気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1947年2月14日 スコットランド・ナショナリズム、ウィスキー酒造家からの手紙、おどけた墓碑銘


あるスコットランド・ナショナリストからの手紙の抜粋を紹介しよう。差出人の素性を明らかにしそうなものは全て削除してある。繰り返しポーランドへの言及があるのはこの手紙の主題がスコットランドにいる亡命ポーランド人の存在だからである。

ポーランド軍はようやく「イングランド人の言葉は契約と同じ」という慣用句がどれほど真実から遠いものかに気づいたのです。私たちが何百年も前からそう言ってきた通りです。ポーランド侵攻は口実に過ぎません。それによって山高帽を被ったあの盗賊どもはアメリカ人やポーランド人、スコットランド人、フランス人などなどの助けを借りて、競争相手であるドイツ人や日本人ジャップを叩きのめそうとしたのです。もはやイングランド人の約束を信じるポーランド人が一人もいないことは間違いありません。戦争が終わった今では見捨てられ、スコットランドに打ち捨てられようとしています。これによってポーランド人とスコットランド人の間で摩擦が起きれば、それもまた結構なことでしょう。互いの喉を切り裂くように仕向ければそれで二つの問題が「解決」されます。拝啓、親切なるちっぽけなイングランド! 心に抱いていたであろう自由の擁護者たるイングランドという考えを全てのポーランド人が捨て去る時が来たのです。例えばスコットランドに残るその歴史を見るがいいでしょう。そしてどうか私たちを「ブリトン人」と呼ばないで欲しい。そんな民族は存在しません。私たちはスコットランド人で、それで私たちにとっては十分なのです。イングランド人Englishは自分たちの名前をイギリス人Britishへと変えましたが、犯罪者が自分の名前を変えようとも指紋を見ればその正体は知れます……〇〇〇紙に掲載された反ポーランド的な声明はどうか無視してください。あれは媚びを売る親イングランドの(あなたは親モスクワと呼ぶでしょうが)クズ新聞です。スコットランドは一七〇七年一七〇七年にイングランド王国とスコットランド王国が合併して連合王国「グレートブリテン王国」が建国された。にスコットランドにとってのヤルタ会談一九四五年二月にヤルタで開催されたイギリス、アメリカ、ソビエトの首脳会談。戦後ポーランドをどのように処理するかが激しく議論された。を経験しました。イングランドの大砲には成し得なかったことをイングランドの黄金が達成したのです。しかし私たちは決して敗北を受け入れません。二百年以上が経った後も、私たちはいまだに自分の国のために戦い続けていますし、勝算がどうであろうと決して敗北を認めることはないでしょう。

手紙はさらに続くが、これで十分だろう。差出人がいわゆる「左派的」立場からではなく、スコットランドとイングランドは国家として敵対しているという立場からイングランドを非難していることに気づいたかと思う。この手紙の内容に人種理論を読み取ることが公平かは私にはわからないが、この差出人が私たちを憎む激しさは、熱心なナチがユダヤ人を憎む激しさと変わらないことは確かだ。資本家階級やそれに類したものへの憎悪ではなく、イングランドへの憎悪なのである。あまり気づかれていないが、これに類したものはかなりの量が出回っている。ほとんど同じくらい過激な声明文が印刷物として掲載されているのを私は目にしたことがある。

最近ではスコットランド・ナショナリスト運動はイングランドでは消え去ってほとんど気づかれることもなくなっているようだ。手近な例を挙げようにも、書評でときおり目にする以外ではトリビューン紙でそれが言及されているところを見た記憶がない。小規模な運動であることは確かだが拡大する可能性はある。その土壌があるからだ。この国ではあまり理解されているようには思えないが――私自身、数年前までは何の考えも無かった――スコットランドはイングランドに対して係争を申し立てているのだ。経済的観点からはあまり強い係争申し立てではないだろう。過去においては確かに私たちは恥知らずにもスコットランドを不法占拠したが、現在、イングランド全体がスコットランド全体を搾取しているというのが真実かどうか、完全な自治を得た場合にスコットランドがより良い状況になるかはまた別の問題である。重要なのは、大抵は全く穏当な見解を持っているスコットランドの人々の多くが自治権について考え始め、自分たちは不利な立場へ押しやられていると感じていることなのだ。そうなる理由はおおいにある。いずれにせよ、一部の地域においてスコットランドはほとんど被占領国と変わらない。イングランド人やアングロ化された上流階級、そして明らかに異なるアクセントで話し、さらには異なる言語で話すことさえあるスコットランドの労働階級がいるのである。これは現在のイングランドに存在するどの階級分断よりも危険な階級分断なのだ。適切な環境を与えればそれは実に醜く発展をとげるだろうし、ロンドンに進歩主義的な労働党政府がいるという事実もたいして効果がないだろう。

