気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1947年2月7日 家庭での修理仕事、雪、ビルマの少数民族問題、H・G・ウェルズ


最近、ピーター・ヒューノットの「一家の人間」に目を通している。一、二か月前にパイロット・プレス社から出版されたものだ。家庭での修理仕事のやり方を教える本は数多くあるが、これまで私が見た中でも最高の部類だと思う。著者はほとんど廃屋に近い家を引き取って自らの手で住めるようにすることで苦労して経験を積んでいる。そうして現実の生活で実際に問題となるような問題に焦点を合わせているので、私が持っている別の本の著者のようにベネチアン・ブラインドを修理する方法について教えながら電気器具について無視したりすることはない。昨年、私が対処しなければならなかった家庭内の災難の全てを私は調べてみたが、ネズミを除く全てを見つけられた。ネズミについてはおそらく装飾や修理の見出しの下に押し込むのが難しかったのだろう。またこの本の内容は簡潔で挿絵の出来もよく、道具や材料を手に入れるのが難しい最近の状況にもちゃんと配慮している。

しかしそれでも思うのは、こうした種類の総覧的な本には非常に広大な余地が残されているということだ。アルファベット順の見出しで一覧にされた考えられる限りの全ての家事仕事の辞書、あるいは百科事典のようなものだ。そうしたものがあれば蛇口の水漏れを止める方法や床板がきしむ原因を調べられるだろうし、ビートンイザベラ・ビートン(一八三六年三月十二日-一八六五年二月六日)。イギリスの作家、料理研究家。婦人の料理本でマデイラ・ケーキやウェルシュ・ラビットを調べた時と同じくらい確実に正しい答えを得られるはずだ。かつてプラグアンカーをポケットに詰め込み、鋲打ちハンマーを手にしたアマチュア大工が、取るに足らない変人で、友人たちから冗談の種にされ、女性たちの噂話では厄介者扱いされていた時代があった。しかしながら最近では自分で修理をおこなうか、さもなければそのままかで、私たちのほとんどはいまだ全く無力なままだ。例えば切れた窓の吊り縄を交換する方法でさえ、知る人間がどれほどいるだろうか?

ヒューノット氏が指摘するように、私たちの住居が理にかなった建てられ方をしていれば、現在、おこなわれている修理仕事の多くは不要になるか、あるいはもっと簡単になるだろう。ヒューズボックスを手の届くところに配置するというごく簡単な注意でさえずいぶん面倒を減らせるだろうし、棚の設置といった不愉快な作業などは新たな器具ややり方の劇的な変更無しでも大幅に簡略化できるはずだ。現在、建築されつつある建物では水道管が凍らない位置に配置されているという噂を私は耳にしたが、まず間違いなくこれは真実ではないだろう。何か思わぬ障害が持ち上がって、これまで通り年に一度の凍結が起きるだろうと思う。破裂した水道管はマフィンや焼き栗にも劣らぬイギリスの冬の風物詩であり、もしその時代に水道管があったならシェイクスピアが「恋の骨折り損」の終わりの歌でそれに言及したであろうことは疑いない。

歓声を上げるには早すぎるが、最新の状況では凍結現象は一九四〇年当時ほど面倒ではなくなっていると言わざるを得ない。当時、私が暮らしていた村は一週間以上にわたって完全に雪で覆われて、外に出ることも食料品店のワゴン車がやって来ることもできなくなり、しかもそれだけでなく村の蛇口とポンプの全てが固く凍りついて何日もとけた雪の他に水を手に入れられなかった。不愉快なことに降った直後を除けば雪は常に汚い。私が気づいたところでは人里から何マイルも離れたアトラス山脈の山頂でさえこれは当てはまる。とてもきれいに見える万年雪は実際のところ近寄ってみるとはっきりと薄汚れているのだ。


スタッフォード・クリップス卿がインドから戻ってきた頃のことだが、クリップスの提案はビルマに伝えられていないと言われているのを聞いたことがある。伝えればビルマ人たちはそれを受け入れるだろうからと。そんな打算がチャーチルや他の者たちの頭に本当に浮かんだのかどうかはわからない。だが実にありそうな話だ。少なくとも責任あるビルマの政治家たちはこうした提案を受け入れただろう。とはいえ当時、ビルマは日本人たちに侵略されている真っ最中だったのだが。また自治領状態という提案がされたのが一九四四年のことで、はっきりとした期日の指定があったなら、それは喜んで受け入れられただろうと私は思う。ところが実際はビルマ人の強い疑念が呼び起され、両国にとって最も実りの少ない条件で私たちはビルマを退出するだけに終わりそうなのである。

