明日の田園都市, エベネザー・ハワード

「町・いなか」磁石


「わたしは精神の戦いをやめない
剣を手の中でねむらせることもない
イギリスの快適な緑の大地に
エルサレムを築くまで」
――ブレイク

「われわれの持つ家屋での、衛生的かつ矯正的な行動を通じ、さらにはもっと強力に、美しく、限られた形でまとまって、その流れや城壁で囲まれた範囲との比例を保たせるような建設をすることで、はびこるどうしようもない郊外はもうどこにもなくなり、市内では清潔で通行量の多い通りができ、その外には開けた田園が広がり、城壁のまわりを美しい庭園や果樹園のベルトがとりまく。これで都市内のどこからでも、完全に新鮮な空気や草原や遠く地平線の光景の見える場所まで、ほんの数分歩くだけで到達できるようになる」――ジョン・ラスキン『ゴマと百合』

読者のみなさんには、24km2(6,000エーカー)を擁する広大な敷地を考えていただきたい。そこは現在は完全な農地で、公開市場では1エーカーあたり40ポンド、つまり総額24万ポンドで購入したものだ[原注02]。購入資金は、担保付き債券の発行で調達されていて、その平均金利は4%を超えないものとなる。敷地の法的な所有者は、責任ある社会的地位を持ち、高潔さと名誉では非のうちどころのない紳士4名だ。この4名は敷地を、担保付き債券の担保として信託財産として持ち、さらにはそれを田園都市の人々のために信託財産として持つ[原注03]。この田園都市というのは、その後そこに建設される予定の「町・いなか」磁石だ。この計画の重要な特徴の一つは、すべての地代(これは土地の時価に基づく)は信託管理人に支払われ、かれらはそこから(債券の)金利と元本返済用積立金を支払って、残金をその新しい自治体の中央評議会にわたす[原注04]。その金を使って委員会は、必要とされる公共施設すべての建設と維持管理を行う――道路、学校、公園その他だ。

原注02:これは1898年に農地に支払われていた平均価格である。そしてこの推定値で、充分以上の土地が買えることはあっても、土地購入費がこれを大幅に上回ることはまずあり得ない。

原注03:本書で説明した資金調達方法は、形態としては別の形をとることもあるだろうが、基本的な原理の点では変わらないはずだ。そして確実なスキームが合意されるまでは、本書の原題である『明日(To-morrow)』に記載したとおりの形で繰り返しておくほうがいいと思う。この本をきっかけにして、田園都市協会が設立されたのだった。

原注04:ここでの「自治体」ということばは、法的に厳密な意味で使っているわけではない。

この用地買収の目的は、いろいろな言い方ができるけれど、ここでは以下のようなものが主目的だと言えば充分だろう:工業労働者たちのために、もっと購買力の高い賃金をもらえる仕事を見つけてやり、もっと健康な環境と、もっと安定した雇用を見つけてあげることだ。各種の事業精神に富んだ製造業者や共同組合、建築家、エンジニア、建築業者、機械工など、さまざまな職業に従事している人々に対して、これは自分の資本や能力に対して新しく、もっとよい仕事が確保できるようにする。そしてその一方ではいまその敷地にいる農業者や、この先ここに移ってこようとする農業者に対しては、自分の家の近くで産物に対する新しい市場が開けるように考えられている。この用地買収の目的は、一言でいえば、どんな水準の者であってもあらゆる真の労働者たちの、健康と快適さの水準を向上させることだ――そしてこの目標を実現するための手段は、町の生活といなか生活の健全かつ自然で経済的な組み合わせとなることで達成され、これがその自治体の所有する土地の上で実現されるのだ。

田園都市は、この24km2の中心ちかくに建設され、4km2、つまり全体24km2の1/6を占める。円形にしてもいいだろう。するとその中心から外周部までは1,130m(1,240ヤード)となる。図2は、自治体全体の敷地計画だ。中心に町がある。図3は町の一部、または区を描いたものだ。これを見ると、町そのものの説明を追うのに便利だ――ただしこの説明は単に、こんなものだろうという程度のもので、実際にはこれとはかなりちがってくるはずだ。