スコットランドの抱える大きな病理がイングランドのそれと共に癒されなければならないことは疑いない。しかし一方で文化的状況に対処するためにできることがある。ささやかだが無視できない点のひとつは言語だ。ゲール語地域では学校でゲール語が教えられていない。限られた経験からしか語れないが、これこそが不満の発端であると私は言わざるを得ない。またBBCはゲール語の三十分番組を週に二、三度、放送するだけで、それらも実に素人臭い番組である印象を受ける。それでさえ彼らは熱心に耳を傾けるのだ。少なくとも一日に一度はゲール語の番組を流せば、実に簡単にささやかな好意を買うことができるだろう。

かつてであれば私は、ゲール語のような、数十万の人々にしか話されていない古代の言語を延命させるのは馬鹿げていると言ったかもしれない。しかし今では確信が無い。まず第一に、人々が、自分たちは保存されるべき特別な文化を持っていて言語はその一部であると感じているのであれば、自分たちの子供に適切なやり方でそれを学ばせようとする彼らの邪魔をすべきではない。第二に、バイリンガルになろうという努力はおそらくそれ自体、価値ある教育である。スコットランド・ゲール語を話す小作農が美しい英語を話すのは、私が思うに一部は、英語が時に何日間も使われない外国語のようなものだからだろう。辞書や文法規則について知っておく必要があることで、おそらく彼らは知的な恩恵を受けている。一方で同等の立場のイングランド人の多くはそうした恩恵を受けてはいない。

いずれにせよ、私たちは自身の島のうちに存在する小さくとも過激な分離主義運動についてもっと注意を払うべきだと私は思う。今のところ彼らは全く取るに足らないものに見えるだろうが、しかし、実のところ「共産党宣言」はかつて全く無名な文書だったし、ヒトラーが加わった時にはナチ党は党員が六人しかいなかったのだ。


話題を少し変えるために別の手紙からの抜粋を紹介しよう。あるウィスキー酒造家からのものだ。

まことに残念ながら私どもはあなたの小切手を返却せざるを得ません。スコットランドで蒸留用の大麦を放出するというストレイチージョン・ストレイチー(一九〇一年十月二十一日-一九六三年七月十五日)。イギリス労働党の政治家、作家。氏の約束が反故にされたためです……飲料の入手に困った時には、ストレイチー氏が三万五千トンの大麦を醸造目的で中立国であるアイルランドに送ったことを知ればいくらかあなたの慰めになるでしょう。

こうした内容をビジネスレター、それも回覧状のようなものに書くとは、かなり頭に血が上っているに違いない。こうしたことは大きな問題にはなっていない。ウィスキー酒造家やさらにはその顧客を足し合わせてもたいした投票数にはならないからだ。しかし、先日、青果物店の行列で私が耳にした発言――「政府だと! やつらはソーセージ屋さえ管理できない。全くできていないんだ!」――をした者も同じくらい数が少ないと確信できればいいのだが。


スケルトンジョン・スケルトン(一四六三年-一五二九年六月二十一日)。イギリスの詩人。はその作品を手に入れやすい詩人ではなく、これまで私は彼の作品の全集を手にしたことは一度もない。最近、手持ちの選集からある詩を探したのだが見つけられなかった。何年か前に読んだ記憶のあるものだ。いわゆる混交体詩――一部は英語、一部はラテン語――と呼ばれるもので、誰だかの詩を歌った哀歌だった。思い出せる節は次のものだけだ。

彼は草の中に埋もれ
神よ、彼の悪行を許したまえ
ヘイホーと咆哮するは
ルンバを踊る人々
何世紀にもわたって
永久に

これが私の頭に残ったのはそこで表現される物の見方が現代では全く不可能なものだったからだ。今日では文字通り誰一人として死をこんな快活なやり方で描くことはできない。個人の不滅という信仰が廃れて以来、死は決して愉快なものとは思えないし、再びそうなるまでには長い年月がかかるだろう。同じ理由でおどけた墓碑銘も消え去ってしまった。かつては田舎の教会墓地によくあったものだ。一八五〇年以降の日付の滑稽な墓碑銘を見たら私は驚かずにはいられないだろう。キューロンドン南西部の地域にそうしたものがひとつあって、私の記憶が正しければそれくらいの時期のものだったはずだ。墓石の半分ほどが、遺された夫による亡き妻への長い讃辞で埋め尽くされていて、墓石の下の方に後から彫られた碑文があり、それは「そして今や彼も亡くなった」と読み取れた。

英語で書かれた最高の墓碑銘のひとつがランダーによる「ディルケー」の墓碑銘だ。「ディルケー」は仮の名で私はその人物が誰なのかを知らない。正確には愉快なものではないが、本質的には不敬虔なものと言っていい。もし私が女性だったらこれはお気に入りの墓碑銘――つまり私自身のために使いたいと思う墓碑銘になったことだろう。

近くに立て、汝らステュクスギリシャ神話で冥界を流れているとされる川、あるいは女神の一団よ
ディルケーギリシャ神話に登場する女性の名前をひとつの舟に乗せて運ぶのだ
さもなくばそれを見るカロン冥界の川ステュクスの渡し守。死者を乗せて川を渡るとされている。は忘れるやも知れぬ
自らが老いていて、彼女が亡霊であることを

自分についてこんな風に書かれるのであれば死ぬのも悪くないのではないだろうか。


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