昭和四年十月十五日政府は濱口総理大臣の名を以て突然左の如き声明書を発表した。
声明書
政府は経済上の難局に直面して之が匡救を計る為、先に財政緊縮及消費節約の必要なる所以を提唱し、直に昭和四年度実行予算を作成して相当巨額の節約を行ひ、以て政府の決意を表明したり。今玆に同一の方針を以て昭和五年度予算を編成し、財政救済の建直しを行はんとするに常り、政府は一般歳出に対して出来得る限りの緊縮を計ると同時に、官吏の俸給に対しても亦之が減額を行ふの已むを得ざるに至れり。
加ふるに、我国官吏の俸給は、世界戦争以来急激なる物価の騰貴に伴ひ大正九年平均七割の増額を行ひたるも、最近物価は漸次低落の傾向を示しつつあるに顧み、此の際一般官吏の俸給に付年俸千二百円又は月俸一百円を超ゆるものに対して、大体一割程度の減額を行ふことに決定せり。而して其の内比較的薄給の者に付いては減俸の歩合を少くするを以て適当なりと思料し相当の参酌を加ふることとせり。
固より官吏の俸給を減額するは政府の好まざる所なり、然も政府が敢て之を断行せんとするは現下の国情実に已むを得ざるものあればなり。是に於いて政府自ら実践躬行範を国民に示し、以て経済難局の打開に資する所あらんと欲す。国民も亦宜しく政府の意の存する所を諒とせられ、官民相率いて整理緊縮を行ひ消費節約に精進し、以て財界の安定国民経済の建道しに努力せられんことを切望す。
此の声明書は一般世間に取つては極めて突然であつた。固より政府の内部に於いては早くから内議が有り、相当考慮を重ねた後決せられたものであることは勿論であるが、その内議が此の時までは全く外部に漏らされなかつたので、此の突然の発表に依り世間は其の意外に驚くと共に、期せずして殆ど一斉に之を反対した。
政府が官吏の減俸を断行することを決した理由として公表した所は、凡そ左の三点に在る。
(イ)勉めて国費を節約し殊に公債に依らざる予算を編成するには官吏の減俸も已むを得ざる必要であること。
(ロ)物価低落の傾向に在り随つて減俸を為すも敢て不合理ならざること。
(ハ)国民を挙げて消費を節約する必要が有り而して官吏より先づその範を示すべきこと。
併し此等の何れの点も世人を首肯せしむるに足るべき強い理由あるものではなかつた。(イ)官吏の減俸に依つて節約せられ得べき経費は大蔵省の計算に依れば年額僅に七八百万円に止まつて居り、それ程の金額は他の手段に依つても之を節約し、又はその財源を求むることが敢て困難でないこと、(ロ)物価が低落の傾向に在ると言つても、俸給生活者の生計に直接の関係ある生活資料の小売相場は決して著しく低落して居らぬこと、(ハ)官吏の生活を以て範を国民に示すといふが如きは烏滸の沙汰であるのみならず、単に消費を節約するのみを以ては決して経済国難を救ふ所以ではないことの諸点が、政府に対する反対論として主張せられた外に、尚積極的には、官吏の俸給は今日の社会に於いて決して余裕あるものではなく、之を減額することは直に官吏の生活を脅威するものであり、その結果は必然に官吏の能率を減じ思想を悪化する虞が有り、殊に銀行会社其の他の一般資本家が、国家の例に倣つて其の使用人の給料を減額するに至るべきことを予想し得べく、若し然りとすれば、是れ専ら資本家階級の利益の為に、勤労階級を犠牲にするものであるといふ非難が最も強く主張せられた。
此の時までの濱口内閣の施設は大体に於いて世論の支持を受けて居たのであつたが、此の官吏減俸案が発表せらるるに至つて、形勢遽に一転して、政府は社会の各方面からの猛烈なる非難の下に立つに至つた。官吏自身の間に於いても、東京に於ける検事及び判事の一団は率先して反対運動を起し、捨て置き難い形勢を示した。政府は此の意外の有様に驚くと共に、之が対策として、或は司法官優遇の途を講ずべしといひ、或は比較的薄給者には減俸率を低下すべしといひ、以て成るべく反対の気勢を緩和せんと試みたけれども、世論の反対は毫も衰へず、却つて日を逐うて益々甚しきを加へ、此の儘に推移すれば内閣の地位を危ふからんとするの勢を示すに至つたので、濱口首相は遂に断然之を撤回することに決意し、旅行中の各大臣に電報を以て帰京を求め、減俸案発表の日より恰も一週間を経た十月二十二日の閣議に於いて、全閣僚の同意を得て、其の撤回を決議し、同日直に左の声明書を発表した。