もしそうならば、人種的少数派のおかれた立場は約束よりも確かな何かで守られなければならないと私は考えたいところだ。彼らは人口の十パーセントから二十パーセントを占めていて、いくつかの異なる種類の問題を生じさせている。最大の集団であるカレン族は、その大部分がビルマ国内に暮らす、人種的に取り囲まれた飛び地である。カチン族やその他の国境線沿いに住む民族はビルマ人よりもかなり発展が遅れていて、習俗も外見も大きく異なる。彼らがビルマ人たちの統治下に入ったことは一度もない――またイギリス人たちによってさえその領地は非常におおまかにしか占領されていないのだ。過去においては彼らも十分に独立を保つことができていたが、現代兵器に直面すればそうすることは難しいだろう。別の大きな集団としてはシャン族がある。人種的にはシャム人に近く、イギリス統治下で自治の名残りに浴している。中でも最も難しい立場におかれている少数派はインド人だ。戦争前、ビルマには百万を超えるインド人がいた。日本人による侵略時にそのうちの二十万がインドへ逃れた――これこそどんな言葉よりも如実にこの国における彼らの真の立場を示す行動だろう。

二十年前、あるカレン族の人間が私に言ったことを憶えている。「イギリス人たちには二百年、ビルマに留まってほしいと望んでいます」「なぜです?」――「ビルマ人たちに支配されたくはないからですよ」。当時でさえ遅かれ早かれこれは問題になると私は強く思った。実のところ少数派の問題はナショナリズムが現実的力として存在する限り、文字通り解決不可能なのだ。ビルマの人々の一部による自治権の要求は誠実なものだろうが、それは全体としてのビルマの主権を阻害しない限り安全やり方では満足させられないものなのだ。他の百にも及ぶ場所でも同じ問題が持ち上がっている。スーダンはエジプトから独立すべきなのか? アルスターはエールアイルランドの正式な国名。エール共和国。から独立すべきなのか? エールはイギリスから独立すべきなのか? といった具合だ。AがBを抑圧していればいつであろうとBが独立すべきことは善意の人々にとって明白なことだが、そうしようとすると決まってBの独立を懸念する別の集団Cの存在が明らかになるのだ。決まって問題となるのは、どれほどの大きさの少数派であれば独立するに足るのかということだ。せいぜいお定まりのやり方でおおまかにそれぞれの場合の損得に基づいて対処するしかない。実際にはこの問題に関して首尾一貫した考えを持つ者は誰もおらず、最も同情を寄せられるのは最良の宣伝手段を持った少数派なのだ。ユダヤ人、バルト人、インドネシア人、国外追放されたドイツ人、スーダン人、インドの不可触民、南アフリカの黒人、それらを平等に擁護する者がいるだろうか? ひとつの集団への同情はほとんど常に別の集団への冷淡を引き起こすのだ。


H・G・ウェルズの「モロー博士の島」がペンギン・ライブラリーで再版された時、初期の版で記憶に残っている書き間違いや誤植がまだそのままかどうかを私は調べてみた。思った通り、それはまだ残っていた。そのひとつはとりわけ馬鹿げた誤植で、ほとんどの作家を身もだえさせるような種類のものだった。一九四一年に私はそれをH・G・ウェルズに指摘し、なぜ直さないのかと尋ねてみた。一八九六年以来、何版もの間、それはしつこく残っていたのだ。ひどく驚かされたことに、彼が言うには、その誤植のことは憶えているがそれをどうにかすることに思い煩わされたくないのだそうだ。自分の初期の作品に関して彼はもはや一切の興味を失っていたのだ。彼がそうした作品を書いたのは大昔のことで、もはや彼はそれが自身の一部であるとは感じなくなっていた。こうした態度が褒めらたものかどうか私には全く判断がつかない。文学的虚栄心からこれほど自由でいられるのは見事だ。しかしまた、いくらかでも自己批判や自分の評判を気にする能力を持っていたなら、ウェルズのような才能を持ちながら五十年で九十五冊の作品を吐き出し、その実に三分の二がもはや読むに堪えないものとなる作家がいるだろうか?


©2023 H. Tsubota. クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-非営利-継承 4.0 国際