気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1944年12月1日 V2、ドン・キホーテ、泥ヒバリ、本を「殺す」、アテネのタイモン


V2(V2とだけ呼んで、あまり頻繁に書くのでなければ、それについて印刷物で触れても構わないと私は言われた)は人間本性の強情さのさらなる一例を提供している。人々はこうしたものによってもたらされる突然の予期しない一撃に不平を言っているのだ。「少しは警告があればこれほど悪くはならないだろう」というのがよくある決まり文句だ。V1の時代を懐かしむように話す風潮さえある。古き良きV1飛行爆弾ドゥードゥルバグであれば少なくともテーブルの下に潜り込むための時間くらいはあった――などなど。とはいえ実のところ、V1飛行爆弾が実際に落ちていた時にはそれが爆発する前の落ち着かない待ち時間が不満事としてよく言われていたものだ。一部の人々は決して満足することがない。私個人としては決してV2を愛好する者ではない。とりわけ先程の爆発で家がまだ揺れているように思われるこの瞬間にはそうである。しかしこうした物に関して私を憂鬱にさせるのはそれらが人々に次の戦争について語らせるそのやり方である。爆発が起きるたびに「次回」についての気持ちを暗くさせる言及や「その頃には大西洋を越えて撃てるようになっているだろう」という考えが聞こえてくる。しかし、この広く予測されている戦争が勃発した時に誰と戦うことになるかと尋ねても明確な答えは得られない。それは全く抽象上の戦争なのだ――人類は常に正気を保った振る舞いができるという観念は多くの人々の記憶から消え去ったように見える。


モーリス・ベアリングは、一九〇七年に出版され、この国の多くの人々へロシアの偉大な小説家を紹介するきっかけとなったに違いない、ロシア文学に関する自身の著書で、イギリスの作品はロシアで常に人気があると語っている。他の人気作品と共に彼は「名も無い人の日記一八八八年から一八八九年にかけてパンチ誌で連載されていたイギリスの滑稽小説。」について言及している(ところでこの作品はエブリマンズ・ライブラリーによって復刻されているのであなたも目にしたことがあるかもしれない)。

「名も無い人の日記」をロシア語に翻訳するといったいどんな風になるのか私はずっと思いを巡らせていて、ロシア人がそれを楽しめるとしたらまるでチェーホフのように翻訳されているためではないかと少し疑っている。しかし、書かれたのが八十年代で、その当時の極めて強い雰囲気をまとっているにせよ、イギリスの生活風景を知りたいと思った時に読むものとしてはある意味でそれは実に良い作品だろう。チャールズ・プーターは生まれつきの穏やかさとその頑迷な愚かさの両方において真のイギリス人である。しかしながらこの作品をその起源までさかのぼると興味深いことがわかる。究極的にはこの作品はどのような祖先を持つのか? 私が考えるところではそれはまず間違いなくドン・キホーテであり、実のところこの作品はある種の現代イギリス版のそれなのである。プーターは高潔で、冒険的な男でさえあり、絶えず自分自身の愚行によって引き起こされた大惨事に苦しんでいて、全くサンチョ・パンサ的な仲間に取り囲まれている。しかし彼に降りかかる事態が比較的穏やかであることを別にすれば、この二つの作品の結末にはセルバンテスの時代と私たちの時代との間の大きな違いが見て取れる。

結末でグロースミスは哀れなプーターに情けをかけてやらなければならなかった。全て、あるいはほとんど全てが解決し、結末はこの作品の他の部分とはあまり調和していない感傷的な色合いを帯びている。実のところ、私たちの実際の振る舞いに反して、私たちはもはや苦痛が与えられることを単純に面白がれなくなっているのだ。ニーチェはどこだったかでドン・キホーテの悲痛は現代において発見されたものだろうと述べている。セルバンテスがドン・キホーテを哀れに見せようとは思っていなかったことは十分にあり得る――おそらくはただ滑稽に見せようと思い、哀れな老人がパチンコで飛ばされた石によって歯を半分吹き飛ばされるような絶叫的な笑い話を意図していたのだ。ドン・キホーテについて言えばこれは必ずしも確かではないが、ファルスタッフシェイクスピアによる喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」の主人公の肥満の老騎士。「ヘンリー四世」にも登場し、「ヘンリー五世」ではその最期が伝聞として語られる。に関して言えば間違いないと私は確信している。「ヘンリー五世」での最後の場面はおそらく例外だろうが、シェイクスピアがファルスタッフを滑稽であると同時に哀れな人物であると考えている証拠は何もない。彼は運命によって翻弄されるサンドバッグで、いわば言語の才能を持ったビリー・バンターチャールズ・ハミルトン(一八七六年八月八日-一九六一年十二月二十四日)がフランク・リチャーズ名義で週刊少年誌に連載していた小説に登場する登場人物で、食い意地の張った肥満体の少年。である。私たちにとって最も哀れに思われるのは、ジョン・メイスフィールドが適切にも「吐き気を催させる太った獣」と表現した浅ましい後援者ハリー王子にファルスタッフが無力に頼り切っていることなのだ。シェイクスピアがこうした人間関係に何らかの哀れみや下劣を見て取っているという証拠、少なくとも明確な証拠は存在しない。


