気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1945年1月5日 一八一〇年のクォータリー・レビュー誌、ビルマの名前、フェアチャイルド一家


私は今まさに一八一〇年のクォータリー・レビュー誌の装丁本に目を通しているところで、これはクォータリー・レビュー誌の創刊から二年目のもののはずだ。

一八一〇年は、イギリスの観点からナポレオン戦争について言えば、完全な暗黒時代とは言えないまでもそれに近いものだった。現在の戦争における一九四一年に相当していると言えるだろう。イギリスは完璧に孤立させられていて、大陸封鎖令によってその交易はあらゆるヨーロッパの港から遮断されていた。イタリアやスペイン、プロイセン、デンマーク、スイス、低地帯諸国は全て支配下に置かれていた。オーストリアはフランスと同盟していた。またロシアもフランスと不安定な同盟を結んでいたが、近いうちにナポレオンがロシアを侵略しようとしていることは知れ渡っていた。合衆国はまだ戦争状態にはなかったものの、あからさまにイギリスに敵意を見せていた。希望を見いだせるようなものは何もなかったが、スペインでの反乱だけは別で、それによってイギリスは再び大陸に足がかりを得て、南アメリカの国々とイギリスとの交易を始めることができていた。こうしたわけで――戦争を力強く支持する保守系雑誌である――クォータリー・レビュー誌がこの絶望的な時期にフランスやナポレオンについてどのような調子で書いているのか観察するのは興味あることだった。

以下はフランスの人々のいわゆる好戦的傾向について書いたクォータリー誌の記事だ。記事ではフランスから戻ったばかりのアメリカ人であるウォルシュ氏によるパンフレットを論評している。

「ウォルシュ氏がフランスの人々にあるとしている軍事的傾向が今後も続くかについては疑わしい。ウォルシュ氏が描く、自軍の新たな勝利の報せを聞いた汚れて飢えたパリの住民の間でわき起こる歓喜の生き生きとした情景に疑問を投げかけるつもりは全く無いが、あえて言えば、こうした歓喜はどこであれこうした出来事には付き物で、それで国民の虚栄心が満たされることもあれば、勝利によってもたらされる祝祭が野心など全く無い哀れな人々に気晴らしの喜びを許すこともあるだろう。今のところ、こうした感情はあのとてつもない征服者の胸中にほとんど限られていて、彼の臣民の間、あるいは彼の将校や軍隊の間と言ってもいいかしれないが、そこで誰もが願っているのは平和であると私たちは確信している」

これをヴァンシッタート卿の発言や、あるいは報道機関の大部分におけるそれと比較してみてほしい。同じ記事にはナポレオンの軍事的才能に対する複数の賛辞が含まれている。しかし私が気がついた最も印象深いことは、この年に発行されたクォータリー誌に近年に出版されたフランスの書籍の多くの書評が掲載されていること――また、それらが注意深く真剣な書評であって、他の記事とそう論調が変わらないことなのだ。例えば「アルクイユ協会Société d’Arcueil」として知られるフランス学術団体の出版物に対する九千ワードほどの記事がある。ゲイ・リュサックやラプラス、その他のフランスの科学者が最大限の敬意をもって扱われていて、彼らには毎回「ムッシュ」の敬称が付けられている。この記事を読んだだけでは戦争がおこなわれていると気づくのは不可能だろう。

現在の戦争の間に現代のドイツの書籍がイギリスの出版界で書評されることなど想像できるだろうか? 無理だと思う。実際、戦争の間、私はドイツで出版された本の名前を一冊たりとも聞いた記憶が無い。そしてもし現代のドイツの書籍が出版界で言及されていないとしたら、それはまず間違いなく何らかの方法で事実が曲げられて伝えられているのだ。クォータリー誌でのフランスの書籍の書評に目を通しながら私が気づいたところでは、何らかのプロパガンダが忍び込むのは直接的に政治を扱う題材の時だけで、その場合でもそれは現代の基準からすれば極めて穏やかなものだった。芸術や文学、科学に関して言えば、その国際的特徴は当然のこととして扱われている。それでも、今回と同じくらい確実にイギリスは存亡を賭けてナポレオン戦争を戦っていたはずだし、戦争に巻き込まれた人口を比較した時に流された血や疲弊が少なかったわけでもないはずだ。


次にビルマがニュースでよく取り上げられる時には、ビルマの地名の綴りに気を配るという有用な仕事を誰かが成し遂げて欲しいものだ。TaungdwingyiだとかMyaungmyaだとかNyaungbinzeikといった名前は平均的な新聞読者の目にどう映るだろうか?

