「ああ、国の運命を支配する者たちが、以下をわすれないでくれさえしたら――社会的な品位が失われているか、そもそも見つからないような、密集したむさくるしい集合住宅に住む極貧層にとって、あらゆる家庭的美徳を生み出す家庭への愛を育むのがいかに難しいかをわすれないでいてくれれば――幅の広い大通りや大邸宅からちょっと脇を見て、貧困のみが闊歩する脇道のどうしようもない住居を改善しようと努力さえしてくれれば――そうすれば多くの低い屋根は、真の意味で空を目指してのびることだろう。いま豪壮な高屋根が誇らしげにそびえ立つのは、罪と犯罪とおそろしい疫病のただなかからであり、これらをその対比によってあざ笑うためなのだ。タコ部屋や病院、牢獄からのうつろな声により、この真実は毎日のように説かれ、そして何年にもわたり宣言されてきたのだ。これは軽々しい問題ではない――卑しき労働階級からのさけびなどではない――水曜の晩に口笛を吹いて一蹴できるような、単なる人々の健康や快適さの問題ではない。国への愛は、家庭への愛から生まれ出るもの。そして、真の愛国者たるのはだれだろう、有事の際にあてになるのはどちらだろう――大地を崇拝し、その木々や流れや地面とそこで作られるものすべてを所有している者たちだろうか、それとも国を愛しつつも、その広い領土の一片たりとも我がものと宣言できぬ者たちだろうか?」――チャールズ・ディケンズ「古い奇妙な店」(1841)
一般読者にとってこの章をおもしろいものにするのはむずかしいか、あるいは不可能かもしれない。しかしながら、慎重に検討してもらえば、この章は本書の大きな論点の一つを十分に論証してくれるものだと思う。つまり、きちんと計画された町を農業地に建設したときの税・地代は、そうした自治体が通常は強制的に徴収する税金の中から工面して行うような公共工事を行い、その維持管理をするのに十分足りるだけのものとなる、という論点だ。
債券の利息を払い、用地の土地代用の積立金を積んで残る金額は、すでに年50,000ポンドと推計されている(第3章の使途の表を見よ)。第4章で、田園都市における一定の支出が他とは比較にならないくらい生産的になることを示したので、こんどはもっと詳しい細部に踏み込むことにする。そうすれば本書が引き起こす各種の批判も、具体的なものをもとに議論ができるから、ここで提案しているような実験を用意する基盤としてもっと有意義になるだろう。
以下の解説参照 | 初期投資(ポンド) | 維持費と運転資金(ポンド) | |
---|---|---|---|
(A) | 街路25マイル(市街部)1マイル4,000ポンド | 100,000 | 2,500 |
(B) | 追加街路6マイル(農地部)1マイル1,200ポンド | 7,200 | 350 |
(C) | 環状鉄道と橋梁5.5マイル、単価3,000ポンド | 16,500 | 1,500(維持費のみ) |
(D) | 6,400児童または総人口の1/5が通う学校、1人あたり初期投資12ポンドで維持管理等3ポンド | 76,800 | 19,200 |
(E) | 市役所 | 10,000 | 2,000 |
(F) | 市役所 | 10,000 | 600 |
(G) | 美術館 | 10,000 | 600 |
(H) | 公園、単価50ポンドで25エーカー | 12,500 | 1,250 |
(I) | 下水処理 | 20,000 | 1,000 |
小計 | 263,000 | 29,000 | |
(K) | 263,000ポンドの利息4.5% | 11,835 | |
(L) | 債務30年返済用積立金 | 4,480 | |
(M) | 敷地所在の自治体に支払う税金用の残金 | 4,685 | |
総計 | 50,000 |
上記の支出以外に、市場の建設、上水道、照明、路面電車など、収益を生む公共工事のためにかなりの初期投資が必要となる。しかしこういった支出項目は、ほぼ例外なしにたっぷりとした収益で報われるものであり、それが税収の助けとなる。したがってこれらはここでの計算に加える必要はない。
訳注:なぜ上記の表に (J) がないのかはよくわからない。
では上記の試算に含まれたほとんどの項目を個別に見ていこう。
この項目でまず理解すべき点は、人口増加に伴って新しい街路を造るコストは、ふつうは地主が負うことはないし、税収から支払われることもない、ということだ。それは通常、建物の施主が支払い、それを地方自治体が無料の贈り物として接収することになる。したがって、この100,000ポンドのかなりの部分は、不要になるかもしれないのは明らかだろう。専門家ならまた、道路用地のコストは別のところで準備してあったことを覚えていてくれるはずだ。試算額が十分かどうかという問題を考えるなら、大通りの半分と、街路や通りの1/3は公園の性格を持つものと考えられるから、それを敷設して維持管理するコストは「公園」の費目で扱われることも留意してほしい。さらに道路の建設材料は近場で得られるはずだし、鉄道のおかげで道路からは激しい交通がなくなるために、あまり高価な舗装は必要ないかもしれないことも考えてほしい。
