現代憲政評論 選挙革正論其の他, 美濃部達吉

議会に於ける議事進行妨害


少数派の議事進行妨害オブストラクシヨンは、日本の議会に於いても、是れまでも一再ならず実行せられたものであるけれども、今年の第五十六回議会に於ける程に、組織的且つ計画的に実行せられたのは、是れまで嘗て見なかつたところで、それが大に世間の注意を惹き起したのは、当然である。政友会の第五十六回議会報告書の中には、特に此の事を高調して、之を以て反対党の許すべからざる亡状であるとして居り、学術的の論文としては、宮沢助教授は三月二十五日発行の帝国大学新聞に於いて、吉野博士は五月号の中央公論に於いて、特に此の問題に付いて論じて居られる。

それは殊に政友会と床次氏の新党倶楽部との共同提出に係る選挙区制度の改正法案の議事に関して起つた所で、その法案が始めて衆議院の議事日程に上されたのは、三月九日であつたが、同日は午後一時二十四分の開議から午後九時二十八分の散会に至るまで、埒もなき懲罰動議や一身上の弁明や記名投票の反復やに時を費やし、遂に提出者をして提案の趣旨を弁明することをも得せしめずして終つた。三月十一日の会議に於いて始めて提出者の説明が有つたが、それに対する質問は十一日十二日の二日に亘つて行はれ、各質問者の演説は三時間五時間の長時間に及び、何時果つべしとも思はれなかつたので、十二日の会議に於いて政友会議員の側から一切の発言を禁じ直に討論を用いずして本案を議長指名の二十七名の委員に付託すべしといふ動議を提出し、十三日の会議に於いてその動議が可決せられて、始めて該法案が委員会に付託せらるることとなつた。第一読会に入つてから、委員に付託せらるるまで、実に四日を費やしたので、それは反対党の議事進行妨害の結果であることは言ふまでもない。

其の妨害の手段として用いられた最も著しいものは、長時間の質問演説であつて、是は殊に今回の場合に於いて可なり有効に行はれた。それは一つには法案自身の性質が、長い質問演説を比較的容易ならしめた結果で、即ち問題の法案は選挙区制度の改正に関する法案であつて、各選挙区毎に一つ一つ其の人口数と議員数との比例に付いて質問すれば、それだけでも容易に長時間を費やし得たからである。十一日の会議に於ける斎藤隆夫氏の演説は其の適例で、十二日の会議に於ける亀井貫一郎氏の演説と共に、各々三時間以上に及んだ。亀井氏の質疑に対する答弁が終ると、亀井氏から再質問の要求を為したが、それに先ちて政友会議員から、質疑を終局して直に委員に付託すべき動議の提出が有り、それと同時に民政党の武富済氏からは質疑延期の動議が提出せられた。質疑終局の動議に対しては、先例上質疑延期の方が先決を要する動議であるといふので、其の理由を弁明する為の発言が許され、而して武富氏は其の弁明を名として実に五時間に亘る長演説を為して、午後十一時半に至り、遂に質疑終局の採決を次の日まで延期せしむることに成効した。

其の他各種の動議殊に総ての先決問題となるべき懲罰動議の提出及び其の動議の趣旨を弁明する為の発言、議事進行の為の発言、一身上の弁明、記名投票の繰返し、定足数を欠いて居ることを議長に警告し議長をして屢々しばしば定足数を計算せしむること等も、議事の進行を妨害すべき合法的手段として用いられたものであつたが、それは政友会議員の側から、「本案ヲ委員ニ付託スル迄現ニ提出シアル動議、将来提出セラルベキ動議其ノ他一切ノ動議並ニ議事進行其ノ他ノ一切ノ発言ヲ禁ジ直ニ討論ヲ用ヒズシテ本案ヲ議長指名二十七名ノ特別委員ニ付託スベシ」といふ動議が提出せられたことに依つて阻止せられて、多く有効に用いらるることを得なかつた。

