「わたしの目的は、科学知識に導かれ、独自の自由意志の行使によって実に整い、維持管理されたコミュニティの理論的な概略を提出することだ。それによりこのコミュニティは、高い衛生状態が本当に実現はされないまでもそれに近づくことができ、一般の道徳心が最低水準であっても、それと個人の最大限の長寿が共存できるようになるのだ。」――B・W・リチャードソン博士『ハイジーア:あるいは健康の都市』(1876)
「いたるところの排水設備が、その二重の機能をもって、それが運び去るものを再生させることが実現されるようになれば、これが新しい社会経済データと組合わさって、大地の産物は10倍増にもなり、そして貧困による悲惨の問題はすばらしく減るだろう。そこに寄生虫症の抑制を加えれば、それも実現されることだろう。」――ビクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』(1862)
田園都市と他の自治体との本質的なちがいの中でも、いちばん大きなちがいの一つは、その歳入の獲得方法である。田園都市の歳入のすべては、地代からくる。そして本書の目的の一つは、この圏域内のさまざまなテナントから期待される、きわめて低額な地代収入であっても、田園都市の金庫に入れば、以下のような目的のために十分であることを示すことにある。その目的とは:
町といなかとのちがいで、いちばん目につくものは土地の利用に課される地代の差だろう。つまりロンドンの一部では地代がエーカーあたり3万ポンドになるのに、農用地ではエーカー4ポンドでもきわめて高い地代だ。この賃貸料のすさまじい差はもちろん、前者には存在して後者には存在しない、大量の人口によってほとんど生じている。そしてこの差額はある特定の個人の行動に帰せられるようなものではないから、しばしば「不労増分」というふうに言及される。だがもっと正しい表現としては、「集合的に稼いだ増分」ということになるだろう。
多数の人口が存在することで土地に追加の価値がたくさん与えられるなら、どこかの地域に十分なだけの人口が移住すれば、その移住先の地価は、それに対応しただけの増加がともなうのは確実だ。そして多少の先見性と事前の調整があれば、その価値の増分は、移住してきた人々の所有物にできるだろう。
そうした先見性と事前調整は、これまで有効な形で実行されたことはないが、田園都市の場合には周到に適用される。ここでは土地は(すでに見たように)信託財産管理人に帰属し、かれらがそれを(債券の償還が終わったら)全コミュニティにかわって信託財産として持つ。だからだんだん作られる価値の増分は、自治体の財産となる。結果として、地代はあがるかもしれないし、そのあがりかたもかなりのものかもしれないけれど、その上昇分はだれか個人の所有物にはならずに、地代を下げるのにあてられる。この取り決めが、田園都市にその磁力を与えるのだ、ということをこの先見ていく。
田園都市の敷地は、購入時点ではエーカーあたり40ポンドと想定した。つまり総額24万ポンドだ。この購入金額は、30年の分割払いに相当すると考えよう。これをもとに、もとの借り手が支払っていた年間地代は8,000ポンドになる。したがって、購入時点でこの敷地に住民が1,000人いたら、男も女も子どもも、一人あたり年間8ポンドをこの地代に対して貢献していることになる。しかし田園都市の人口は、農業地も含めると、完成すれば32,000人になる。そして敷地全体は、利息を含めて年間9,600ポンドの費用がかかることになる[訳注]。したがって、この実験がはじまる前は1,000人がその稼ぎの合計の中から8,000ポンドまたは一人8ポンドも支払っていたのが、町が完成すれば32,000人がその稼ぎの合計から9,600ポンド貢献すればいい。つまり一人頭で平均年間6シリング(0.3ポンド)。
訳注:元本が30年払いで年額8,000ポンド、利息は元金総額24万ポンドに対して年利4%なので、24,000✕0.04=1,600ポンド、合計して9,600ポンド、という計算だ。あと貨幣単位についてだけれど、1シリングは1/20ポンド。だから6シリングは0.3ポンド。当のイギリスでも面倒くさくてもう使わなくなった単位だし、本書の本質とはなにも関係ないし混乱のもとなので、今後は全部ポンドに換算して統一する。
厳密にいえば、田園都市の住民が支払わされる地代は、この年間0.3ポンドですべてのはずだ。というのも、この田園都市が実際に外に対して支払う地代がそれだけだからだ。だからそれ以上何か支払ったら、それは地方税的なものへの支払いとなる。
仮にここで、各人が地代の0.3ポンドを支払うだけでなく、追加で年間1.7ポンド、つまり総額で年間2ポンドを支払うとしよう。この場合、二つのことがわかる。まず、各人が地代+地方税として支払うものは、この敷地の購入前の住人が地代だけで支払っていたものの1/4でしかない。さらに、この自治体運営委員会は、担保債券の利息を払ったあとで年に54,400ポンドが手元に残る。すぐに示すが、元金返済用積立金(4,400ポンド)を引いても、ふつうは地方税でまかなわれているコストや費用、支出すべてをまかなえる。