しかし、この4,000ポンドというコストは、地下共同溝を作るなら(そしてそれはおそらく必要だろう)まちがいなく不足だ。しかし、以下のような考察から、わたしはこのコストは推計しないことにした。地下共同溝は、それが役にたつところでは、経済性をもたらすはずなのだ。水道やガス、電力幹線の敷設や補修で絶えず路面を掘り起こしたりしないから、道路の維持管理費は下がるし、ガスや水道などの漏れもすぐに見つかるようになるから、共同溝はコスト的に引き合う。だから共同溝のコストは、水道やガス、電気設備などのコストに含まれるべきだし、こういうサービスはほぼまちがいなく、それを建設する企業や協同組合にとっては歳入源となるのだ。
これらの道路は、幅がたった13メートル(40フィート)だし、1マイルあたり1,200ポンドで充分だろう。この場合、用地費は推計に含めなくてはいけない。
用地費はすでに別のところで手当されている(鉄道用地の議論を見よ)。維持管理にはもちろん、運転資金(たとえば機関車の費用など)は含まれていない。これをカバーするには、コストに基づいて商人たちに料金支払いを要求することが考えられる。道路の場合と同じく、こうしたコストが税・地代から支払えることを示すことで、わたしがそもそも証明しようとしていた以上のことが証明されているということは、留意していただきたい。わたしが証明しているのは、税・地代が地主地代をまかなうのに十分だというだけでなく(というのも、そういう目的の費用は賃料から支出されるのがふつうだからだ)、さらには自治体としての活動領域を大いに拡大するのにも十分だということなのだ。
ここで、この環状鉄道が商人にとって、自分の倉庫なり工場なりから物資を輸送する費用を節約してくれるだけでなく、鉄道会社からのリベートを得るためにも役にたつことを指摘しておくといいだろう。1894年の鉄道運河料金法の第4条によると、以下のように定められている:
「商品が鉄道会社によって、その鉄道会社の所有ではない支線や分岐線で配送されて鉄道会社とその商品の発送者または受取人との間で、その発送人なり受取人なりに化された料金についての割引やリベートについて紛争が生じた場合には、鉄道会社が鉄道駅の保管サービスや終着駅サービスを提供しない場合については、公正かつ正当な割引やリベートの水準として何が正当であるかについてヒアリングを実施して決断する権限は鉄道運河コミッショナーが保有する」
学校生徒一人あたり12ポンドという試算は、ほんの数年前(1892年)にロンドン学校委員会において、学校の建築、設計、工事監理、さらには内装や外装費用の一人あたりコストに相当するものだ。そしてこの金額で、ロンドンよりはるかに優れた建物が建てられることは、だれでもわかるはずだ。敷地の節約についてはすでに述べたが、ロンドンでは児童一人あたりの敷地費用は6.58ポンド(訳注:原文は6ポンド11シリング10ペンス)だということは述べておこう。
この試算がいかに十分かを示すためには、イーストボーンで私企業が建てようとしている学校のコストを見てやることができる。この学校は「学校委員会に手を触れさせない」ことを狙って建てられており、定員400児童で2,500ポンドと推計されている。これは田園都市の試算で、一人あたりの学校コスト合計の半分よりちょっと多い程度のものだ。
維持管理コスト、児童一人あたり3ポンドというのはたぶん充分な額だろう。教育協議会の委員会報告、1896-7、c.8545で、イングランドとウェールズにおける「実際の平均就学学生一人あたり支出」は2.6ポンド(2ポンド11シリング11.5ペンス)となっていることからもそう判断できる。さらに述べておくべきこととして、この試算では教育費用はすべて田園都市が負担することになっているけれど、実はそのかなりの部分は、ふつうは国の大蔵省が負担するものだ、という点がある。前出の報告書によると、イングランドとウェールズにおける、実際の平均就学学生一人あたり歳入は、1.06ポンドだが、田園都市ではこれが3ポンドだ。したがってここでもわたしは、そもそも証明しようとした以上のことを証明しているわけだ。
さまざまな公共事業の試算は、専門的な監理と建築家やエンジニア、教師などの監督費用もカバーするものと想定されている。この費目での維持管理と運転資金2,000ポンドは、それぞれ個別の費目でカバーされている以外の市の職員や、係官の給料と、臨時支出だけをカバーするものである。
