現代憲政評論 選挙革正論其の他, 美濃部達吉

貴族院の大臣問責の決議


昭和四年二月二十二日貴族院は出席者総数三百二十一人中百四十九票に対する百七十二票の多数を以て左の決議を可決した。

水野前文部大臣ノ進退ニ関シ田中総理大臣ノ執リタル措置ハ軽率不謹慎ノ甚ダシキモノニレシテ職責上欠クル所アルヲ遺憾トス

是は言ふまでもなく所謂優諚問題に関するもので、事柄それ自身も頗る注目に価するものであるのみならず、貴族院が総理大臣の責任を問ふ為の決議を為すが如きは、極めて異常の出来事であるから、ここに其の顛末を記述し、併せて之に関する多少の卑見を添へ度いと思ふ。

事の起りは昭和三年五月に田中前相が、是より先き衆議院の選挙干渉弾劾の決議に基づき辞職した鈴木内務大臣の後任として、久原房之助氏を入閣せしめんとしたことに在る。久原氏の入閣に対して、政府与党の間にも、閣僚の間にも、頗る張硬な反対が有り、それが為に小泉策太郎氏の脱党をも惹き起したのであつたが、閣僚の中で最も強く之に反対したのは、三土大蔵大臣及び、水野文部大臣であつた。併し首相の決意動かすべからざるものが有つたので、三土大蔵大臣は其の反対を撤回して之に同意を表するに至つたが、独り水野文部大臣は最後まで其の同意を否み、而して首相の決意は遂に之を翻へさしむることを得なかつたので、文部大臣は自ら辞意を決し、五月二十日に辞表を首相に差出して其の執奏を乞うた。

以上の経過は一々当時の新聞紙に公表せられたので、世人は一般に水野文部大臣の辞職を予期して居た所が、五月二十三日にいよいよ久原氏は逓信大臣に、逓信大臣望月氏は内務大臣に任ぜられたことが発表せられたと共に、水野氏に対しては、陛下より特に宮中に御召になり、益々国家の為に尽瘁じんすいせよとの優諚を賜はつたので、水野氏は恐懼きょうくして留任することに決した旨が、二十四日の諸新聞紙に依つて伝へられた。同日の各新聞紙にそれに付いての水野氏の談話として発表せられたものは、各新聞紙とも殆ど同一の文句であつたが、それは左の如きものであつた。

私ハ総理大臣ヲ経テ辞表ヲ出シタ、其真相ハ総理大臣モ能ク承知シ、其結果本日総理大臣ハ赤坂離宮ニテ拝謁ヲ仰セ付ケラレ、陛下ニ其事情ヲ申上ゲ、文部大臣ノ辞表ヲ奉呈シタ、陛下モ御覧遊バサレテ、総理大臣ハ教育ノコトハ大切デアルカラ水野ニヤラセタイ旨ヲ奏上シタ、陛下ニ於カセラレテハ、教育ノコトハ総理ノ言上ヲ嘉納アラセラレテ、其結果総理ハ電話ヲ以テ私ニ伝ヘ、私ハ午後四時十分赤坂離宮ニ伺候シ、拝謁仰セ付ラレタル所、陛下ハ益々国家ノ為メ精励セヨト云フ優詔ヲ賜ツタ、私ハ陛下ノ思召ヲ体シテ御奉公スルコトトナツタ次第デアリマス。

水野氏の留任に対して世間は其の意外に驚くと共に、内閣の破綻を弥縫びほうし、水野氏一個の面目を立つる為に、優詔を奏請し、之を以て留任の申訳と為すが如きは、言語道断の処置であるとし、囂々ごうごうとして一斉に之を攻撃したので、政府は大に驚いて翌二十五日には左の如き声明書を発表して、総理大阪は決して優詔を下されんことを奏請したものでないことを弁明した。

