現代憲政評論 選挙革正論其の他, 美濃部達吉

総選挙の結果に付いての二三の感想


=普通第一回の成績=

総選挙は終りその結果も明白にせられた。今回の総選挙は制限選挙から普通選挙に移つての第一回の総選挙であること、田中政友会内閣の運命を賭した政戦であつたこと、無産政党が新興の勢をもつて始めて選挙場裡に現はれたこと、選挙運動およびその費用に付いて極めて煩瑣な取締規定が設けられてその最初の経験であること等において、わが憲政史上に長く記憶せらるべき甚だ重要なる総選挙であつて、その結果を見て感ずる所は甚だ多い。その中二三の点に付いて与へられた紙幅の範囲内において、簡潔に自分の感想を述べる。


今回の総選挙は田中内閣が信を国民に問ふがために行はれたもので、政戦の主たる題目は田中内閣を信任するや否やにあつたのであるが、総選挙による国民的審判の結果は、この点についての明白なる裁決を与ふるに至らなかつたことは遺憾である。

即ち総選挙の結果は政友会および民政党の朝野二大政党が略同数の議員を得、しかも両者とも過半数を占むることは出来ないのであつて、国民は内閣に対する明白なる不信任の意思を表示したものと見ることが出来ないと共に、又内閣を信任するものと見ることも出来ないことになり、政局が依然として不安定を免れない状態となつた。

これは一面において内閣の基礎が強固を欠くことの憂あると共に、一面には政党横暴の弊を軽減する長所あるもので、戦時その他の困難危急の際には、挙国一致最も強固な内閣を必要とするのであるが、平時においては寧ろ望ましい所で、必ずしもこれを悲むべき理由は無いと信ずる。

唯無産政党実業同志会革新倶楽部中立議員等の少数派がキャステングボートを握ることとなつたために、これ等の少数派議員に対する裏面の誘惑買収運動が極めて激しくなるであらうことは容易に推測し得るところで、国民がこれを監視し防止することは甚だ困難ではあるが、願はくは再び大浦事件の如き醜聞を伝へることの無いやうにしたいものである。


政友会が予想されたほどの成績を挙ぐることが出来なかつたのは、たしかに中選挙区制度の結果であると思ふ。これをもつて国民が一般に覚醒したためにもはや官権の干渉に動かされなくはなつたものと見るのは、決して正当な見解ではないであらろう。

政府が選挙第一主義を標榜して頻に地方官を更迭せしめ、その外にももつとも露骨に百方選挙に勝利を占むることに努めたことから見ても、又選挙取締規定が極めて煩瑣で、その運用に当つては官憲の手心を用いる余地の甚だ多いことからいつても、官権の勢力が選挙の上に相当に重きを為して居ることは疑ふべき余地も無い。若しこれが小選挙区制であつたならば、官権の勢力が一層強く働いて、恐らくは政友会が今度の結果よりも遥に多くの議員をち得たであらう。唯中選挙区であつたために、その影響が比較的弱かつたといふに止まり、尚今回の結果をもつて真に公平なる国民の意見の発表とは見るを得ない。

もし田川大吉郎君が嘗て主張せられた如くに、選挙執行の為のみの目的をもつて、政党に関係の無い臨時の選挙内閣を組織し、その内閣の下に選挙が行はれたとすれば、政友会が果して今回得ただけの結果をも挙げ得たかは甚だ疑はしい。


それにつけても地方官が政府の意のままに休職転任を命ぜられ、警察力が時の内閣の政治的傾向によつて動かされる現在の制度は、一日も速に改めなければならぬ。警察力が政党の勢力に支配せられる間は、幾度総選挙を行つても、真に公正なる結果を得ることは不可能である。

選挙法は警察官吏が被選挙権を有しないことを規定して居る。これは警察官吏が政争に関係することを禁ずる趣意であることはいふまでもない。然るにその警察機関が政党内閣の勢力の下に支配せられ、その命を受けて選挙の取締に従事するのであるから、そこに甚だしい矛盾が有る。

総ての事務官殊に警察官(地方長官を含む)の地位をして内閣より独立ならしめよ。これが選挙界の廓清を期する第一の前提である。


当選議員の所属政党について、各新聞紙の発表と政府の発表との間に少からざる相異が有る。政府は政友会議員を二百二十一名と計算し新聞紙の発表では多くも二百十九名を超ゆるものはない、民政党議員に至つては、政府は二百十三名と発表し、新聞紙は概ね二百十七名と計算して居る。吾々局外者はそのいづれが正しいかを判断し難いが、各新聞紙の計算は立候補に当つて各党選者の標榜した所を標準とし、政府は自党に入党の内約ある者をも加へて計算したものらしく、そこに暗い影の存することを否み難い。若し立候補に当つて中立又は在野党を標榜しながら、内密に政府の援助を受け政府党に入党の約束を為した者が有つて、それが為に各新聞紙の計算と政府の計算との間に齟齬を来して居るものとすれば、それは選挙民を欺くことの甚しいもので、援助を与へた者もそれを受けた者も共に許すべからざる罪悪といはねばならぬ。

いはんや臨時議会の開会までには絶対過半数を得べき自信が有ると揚言するに至つては、ほとんど露骨に買収を予言するものともいふべく、言語道断の感に堪へぬ。


選挙法の各種の欠点に至つてはその制定せられた当時から既に明白であつたが、今回の経験に依つて一層明白となつたものが多い。今の中選挙区単記投票の制度が極めて不完全な弊害の多い制度であるとは、益々明白に証明せられた。選挙運動の取締の余りに煩瑣に過ぐることも、普く承認せられた欠陥といふことが出来る。選挙権に付ての規定も改むべき余地が少くない。これ等の点に付いても論ずベき所は多いが、それは他の機会に譲る。


最後に無産政党の進出は、当選者僅に八名に止まつたとはいへ、わが政治史上画時代的の事件で、是だけをもつても昭和三年の総選挙は後世に長く記憶せらるべき値が有る。殊にそれが二大政党の間に立つてほとんどキャスチングボートを支持し、偶然の事情に基くとはいひながらも、ほとんど政局を左右するほどの実勢力を有するに至つたことは、無産政党に取つてせめてもの快心事といはねばならぬ。

自分は左翼無産党の言動に対しては寧ろ反感を有するものであるが、しかし既成政党に対しても同感を寄することを得ない者で、今二大既成政党の間に立ち、僅に八人ではあるが、尚実際上すこぶる有力な新興勢力を得たことに付き深き喜びを表するものである。

(昭和三年二月二十七日発行「帝国大学新聞」所載)