田園都市と郊外ベルト

すばらしい大通りが6本――それぞれ幅員40m――が町の中心から外周部まで走り、町を6つの均等な部分に分けている。その中心には、2.2haほどの丸い空間がとられ、美しくたっぷり水をやった庭園となっている。そしてこの庭園をとりまいて、それぞれゆったりと独立した敷地に、大きめの公共建築――市役所、主要コンサート講堂、劇場、図書館、博物館、画廊に病院――が建っている。

「水晶宮」に囲まれた広大な空間は、公園になる。58haで、あらゆる人々がすぐにアクセスできるところに、たっぷりとしたリクリエーション用の場所を含んでいる。

中央公園のまわりをぐるりと(大通りと交差するところをのぞいて)取り巻いているのは、幅の広いガラスのアーケードで、これが「水晶宮」であり、公園のほうに開かれている。この建物は、雨が降ったときに人々のお気に入りの場所となるし、この明るい屋根が手近にあるということで、どんなに天候が怪しげなときにでも、みんな中央公園にくるようになる。この水晶宮では、製造業からの製品が展示販売されて、あれこれ迷って選ぶ楽しみを必要とするような種類のショッピングは、ほとんどがここで行われる。水晶宮の中の空間は、こういう目的に必要な面積よりもずっと大きく、そのかなりの部分はウィンター・ガーデン(温室)として使われる――その全体が、きわめて魅力的な常設展示を形成し、しかも円形なので、町の住人すべての近くにこれが位置することになる――いちばん遠い住民でも、600m以内にいることになる。

田園都市の区と中心部

外周部にむかって水晶宮を過ぎると、五番街を横切る――この通りは、町のすべての通りと同じように、街路樹が植わっている――これに沿って、水晶宮と対面する形で、実にみごとに立てられた家屋がリング状に建っている。そのそれぞれが、独立した広い敷地に建っている。さらに歩を進めると、家は同心円上になって、いくつかの街(環状の道路を街と呼ぶ)に面しているか、あるいは町の中央を中心とする大通りや通りに面して建っていることがわかる。この散歩に同行してくれている友人に、この小さな町の人口をきいてみよう。町の中だけだと3万人、そして農業地に2千人住んでいて、そして町には建物が5,500棟あって平均の敷地面積が20フィート✕130フィート(7m✕43mほど)――住宅用の最低敷地面積は20フィート✕100フィート(7m✕33mほど)だ、と教えてくれる。家または家屋群が建築的にもデザイン的にもきわめて多様性に富んでいる――一部は共用の庭、一部は共同の台所をもっている――のを見て、壁面線を街路境界にきちんとそろえるか、あるいは足並みをそろえてセットバックすることが家を建てるときに重要視されるのだと教えられる。これについては自治体の政府が力を持っている。そして衛生上の配慮はきびしく適用されるものの、それ以外では個人の趣味や嗜好が最大限に奨励されるのだ、と教わる。

さらに町の外周部にむかって歩くと、グランドアベニューに出る。この通りは、その名に完全にふさわしいだけのものとなっている。幅員は140mで(ちなみにロンドンのポートランド・プレイスは幅員たったの33mである)、全長約5kmのグリーンベルトを形成し、町の中央公園の外側部分を二分する。これは実は、50haの公園がもう一個あるのと同じだ――どんな遠くの住人からも240m以内にある公園だ。このすばらしい街路の中には、それぞれ2haの敷地が6つ置かれ、そこに公立学校とそれを取り巻く遊び場や庭園が置かれる。その他の敷地は教会用地で、どの宗教の教会かはそこの住民の信仰によるし、教会の建設費と維持費は、信者やその友人たちの資金がまかなう。見ると、グランドアベニューに面した家屋は(少なくとも一つの区では――それが図3に描かれた区だ)――一般的な同心円配置から逸脱している。グランドアベニューへ面した壁面長を確保するために、家屋が三日月状に配置されている――これで見た目には、すでに壮大なグランドアベニューの幅員をさらに拡大する結果となっている。

町の外周リングには、工場や倉庫、乳製品店、市場、石炭置き場、材木置き場などがあって、これがすべて、町全体の最外周を囲む環状鉄道に面している。環状鉄道は支線を通じて、全敷地を通過する鉄道本線と結ばれている。この配置によって、物資が倉庫や工房から貨物車に直接積み込めて、鉄道で遠くの市場に送り出せるし、あるいは貨物車から直接、倉庫や工房に運び込める。これで梱包や輸送に関わる手間を大きく省くことができて、輸送中の破損からくるロスを最小化できるだけでなく、町中の道路の交通量を減らすことで、道路の維持管理費を目に見えて大いに減らすことができる。煙害は、田園都市では楽々と一定範囲内におさえられている。なぜなら機械類はすべて電気で動いているからで、このおかげで照明その他用の電気料金は、大幅に下げられている。