水野文部大臣ハ今月二十日辞表ヲ提出シタルニヨリ、総理大臣ハコレヲ預リ置キ、二十二日夜文部大臣ヲ招キ辞表ヲ撤回スルヤウ懇談シタルニ、文部大臣ハ自分ノ辞表ハ陛下ニ対シテ差出シタルモノナレバ是非御執奏ヲ願フ、尚自分ノ進退ニ付テハ総理大臣ニ一任スル旨ヲ述べタルニヨリ、総理大臣ハ翌二十三日参内、拝謁ノ上前記ノ経過ヲ上奏シ、教育ノ事ハ目下重大ナル国務ナルガ故ニ水野文部大臣ヲ留任セシムルコトト致シメル旨ヲ上奏辞表ヲ天覧ニ供シタリ。右終リテ退出後総理大臣ハ右ノ趣ヲ文部大臣ニ通知シ、文部大臣ハ参内拝謁シタルニ、国務ニ尽瘁じんすいセヨトノ御諚ヲ賜リ、御礼ヲ述ベ恐懼きょうくシテ退下シタル次第ナリ。

併し此の声明書に依つても世論の非難は少しも衰へず、却て益々甚しきを加ふる有様であつたので、事宮中に関係するだけに、水野文部大臣は恐懼きょうくして再び辞表を奉呈し、而して此の度は総理大臣も留任を勧告することなく、直に其の辞職を奏上し、前に留任を奏請してから僅に二三日の後に、水野氏に対する依願免官の御沙汰が有つた。

しかも田中総理大臣自身は、毫も之に付いての責任を感じないかの如く、依然として在職して居た。併し此問題に関する世論の非難は、独り水野氏に対するものではなく、主としては総理大臣の責任であるとして居たのであつて、今水野氏が其の責を感じて辞職したにも拘らず、総理大臣のみは恬として其の責に任じないのを見て、総理大臣を責むる声は益々高くなつた。当時は議会は閉会中であり、又議員の側から召集を要求する権能は、わが憲法の認めない所であるので、此の問題に付いて議会の意見を発表することは不可能であつたが、貴族院議員の多数は、之を以て貴族院として捨て置くべからざる重大なる失態であると為し、交友倶楽部を除く貴族院各会派即ち研究会、公正会、同成会、火曜会、茶話会の五派の名を以て、六月二日に、今回の決議と同一内容の共同声明書を発表した。それは明白に総理大臣の措置を以て「軽卒不謹慎ノ甚シキモノ」と難じ、「職責上欠クル所」ありとして責めたものであつたが、総理大臣は之をも毫も関知せざるものの如く、放擲して顧みなかつた。

此の共同声明は貴族院の大多数を占むる各会派の連合の名を以て発表せられたものであつたが、併しそれは議会閉会中に私人として共同に意見を発表したといふに止まり、何等公の性質を有するものではなかつたので、議会開かれて後、之を正式に貴族院の決議とすることは、当然各会派の人々の考に上つた所でなければならぬが、併し貴族院に於いて総理大臣に対する問責の決議を為すことは、貴族院の立場として頗る考慮すべきことであり、且つ事宮中に関係し之を公の議場に於いて論議することは不謹慎の嫌を免れぬといふ憂慮も有り、之を決議案として提出することは、暫く躊躇せられて居たが、遂に二月二十一日を以て各会派の有志から之を正式に決議案として提出し、翌二十二日議事日程を変更して、異常なる緊張の下に之を上議して、提出者としての伯爵柳沢保恵氏の提案理由の説明、男爵池田長康、伯爵林博太郎、石渡敏一諸氏の反対、男爵阪谷芳朗、塚本清治、新渡戸稲造氏の賛成演説の有つた後、冒頭記載の如き多数を以て之を可決するに至つたのである。

事実の経過は略以上に述べた通りであるが、それに付いて吾々の攻究すべき所は、第一に、田中総理大臣の措置は果して右決議に謂ふ如く軽卒不謹慎の甚しきものであり、職責上欠くる所あるものであるや否や、第二に、若し然りとするも、貴族院に於いて此の如き大臣問責の決議を為すことが、貴族院の態度として許さるべきことであるや否や、第三に、既に貴族院に於いて此の如き決議の可決せられた以上、政府は之に対して如何なる態度を取るを正当とするかの三点に在る。

