原子爆弾は実に恐ろしいが、異なる種類の恐怖でそれを中和させたいと思う者に私が勧めたいのが一九四五年に出版されたマーク・エイブラムス氏による書籍「イギリスの人口」である。これと合わせて読むことができるのが、同時期に出版されたマス・オブザベーション(一九三七年にイギリスで設立された民間の社会調査機関)による世論調査「イギリスとその出生率」やその他の同じテーマを扱った最近の書籍だ。それら全てが多かれ少なかれ同じ物語を描き出していて、一九七〇年に生きているであろう誰にとってもそれは実に不愉快な意味合いを持っている。
エイブラムス氏の統計が示すように、今のところ、労働単位という点から考えれば私たちの年齢別人口構成は好ましいものだ。一九一四年から一九一八年の戦争の直前・直後における比較的高い出生率の恩恵を私たちはいまだ受けていて、そのため人口の優に半分以上が労働年齢にある。しかし問題は現時点でのこの数字を維持できないことなのだ。労働人口は絶えず老いてゆき、十分なだけの子供は生まれていない。一八八一年、私たちの総人口が現在の三分の二しかなかった時には(四歳以下の)赤ん坊の数は実に五十万人ほども多く、一方で(六十五歳以上の)老人の数は三百万人以上少なかった。一八八一年には人口の三分の一以上が十四歳以下だったが、今日ではその数字は四分の一以下である。もし一八八一年に老齢年金があったなら、その受給資格を持つのは人口の五パーセント以下だが、今日では十パーセント以上が受給資格を持つ。この事実の重要性を完全に理解するためにはさらにもう少し話を進めなければならない。
エイブラムス氏の計算によると一九七〇年には五十五歳以上の人々の数はおそらく千四百万となる――現在よりもおそらくは少なくなっている人口でこれなのだ。つまりおおよそ三人に一人がほぼ退職している。あるいは別の言い方をすれば、二人の健康な人々ごとに一人の老いた者を養うことになるのである! エイブラムス氏がこの本を執筆した戦争末期には出生率は上昇していたし、私が思うに一九四六年にも再び上昇していたはずだが、とはいえ人口置換水準には遠く及ばない。いずれにせよ、この出生の急上昇が起きたのはたんに戦争のせいで人々がより若い時期に結婚するようになったからだろう。下降傾向は半世紀以上に渡って続いていて、それによる影響の中には逃れられないものもあるにせよ、現在のように平均的家庭が四人の子供を持つとまでは言わなくとも二人より少し多い子供を持つ点まで出生率がたどり着いてそこで止まれば最悪の事態は避けられるだろう。しかしこれが次の十年間で起きなければならない。さもなければこの状況を回復させる出産可能な女性の数が足りなくなってしまうのだ。
つい最近になるまで出生率の低下がたいした動揺を引き起こさなかったことは興味深い。マス・オブザベーションの報告書にあるように、今でさえほとんどの人々は人口が少なくなるだけだと考えていて、それが同時に人口の高齢化を意味することに気づいていない。三十年前、さらには十年前、十五年前でさえ、小家族を推奨することは啓蒙の証だった。標語は「過剰人口」と「不適者の繁殖」だった。今でさえ大家族に反対する強い社会的圧力が存在するし、粗雑な経済学的考察については言うまでもない。このテーマについて書く者全員が同意しているように見えるのは、人口減少の原因は複雑なもので、家族手当や保育所などだけではこの傾向を反転することはできないということだ。しかし明らかに何か財政的な刺激が必要ではある。なぜなら産業化され、なおかつ社会的競争が存在する社会では大家族は耐えがたい経済的重荷だからだ。せいぜい自分の子供が自分よりも貧弱な機会から人生の出発をしなければならないことを確実にするという意味しかないのだ。
過去二十五年以上の間、どれほど多くの人々が直接的な経済的動機で家族を少人数に保たなければならなかったのだろうか! 個人ではなく共同体について考えると、なんとも奇妙な倹約である。次の二十五年間で今日の両親世代は退職するだろうが、子供がいなければ彼らを養う者はいないのだ。三人に一人が受給する時に老齢年金を週一ポンドの水準に保てるのか、私は疑問に思う。