三月十三日の本会議に於いて委員に付託せられた法案は、委員会に於いても、少数派の委員は出来得る限り其の進行を妨ぐることに努めたのは言ふまでもなく、多数派の委員の努力に拘らず、委員会の審査を終つて、再び本会議に上ることを得たのは、会期僅に五日を余すに止まる三月二十日の会議であつた。然るに此の日は午後一時五十分の開議から午後十一時四十一分の散会に至るまで全く混乱と紛擾との間に終始し、四たび休憩を重ねて遂に議事日程に入ること能はず、空しく散会するの已むなきに至つた、議事速記録に依ると、議長が日程に入ることを宣告するに先ちて、既に議場騒然、発言者離席者多く、議長は唯「静ニ――――静ニ――――静粛ニ願ヒマス」と連呼するに止まり、一言も議事を進行せしむること能はずして終つたのである。此の日の議事進行妨害は、徹頭徹尾違法性を帯びたもので、その点に於いて委員付託以前に於ける進行妨害が大体に於いて合法的の手段を取つて居たのと著しい対照を為すものであつた。それは恐らくは委員付託以前の議長は元田肇氏又は其の代理者として清瀬一朗氏が之に当つて居り、少数派を圧迫して無理に議事を進行せしめようとする態度が露骨でなかつたのに対し、委員長の報告後には、川原茂輔氏が新に議長席に就き、露骨に少数派を圧迫せんとする態度が示された結果でもあつたであらう。それは兎も角、終日に亘つて紛擾の為に全然日程に入ること能はずして終つたことは、実に議会空前の醜体であつて、それが為に議員数十氏に対する刑事事件の告発となり、院内の出来事に対して議員自ら之を処理すること能はず、司法権の発動を見るに至つたことは、わが議会歴史の上に拭ふべからざる汚点を印したものと謂ふべきである。

此の醜体に対しては、さすがに各政党に於いても自ら省みる所が有り、其の翌日には各派交渉会に於ける妥協の結果、翌二十一日を討議に費やし、二十二日に最終の確定議を為すことに協議が纏まつたので、その以後にはさしたる妨害もなく、二十一日の会議に於いて第二読会を終り、更に二十二日に第三読会を経て、同日始めて之を貴族院に回付することを得た。

併しそれは会期余す所僅に三日に過ぎない時であつて、此の三日の間に貴族院を通過することは全く絶望であつたから、該法案は衆議院だけを通過することを得たとはいひながら、少数派の進行妨害は結局は其の目的を達し得たものと謂ひ得べきもので、実際には該法案は貴族院に於いては、僅に藤沢氏一人の質疑が有つただけで、委員に付託せらるるにも至らずして、会期の終了を見た。

政友会及新党倶楽部の提出に係る選挙法改正案に付いての、衆議院に於いての議事進行妨害は、従来の日本の議会歴史に於いては、未だ嘗て見ない程の激烈なるものであつたから、以上簡単に其の顛末を略記したのである。

併しながら、少数派の議事進行妨害は、是れ程露骨にではないが、貴族院に於いても、屢々しばしば有効に実行せられたところで、殊に貴族院に於いては質問打切りの慣習が無い為に、長い質問を続行することに依つて、議事の進行を妨害することが、衆議院に比すれば、誠だ容易であつて、是れ迄も常に少数派の有力なる武器とせられて居る。今年の議会に其の著しい例証を求むれば、宗教団体法案を挙げることが出来る。同法案が本会議に於いて果して多数の賛成を得たであらうや否やは全く不明であるが、少くとも委員会に於いては、委員の多数が大体に於いて原案の趣意に賛成であることは、疑ふべからざるもののやうであつた。而も二三の委員が熱心に之に反対であつたが為に、委員会に於ける議事の進行は遅々として牛歩の如く、法案は既に会期の初に於いて提出せられたにも拘らず、委員会の審査は会期の終了に至る迄遂に結了せず、該法案は、さきに岡田良平氏に依つて提出せられた宗教法案と同じ運命を辿り、貴族院の本会議の討議に上るにも至らず、委員会に於ける審議未了のまま葬らるるに至つた。而して是れは少数の委員が議事の進行を妨げた結果であることは、更に疑を容れない所である。

議事の進行を故意に妨害して議案の成立を妨ぐるの企が頻繁に行はれることは、固より議会政治の建全なる現象ではない。若しそれが、嘗てオーストリアに行はれたやうに、常習的の出来事となり、立法は常に成立せず、凡て緊急命令に依つてのみ処理せねばならぬやうな事態を生ずるに至つたならば、それは殆ど議会政治の否定とも謂ふべきである。

併しながら、議事進行妨害は必ずしも一概に少数派の許すべからざる亡状であるとして、絶対に排斥せらるべきものではない。それは多数派の不当の横暴に対して少数派の有する唯一の有力なる武器で、不法の手段を以てすることは許すべからずとしても、少くとも合法的の手段を以て議事の進行を妨ぐることは、場合に依り正当防衛として認めらるべきものである。

議会制度は固より多数決制度であるけれども、多数決制度は決して多数万能主義を本旨とするものではない。多数決制度は唯正しき結果を得んが為の手段であつて、此の目的に適する限度に於いてのみ是認せらるべきものである。それであるから多数決制度は又当然に多数派の適度の自制を要求する。多数派にして若し単に其の多数であることのみをたのみ、正義の要求を無視して、其の自制を失ひ、多数の力を以て強ひて其の非を推し通さうとする場合には、少数派の議事進行妨害も亦已むを得ざる正当防衛の手段として是認せられねばならぬ。