第一に、田中総理大臣が水野氏の辞表に関して取つた措置に付いて考へると、それに付いて先づ怪しまれるのは、総理大臣の発表した声明書と、水野氏の談話として発表せられたものとの間には著しい相違の有ることである。政府の声明書に依ると、総理は二十二日夜水野文部大臣と懇談した結果、水野氏は其の進退を総理に一任する旨を述べたので、総理は数育の事は重大であるから水野氏を留任せしむることに致した旨を上奏し、辞表を天覧に供したとある。即ち水野氏の留任の事は両人の内談の結果既に決定したのであつて、陛下には唯其の事後報告を為し、事の序に既に反古となつた辞表を天覧に供したといふのである。之に反して水野氏の談話に依ると、留任の事は上奏前に既に決して居たのでなく、総理大臣から水野を留任せしめ度い旨を上奏し、陛下が之を嘉納したまひ、辞表を却下せられたので、始めて留任に決したとある。此の矛盾は貴族院に於いても、繰返し問題となつた所で、就中なかんずく水野氏が二十二日の夜総理と懇談の結果既に辞意を翻へしたのであるか、又は勅旨に依つて始めて留任の意を決したのであるかが、疑問とせられた。此の点に付き田中総理大臣が赤池濃氏の質疑に対して為した答弁には

水野君ハ自分ノ進退ハ私ニ総テ一任ヲスルト云フコトデアリマス、ソレデ私ハ文部大臣水野君ハ辞意ヲ翻サレタモノト信ジテ、ソレ故ニ二十三日ニ御前ニ出マシテ、水野君ノ留任サレタコトヲ私ハ執奏ヲ致シタノデアリマス。

と言明して居る。之に対して水野氏は貴族院議員としての一身上の弁明として、左の如く述べた。

総理大臣ハ懇々ト留任ヲ勧告セラレタノデアリマス、併シ私ハ遺憾ナガラ其勧告ニ応ズルコトヲ得ナカツタノデアリマス、国務大臣ノ辞表ハ申ス迄モナク、陛下ニ差出シマシタ上奏書デアリマスルカラ、総理大臣トノ対談ニ依ツテ之ヲ撤回スルコトヲ得ナイコトト信ジテ居ツタノデアリマス、ソレ故ニ此辞表ハ是非トモ総理大臣ガ御執奏ナサレテ戴キタイ、又総理大臣トシテモ、之ヲ御執奏スルガ適当デアラウト云フコトヲ申シマシテ、是非御執奏ヲこいねがフト云フコトヲ言ウタノデアリマス、而シテ之ヲ執奏サルルトイフコトハ、内閣ノ首班デアル総理大臣ガ為サルルコトデアリマシテ、之ニ対シテ如何ナル輔弼ほひつノ途ヲ執ラルルカト云フコトハ、総理大臣ノ任意デアルノデアリマシテ最早私ノ関与スル所デハナイノデアリマス、故ニ之ニ付キマシテハ総理大臣ニ御委セスルノ外ハナイト云フコトハ私ハ申述べタノデアリマス……其翌日総理大臣カラ辞表ハ御下ゲニ相成ツタト云フコトノ通知ヲ受ケマシタカラ、私ハ真ニ恐懼きょうく感激イタシマシテ、御礼儀上ノ為ニ参内イタシタ次第デアリマス

右に掲げた双方の言明を比較して、先づ感ぜらるることは、其の弁解が双方とも甚だ不徹底であることである。田中総理も敢て水野氏が上奏前に辞意を翻したことを断言せず、唯進退を一任する旨を述べたので、辞意を翻したものと信じて、留任したことを上奏したと謂ふのであり、水野氏も辞表の執奏を請うたことは強く主張して居るけれども、尚それに付いて如何なる輔弼ほひつの途を執るかは、之を総理に一任する旨を述べたことを承認して居る。若し真に辞意固く毫も留任の意思が無いならば、辞表の執奏に付いての処置を総理に一任することは、甚だ不可解であり、若し又真に進退を総理に一任したものならば、辞表の執奏を固守したことが甚だ不可解である。何れにしても、其処には或る不自然なる作為が含まれて居り、ここに此の矛盾を要したものと推測せらるる。

