たまった食器を洗うたびに私は人類の想像力の無さに驚かされる。人類は海中を進み、雲を突き抜けて飛べるというのに、日々の生活から出るこの卑しい、時間を浪費する、退屈な仕事を取り除く方法をいまだに知らないのだ。(再び公開された時に)大英博物館の青銅器時代の展示室へ行けば、私たちの家庭用品のいくつかが三千年前とほとんど変わってないことに気づくだろう。例えば片手鍋、あるいは櫛はギリシャ人がトロイを包囲していた頃と全く同じである。これと同じ期間に私たちは水漏れのするガレー船から五万トンの定期船、牛に引かれた荷車から航空機へと進歩しているというのにだ。
確かに人類のごくわずかな割合が暮らす現代的な省労働住居では皿洗いのような仕事は以前よりもずっと少ない時間で済む。薄片状せっけん、大量の湯、皿立て、明るいキッチン、そして――イングランドの住居では非常に少ないものだが――簡便なゴミ捨て方法があれば、かつてのロウソクの明かりの下、軽石の流しで砂を使って銅製の皿を磨かなければならない頃に比べればずっとましなやり方ができる。しかし特定の仕事(例えば魚を焼いた後のフライパンの洗浄)はその本質からしてうんざりするものであり、皿洗いスポンジや湯の張られたたらいにまつわるこうした汚れ仕事全てが信じられないほど原始的である。今この瞬間、私の住むアパートの部屋の一画は居住不可能だ。敵の攻撃ではなく積もった雪のせいで屋根が雨漏りし、天井のしっくいが剥がれているためだ。とてつもない大雪が降るたびにこの惨事が起きるのが日常となっているのだ。三日間に渡って蛇口からは水が出なかった。水道管が凍っていたのだ。これもまたありふれたことで、ほぼ毎年のことだ。そして、破裂した水道管の数が多すぎてそれを修理する作業は一九四五年の終わりまでには完了しないだろうと新聞では告知されたところだ――その頃にはまた大きな寒波が来て全て破裂するだろうと私は思っている。もし戦争のやり方が家事のやり方と同じ速度で進歩していたなら、私たちはまだようやく火薬を発見したあたりだったに違いない。
皿洗いに話を戻そう。掃き掃除や拭き掃除、ほこり払いと同様、皿洗いはその本性からして非創造的で人生を浪費する仕事だ。調理や庭仕事であれば生み出せるような芸術を皿洗いから生み出すことはできない。それではどうすれば良いのか? さて、あらゆる家事の問題には三つの可能な解決方法がある。一つは私たちの生活の仕方を大幅に簡素化することだ。その次は私たちの祖先がやっていたように現世での生は本質的にみじめであると考えることで、これはぼろぼろの単純労働者となった三十代の平均的な女性にとっては全く当然のことだ。そして最後は私たちの住居のなかを合理化することに、輸送や通信でそうしたように、もっと知性をつぎ込むことである。
私たちは三つ目の選択肢を選ぶべきだと私は思う。面倒事を減らすという観点からだけ考え、機械を設計するのと同じくらい情け容赦なく住居を設計すれば、快適で必然的に労力の少ない家屋やアパートを構想することができるだろう。セントラルヒーティング、ダストシュート、まっとうな消煙装置、角のない部屋、電気式の暖房付きベッド、カーペットの排除は大きな変化をもたらすだろう。しかし皿洗いに関しては、それを洗濯屋のように共同でおこなうことの他には私には解決策が思い当たらない。毎朝、市営のトラックが家の前に停まって汚れ物の箱を積み込み、代わりに(もちろん目印としてあなたのイニシャルがつけられた)きれいな物の箱を手渡すのだ。こうしたものを組織することは戦前に運営されていた日々のおむつ配達サービスの時よりも多少難しいという程度だろう。そして現在、一部の人々が一日中、洗濯仕事をしなければならないのと同様、こうしたものでは一部の人々が一日中、皿洗いをしなければならないことを意味するにせよ、全体として節約される労働と燃料は膨大なものとなるだろう。他に選択肢があるとすれば、油染みた皿洗いスポンジと不器用にたわむれ続けるか、あるいは紙食器で食事をするぐらいだろう。
書評家の習性に対するある情報提供。
以前、私はある匿名の年鑑雑記にエッセーを書く仕事を依頼されたことがある。最後の最後(幸いなことに原稿料を受け取った後だった)になって出版社は私のエッセーを没にすることを決めた。その時にはその本はまさに製本作業の最中だった。エッセーは全ての刷り上がった本から切り取られたのだが、タイトルページに載せられた寄稿者一覧から私の名前を取り除くことは技術的な理由で不可能だった。
それ以来、私はこの本に言及している切り抜き記事をたくさん受け取った。どの場合でも「寄稿者の一人」として私の名前が挙げられていて、私の寄稿が実際には存在しないことに気づいた書評者はまだ一人もいない。
さて「全ての通りを探す」と「ひとつ残らず石をひっくり返す」という言い回しは多かれ少なかれ笑い飛ばされて姿を消したので、私たちの言語を乱雑に汚す使い古された他の無益な隠喩に対抗するキャンペーンを開始する時期が来たように私は思う。
それ無しでも私たちがうまくやっていけそうなものを三つ挙げれば「剣を交える」「鐘の音の調子を変える」「~のためにこん棒を手に取る」だ。こうしたものやそれに類した表現がどれほど生気を失っているかは、多くの場合に人々がその元の意味を思い出すことさえしない事実を見ればわかる。例えば「鐘の音の調子を変える」によって何が意味されているのだろうか? おそらくかつて教会の鐘にまつわる何かがあったのだろうが、辞書を調べること無しにははっきりとしたことはわからないし、「~のためにこん棒を手に取る」はおそらくは今ではほとんど廃れてしまった木剣での試合に由来するものだろう。このようにある表現がその元の意味から遠く離れてしまうと、その隠喩としての価値――つまり具体的な情景を提供する力――は消え去ってしまう。「XがYのためにこん棒を手に取る」と書いても何ら意味を持たなくなるのだ。「XがYを擁護した」と言うか、意味することを真にもっと鮮明にする新たな隠喩を考え出すべきである。
時にはこうした多用され過ぎた表現が実のところ綴り間違えによって元の意味から切り離されている場合もある。例えば「plain sailing(順調な航海)」(plane sailing:平面航法)がそうだ。また「toe the line(歩調を合わせる)」は最近では「tow the line(綱を引く)」と表記されることが非常に多くなっている。こんなことができる人々は明らかに自分の使っている言葉に明確な意味を付与してはいない。
ブレット・ハートは最近、人々に読まれているのだろうかと考えていた。なぜかはわからないが、ここ一時間ほど「スタニスラウスの学会」の詩の一節が私の頭の中を駆け巡っているのだ。これは混乱のうちに終わるある考古学会の会合を歌ったものだ。
さらにエンジェルズのアブネル・ディーンが異議の声をあげ、
古い赤い砂岩の塊が彼の腹を打った。
彼は弱々しい笑みを浮かべると、床の上にうずくまり、
その後どうなったかはもはや彼のあずかり知らぬこと。
ブレット・ハートの現代における評判にとっては不幸なことだろうが、最も愉快な彼の二つの詩は肌の色による偏見を扱ったものと階級的俗物根性を扱ったものだ。しかし再読の価値があるものもたくさんあって、そこには一つ、二つ真面目なものも含まれている。とりわけ「野営地のディケンズ」だ。これはディケンズの死後にブレット・ハートが書いた、今ではほとんど忘れ去られた詩で、これまで書かれた中で最高のディケンズへの賛辞である。