刑は必要なものと受け止められていて、しかしまたそれは本能的に間違っているように感じられ、それが処刑の描写の実に多くに悲劇的な雰囲気を与えているというのが事実なのだろう。それらのほとんどは実際に処刑を見て、それに嫌悪を感じ、部分的にしか理解できない経験だからこそ記録したいと思った人々によって書かれている。一方で戦争文学の大部分は銃声など一度も聞いたことがなく、戦争を誰も傷つかないフットボールの試合のように考えている人々によって書かれているのだ。
処刑を肯定的に書く者はいないと言うのは少々早計だったかもしれない。現代の新聞がフランスやその他の場所での哀れな売国者の殺害に包丁をふるう様子を考えるとそう思う。ある新聞に掲載された、かつてローマ警察の本部長だったカールソ(ピエトロ・カルーソ(一八九九年十一月十日-一九四四年九月二十二日)。イタリアのファシスト、ローマ警察署長。ファシスト、ナチの犯罪行為に積極的に加担した罪により死刑判決を受け、公開で銃殺処刑された。)の処刑を写した一連の写真を私は憶えている。銃殺隊に背を向けてイスに跨がらされた巨大な太った体、それからライフルの銃身から上がる煙のもや、そして横に崩れ落ちた体を目にした。これを掲載に適していると思った編集者は愉快な小記事のつもりなのだろうが、それは実際の様子を目にしなくてよかったからだ。この写真を撮った人間、そして銃殺隊がどのように感じたか、私は想像できるように思う。
役に立たない知識を愛する者へ(そういう人が大勢いることはわかっている。こうした種類の問題を出した時には決まって何通もの投書を受け取るのだ)、ペリカンの近刊「シェイクスピアのイングランド」に出てきた興味深いちょっとした問題を出題しよう。一六〇七年にイングランドを旅したフィンズ・モリソンという名の作家が生い茂るメロンについて書いている。アンドルー・マーヴェルもまた、約五十年後に非常に有名な詩の中でメロンについて言及している。どちらの文献でもメロンは露地栽培されているようで、実際、育てるとしたらそうされていたに違いない。温床は一六〇〇年に発明されたばかりだったし、仮に存在したとしても温室は極めて珍しかったことは間違いない。現在のイングランドでメロンを露地栽培することは全く不可能であるように私には思われる。値段を考えれば温室でもかなり難しい。またフィンズ・モリソンはワインを作るのに十分なだけのたわわに実ったブドウについても語っている。過去三百年間に気候が劇的に変化したなどということがあり得るだろうか?(十七世紀頃から太陽活動の低下によって、いわゆる「小氷期」と呼ばれる世界的な寒冷期が始まったことが知られている。) あるいはメロンと呼ばれているものは実際はカボチャなのだろうか?
十一月十日からトリビューン紙では書評の見直しを計画している。全ての書籍に一コラム分の書評を割り当てようという現在の方針は不十分であるように感じられる。私たちが使える小さな紙面スペースでは最新の情報についていけず、より重要な書籍に対してそれに応じた詳しい扱いを取ることができないことが多々あるからだ。一番良い解決策は書評の一部は短くし、一部は長くすることだと思う。
ダニエル・ジョージの小説書評は影響を受けないが、他については九つほどの非常に短い紹介――新刊のお知らせのようなもの――と一つの非常に長いもの、おおよそ一五〇〇ワードほどの書評を掲載したいと思っている。こうすれば現在よりもずっと多くの書籍を扱えるし、今よりも新しい情報についていけるだろう。しかしさらなる利点として重要な書籍を重点的に扱えるということもある。毎週、その重要性が間接的なものに過ぎなくても、十分な長さの書評に値する書籍が少なくとも一冊はあるのだ。
書評者としての何年かの経験から、一冊の本の内容を要約して批評するには最低でも八百ワードが必要であると言わざるを得ない。とはいえ千ワードを下回れば書評には記事としての価値はほとんどなくなる。月刊誌や季刊誌に掲載される批評の水準が概して高いのは、書評者が紙面スペースに苦しめられることが少ない事実にその一部を負っている。百年前の、エディンバラ誌やクォータリー誌の古き時代には書評者は十五ページに渡って執筆をおこなうこともままあったのだ!
もしこの方針でうまくいかなければ取り止めるが数ヶ月は試してみるつもりだ。私たちの目標は、選ばれた書籍をしっかりと批評し、同時に記事それ自体で価値を持つような優れた書評を生み出すことにある。すでにトリビューン紙に頻繁に執筆している人々とは別に、一流の書評者の一団を私たちは集めていて、そこにはハーバート・リード、フランツ・ボルケナウ、ヒュー・キングスミル、マイケル・ロバーツ、ムルク・ラジ・アナンド、アルトゥーロ・バレア、アーサー・ケストラー、その他の数人が含まれている。