一九四二年の始めに日本人ジャップがビルマを侵略した時には、ラジオでビルマの名前が正しく発音されるよういくらかの努力がされた。しかしBBCのアナウンサーは無頓着なまま、明るい声で、間違えそうな名前は全て間違えて発音したのだった。さらにその後、新聞が事態を少しばかり悪くさせた。新聞独自の発音を掲載したのだが、それがたいていは間違っていたのだ。

現在、ビルマの名前はできるだけ忠実にビルマの文字から転写されて綴られている。これはビルマの文字体系を知らなければ非常にまずいやり方である。ビルマの名前ではeがay、aiがeye、gyがj、kyがchを意味するといったことを平均的な人間がどうしてわかるだろうか? これはもっと良いやり方に実に簡単に改善できるはずだし、イギリスの一般の人々は今ではDnepropetrovskの発音を正しくできているのだから、どう発音するのか教えられればKyaukseやKungyangonの発音も習得できるはずだ。


ある興味を持って私は「フェアチャイルド一家」を再読している。一八一三年に書かれ、五十年以上にわたって人気を博した児童書だ。運の悪いことに私が持っているのは最初の巻だけだが、それは修正されてない状態で――重要な部分を全て削除したさまざまな修正版が近年、出版されている――十分に好奇心を満足させてくれる。

この作品の雰囲気は次のような一文で十分に示すことができる。「パパ」がルーシー(ちなみにルーシーは九歳だ)に言う。「悪い心を持った人間についての詩を歌おうか?」そしてもちろんパパは、過剰なほど嬉しそうに、完璧に記憶したその詩を披露するのだ。あるいはフェアチャイルド夫人だ。彼女は自分が子供だった頃、使用人の女の子と一緒にサクランボを摘んで規則に背いたことを子供たちに話して聞かせる。

乳母は彼女の母親に引き渡されて鞭を打たれ、私は暗い部屋に閉じ込められて、数日間、パンと水だけで過ごしたの。三日目が終わる頃に叔母さんたちがやって来て、私に長いお説教をしました。

「あなたは四番目の戒律を破りました」ペネロペ叔母さんは言った。「『安息日を覚えてこれを神聖なものとしなさい』というね。それから五番目の『父母を敬いなさい』というものも破りました……八番目の『汝は決して盗んではならない』も」、「そのうえ」グレイス叔母さんが言いました。「あんな低俗な仲間といっしょに木登りするなんて恥ずかしい不名誉なことです。私たちは苦労してあなたの面倒を見て、注意を払ってあなたを育てたというのに』」

作品全体がこんな調子で、各章の終わりには長いお祈りがあり、聖書からとられた数え切れないほどの賛美歌と詩が文章全体に散りばめられている。だが一番の特徴は子供たちが不作法をおこなった時に決まって降りかかる、天から下される恐ろしい罰だ。黙ってブランコで遊べば落っこちて歯を何本か折る。お祈りするのを忘れれば生ゴミが入った豚の餌箱へ落っこちる。プラムの実をいくつか盗めば罰として肺炎にかかって死にかけるという具合だ。ある時、フェアチャイルド氏は喧嘩している子供たちを取り押さえる。いつもの鞭打ちの後、彼は子供たちを連れて遠出をし、絞首台に吊るされた殺人犯の腐った死体を見せに行く――ふたりの兄弟が争えば最後はこうなるのだと言って聞かせるのだ。

この作品の興味をそそる面白い特徴はこうした厳しい方針で育てられたフェアチャイルド家の子供たちが全く異常なほど信頼に値しないように見えることだ。両親が目を離すやいないや彼らは必ず不作法を働き、それが結局、鞭打ちやパンと水だけの食事にはたいした効果が無いことを示してしまっている。とはいえ著者であるシャーウッド夫人が数人の子供を育て上げ、少なくとも彼女の養育下では子供が死んだりしていないことは記録しておく価値があるだろう。


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