何と言われようが事態は変化している。数年前、私はおおよそ六十歳かそれより少し若い一人の女性と一緒にハンガーフォード橋を歩いて渡っていた。潮は引いていて、私たちは汚い、ほとんど泥流となった川底を見下ろしていたが、彼女が言った。

「私が小さな女の子だった頃にはあそこの下にいた泥ヒバリによく小銭を投げていたものです」

私は興味をそそられて、泥ヒバリとは何かと尋ねた。彼女の説明によると当時は職業的な乞食、いわゆる「泥ヒバリ」がよく橋の下に座って人々が小銭を投げてくれるのを待っていたのだそうだ。小銭は泥の中に深く埋まってしまうので、泥ヒバリは頭から飛び込んでそれを拾い上げたそうだ。それが最高に面白い見世物と考えられていたのだ。

現在、そんなことをする下劣な者が誰か一人でもいるだろうか? またそれを見て面白がる人間がいったいどれほどいるだろうか?


暗殺の少し前、トロツキーは「スターリンの生涯」を完成させていた。全く偏りのない作品とは言えないだろうが、トロツキーによるスターリンの伝記は――ついでに言えばスターリンによるトロツキーの伝記も――売り上げという観点からすると明らかに勝者となるであろうものだ。ある非常に有名なアメリカの出版社が出版に取りかかっていた。その作品は印刷され――ここが、この記事でこの問題に言及する前に確認しようと私が待っていた重要な点なのだが――書評用の何冊かが発送された。アメリカ合衆国が今回の戦争に参戦した頃のことだ。その作品はただちに取り下げられ、書評者たちには「この伝記とその出版延期について一切コメントをしない」よう協力の要請がされた。

書評者たちは実に協力的だった。この出来事はアメリカの出版界ではほとんど触れられずに過ぎ去り、私が知る限りではイギリスの出版界では全く触れられなかった。とはいえ、この事実はよく知られていて明らかに一つ、二つの段落を費やす価値がある。

アメリカの参戦によってアメリカ合衆国とソビエト連邦が同盟を結んだことからすれば、この作品の取り下げはとりわけ褒められる行ないでもないが、理解はできるものだと私は思う。嫌悪を感じるのはそれについてのあらゆる言及を抑圧しようという広く見られた意志である。少し前に私はペンクラブの会合に出席したが、それは出版の自由についてのミルトンの有名な小冊子「アレオパジティカ」の三百周年を祝うためのものだった。戦時であっても知的自由を守ることの重要性を強調する演説が無数におこなわれた。私の記憶が正しければ、本を「殺す」という特別な罪についてのミルトンの言葉がその式典のためのペンクラブのリーフレットに印刷されていたはずだ。しかしこの特定の殺しに対する言及を私が耳にすることは無かった。そこにいた大勢の人間がそれを知っていたに違いないというのにだ。


ここでもうひとつ頭の体操を。以下のよく引用される節はシェイクスピアの悲劇「アテネのタイモン」の第五幕からのものだ。

Come not to me again, but say to Athens,
Timon hath made his everlasting mansion
Upon the beachèd verge of the salt flood
Who once a day with his embossed froth
The turbulent surge shall cover.

(二度と私の元へ来るな、アテネに言え
タイモンは永遠の屋敷を作り、
それは塩の洪水の浜辺にある
一日に一度、浮き上がる泡を吐き
荒れ狂う大波が覆うだろう)

この節には三つの誤りが含まれている。それは何か?


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