十月十五日の閣議に於いて決定したる官吏の俸給在勤加俸等の整理減額の件は世論の趣向に顧み本日の閣議に於いて之を取り止むることとせり。
官吏減俸案の計画と其の撤回とに付いての経過の要領は略右に述べた通りである。政府が閣議を以て実行すべく決定し、之を世に公表した後に於いて、世論の反対に遇うたが為に直に之を撤回したことは、是まで殆ど其の例を見ない所で、此の点に於いて既に甚だ注目すべきのみならず、減俸案それ自身に付いても、又その撤回に付いても、法律上から見て論ずべき問題が少くないから、玆に其の顛末を記すと共に、聊それに付いての卑見を述べようと思ふ。
第一に、政府が一方的に一般官吏に対して減俸を為すことは、憲法上許され得る所であるや否や。
先づ先例に付いて見ると、稍今回の場合に類似する例としては、明治二十六年に行はれた官吏俸給の一割の強制寄付を挙げることが出来る。併しそれは結果に於いては今回の減俸案と同様に、或はそれよりも一層極端に、総ての官吏に対し一律に俸給の十分の一を減額したものであつたが、其の法律上の形式に於いては、全然今回の案とは異つたものであつた。
当時は衆議院と政府との間に毎年衝突を繰返して居た時代で、同年の第四回議会に於いても、衆議院は政府の提出した予算案の中から製艦費を削除した外憲法第六十七条に依る既定費目に付いても大削減を加へて政府の同意を求め、政府がその同意を拒んだに拘らず尚その決議を固守し、遂に同年二月七日の会議に於いて、内閣弾劾の上奏案を可決すると共に、内閣の処決を為さしむる為に休会することを決議した。内閣弾劾の上奏が通過した以上、内閣と議会との両立は不可能であつて、その結果は、必然に内閣の総辞職か然らざれば衆議院の解散となるべく期待せられて居たが、仮令衆議院を解散したとしても政府側の勝利を得べき見込の無いことは、前年の総選挙の経験に依つても明瞭であり、さればと言つて内閣が辞職したとしても、同じ薩長内閣である以上は局面を一変すべき見込が無いので、政府は全く窮地に陥つたのであつた。此の政局を突如として一変せしめたのは、右の上奏文の捧呈せられた翌々日、二月十日を以て発せられた詔勅であつて、それには閣臣と議会との紛争を戒め和協を望ませらるると共に、左の重要な文言を含んで居た。
国家軍防ノ事ニ至テハ苟モ一日ヲ緩クスルトキハ或ハ百年ノ悔ヲ遺サン朕玆ニ内廷ノ費ヲ省キ六年ノ間毎歳三十万円ヲ下付シ又文武ノ官僚ニ命シ特別ノ情状アル者ヲ除ク外同年月間其ノ俸給十分ノ一ヲ納レ以テ製艦費ノ補足ニ充テシム。
明治二十六年に行はれた官吏減俸令は、上の如き形式を以て行はれたもので、それは其の費途が製艦費に限定せられて居り、其の年限に於いても六ヶ年の制限を加へられて居たことに於いて、今回の案とは著しい相違が有るのみならず、俸給令の改正に依り俸給を減額したのでなく、俸給令はそのままにして、別に大命を以て俸給十分の一の国庫納付を命ぜられたのである。
