気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1945年2月16日 ビルマの未来、最も賢い動物、ゲシュタポの文芸批評チーム


先週、私はビルマの将来についての声明文を一部受け取った。ビルマ協会が出版したもので、この組織はこの国に住むビルマ系住民のほとんどが参加しているものだ。この組織がどれほど民意を代表したものなのか、私には定かでないが、おそらくは政治意識の高いビルマ人の大多数の願いを代弁しているのだろう。今、ここで私が明確にしようとしている理由から、発表されたばかりのこの声明文は重要な文書である。できるだけ短く要約すると次のような要求がなされている。

(a)占領中に日本人ジャップと協力していたビルマ人の恩赦。(b)ビルマが自治領状態を獲得する明確な日時についてのイギリス政府による声明。可能であれば六年未満の期限。(c)「直轄統治」の暫定措置を取らないこと。(d)ビルマの人々が自身の国の経済発展においてより大きな分け前を得られるようにすること。(e)イギリス政府がビルマに対する自身の意図を直ちに明確に表明すること。

こうした要求で驚かされるのはその穏健さだ。ナショナリズム的色合いを少しでも帯びていたり、大勢の支持者を得ようと望む政党でこれほど少ない要求で済ませられる党は無い。しかしなぜこの人たちはこれほど穏当な主張で済ませるのだろうか? 私が考えるに二つの理由が推測できる。第一に、日本による占領の経験によっておそらくは三年前よりも自治領状態が魅力的な目標に思えるようになったことだ。しかし――それよりずっと重要なのは――彼らの要求が少ないとすれば、それはおそらく提供を期待できるものがさらに少ないためなのだ。そして彼らの予測は正しいと私は推測せざるを得ない。まず間違いなく、先に並べた非常に穏当な提案のうちで実現されそうなのは最初のものだけだ。

政府はビルマの未来に関して何ら明確な声明を出していないが、日本人が追い出されれば軍事独裁の上品な呼び名である「直轄統治」が戻ってくるという根強い噂が流れている。今この瞬間、ビルマでは政治的に何が起きているのか? 私たちは全く知らない。再征服された領土がどのようなやり方で管理されるのかについては、どの新聞にも一言も書かれていない。このことの重要性を理解するにはビルマの地図を見なければならない。一年前、ビルマはまさに日本の手中にあって、連合国は、これまであまり干渉されず、伝統的に親イギリスの、極めて原始的な部族がわずかに暮らす未開の土地で戦っていた。今ではビルマの中心へと進出し、いくつかの非常に重要な町、統治の中心地を手中に収めた。数百万のビルマ人たちが再びイギリスの旗の下にあることは間違いない。しかし組織されつつある統治の形態について私たちには何も語られていないのだ。思慮あるビルマ人たち全員が最悪の事態を恐れているとして何を驚くことがあるだろうか?

可能ならばこの問題についてイギリスの一般の人々の関心を喚起させることは致命的に重要である。私たちの目はヨーロッパにばかり向けられていて、私たちは世界のもう一方の端に解放を待つさまざまな国々があることを忘れがちだ。そのほとんど全ての場合で、望まれているのは単なる征服者の変更よりもましな何かなのだ。ビルマはおそらく再征服される最初のイギリス領土となるだろうし、テストケースとなるだろう。ギリシャやベルギーよりも重要なテストだ。関係する人々が多いというだけでなく、ほぼ完全にイギリスの責任となるからだ。無関心と無知によって私たちがチャーチルやアメリーレオ・アメリー(一八七三年十一月二十二日-一九五五年九月十六日)。イギリス保守党の政治家。植民地大臣を務めた。やその仲間たちに何かビルマの人々との友情を永久に失わせるような反動的調停をおこなうことを許せば、それは恐ろしい大惨事となる。

日本人たちが去って一、二年も経てば、ビルマも受容的な雰囲気になり十数年前よりもずっと親イギリス的になるだろう。その時こそ気前の良い態度を取る瞬間である。自治領状態が最良の実現可能な解決策なのかどうかは私にはわからない。しかしビルマ人の中の政治意識の高い一団が自治領状態を望んでいるのであれば、過去へ戻ろうと見込みの無い努力をするトーリー主義者がそれを拒絶するのを見過ごすのは実にひどいことだろう。そしてそれには期日、それもあまり遠くない期日を設けなくてはならない。こうした人々がイギリス連邦の内に留まるにせよ、外れるにせよ、長期的に見て重要なのは彼らと友好関係を結ぶことだ――そしてもしこの転換の瞬間に私たちが彼らを欺かなければ、それは可能なのだ。ビルマの未来が定まる瞬間が来た時、思慮あるビルマ人たちがチャーチルの方へ目を向けることはないだろう。彼らは私たち、つまり労働運動派の方を向き、民主主義や民族自決権、人種的平等といったものについて語る私たちの言葉が真実かどうかを見定めるだろう。私たちの力で適切な調停を政府に迫れるか、私にはわからないが、少なくともギリシャの時のように議論を慎めば取り返しのつかない痛手を自身に与えることになるとは確信している。


「最も賢い動物は何だと思いますか?」と尋ねられた時、ある日本の賢人はこう答えた。「まだ人間に見つかっていないやつですな」

ちょうどある本で、イギリス沿岸で目にする種であるハイイロアザラシは一万頭しかいないという文章を目にしたところだ。推測するに、これほど少ないのは多くの他のお人好しな動物同様、殺されたためだろう。アザラシはとてもおとなしく、またどうやらかなり好奇心が強いようだ。何マイルもボートの後をついて来るし、人が海岸のあたりを歩いている時に後をついてくることさえある。彼らを殺す妥当な理由は無い。皮は毛皮製品には使えず、一定量の魚を食べることを除けば全く無害である。

彼らはほとんどの場合、無人の島で繁殖する。島々の一部を無人のままにしてはどうだろうか。そうすればこうした不幸な獣は完全な絶滅から逃れられるだろう。とはいえ私たちはかつてのように珍しい動物を執拗に殺し回っているわけではない。何年間も消え去っていた二種類の鳥、サンカノゴイとヘラサギは最近、イギリスで復活に成功した。いくつかの場所では繁殖の手助けさえされている。三十年前、この国ではサンカノゴイはくちばしの先を見せるやいなや撃たれて剥製にされていたのだ。


ゲシュタポには文芸批評のチームがあって、文体比較を使って匿名パンフレットの著者を見つけ出す仕事をしていると言われている。つねづね私は思っているのだが、もしそれがもっと好ましい目的のためのものだったら、これこそまさに私が就きたい仕事である……。

同じ指向の趣味を持つ読者に問題を出しておこう。現在、デイリー・エクスプレス紙で「ビーチコマー」のコラムを執筆しているのは誰だろうか? 最近まで「ビーチコマー」だったJ・B・モートン氏でないことは確かだ。漫画家であるオズバート・ランカスター氏であるという話を私は聞いたが、これはたんなる噂話に過ぎず、私はまだ一度もちゃんと調べたことはない。しかし五シリングを賭けてもよいが、現在の「ビーチコマー」はモートン氏とは違ってカトリック教徒ではないだろう。


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