イングランドとウェールズで、男女子どもが地方税で支払わされている金額の平均は、年2ポンドくらいだ。そして地代で支払われている金額の平均は、かなり少なく見積もっても年2.5ポンドになる。だから地代と地方税を合計した年間支払い額は、4.5ポンドだ。したがって田園都市の住民は、地代と地方税を完全に精算するのに、一人あたり年間2ポンドなら喜んで支払うだろうと見てまちがいないだろう。だがこの議論をもっと明確で強力にするために、田園都市の住民が、地方税と地代あわせて年2ポンドなら喜んで支払うという想定を、別の方法で確認してみよう。
このために、まず町の敷地は別に扱うことにして、農用地だけを考えることにしよう。明らかに、各農民が支払える地代は、町が作られる以前よりもずっと高くなるだろう。農民はみんな、自分の住まいのすぐ近くに市場を持っているわけだ。養うべき町の市民は3万人いる。もちろんこれらの人々は、世界中どこからでも自分の食料を入手してまったくかまわないわけだし、多くの産物はまちがいなく外国から調達されるだろう。現地の農民たちが、紅茶やスパイスや、南国の果物や砂糖を供給してくれるとはまず期待できないし(発電コストの低い電気を使った電灯を温室と組み合わせれば、こうした産物の一部は生産できるかもしれない)、小麦や小麦粉の生産でも、アメリカやロシアとの競合はこれまでと同じくらい熾烈だろう。でも、この競合はいままでほど絶望的ではないだろう。これまで絶望していたイギリスの小麦生産者たちは、一筋の――いやきわめて強力な――希望の光によって大いに喜ぶはずだ。アメリカ人たちは、自分の港までの鉄道輸送費、大西洋横断の海運輸送費、さらにイギリス消費者までの鉄道運賃を支払わなければならないのに、田園都市の農民たちは、まさに目の前に大消費地を持っていて、さらにその市場は、その農民が地代に貢献することで拡大するのだ(クロポトキン『農場、工場、工房』(ロンドン、1889)およびJ. W. Petaval『The Coming Revolution(きたるべき革命)』を参照)。
あるいは、野菜や果物を考えてほしい。都市近郊の農家以外は、もう野菜や果物は作らなくなっている。なぜか? 市場がもっぱらむずかしくて不確実だからということと、輸送費や中間マージンが高いせいだ。下院ファーカーソン博士のことばを引用すると、農民たちは「こうした産物を売りさばこうとすると、幾重もの中継ぎ業者や投機家のクモの巣の中で絶望的にもがいている自分に気がついてしまい、絶望のあまりそんなものを売ろうという努力なんかやめてしまおうという気になりかかり、公開市場での価格がそのままきちんと適用できるような産物にだけ頼ろうとするのだ」。また牛乳に関して、なかなかおもしろい計算ができる。仮に町の人間がみんな、一日たった1/3パイントの牛乳しか消費しなかったとしよう。それでも人口3万人なら、一日1,250ガロン を消費する。鉄道の輸送費を1ガロンあたり1ペニー(1/240ポンド) とすれば、年間でミルクという一品目の鉄道輸送運賃だけでも1,900ポンド以上の節約になる。それに消費者と生産者をこれほど接近させることによる一般的な節約分を計算するためには、これを何倍もしなくてはなるまい。言い換えると、町といなかの組み合わせは健康的なだけでなく、経済的でもあるのだ――この点についてはこの先一歩進むごとに、一層はっきりしてくるだろう。
しかし田園都市の農業テナントたちが喜んで支払う地代が増大するのには、別の理由もある。町の廃棄物は、すぐに土に戻されて、その肥沃度を高めることができるのだ。しかもこれにも鉄道輸送などの高い中間段階はいらない。下水処理の問題は、もちろん対応のむずかしい問題だ。でももともとのむずかしさが、いまは既存の人工的で不完全な条件のために、さらに増大する結果になっている。だからベンジャミン・ベーカー卿は、ロンドン郡評議会に対するアレクサンダー・ビニー氏(現在は卿)との共同報告でこう述べている:「ロンドン大都市圏の全下水道システムについての大問題と、テームズ川の状態について、現実的な問題として考えてみると(中略)まっさきに認識しなくてはならないのは、主下水システムはもはや敷設されてしまっていて変更できないものであり、大通りの幹線が、われわれの望むようになっていようといまいと、いまのままに受け入れなくてはならないのと同じように、下水管路も受け入れなくてはならない、ということだ」。しかしながら田園都市では、エンジニアさえ優秀なら、大して苦労はしなくてすむだろう。まさに白紙の状態から図面を引けるわけで、敷地のすべてが自治体の所有である以上、かれのじゃまをするものはなにもないし、農業地の生産性を大いに高められるのはまちがいない。
また小農地の数が大幅に増える。特に、図2に示したような立地のいい小農地が増えるため、これも地代として提示される総額を上げることになる。