たいがいの場合、後者は税収入以外の資金源で作られることが多いし、前者もそういうケースがめずらしくない。したがってここでもまた、わたしは、必要以上に自分の主張を証明してしていることになる。
この費目は、事業全体が完全に良好な財務状況になるまでは発生しないし、公園の空間はかなりの期間にわたって農業地として歳入源になることも考えられる。さらに、公園空間のかなりの部分は、自然状態のままで残されることになるだろう。公園空間のうち、40エーカー(16ha)は道路の植栽部分だが、街路樹や茂みの移植は大した費用はかからない。また、公園空間のかなりの部分はクリケット場や芝テニスコートなどの競技場として確保され、こうした公共のグラウンドを使うクラブに対し、それらの整備費用についてある程度負担を求めてもいいだろう。これはほかのところでふつうに行われていることだ。
この点について言うべきことはすべて、第1章と第2章で述べた。
これまで扱ってきた公共事業の建設に必要な資金は、金利4.5%で借り入れる予定となっている。ここで起きる問題は――第4章で一部とりあげた問題だが――「B」債券で融資する人々は、どのような担保を得られるのだろうか、ということだ。
わたしの答えは3つある。
訳注:これは事業がもうからないと言っているのではない。ハイリスク・ハイリターンの原則をもとに、投資リスクが低いから3%でもみんなが喜んで投資するくらい安全なのだ、という話をしている。
積立金は、負債を30年で完済するためのものだが、これほど長期にわたる事業のために地方自治体がふつうは提供するものと比べて、条件はきわめてよい。地方自治体の行政府は、もっと長期にわたる元金返済積立金を持った債券発行をしょっちゅう認めている。さらに、敷地の土地代についての積立金はすでに別のところで確保してあることもお忘れなく(第4章の積立金の説明を見よ)。
田園都市のスキームが、外の所在地方自治体のリソースにかける負担がきわめて少ないのは、いずれわかるだろう。道路や下水、学校、公園、図書館などは、この新しい「自治体」の資金をもとに作られる。現在この敷地にいる農業者にとっては、このスキーム全体は「税負担援助」のような存在となるはずだ。というのも、税金というのは公共事業のために徴収されるものなのだから、税収から新規に求められる支出がほとんどかまったくないのに、納税者の数は大幅に増える以上、一人あたりの税金はどうしたって下がるしかないからだ。
しかしながら、田園都市のような自発的組織が代替できない機能もあることも、わすれてはいない。たとえば警察や、貧困者救済の措置などだ。後者については、このスキーム全体によって、そうした目的での徴税は不要になるはずだ。田園都市は、最悪でも用地費の支払いが完全に終わった時点以降では、物いりな高齢市民全員のための年金を提供するからだ。一方で田園都市は、その発端から慈善事業はめいっぱい行う。様々な機関のために合計12haの敷地を確保してあるし、いずれはそうした機関の維持運営コストもすべて負担するようになるのはまちがいない。
警察のための徴税となると、町に30,000人の市民が入居することで、それが大して増えることがあるとは考えられない。この30,000人はほとんどが法を遵守する階級に属している。というのも、地主はたった一人しかいないし、その一人というのはこのコミュニティ全体なのだ。したがって、警察の介入をしょっちゅう必要とするような環境ができあがるのを防ぐのは、大して難しくないはずだからだ。(第7章を見よ。)
この田園都市の住民が、得られるメリットとの比較に基づいて喜んで提供するはずの税・地代が、十分すぎるくらいに潤沢なものであるというわたしの主張は、これでいまや完全に証明されたものと思う。この税・地代によって、(1) 担保債券の利息という形で地主地代を支払い、(2) 地主地代をいずれ完全に不要にするための積立金を用意し、(3) 議会立法によって強制的に徴税することなしに、町の行政区としてのニーズに応えられる――つまりコミュニティ自体が地主として保有する強大な力だけに頼ってそれができる、とうことを示せたはずだ。
もし、ここまでですでに到達した結論――つまりここで提案された実験が、きわめて効率の高い労働と資本の支出を行える場となるということ――が、通常は税収から支出される費目について確実なものだとすると、その結論はまた路面電車や照明、上水道などについても、同じくらい確実なものであるはずだと考えられる。これらは、行政区によって運営されたときにはふつう歳入源となって、納税者にとっては税金を軽くすることで負担の軽減となる事業だ。そして、こうした事業からの見こみ収益については、歳入の検討で一切何も追加していないので、支出のほうでも一切試算は行わないものとする。