気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1945年1月26日 政治的不誠実、ウィリアム・ブレイクの飾り盾、言葉の出現や消滅


ある夜、私はヨーロッパ自由連盟と呼ばれる組織の大きな会合へ出席した。公式には超党派の組織とされているが――演台には労働議員が一人いた――こう言って間違いないと私は思うのだが、それはトーリー党の反ロシア派によって支配されていた。

私はヨーロッパの自由には大賛成だが、それが他の場所の自由を伴ってくれればなおうれしく感じる――例えばインドだ。演台の上の人々が心配しているのはポーランドやバルト諸国などでのロシアの行動、そしてそうした行動が暗に示す大西洋憲章の原則の廃止だった。彼らの言ったことの大半はもっともなことだったが、興味深いことに彼らはポーランドに対するロシアの支配を非難するのと同じくらい熱心にギリシャに対する私たち自身の支配を弁護していた。トーリーの議員であり、有能で歯に衣を着せない反動主義者であるヴィクター・レイクスは、触れるのがポーランドとユーゴスラビアだけだったなら私も優れたものと考えたであろう演説をした。しかしこの二つの国を取り上げた後で彼はギリシャについて話しだし、そこで突然、黒が白に、白が黒に変わった。非常に大勢いた聴衆からはブーイングも驚きのどよめきも起きなかった――どうやら、嫌がる人々に売国的な政府を押し付けることは誰がやろうと同じように望ましくないとわかる人間はその場にはいないようだった。

こうした人々が本当に政治的自由に関心があると信じることは非常に難しい。彼らが心配しているのはただ、テヘランでおこなわれたらしい浅ましい駆け引きでイギリスが十分に大きな成果をあげられなかったからなのだ。会合の後、私はあるジャーナリストと話した。影響力ある人々との繋がりを私よりもずっと多く持っている人物だ。イギリスの政策はまもなく反ロシアへと激しく振れるだろうし、必要ならその方向へ世論を操作することは全く容易だろうと彼は言った。いくつかの理由から私は彼が正しいとは思っていないが、もし最終的に彼が正しかったとわかったなら、それは結局のところ私たちの失策のせいであって私たちの敵対者の失策のせいではない。

誰一人としてトーリー党とその報道機関が啓蒙主義を広めるとは期待していない。厄介なのは過去数年にわたって左派報道機関からも外交政策についての成熟した考えを引き出すことが不可能だったことだ。ポーランドやバルト諸国、ユーゴスラビア、ギリシャといった問題に突き当たった時、ロシア愛好的な報道機関と極端にトーリー的な報道機関との間にどれほどの違いがあるというのか? 一方はたんに他方を逆さまにしただけのものなのだ。ニューズ・クロニクル紙はギリシャでの戦いには大見出しを付けるが、ポーランド国内軍に対して「軍事力を行使せざるを得ない」というニュースはしまい込んでコラムの一番下に小さく印刷するだけだ。デイリーワーカー紙はアテネでの独裁政権に反対し、カトリック・ヘラルド紙はベオグラードでの独裁政権に反対する。勢力圏をめぐるあらゆる汚い争い、売国、粛清、国外追放、一党だけでの選挙と百パーセントの投票結果は、それをおこなったのが私たち自身であろうが、ロシア人であろうが、ナチスであろうが道徳的に見れば同じであると言えるものは誰一人として――少なくとも発行部数の多い新聞でそれを言う機会がある者の中には誰一人として――いないのである。人質を使うという全くの野蛮行為の場合でさえ、不賛成の念を感じるのはそれをおこなったのが偶然にも敵対者であって私たち自身でない時だけなのだ。

