気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1944年11月24日 商店主たちの無礼、詐欺広告、「ずっと読みたいと思っている」本


商店主たちの無礼について最近は数え切れないほどの不満の声が上がっている。これは真実だと思うのだが、人々が言うところでは商店主は尋ねられた物の在庫が無いと言う時にサディスティックな喜びを感じているように見えるそうだ。櫛や靴磨き用クリームといった何かめったに手に入らないものを探しに行けば悲惨な経験をすることになる。つまり店から店へとさまよい歩き、無愛想、あるいは全くの敵意をむき出しにした否定の言葉を浴びせ続けられるということだ。しかし食品やパンを買うという日常仕事でさえ忙しい人々にとってはかなり難しくなってきている。毎日六時まで働いていて、その一方で商店のほとんどが五時に閉まるとしたら、どのようにして女性は家事の買い物をできると言うのだろう? 昼食の時間に、人の群がるカウンターで一ラウンド戦うしかない。しかし、人々が最も恐れる供給不足になっている何かの品物について尋ねた時に返ってくるのは冷たい態度なのだ。多くの商店主は客を物乞いの一種と見なし、相手に物を売ることで恩恵を施してやっていると感じているように見える。他にももっともな苦情はある――例えば、中古家具といった統制されていない商品に対する恥知らずなとてつもない価格や、今では実に一般的になっている、売っていない品物を窓に展示するといういらいらさせられる手口だ。

しかし、これら全てについて商店主を責める前に思い出すべきことがいくつかある。まず最初は怒りっぽさと不品行がいたるところで増加していることだ。バスの車掌といった普段は我慢強い人々の振る舞いを観察するだけでそれは見て取れる。これは戦争によって生み出された神経症なのである。しかし加えて、多くの小規模な独立商店主は(私の経験では大規模な商店ではずっと丁寧な応対がなされている)社会に対してもっともな怒りを持った人々なのだ。彼らの一部は実質的には卸売会社の低賃金な雇用者で、そうでない者もチェーン店との競争にゆっくりと押しつぶされているところであり、またしばしば地域当局によってひどく思いやりの無いやり方で扱われている。時には住宅再建計画が商店主の客の半分を一挙に奪い去ることもある。戦時には爆撃と召集のせいでこれがさらに劇的に起きることもあるだろう。また戦争は他にも商店主にとっての特別な苛立ちの種となる。配給は食料雑貨店主や肉屋店主といった人々に大幅に余計な仕事を押し付けるし、在庫の無い商品について一日中、尋ねられ続けるのは実に腹立たしいことだ。

しかし結局のところ、一番の要因は普段、店員と独立商店主の両方が虐げられていたことだ。彼らは「客は常に正しい」という旋律に合わせて生活している。平時の資本主義社会においては買い切るには金が足りないほどの商品を売ろうと誰もが試みている一方で、戦時においては金が十分にありながら商品は足りない。マッチ、剃刀の刃、懐中電灯用の電池、目覚まし時計、哺乳瓶用の乳首はとてつもなく貴重で、それらを持っている人間は権力者であり、うやうやしく接される。この状況が仮に反転した時に仕返しに商店主を非難してよいとは思わない。しかし彼らの一部の振る舞いが不愉快なものであること、そして極端に傲慢なやり方で扱われた時にはその店には二度と行かないのが他の一般の人々の義務であることには同意する。


最近「ムーアじいさんの暦」の一冊を調べながら、少年時代によく広告に応募して楽しんでいたことを私は思い出した。身長を伸ばしましょう、空き時間で週に五ポンドを稼ぎましょう、三日間の禁酒体験、電動ベルト、豊胸器具、さらに肥満や不眠症、外反母趾、腰痛、鼻の赤み、吃音症、赤面症、痔、足の痛み、扁平足、脱毛の治療――こうした昔ながらの定番が全て、あるいはほとんど全てあった。こうした広告の一部は少なくとも過去三十年間、全く変わらずそのままである。