此の詔勅は勿論全国務大臣の副署を以て発せられたものであるが、政府(時の内閣は伊藤内閣であつた)が、局面を一新する為の已むを得ざる窮策とは言へ、畏れ多くも此の如き詔勅を奏請したことは、当時の政府の思想が如何に専制的であつたかを推知せしむるに足るものである。単に法律上の理論から言へば、俸給令がそのまま有効に存続して居つて、官吏は定額の俸給を受くる権利を有つて居るのに、勅命と雖もその中十分の一を強制的に国庫に献納せしむることが、法律上果して出来得ることであるや否やは、可なり問題となり得るのである。唯注意すべきことは、同じ第四議会に於いて貴族院から官吏の俸給の減額を政府に建議したことで、その頃の貴族院は政府と密接の関係の有つたものであるから、官吏減俸の事は政府に於いても兼ねて考慮して居つたことであるらしく、それが衆議院の弾劾上奏を機として、大詔煥発の形を以て現はれたものではなからうかと思はれる。それは何れにしても、此の詔勅は法律上から言へば官吏の俸給を減額したものではなく、唯官吏に俸給十分の一の寄附を命ぜられたものであり、而もそれは法律上の義務としてよりも、寧ろ徳義上の義務として寄附を望ませられたものと見る方が穏当である。勿論官吏は凡て異議なく其の命に従つたけれども、それは法律問題を超越して、臣子の倫理的の本分として大命に服従したのであつて、法律上の義務としては、寄附の義務といふやうなものが有効に存立し得るや否やは、頗る疑はしく、此の如き詔勅を奏請した内閣の責任は甚だ軽からぬものと思はれる。
濱口内閣に依つて計画せられた官吏減俸案は、形式に於いて勿論明治二十六年の強制寄付とは甚だ異なつたもので、それは正式に勅令を以て俸給令を改正し、以てその定額を減じようとするのであつた。
強制寄付といふことが、法律上有効の命令として成立し得るや否やは疑問であり、寧ろ普通の憲法理論としては、それは有効の命令ではあり得ないと信ぜられるのに反して、官吏の俸給令を改正して、俸給の定額を減少することは、それが政治上又は社会上に適当の処置であるや否やは全く別問題として、単に法律問題としては、完全に適法であり有効であることは、更に疑を容れぬ所である。
俸給を受くることは固より官吏の権利であるけれども、此の権利は勅令に依つて与へられて居る権利であつて、勅令の下にその効力を有するに止まり、勅令に優る効力を有するものではあり得ない。その勅令が改廃せられない以上は、官吏はその権利を侵されないことを保障せられて居るものであるが、その権利の基礎を為して居る勅令それ自身が改正せらるるならば、その権利は又随つて変更せらるることを免れないのは当然である。
或は、官吏の任命は公法上の契約であり、俸給権は契約上の権利である、随つて政府の一方的の意思を以ては、之を制減し得ないといふ説を為す者が有るけれども、それは全く謬説である。官吏の任命が公法上の契約であるといふのは、唯その任命の有効なる為には受任者の同意を要することを意味するに止まり、官吏が既に任命せられて後に有すべき権利義務の内容が双方の合意に依つて定まることを意味するのではない。官吏の任命が契約であるにしても、それは所謂服従契約であつて、官吏は国家の特別の権力に服従し国家の定むる俸給を受け国家の命ずる勤務に服することを承諾して任命せらるるのであり、従つてその受くべき俸給金額又はその担任すべき職務の範囲は、凡て国家の一方的の意思に依つて定まり、契約に依つて定まるのではない。一方的の意思に依つて定まる俸給金額は、又一方的意思に依つて変更することが出来なければならぬ。
文官分限令第六条には「官吏ハ其ノ意ニ反シテ同等官以下ニ転官セラルルコトナシ」とあつて、官等を降されないことだけは保障せられて居るけれども、(1)官等を降されないことと俸給を減ぜられないこととは、全く全別題であつて類推を許されないのみならず、(2)此の保障自身も勅令に依つて定められて居るもので、勅令の改正に対抗し得べき効力を有するものではなく、此の勅令自身を改正することに依つて何時でも廃止し得べきものであり、又(3)それは各個の官吏の転官に付いての規定であつて、一般官吏に対する制度の改正を禁止する規定ではない。従つて、此の文官分限令の規定を以ても、官吏が減俸せられない権利を有することを保障したものと見るべき根拠は全然之を看出すことを得ない。
