現代憲政評論 選挙革正論其の他, 美濃部達吉

暗黒政治の時代


近頃の日本の政治の有様を見ると、我々は唯政治上の暗黒時代が来つたといふ感じを禁じ得ない。立憲政治の最大の長所の一は、政治の秘密主義を排して、国民の環視の下に公明正大なる政治の行はるることにあるといはれて居る。しかるに普通選挙による第一回議会開会の今日に当つて、政治の公明正大はほとんど跡を絶ち、心ある者をして暗黒政治の到来を痛歎せしむるに至つたのは、果して何人の罪であらうか。


前議会の理不尽なる解散が有つて以来、選挙戦に次いで今回の議会の開会に至るまで、我等をして政治の暗黒を痛歎せしむる事象は、一にして止まらぬ。

第一には不法なる暴力行為の横行が有り、しかも国民はそれ等の暴力団と政府当局者との間に何等かの連絡が有るのでないかを疑つて居る。その疑ひは固より確実なる根拠あるものとは考へられぬけれども、暴力の横行が日々益甚だしく、遂には反対党の議員を登院の途上に擁してこれを殴打し、その出席を妨げんとするに至つては、実に暴力をもつて直接に政治を左右せんとするもので、ほとんど恐怖時代を現出するものともいふべきであえる。

第二には政府の不法なる選挙干渉が有る。政府の選挙干沙は必ずしも今回の選挙にのみ限つた現象ではなく、多少の程度においては歴代の内閣の常に行つて来たことと伝へられて居るけれども、しかし今回の選挙において行はれた干渉ほど組織的にかつ大規模に行はれたことはいまだかつて無いといはれて居る。衆議院の質問演説において暴露せられたいはゆる怪文書は、普通の常識をもつて判断すれば到底偽造文書としては受け取り難いもので、国民が政府の行為について甚だ大なる疑惑を抱くことは、固より当然といはねばならぬ。

第三には議員の誘惑が有る。反対党の切り崩しといふことが公然宣伝せられ、然して実際にも朝野両党の決戦日のいよいよ切迫するに随ひ、今日は一人、明日は二人と反対党を脱して政府党に移る変節議員が続出して居る。その変節の公然の理由としては何等伝へらるる所は無く、社会は一般にそれが政府の買収する所となつたものと認めて居る。


およそこれ等の事象はそのいづれの一をもつても重大なる政治上の犯罪であつて、もし少しでもさういふ痕跡が有るとすれば、政府は一日もその職に止まるべきではなく、罪を闕下けっかに謝せねばならぬ。

しかも政府はただにその一に止まらず、ほとんど公然の秘密として露骨にそれ等の総ての非行を敢てし、もし表向きの弁明だけをなすことが出来ば、如何なる非行を犯しても差支なしとするやうな態度をとつて居る。もし国の政治が此の如き状態をもつて進んだならば、国民の政府に対する憎悪軽蔑の感は、抑へんと欲して抑ふべからざるものあるに至るであらうことを恐れる。

しかし政府は天皇の政府であり、内閣は至尊の親任したまふ所である。至尊の親任に係る内閣に対し、国民が憎悪と軽蔑との念を禁じ得ないとすれば、これわが万古不変の国体に対して甚だ恐懼きょうくすべき事態といはねばならぬ。思うてここに至れば慓然ひょうぜんとして膚寒きを覚ゆる。

今や共産党事件の爆発に際し、政府はにはかに思想の圧迫に努めて居る。しかし凡て思想は思想のみの力をもつては社会上に如何なる勢力をも発揮し得べきものではない。思想が実際に社会上の勢力を得るのは、社会上の事象においてその思想の実現を可能ならしむべき原因が存在する場合に限る。もし今日において我が尊貴なる国体に対し、万一にも多少の危惧が存するとすれば、それは思想自身にあるよりも、その思想の実現を誘導する社会事象に存する。国政の局に当る政治家は深く思ひをここに致れんことを希ふ。

(昭和三年四月三十日発行「帝国大学新聞」所載)