何が事実の真相であるかは、双方の言明が相矛盾して居るのであるから、之を断定することは困難である、政府の最初の声明書に依ると、総理の勧告に依り既に留任に決したといふのであるが、若し然りとすれば其の辞表はもはや意義を失つたもので、直に撤回するか又は廃棄せられねばならぬもので、之を闕下けっかに奉呈して更に其の下付を請うたのは、恰も勅旨に依つて辞意を翻へしたかの如き外形を粧はんとしたものとより外には、其の意義を理解し難いものである。若し又水野氏の言の如く辞意固くして全く留任の意思が無かつたものとすれば、総理が留任させる事に決した旨を上奏したのは、恐れ多くも上を欺き奉つたものとなる。総理の貴族院に於ける答弁に依れば、辞意を翻したものと信じて其の旨を上奏したといふのであるが、辞意を翻さざる者を、之を翻したものと信じて、上奏するが如きは、許すべからざる錯誤であつて、総理大臣が此の如き錯誤を為さうとは想像し得られない。

随つて比等の何れもが事の真相を得たものとは信じられない。冷静に双方の言明に表はれた所を対照して考察すると、水野氏と総理との懇談の結果、暗黙の間に留任の諒解が成り立つたけれども、水野氏は尚飽くまで辞表の執奏を請ひ、唯執奏の上若し留任の御沙汰あらば敢て留任を否まざる旨の内意を言外に洩し、而して総理は之を以て辞意を翻したものと認定したけども、辞表を闕下けっかに捧呈することは之を承諾し、其の結果、総理は水野氏の辞表を聖覧に供しながら、既に留任せしむることに決した旨を奏上したものと推測せられる。

其の何れが事実の真相であるかは暫く措き、何れにしても辞表の捧呈と留任とは相両立し得ないもので、強ひて之を両立せしめた所に、作為が有り、無理が有り、如何なる弁明を以てしても、其処に解くべからざる矛盾を生ずることは、蔽ふべからざる所である。世論が一般に之を以て、首相と文相とが相通謀して、内閣の破綻を救はんが為に聖明を煩し奉り、聖旨を仮りて留任を粉飾せんとしたものであるとして、之を攻撃したのは、無理ならぬ非難と言はねばならぬ。水野文部大臣が此の非難に対して自己の責任を自覚し、直に再び辞表を奉つたのは、さすがに立憲政治家の態度を失はないものと言ふことが出来る。田中総理大臣がきには「教育の事は目下重大なる国務なるが故に水野文部大臣を留任せしむる」旨を奏上したにも拘らず、此の再度の辞表に対しては直に之を執奏し留任を勧告することを為さなかつたのは、水野氏が其の責に任ずることを当然と考へたものでなければならぬ。何となれば、数日の前に教育の事が重大であるが故に其の留任が必要であることを奏上しながら、数日の後に更に其の辞表を執奏するのは、其の間に教育の事が重大であるにも拘らず尚其の辞職を余儀なくする程の重大な事実が有つたことを認めた為でなければならぬ、而して其の事実としては唯前の辞表の奏呈に付いて取つた態度が宜しきを得なかつたといふことの外には、之を求むるを得ないからである。

若し然りとすれば、田中首相自身も、水野氏が其の最初の辞表の奉呈に付いて取つた態度が宜しきを得ず、それが為に水野氏の辞職を必要とするに至つたことを承認したものであることは明瞭である。しかもその辞表の奉呈は直接には田中首相自身の為したことであつて、若し水野氏がそれに付いて責に任じなければならぬとすれば、田中氏自身は一層強い理由を以て自ら其の責に任ぜねばならぬことは勿論である。然るに田中氏は恬然として自己の責任を感ぜざるものの如く、水野氏一人をして責に任ぜしめながら、自らは依然として内閣首班の重きに任じ、以て今日に至つて居るのである。