町の廃棄物は敷地の中の農業部分で活用される。農業地は様々な個人によって、大農場、小農場、小農地、放牧場などとして保有されている。こうしたいろいろな手法の農業が自然に競合する。そしてそれは、市に対して納める地代をだれが最大化するかということで優劣が決まってくるため、農業のいちばんいいシステムを引き出すことになりやすい。というより、可能性としては、様々な目的に応じて決まってくるいちばんいいシステム群が実現される、というほうがありそうだ。つまりすぐに想像がつくように、小麦はとても大きな畑で作った方が有利なので、資本主義的な農民たちが連合して生産活動をするか、あるいは共同組合のような運営体が栽培することになるだろう。一方、野菜や果樹、花卉は、もっと細やかで個別のケアが必要で、芸術的かつ創造的な才能が必要となるから、これは個人が行うか、あるいは特定の肥料や栽培方法、または人工・自然の環境の有効性について信念を同じくした個人の小集団が行うのがいちばんいいかもしれない。

この計画、というかもし読者がお望みであれば、この計画の不在と言ってもいいのだが、これは停滞や無駄の危険を回避しており、個人の主体性を推奨して最大限の協力を許す一方で、この形態のおかげで増えた地代収入は公共、つまりは市のものとなり、その相当部分は永続的な改良に費やされることとなる。

市域の人々は、さまざまな業種や天職や職業に従事しているわけで、各区にある店舗や売り場は農業従事者たちにとって、いちばん自然な市場を提供する。そして町の人が農家の産物を需要する限り、それは鉄道輸送費をまったくかけないですむ。でも農民その他は、別に町だけが唯一の市場として限定されているわけではない。自分の好きなところに産物を卸す全権を持っている。ここでも、この実験のあらゆる面と同じく、権利の範囲はせばまることなく、選択の幅は拡大しているのだ。

この自由の原則は、町の中に拠点をかまえた製造業者などにも適用される。みんな、自分なりのやりかたで物事を管理運営する。もちろん、土地の一般法にはしたがうことになるし、労働者には十分な空間を与えて、適切な衛生状態を保つことは義務づけられる。水道、照明、電話通信などの分野についてさえ――もし効率的かつ正直であるなら、これを提供するいちばんいい自然な主体は自治体になるだろう――厳格で絶対的な独占が押しつけられることはない。もしどこかの民間企業は個人集団が、町全体についてであれその一部についてであれ、供給を任されればもっといい条件でこれらを提供できることを示したなら、それは認められる。どんなしっかりした行動の体系よりも、人工的な支持が必要なのはしっかりした考え方の体系だ。自治体や企業による行動・活動の範囲は、おそらくは大きく拡大するよう運命づけられているはずだ。でももしそうであるなら、それは人々がそういう行動について信頼を抱いているからであって、そしてその信頼は、自由の領域が広く拡大されることによって、いちばんよく示される。

この24km2 の圏域の中には、さまざまな慈善施設やフィランソロフィー施設が点在している。これらは自治体がコントロールするものではなく、開かれた健康的な地区にこうした施設をつくるよう自治体が招いた、公共心に富む人々によって支持管理されている。土地はかれらに、名目上の賃料だけで貸し付けられている。こうした施設の購買力は、コミュニティ全体に大きく寄与するから、そういう太っ腹なところを見せても充分にもとがとれるということが、行政当局にもわかるからだ。それに、この町に移住してくる人々は、国民の中でもいちばん活力と才覚に富んだ者たちとなる。だから、かれらよりもっとめぐまれない同胞たちが、もっと広く全人類のためにデザインされた実験のメリットを享受できるようになるというのは、まったくもって公正かつ正しいことなのである。


©2000 山形浩生. この版権表示を残す限りにおいてこの翻訳は商業利用を含む複製、再配布が自由に認められる。プロジェクト杉田玄白 (http://www.genpaku.org/) 正式参加作品。