今年の議会ははじめから会期が僅に二週間に限られて居たのみならず、二回までも停会を命ぜられた為に、やや重要と見らるべき法律案は、政府側からはほとんど一として提出せられなかつたに拘はらず、ひとり治安維持法の改正法案だけは、特に緊急を要するものとして提出せられたが、それは衆議院だけをも通過するに至らず、未議了のまま会期を終り、法律案は消滅に帰してしまつた。然るに政府は議会の閉会後に至り、緊急命令をもつてその改正を行はんことを企て、世論は一般に強くこれに反対せるのみならず、政府部内並に政府与党内においてすらも強硬なる反対が起つて居るにも拘らず、総ての反対を退けて、遮二無二これを断行せんとして居ると伝へられて居る。
もしそれが事実であるとすれば、現内閣の他の多くの悪政の上に更に一の悪政を加ふるもので、それは憲法のじうりんであり、甚だしき権力の濫用である。我々は国家の安全の為に、憲法擁護の為に、如何やうにかして斯の如き悪政の防止せられんことを希望するの外は無い。
今日の状態において、緊急命令をもつて治安維持法を改正することが、緊急命令発布の憲法上の要件を具備しないものであることは既にしばしば論ぜられたところで、世論が一般にこれに反対して居るのも主としてこの理由に基いて居る。
緊急命令は唯非常の変に処する応急手段としてのみ許されて居る立法の権道であつて、憲法第八条に明言して居る如く『公共安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ』てのみ発し得るものである。緊急の必要とは一面には次の議会の開会まで待つことの出来ない必要であることを意味すると共に、一面には前議会の閉会後急に突発した必要であることを意味する。もし前の議会の開会中に既にこれを必要とする事情が存在してをつたならば、前の議会においてその協賛を得なければならぬのであつて、事情の変更の無いにも拘らず、議会閉会後に至つて緊急命令をもつてこれを処理せんとするは、明かに憲法違反である。
今、治安維持法の改正について見ると、それが右の如き意義においての『緊急ノ必要』あるものと見ることの出来ないことは、甚だ明瞭である。
第一に、それはその内容からいつても、従来自由に放任せられて居た行為を新たに禁止し又は制限せんとするものではなく、従来既に禁止せられて居る行為について、唯その刑罰を苛重ならしめんとするに止まる。新たなる禁止又は制限を定めんとするならば、それが緊急の必要である場合も想像し得られるのであるが、単に刑罰を重くすることが一日を緩うすべからざるほどの緊急の必要が有るとは、健全なる常識をもつては想像し得られないところである。改正案において予想して居る国体の変革を目的として結社をなす行為は、今日においても既に厳罰をもつて禁歇せられて居る行為である。十年の懲役は威嚇の目的の為には決して不充分な刑罰ではない。この厳重なる刑罰をもつて既に禁歇せられて居るにも拘らず、更にその刑罰を苛重にすることが緊急の必要であるとは如何にして想像し得られようか。刑罰は一面において過去の行為に対する応報たると共に、一画において将来の行為に対する予防の目的を有つものであるが、緊急命令をもつて刑罰を苛重ならしめたとしても、それは過去の行為に溯つて適用せられ得べきものではないから、それが緊急の必要である所以は、唯予防の目的の為にのみ想像し得べきところである。然しもし十年の懲役をもつても予防の目的を達し得ないとすれは、仮令死刑の重きをもつてするも如何にしてそれが予防の目的を達し得ることを確保し得られよう。単に予防の目的だけからいへば、十年の懲役と死刑とは要するに五十歩百歩である。これを改正することは、仮に応報としては当を得て居るとしても、予防の目的の為には大なる効果を期待し得ないもので、それが緊急の必要であるとは、到底思考し得べくもない。
第二に、治安維持法の改正案は既に前議会に提出せられてしかもその協賛を得ることの出来なかつたものである。即ちそれは議会閉会後において突発した必要に基くものではなく、前議会開会の当時から既に存してをつたと同じ事情の下において制定せられんとするものであることは明瞭である。前議会において協賛を得られなかつたに拘らず、その閉会後に緊急命令をもつて同じ事を定めんとするのは、それだけでも議会の権限を蹂躙するもので、緊急命令発布の憲法上の要件を備へないものであることは明瞭である。
要するに緊急命令をもつて治安維持法の改正を断行することが、憲法違反の処置であることは疑ふべき余地も無い。従来緊急命令の濫用と認めうべき事件は必しもまれではないが、今回の例の如きはその濫用のもつとも甚だしいものといふべきであらう。
しかし自分が治安維持法の改正に反対するのは、単に緊急命令をもつてすることのみについてではない。それより一層重大な点は、その改正の実質にある。
この数年来危険なる革命思想が社会に潜行し、青年有為の学生又は学士のこれに熱中せるものの少なからざることは、蔽ふべからざる事実であつて、遂に共産党事件の如き疑獄をひき起すに至つたのであり、我々の深憂に堪へない所であるが、しかしこれが対策として国家の取るべき途は、決して単純なる刑罰と弾圧とであつてはならぬ。革命の起る原因は常に政治上および社会上の不満が国民の間に瀰蔓することにある。この不満を除きおよび合法的にその不満を訴ふる途を開くことは、革命を防止すべき唯一の安全弁である。この途を講ぜずして徒らに権力を濫用して弾圧迫害を加ふるのは、如何なる厳刑をもつてするも、寧ろ革命を誘発するものである。この意味において治安維持法そのものすらも悪法の非難を免れないもので、況んやその改正においてをや。
(昭和三年六月四日発行「帝国大学新聞」所載)