此の首相の態度に対し、貴族院が之を軽卒不謹慎で職責上欠くる所ありとして居るのは、至当の非難と言はねばならぬ。第一に、総理大臣の言明と水野氏の弁明とが互に齟齬して居るのは、両氏の間に意思の疎通を欠いて居たことを証明するもので、国務大臣の辞職といふ重大な問題に付いて、充分の諒解なきにも拘らず既に留任に決したものと臆断して、之を上奏したのは軽卒不謹慎たることを免れぬ。第二に、仮に首相の言明の如く水野氏が首相との懇談に因り既に辞意を翻したものとしても、少くとも両氏の間に辞表を執奏することに付いての約束が有つたことは疑を容れぬ。既に辞意を失つたものと信じたにも拘らず、尚辞表を闕下けっかに捧呈することを約束するは、聖明を煩して以て留任の口実と為さしめんとしたものと解するより外に其の理由を見出し得ないもので、陛下に対し誠に恐れ多い極みと言はねばならぬ。而して其の結果は、第三に、国家の為に益々精励せよとの畏き御沙汰の有つた其の同じ人に対し、一両日ならずして免官の御沙汰あるに至つた。重き聖旨が僅々一両日の中に翻へされねばならぬやうになつたことは、わが国体上遺憾至極で、それは総理大臣の輔弼ほひつ宜しきを得なかつた為であり、其の職責上欠くる所ありと認むべきは言ふを待たぬ。貴族院に於ける討論に際し、新渡戸博士が「総理大臣の措置は其結果に於て国体を傷けることになりはせぬかといふことを私は疑ふのであります」と曰つて居るのは、能く其の最主要の点を指摘したものである。提案説明者たる柳沢伯は花井議員の質問に対し、決議案に所謂「職責上」とは憲法上法理上の意義ではなく道徳的の意義であると曰つて居るけれども、総理大臣が其の職責上欠くる所ありと言へば、総理大臣としての憲法上の職務を誤つたものといふ意に解せらるべきことは、文面上にも更に疑を容れない所で、而して田中総理大臣の措置はその意義に於いての職責、即ち天皇を輔弼ほひつするの職責に於いて、明に甚だ欠くる所あつたものと認むべきものである。

総理大臣の措置は甚だ遺憾とすべきものであつたにしても、貴族院が総理大臣に対し此の如き問責の決議を為すことが、果して貴族院としての穏当なる態度と謂ひ得べきや否やは、別に考究すべき問題である。

それは同院に於ける討議の際にも頻に論ぜられた所で、反対者は概ね解散なく又直接に国民の選挙に依るものでもない貴族院は、其の本分として、国務大臣に対する弾劾問題の決議の如きは之を為すべきものでないことを主張し、之を以て反対の主なる理由とした。

是は勿論理由ある反対で、之に対する弁解として、提案説明者は繰返し、それが弾劾案でもなければ問責案でもなく、総理の辞職を迫る意思は毛頭なく、単に将来の注意を促すに止まるものであり、直接政府に宛てた親展状に当るものであると曰つて居る。併し如何に提案説明者が問責案に非ずと弁明したとしても、総理大臣の職務上の行為に対し、貴族院の公の決議を以て、「軽卒不謹慎の甚しきものにして職責上欠くる所あるを遺憾とす」と明言する以上は、それが総理大臣の行為を非行として非難する決議であることは言ふを待たぬ所で、大臣に対する問責又は弾劾とは即ち此の如き決議を謂ふものに外ならぬのである。

果して然らば、此の如き決議は、法律上ではないが政治上から見て、貴族院の正当なる権限を超えたものと言ふべきものであらうか。

健全なる政治事情の下に於いては、疑もなく然りと答へねばならぬ。貴族院は解散なく又国民の公選に依らないもので、国民代表の実質を欠いて居り、それが国民の信頼を得て居る内閣に対し、不信任の意義を有する決議を為すが如きは、通常は避けねばならぬ所であることは、貴族院の本分としての当然の態度である。而して国民の信頼は主としては衆議院に依つて代表せらるるのであるから、衆議院の多数の信頼を得て居る政府は、国民の信頼あるものと推測せらるべきものであり、衆議院に於いて信任して居るに拘らず、貴族院に於いて不信任の意を表明するのは、貴族院の本分に反するものと見るのが、通常の見解である。