之を従来の先例に付いて見ると、前に述べた明治二十六年の例を外にして、正式に俸給令を改正することに依り一般官吏の俸給を減額したことは、自分の知る限り嘗てその実例を見ないやうであるが、特殊の地位に在る官吏に付いては、例へば同じ明治二十六年に始めて帝国大学の教官の俸給に本俸と職務俸とを分つに当り、その本俸の金額は、例へば教授の一級俸が従来三千円であつたのを千二百円に減じたが如く、著しく減額し、之に職務俸を合しても、上級者に在つては従来に比し少からず俸給総額を減じたが如き例が有り、其の他に於いても尚類似の例を看出し得るであらうと思ふ。
要するに、我が現在の国法に終いては、一般官吏の俸給権は、不可侵なる既得権として保障せられて居るものではなく、憲法第十条に明示せられて居る如く、文武官の俸給を定むることは、天皇の大権に属し、予算の範囲内に於いては、勅令を以て自由に之を定め得べく、随つて又之を変更し得べきものである。
唯裁判官に付いては、裁判所構成法第七十三条に依り、判事は刑法の宣告又は懲戒の処分に由るに非ざれば減俸せられないことを保障せられて居る。判事の俸給も一般官吏の俸給と同様に憲法第十条に依り勅令を以て定めらるるものであり、従つて法律の別段の規定なき限りは、当然勅令の改正に依り之を変更し得べきを原則とすべきものであるが、独り判事に関しては、此の裁判所構成法の規定に依り、勅令の改正が制限せられ、勅令に依つて一たび俸給の金額が定められた以上は、単純な勅令の改正に依つて之を減額することは不可能であつて、若し之を減額せんとする場合には法律を以て特にその事を定める必要が有る。即ち判事に在つては、恰も其の官職を奪はれざる権利が担保せられて居ると同様に、俸給権も亦法律に依り既得権として保障せられて居るのであつて、単純な高等官官等俸給令の改正に依つては、之を減俸することが許されないのである。
之に対する反対論としては、唯二の説を想像することが出来るだけである。
(イ)一は故穂積博士に依つて唱へられた「大権の独立」説であつて、即ち憲法上の大権は法律に依つて制限することを得ないとする説である。文武官の俸給を定むることは、憲法第十条に依り天皇の大権に属するものであるから、法律を以ては制限し得ないものであり、随つて裁判所構成法の規定も大権を制限するものと解釈することを得ないといふのである。
併し所謂「大権の独立」の思想が到底維持し得られないものであることは、種々の機会に於いて私の屢述べた所であるのみならず、少くとも憲法第十条の大権に付いては、憲法自身に「他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各其ノ条項ニ依ル」といふ但書が付せられて居るのであつて、法律に特例の定が有れば、それに依らねばならぬことは、更に疑を容るべき余地も無い。
(ロ)他の一は、裁判所構成法の規定を解して、それは単に個々の官吏に付いての保障規定であつて、一般的の減俸を含まないとする説である。
併し、それが法律の正当な解釈でないことは、法律の規定から言つても、事の性質から言つても、明瞭である。
先づ法律の規定から謂ふと、同条には
第七十四条乃至第七十五条ノ場合ヲ除ク外判事ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルニ非サレハ其ノ意ニ反シテ転官転所停職免職又ハ減俸セラルルコトナシ