想像するに、こうしたインチキ薬からはたいして恩恵を受けられないだろうが、広告に応募して楽しむことはおおいにできる。相手を引っ張り出して、効果を証言するたくさんの声を送るのに大量の切手を浪費させた後、唐突に冷たく放置するのだ。何年も前、私は肥満治療を請け負うというウィニフレッド・グレイス・ハートランドなる人物の広告(この広告にはよく彼女――ほっそりとした姿の見栄えのする女性――の写真が掲載されていた)に応募したことがある。私の手紙への返信で彼女は私のことを女性だと思いこんでいた――当時は驚いたが、今では私も理解しているようにこうした広告のカモにされるのはほとんど全て女性なのだ。彼女は私に一度、会いに来るよう説いた。「ぜひ訪ねてください」彼女は書いていた。「夏服を注文する前に。私のコースを受ければあなたの姿は見違えるように変わります」彼女は私が一人で訪問をしなければならないととりわけ強く主張し、ロンドンのドックランズ地区ロンドン東部のテムズ川沿岸の地域。一九五〇年頃までは港湾物流拠点として栄えていた。のどこだかにある住所を送ってきた。このやりとりは長く続き、その間に料金は二ギニーから半クラウンへと次第に下がっていった。それから私は、自分は競合店のおかげで肥満を治療できたと書いて送ってこのやりとりを終わらせたのだった。

何年か後、私は偶然、詐欺の注意喚起のためにトゥルース誌がときおり発行していた警告リストの一冊を手に取った。それによるとウィニフレッド・グレイス・ハートランドなどという人物は存在せず、この詐欺はヘンリー・スイートとデイブ・リトルという名前の二人のアメリカ人詐欺師によっておこなわれていたそうだ。彼らが一人での訪問をひどく望んでいたことは興味深く、以来、私はヘンリー・スイートとデイブ・リトルが実は太った女性をイスタンブールのハーレムに船で送り出していたのではないだろうかと疑っている。


誰もが「ずっと読みたいと思っている」本のリストを持っているが、ときおりその一冊を読む時間が取れるものだ。最近、私が自分のリストから消せた一冊がジョージ・ボーンの「サリーの労働者の思い出」だ。この作品には少し失望した。これはベッツワースという男に関する実話だったのだが、この人物は全く典型的な労働者というわけではなかったからだ。彼は農場労働者だったが、臨時雇いの庭師になり、ジョージ・ボーンとは使用人と主人の関係にあった。とはいえ、細部にはいくつか注目に値する点があり、真に迫った残酷な情景を描き出しているし、土に汚れた重労働の一生の浅ましい終わりはなかなかの称賛に値する。この作品が書かれたのは三十年以上前だが、根本においては事態は変化していない。今回の戦争の直前、ハートフォードシャー州の私の済む村では二人の老人がジョージ・ボーンが描いたのとほとんど変わらない全く哀れな状態でその生涯を終えた。

最近読んだ、というか再読したもう一冊が「心霊主義の愚劣とペテン」で、約二十年前にラショナリスト・プレス・アソシエーションから出版されたものだ。これはおそらく手に入れやすい本ではないだろうが、同じ題材についてのベクホーファー・ロバーツ氏の本は同じくらいおすすめできる。こうしたたぐいの本で取り上げられる興味深い事実のひとつが心霊主義に騙された科学者の数である。そのリストにはウィリアム・クルックス卿、生物学者のウォーレス、ロンブローゾ、天文学者のフラマリオン(とはいえ彼は後に考えを変えたが)、オリバー・ロッジ卿、そしてドイツやイタリアのさまざまな教授が含まれている。こうした人々はたぶん科学界の一流の人間ではないだろうが、とはいえ例えばそれに匹敵する数の詩人が霊媒師の餌食になったという話は見つけられない。エリザベス・バレット・ブラウニングは有名な霊媒師であるホームに騙されたと思われているが、実はブラウニング自身は一目で彼を見抜いて彼を酷評する詩(「霊媒師の汚泥」)を書いている。興味深いことに、心霊主義に決して心を動かされない人々は手品師である。


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