そして、その結果どうなるのか? 結果のひとつは世論をずっと欺きやすくなることだ。トーリー党員はそうしたい時にはスキャンダルを騒ぎ立てることができる。そうできる理由の一部は、特定の話題に関して左派は成熟したやり方で話すことを拒絶するからだ。その一例が一九四〇年のロシア・フィンランド戦争だ。フィンランドでのロシアの行動を擁護するわけではないが、それはとりわけ邪悪なものではなかった。私たち自身がマダガスカルを占拠した時におこなったのと同じような種類のものに過ぎなかったのだ。一般の人々は衝撃を受けたし、それに関して危険なほど激しい怒りに目覚めたことは間違いない。なぜなら長年、ロシアの外交政策は道徳的に他の国々とは一線を画すと間違った教えを受けてきたからだ。その夜、レイクス氏の演説を聞きながら私が思ったのは、もしルブリン委員会やチトー元帥やそれに類した話題についてトーリー党員たちが内情を暴露すると決めたなら――左派の長期にわたる自己検閲のおかげで――暴露する情報はふんだんにあるだろうということだった。

しかし政治的不誠実さには滑稽な面がある。ヨーロッパ自由連盟の会合の座長を務めていたのは誰であろうアソル公爵夫人その人だったのである。公爵夫人――親しみを込めて「赤い公爵夫人」とあだ名されていた――がデイリーワーカー紙のお気に入りで、当時、共産主義者が口にしていたあらゆる嘘に彼女がかなりの権威的重みを与えていたのはほんの七年ほど前のことなのだ。今では彼女は自身が作り出す手助けをした怪物と戦っているのである。私は確信しているのだが、彼女にしても彼女のかつての友人である共産主義者にしても、このことに何ら道徳的呵責を感じてはいないのだ。


先週のこのコラムで犯した間違いを修正しておきたい。どうやらウィリアム・ブレイクの飾り盾は存在するらしい。ランベスのセントジョージ教会の近くのどこかだそうだ。私はその一帯を探したが見つけ出すことはできなかった。ロンドン市議会へはお詫びする。


英語の保存に関心がある場合、決めなければならない問題のひとつは言葉の意味が変わる時にそれに抗う価値があるかどうかだ。

言葉のいくつかは取り返しがつかなくなっている。「impertinent(尊大な、生意気な)」を元の意味に復元することはできないだろうと思うし、「journal(ジャーナル)」や「decimate(間引く)」もそうだ。しかしここ数年、広まっている「imply(ほのめかす)」の意味で「infer(察する)」を使うことはどうだろう(「He didn't actually say I was a liar, but he inferred it(彼は実際のところ私が嘘つきであるとは言っていないが、そうほのめかしている)」)? それに抗議すべきだろうか? ある言葉の意味が好き勝手に狭められた時、それに従うべきだろうか? 例を挙げれば「immoral(不道徳な)」(ほぼ常に性的な不道徳を意味する)や「criticize(批評する)」(決まって好ましくない批評を意味する)である。どれほどの数の言葉が純粋に性的な意味に変わっているかは驚くほどで、その一部は新聞が婉曲的な表現を必要としているせいで起きている。「intimacy took place twice(二股の関係)」といった言い回しの常用は実質的に「intimacy(親密)」の元の意味を無化するものだし、一ダースほどの他の言葉も同じやり方で歪められている。

こうした種類の物事は可能なら防ぐべきであることは明らかだが、受け入れられている使用方法に抗うことで何かを成し遂げられるかどうかは定かでない。言葉の出現や消滅は神秘的な過程で、私たちはその法則を理解できていない。一九四〇年、軽いビールを意味する「wallop」という言葉が突如としてロンドン中に広まった。その時まで私はそれを耳にしたことは無かったが、どうやら新しい言葉ではなく、ロンドンのある一地域に特有なもののようだった。それが突如としてあらゆる場所に広まり、そして今では再び消え去ったようである。また言葉は、数百年にわたって休眠状態で横たわっていたあとで明確な理由なく復活することもある。例えば「car」という言葉は高尚な古典詩を除けばイングランドでは全く使われていなかったが、新しく発明された自動車を言い表すために一九〇〇年頃に復活させられた。

そのため私たちの言語に確かに起きている劣化は意識的行動によっては止められない過程である可能性がある。しかしその試みがなされるところを目にしたいと私は思うのだ。そして手始めに、数ダースほどのジャーナリストがいくつかの明らかな誤用――例えば嫌悪すべき動詞である「to contact」やあらゆる動詞に不要な前置詞を結びつけるアメリカの習慣――に対して戦いを宣言し、その協調した努力によってそれを葬り去ることができるかどうかを見たいと思う。


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