田園都市の農民が、自分の農場に対して喜んで支払う地代、あるいは小農地の地代として小作人が喜んで支払う地代が増大すべき理由は、ほかにもある。敷地の農業部分の生産性は、巧妙な下水処理方式によって高められ、さらにはなかなか新しく広大な市場によっても高められ、またもっと遠くの市場に運ぶ場合にも輸送がきわめて便利となっているが、それだけでなく、その土地の占有条件は、土地の最大限の活用を奨励するものになっているのだ。公正な占有条件である。圏域の農地部分は正当な地代で貸し出され、借り主は、別の候補者が提示する地代の10%引くらいの賃料を支払いつづける限り、ずっとそこで耕作をつづけることが認められる。割り引くのは、既存のテナントを有利にするためだ――また、テナントが交代する場合には、入ってくるテナントは出ていくテナントに対し、まだ減価償却のすんでいない改良や設備更新の分については支払いをしなくてはならない。この方式を使えば、テナントが町の福祉全体の向上によってもたらされる地価の自然増大について、不当な分け前を確保することは不可能となる。そしてその一方で、土地を占有しているテナントすべてのあるべき姿として、新参の人間に対しては優先権が与えられるし、過去の労働の成果で、まだ収穫されていないけれど土地に価値を足しているものを失うおそれもないのが確信できる。こうした占有条件は、それ自体でテナントの活動とやる気を向上させ、土地の生産性をあげ、そしてそのテナントが喜んで支払うはずの地代も、かなり増大するということは、まずだれにも疑い得ないことだろう。
地代の提示額が高まるだろうということは、田園都市のテナントが支払う地代の性格をちょっと考えてみれば、なおさら自明のこととなる。テナントの支払う地代の一部は、圏域の購入費用を調達するための担保債券の利息に向けられ、一部はその債券の元本償還にあてられる。だから、その債券を買った市民の分をのぞけば、地代のその分はすべてコミュニティの外に出ていってしまう。でも、支払われた額の残りすべては、地元で使われる。そして農民は、そのお金の管理運用については、ほかの大人たちにまったく等しいだけの権利を持っている。だから田園都市においては「地代」ということばは新しい意味をもってくる。話を明確にするために、これからはあいまいさのない用語を使う必要がある。担保債券の利息に相当する部分は、これからは「地主地代」と呼ぶ。購入金額の償還にあたる部分は「積立金」と呼ぶ。公共目的に使われる部分は「税」と呼ぶ。そしてその総額を「税・地代」と呼ぶことにする。
いままでの検討から、農民が田園都市の公庫に喜んで払い込む「税・地代」は、個人の地主に対して支払う地代よりもかなり高いものになることは、まちがいなくはっきりしているだろう。この地主は、農民が自分の土地の価値を上げるにつれて地代を上げる一方で、地方税の負担はすべてその農民に押しつけてしまうのである。一言で、ここで提案した計画は、下水処理システムを含んでいる。ほかのところでは、作物が育つにつれて土地の自然な肥沃さが枯渇するので、非常に高価な糞尿をまいてそれを補わなくてはならない。これがあまりに高価なので、農民は時に自分の必需品すら切りつめなくてはならない。しかしこの提案では、作物が土地から奪う肥沃さを、下水処理システムが別の形で土地に返すことになる。さらに農民が苦労して稼いだお金は、これまでは地主に支払われたきり消えてしまっていたのに、ここでは疲れ切った支払い主に戻ってくるのだ。もちろん支払ったお金の形では戻ってこないけれど、道路や学校、市場などさまざまな役に立つ形で。これは農民たちを、間接的ではあれ、きわめて物質的な形で支援するものだ。それに、いまはその地代や税金はあまりにきびしい負担であるために、それが本質的に必要なものだということをかれらもなかなか認識できなくなっていて、その一部に対して疑念と嫌悪を抱くようにさえなっているのだ。もし農場と農民が、物質的にも道徳的にもきわめて健全で自然な条件下におかれたら、熱意あふれる土壌も希望に満ちた農民も、新しい環境に等しく応えてくれるということを、だれが疑い得るだろうか。土地はそれが生み出す葉の一枚ごとに肥沃になり、農民は支払う税・地代の一銭ごとに豊かになっていくはずではないか。
ここまできてわれわれは、農民や小作農、農地使用者が喜んで支払う税・地代は、これまでかれらが支払ってきた地代よりかなり高くなるだろうということがよくわかる。その理由は以下の通りだ:
しかしこの「税・地代」が、これまでその圏域にいたテナントたちの支払っていた、地代だけの金額に比べてかなりの増加となるのは確実だが、この「税・地代」がいくらになるのかは、まだまだ憶測の域を出ない。したがってわれわれとしては、たぶん提示されるであろう「税・地代」を大幅に過小推定しておけば、堅実に安全側に見積もったことになるだろう。では、これまでの概略にもとづいて、田園都市の農業人口が、これまで地代だけで支払ってきた金額より50%多い税と地代を支払う用意があるものと仮定すると、以下のような結果が得られる:
5,000エーカーのテナントの旧支払地代推定額 | 6,500ポンド |
地方税と積立金で50%増し | 3,250ポンド |
農業地からの「税・地代」総額 | 9,750ポンド |
次の章では、きわめて正当な計算に基づいて市街地から期待される金額を推定してみよう。そして、町の自治体としてのニーズに対して、税・地代の総額が充分かどうかの検討にすすもう。