気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1946年11月15日 政府による情報公開、戦争犯罪者の絞首刑、出典求む


そのほとんどが人間の手にはるかに余る汚れた雲が政治の地平線上にわきあがる時、繰り返し突きつけられるひとつの事実がある。現在・未来における政府の問題は、政府が自身を適切に公開できなかったことに大きく起因しているということである。

何が起きているのか、また近い将来にどうした理由で何が起きると予測されるのか、人々は十分明瞭には教えられていない。その結果、大小さまざまなあらゆる災難は驚きをもって大衆に受け止められ、政府は、どんな思想を持った政府であれ同じ状況ならばすべきことをおこなって不評を買うのだ。

最近のニュースでよく触れられているが、適切な検討が少しもされていない問題をひとつ取り上げよう。この国への外国人労働者の移民である。最近、私たちは労働組合会議T.U.C.であがる激しい抗議の叫びを目にした。労働力を最も緊急に必要としている二つの場所――炭鉱と農地――でのポーランド人の労働を許可することへの抗議だ。

これは共産主義同調者によって「仕組まれた」ものであると書き飛ばしたり、反対にポーランド人難民は全員、片眼鏡を掛けてブリーフケースを手に「ふんぞり返って歩く」ファシストであると言って正当化したりすることはできない。

問題はこうだ。もしこれがファシストとされる者ではなく、ファシズムの犠牲者と認められた者の問題だったなら、イギリスの労働組合の態度はもっと友好的だっただろうか?

例を挙げれば、家を失った数十万のユダヤ人は今、必死にパレスチナへたどり着こうとしている。その多くが最終的にはそれに成功するであろうことは疑いないが、中には失敗する者もいるだろう。例えば十万のユダヤ人難民をこの国に落ち着くよう招いてみるのはどうだろうか? あるいはあの追放された人々はどうだろうか? 百万人近い彼らは未来も行き場も失ってドイツ全土の収容所に散らばっているが、合衆国とイギリス領は既にその大部分の入国を拒絶しているのだ。なぜイギリス市民権を提供して彼らの問題を解決しないのだろうか?

平均的なイギリス人の答えがどのようなものになるかは容易に想像できる。戦争前、ナチによる迫害が最盛期にあった時でさえ、この国に大勢のユダヤ人難民を受け入れようという考えに人々の支持が集まることはなかったし、フランコから逃げ出してフランスで有刺鉄線の向こうに閉じ込められている数十万のスペイン人を受け入れようという大きな動きも全くなかった。

さらに言えば、一九四〇年の哀れなドイツ人難民の抑留に反対する抗議の声も実にわずかなものだった。当時、私が最もよく耳にした声は「何のためにこの国に来たんだ?」と「私たちの仕事が目当てなんだ」だった。

この国では外国人移民に対して人々の間に根強い反感があることは事実だ。それはたんなる外国人嫌いのため、また一部は賃金の低下への恐怖のためだが、中でも一番の理由は、イギリスは人口過多で、人口の増加は失業の増加を意味するという時代遅れの考えのためである。

実際のところは人手余りとはほど遠い状況で、私たちは深刻な労働力不足に陥っている。これは徴兵の継続によってさらに強まるだろうし、人口の高齢化によって悪化することはあっても改善することはないだろう。

一方で私たちの出生率はいまだ驚くほど低く、結婚適齢期の数十万の女性は夫を得る機会が無いままになっている。しかしこうした事実はどれだけ知られ、理解されているだろうか?

結局のところ、ヨーロッパからの移民を推奨せずにこの問題を解決できるかどうかは疑問である。試験的なやり方で政府はすでにそれに取り組んでいるが、無知な反感を買っているだけだ。一般の人々は先に挙げたような関連する事実を教えられていないからだ。時に実行しなければならない無数にある他の不人気な物事についても同じである。

しかし最も必要とされる一歩は、個別の緊急事態への備えを世論にさせることではなく、全体的な政治理解の水準を向上させることだ。とりわけこれまでは決して正しく理解されてこなかった事実、つまりイギリスの繁栄はイギリス国外の要因に大きく依存していることを深く理解させるのだ。

自身について公表して説明する仕事は、基本的に敵対的な報道機関に直面する労働党政府には簡単なことではない。とはいえ一般の人々とコミュニケーションを取る方法は他にもあるし、アトリーとその同僚たちはラジオ、この国ではごくわずかな政治家しか真剣に取り合わないこのメディアにもっとよく注意を払うことだろう。


一見するとささいで、また嫌悪を催させるものだが、しかし答えを知りたい質問がひとつある。過去数年の間にヨーロッパ全土でおこなわれた無数の戦争犯罪者の絞首刑ではどのやり方がよく使われたのだろうか――昔ながらの縛り首だろうか、それとも近代的な、比較的人道的と思われている一息に犠牲者の首を折るやり方だろうか?

百年以上前には人々はたんに引っ張り上げられて吊るされ、死ぬまでじたばたと暴れるがままにされていた。死ぬまでに十五分ほどがかかっていたそうだ。後になると落とし戸が導入され、理論的には即死させるとされていたが、いつも上手くいったわけではなかった。

しかしながら近年では縛り首へ立ち戻る傾向があるように思われる。ハリコフでのドイツ人戦争犯罪者の絞首刑のニュース映像を私は見ていないが、イギリスの報道での説明によるとどうやら古い方法が使われたようだ。バルカン諸国でのさまざまな処刑についても同様である。

ニュルンベルクでの絞首刑についての新聞の説明ははっきりしないものだった。落とし戸についての話はあるが、一方で死刑囚が死ぬまでに十分から十二分ほどがかかったという話もある。おそらくは典型的なアングロ・サクソン流の妥協の一片によって、落とし戸を使ったがそれがあまり効果的なものではなかったのだろう。

絞首刑が死刑のやり方としてこの国でいまだに受け入れられているのは良い兆候ではない。誰を殺すにしても絞首刑は野蛮で、非効率なやり方だし、少なくともそれにまつわる事実のひとつは――広く知られていることだろうと私は思うのだが――ほとんど活字にできないほど不愉快なものである。

それでも、つい最近まで私たちはこの問題にひどい居心地の悪さを感じていて、絞首刑を非公開でおこなっていた。間違いなく戦争前にはほとんど全ての文明国で公開処刑は過去のものとなっていたのだ。現在では少なくとも政治犯に関しては逆戻りしてしまったように思える。確かに私たち自身はまだ実際にそれを再開してはいないが、ニュース映像を見ることで間接的にそれに参加している。

振り返って考えてみると実に奇妙なことだが、ほんの十年ほど前には死刑の廃止は離婚制度改革やインド独立と同様にあらゆる進歩的人物が当然のように支持するもののひとつだった。今では反対に、たんに処刑を認めることに留まらず、それをもっと増やすよう抗議の叫びをあげることこそが進歩のしるしなのである。

だからこそ、今、縛り首が普通のやり方になりつつあるのかどうかを知ることには一定の重要性があるように私には思われるのだ。なぜかと言えば、もし死だけでなく特に恐ろしい拷問形態に対して喜びを感じるよう人々が教え込まれているとしたら、それは一九三三年から私たちが下っている負のスパイラルをさらに一周したことを意味するからだ。


出典求む。

どれだったか忘れてしまったのだがチェーホフの小説のひとつの登場人物が「シェイクスピアの言うように『青年時代に若々しいのは幸せなこと』だ」と発言している。私はこの一文を見つけられず、またこれはシェイクスピアのものでもないようだ。おそらく翻訳者が原文を調べずにロシア語から再翻訳したのだろう。誰か、これがどこに出てくるか教えてくれないだろうか?


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