今回の選挙法改正案の如き、小選挙区制度の是非如何は暫く措き、(1)政府党の主張であるにも拘らず、政府案として提出せず、議員の名を以て之を提出せしめたのは、若し政府案として提出すれば、枢密院に諮詢しじゅんせらるることを要し、而して枢密院の同意を得ることが困難である為に、其の諮問を避くる為にした痕跡が著しいこと、(2)小選挙区制に改むると称しながら、一区二人若くは一区三人を選出するものと為せる区が甚だ多く、而してそれ等は一に自党の利益の為にしたものであることが明瞭であること、(3)現行法は政友会、民政党、革新倶楽部の一致に依つて制定せられたもので、それは唯一回実行せられたに止まり、而も法律自身にも十年間は別表を改正しないことを明言して居るにも拘らず、今にわかに之を改正せんとするのは、党利の為に法律を蹂躙するものであることの諸点に於いて、甚しく正義感情に反するものであり、それが前に述べた如き妨害を受けて、其の進行を阻止せられたのも、已むを得ない結果で、少くとも其の責任の一半は多数派自身に在るものと謂はねばならぬ。

今年の議会に於ける議事進行妨害は、それが是れ迄嘗てわが国に見なかつた程に、組織的であつた為に、著しく世間の注意を惹いたけれども、将来の問題として、少くともわが現在の状態が継続して居る限り、わが国に於いては議事進行妨害はさまで憂ふべき現象であるとは思はれない。それは第一には、少くとも衆議院に於いては、議事妨害が長きに亘りて成効し得る望みが甚だ少いからである。衆議院の議事規則及び議事慣例は、議事妨害を阻止し得べき各種の手段を設けて略余蘊ようんが無い。多数派は何時にても、質問打切り、討論終局の動議を提出し得るのみならず、今期の議会に於いては、委員附託まで一切の動議一切の発言を禁止することの動議すらも、適法の動議として容れられた。若し斯かる動議の提出すらも許さるるものとすれば、少くとも合法的な妨害手段は全く封鎖せらるるの外は無い。これに加ふるに、議長は常に多数派の選出する所であるから、多数派は議長と呼応して一層能く進行妨害を阻止することが出来る。

それであるから、少数派の妨害が行はれるとしても、それが成効し得る期間は自ら限られて居り、長い間継続して之を妨害することは、殆ど不可能である。今回の議会に於ける妨害が成効し得たのは、会期の将に終に近づいて居た時であつたからで、それすらも若し貴族院を通過する望みが有れば、会期を延長することも不可能ではなかつたので、それが延長せられずして終つたのは、貴族院を通過する見込の乏しかつた為でなければならぬ。

議事妨害の成効し得る望みの多いのは、寧ろ貴族院殊に貴族院の委員会に在る。併し貴族院に於いても、若し将来議事妨害が濫用せらるるおそれあるに至つたならば、質問打切り及び其の他之に対抗すべき適当な慣例を生ずべきは必然で、それが今日まで行はれて居らぬのは、今日までの程度に於いての議事妨害は敢て正義感情に反するものと認められて居らぬことを証明するものである。

第二に、議事進行妨害が真に議会制度の破壊とも見るべき憂ふべき程度に達するのは、党派の間の争が峻酷を極めて、其の間に意思及び感情の疏通が不可能となり、各派交渉会に於ける相互の譲歩妥協も絶対に望まれな場合に於いてである。それは党派の争が民族的、宗教的、又は階級的の反対に基づいて居る場合に起り得る所で、民族的の反感、宗教的信仰の反対、階級的の利害の衝突は、相融和すべからざるものであり、之に基づく党派の争は、殆ど死生を賭するの争ともなり、其の戦には手段を択はず、議事妨害も真に憂ふベき程度に達するおそれが有る。

わが政党には、民族的又は宗教的の反対は全く存しない。階級的の利害の衝突に基づく争も、現在の状態に於いては、未だ著しく議会に見はるるに至らない。即ち少くとも現在の状態の継続する限りに於いては、わが国の議会に於いて、議事進行妨害が深く憂ふべき状態に達すべき条件を欠いて居るものである。

唯他日階級的の反感が益々と峻烈となり、而して議会に於いて資本党と無産党とが相対峙する時期が来るならば、其の時は、議事妨害も相当峻酷化するおそれが有るであらう。

(昭和四年六月発行「法学協会雑誌」所載)