ごく普通の市民が、自身がその下で暮らす法律の実際的知識を手に入れられるような、短くて簡潔な教科書が存在しないものだろうか――実のところそうした物が間違いなく存在すると私は確信しているのだが――と私は考えている。最近、このコラムで陪審員の選別ついて定めた規則に触れる機会があった(「気の向くままに」一九四六年十二月二十七日を参照)。労働階級を排除する傾向のある制度で陪審員が選ばれていることを知らなかったのが私の無知だったことは間違いないだろう。しかし明らかに他の大勢の人々もそれを知らないし、そのことを知れば衝撃を受けるだろう。こうしたことはときおり起きる。何かのきっかけで――例えば殺人事件の報道記事を読んでいて――ある問題について法律がどのような方針を取っているのかに気がつくのだが、実に多くの場合、それは馬鹿げていたり不公平だったりして白黒の先入観が無い者には信じがたいほどなのだ。
例を挙げよう。私はちょうど、マンチェスターで起きた殺人事件でデヴィッド・ウェアによってなされた自白を扱った政府白書を読んだところだ。ウォルター・ローランドは殺人の罪で有罪判決を受けて絞首刑を宣告されているわけだが、その後になってウェアが自白し、ローランドの弁護士は抗告の場でそれを証拠として使おうと試みた。白書を読み終わった私はこの自白が偽造されたもので無視すべきであることを少しも疑わなかったが、それは重要な点ではない。抗告の手続きにおいては裁判官はこうした種類の証拠に耳を傾ける権限を持っていないことがわかったのである。正しかろうが間違っていようが、この自白は証拠として認められないのだ。無実の者が有罪判決を受け、本当の犯人が間違いのない確かな自白をしたとしても、内務大臣が介入しない限り、無実の者は絞首刑になり得るのだ。法律がこうした方針を取っていることをあなたは知っていただろうか? 私は全く知らなかったし、この出来事が示すのはどんな問題についてであれ、法律がどのようになっているかを常識を出発点として推察しようとするのは実に早計であるということだ。
もうひとつ別の例を挙げよう。ただしこちらの場合には私の無知も言い訳とはなりにくいだろう。ある最近の有名事件で、被告人は無罪となったのだが、ある日曜新聞によって非常に高額な弁護士費用が支払われていたことがわかったのである。告白しなければならないが、私はこの時まで刑事告発で無罪となっても自分の費用は支払わなければならないことを知らなかった。漠然と、国が間違っていたとわかった時には民事訴訟で敗訴した原告のように国が支払うのだろうと想像していたのだ。しかしどうやら、本当に貧しければ国が弁護士をつけてくれるが、その支払いが自分持ちにならないよう十分注意する必要があるようなのだ。この事件の場合にはそれが始まった時に日曜新聞によって手配された筆頭弁護士は約五百ポンドを受け取っていたが、もし国によって手配されていたら二十ポンド以下しか受け取れなかっただろう。これを、さして勝つのが難しいとも言えないよくある強盗事件や横領事件に当てはめて、貧しい人物ができるだけ良い弁護をしてもらえる可能性がどれほどあるか考えてみてほしい。
週刊新聞の発行停止(一九四七年二月にイギリス政府は燃料不足とそれによる電力危機を理由として週刊新聞・週刊誌の発行を二週間差し止めた。「気の向くままに」が連載されていたトリビューン紙も発行停止となり、この期間の「気の向くままに」は日刊紙であるマンチェスター・イブニング・ニュース紙(二月二十一日、二月二十八日)とデイリーヘラルド紙(二月二十七日)に掲載された。)にどれほどの非難の声が上がったことか! スモールホルダー誌さえ抗議し、プラクティカル・エンジニアリング誌には実に痛烈な社説が掲載された。私の記憶が正しければザ・ユニバース紙は、これは強制的な報道検閲の前触れであると言っていた。そして一般にも、この差し止めには何らかの政治的動機――推察するに政府の失敗に対する論評を妨げようという動機――があるのではないかという考えがじわりと広がっているように思える。
ある著名な作家は私に、週刊新聞の発禁は全体主義国家での報道「調整」と全く同じ種類のものだと語った。これは疑いが愚かしさへと変わった瞬間であるように私には思われる。批判を封殺しようという考えは明らかに存在しない。なにしろ日刊紙はそのままなのだ。例えばビーヴァーブルック・プレス社はどの週刊新聞よりも政府に敵対的な立場を取っていて、その上、発行部数はずっと多い。シンウェル(エマニュエル・シンウェル(一八八四年十月十八日-一九八六年五月八日)。イギリス労働党の政治家。燃料動力大臣として炭鉱国有化を主導した。一九四七年にイギリスは異例の厳冬と深刻な石炭不足に襲われたためシンウェルは強く批判された。)はどれほどの無知な罵りから身をかわせただろうか。この危機の間に一度でも公の場に姿を現して自分が何をやっているかを説明さえしていれば!