併し貴族院が国務大臣に対する問責又は不信任の決議を為すことが不穏当であるといふことは、固より絶対不動の原則ではない。それは法律上の問題ではなくして、政治上の問題であり、而して政治問題は時の事情に応じて千差万別、必ずしも一定不動の原則を確立し得べきものではない。通常の政治事情に於いては、それが疑を容れない原則であるにしても、若しそれを覆すに足るべきだけの特別の理由ある場合であれば、必ずしも此の原則を墨守せねばならぬ理由は無い。

それであるから、問題は此の場合に果して此の通常の原則を覆へすに足るだけの特別の理由が備はつて居たか否かに在る。

それは純然たる政治問題であつて、主として憲法問題を論ずることを目的とする本篇に於いては論断を避けたいと思ふが、貴族院に於いて此の如き未だ嘗て先例なき大臣問責の決議を見るに至つたのは、恐くは左の諸点が多数議員の考を動かしたものと思ふ。

(一)現在に於いて政府を支持する衆議院の多数は、総選挙以後に於いて政府の術策に依り強ひて作られた多数であつて、それは偽造の多数であり、真に国民の多数を代表するものでない。随つて衆議院の信任を得て居るとしても、それは国民の信頼を示すものとは言ひ得ない。衆議院が国民の意向を代表しないことが明瞭である場合には、貴族院はその独自の立場から、政府に対する不信任の意を表明することも許されねばならぬ。

(二)現内閣の組織以来、弊政百出、選挙干渉に、人事行政に、土木行政に、対支外交に、失政実に目に余るものが有る。併し包括的に内閣不信任の決議を為すことは、余りに露骨であつて、貴族院として避くべき所であるから、或る適当なる問題を捉へて、間接に不信任の意を表し、以て政府に警告を与ふるのが、此の際貴族院の取るべき最も適当の態度である。

(三)優諚問題は一般政策の問題とは異なり、陛下に対する忠節の問題であり、国体の根本に関する問題である。貴族院は皇室を尊崇し国体を擁護する上に特殊の地位を有するものであるから、此の種の問題に付いては、特に政府に警告を加ふべき強い理由が有る。

要するに、衆議院の形勢、政府の一般の失政及び問題の特殊の性質の三は、貴族院をして此の非常の態度に出でしめた主たる理由となつたものと推測せられる。而して若し此の推測にして当れりとすれば、私はそれを相当の理由あるものと信じ、此の決議を以て敢て貴族院の本分に反するものとは考へないものである。

貴族院の此の決議に対し、総理大臣は現在までは、更に引責辞職を為すべき様子も見えず、又別に反省の態度をも示さない、泰然として知らざるものの如く、引続き尚其の職に安んじて居る。

貴族院の側に於いても、今回の決議は其の提案者が自ら之を説明して、総理大臣の辞職を促す意味は毛頭無く、単に注意を促すに止まるものであると言明したのであるから、総理大臣が之に対して、唯聞き流すに止まり、何等の措置を取らないにしても、其の以上に進んで如何なる手段をも取らうとせず、其の結果は唯決議を為しただけに止まり、直接には何等の実際上の効果を生じないで終つたやうに見える。

併し是は必ずしも問責決議の性質に反するものではない。等しく問責決議と言つても、其の内容は強弱さまざまであつて、或は全然内閣の存立を否定するものもあり、或は単に政府の特定の行為を不当として之を非難するに止まるものも有る。後の場合は必ずしも内閣の辞職を要求する意義を含むものではなく、随つてそれから直接には別段の実際的効果を実現しないのが普通である。今回の貴族院の決議は、事皇室に対する関係を含み、且つ軽卒不謹慎甚しきもので職責上欠くる所ありといふ頗る強い言辞を用いてあるけれども、要するに、総理大臣の特定の行為を非難したに止まり、其の在職を否定する趣意を含んで居るものではないのであるから、之に対して総理大臣が直に引責辞職の態度を取らなかつたのも、敢て怪しむに足らぬ。

併しそれを以て全然無効果に終つたものと見るのも適切ではない。直接に実際的効果は見はれないにしても、精神的に現在及び将来の首相に対し、警告を与へた効果は没すべからざるもので、それが実際に如何に発動するかは、将来の問題であるが、必ず無意味な決議としては終らぬであらう。

(昭和四年四月発行「法学協会雑誌」所載)