とあつて、転官転所などは唯個々の官吏に付いてのみ起れ得る所であるから、一見すると凡て個個の官吏に関する規定であるやうに思はれないではないが、同条の例外として認められて居る第七十五条には、「法律ヲ以テ裁判所ノ組織ヲ変更シ又ハ之ヲ廃シタル場合ニ於テ其ノ判事ヲ補フヘキ闕位ナキトキハ司法大臣ハ之ニ俸給ノ半額ヲ給シテ闕位ヲ待タシムルノ権ヲ有ス」とあつて、一般的の制度の改正に依る場合を規定して居るのである。若し第七十三条の規定にして、単に個個の官吏に対する処分のみを定めたものとすれば、法律の改正に依つて裁判所を廃止した結果としての廃官の如きは、同条の例外と見るべきものではない。而も法律は此の場合に於いても尚廃官となることなく、単に俸給の半額を給して闕位を待たしむるに止めて居るのであつて、それを以ても第七十三条の趣意が決して単に個々の官吏に対する処分を禁止して居るに止まらず、一般的の制度の改正に依り、判事を廃官とし、又は減俸することも、為し得ないものとして居ることが明白である。
事の性質から言つても、個々の官吏に対する減俸は唯懲戒処分か又は転官転所の場合の外は起り得ないもので、単にそれだけであるとすれば、懲戒処分及び転官転所に付いてはそれぞれ別にその規定が有るのであるから、法律が特に「減俸セラルルコトナシ」と言つて居るのが全く無意味とならねばならぬ。
要するに裁刊所構成法第七十三条の規定は、憲法第五十八条第二項の趣意を敷衍して、裁判官の地位の独立を保障し、裁判官が政府の権力に依つて、その地位を動かされその権利を侵さるることの無いことを定めて居るのであつて、個々の処分であると、一般的の規定であるとを問はず、政府の権力に依つてその地位を動かし俸給を減ずることは、明に同条の規定に抵触するものである。
それであるから、一般の官吏に付いては仮令政府の最初の計画の如くに減俸が行はれたとしても、少くとも判事に対しては、それは新に法律を定むることの外には、実行し得られなかつたものである。
是に於いてか、若しそれにも拘らず政府が勅令を以て判事に対する減俸を断行したと仮定すれば、此の違法の勅令に対して、判事は如何なる救済手段を有するかの問題を生ずる。
是は純然たる仮定の問題で、深く玆に論ずるまでも無いが、我が現在の国法の下に於いては、議会に於いて政府の責任を糾弾することの外には、法律上に何等の救済手段は無いと断定せねばならぬ。
何となれば、俸給は純然たる公法上の権利であつて、民事訴訟の目的とはなり得ないものであり又行政裁判所に出訴し得べき事項としても認められて居らぬからである。即ち仮令その勅令は法律に違反するものであるとしても、それは唯理論上は無効であるといふに止まり、政府が之を有効の命令として励行する以上は、官吏は裁判上に其の無効を主張すべき何等の手段を有せず、法律上に其の効果の発生を妨ぐべき途は全く存在しないのである。
官吏減俸案の発表及び其の撤回に付いては、一部の方面から、それが憲法上の大権を干犯するものであるといふ非難が加へられた。官吏の俸給を定むることは、憲法第十条に依り天皇の大権に属する、然るに内閣が上奏をも為さずして、その減俸を決定し、公に之を発表したのは、大権を干犯するものである、若し又上奏の上之を発表したものとすれば、之を撤回することは、聖旨に反するもので、等しく大権を侵犯するものであるといふのである。
「大権干犯」といふ非難は、わが国に於いて、政敵に対する排擠の手段として屢々用いらるる所であるが、その多くは理由なき非離で、吾々は常に之に対し不快の感を抱いて来た。今回の非難も亦此等と同様に、唯反対せんが為の反対であつて、理由の無いものと信ずる。
政府が減俸案を発表するに当り、予め内奏したや否やは不明であるが、仮令内奏を為さずして発表したとしても、其の発表は唯閣議に於て斯く決定したことを発表したに止まり、国家の意思の決定として発表したものでないことは、其の文面に於いても明白である。閣議の決定は必ずしも絶対の秘密を要するものではなく、内閣に於いて予め発表することを適当と認めたものは、上奏に先ちて公然世に発表することは、従来も普通に行はれた例であり、之を非難すべき理由は無い。官吏の俸給を定むることは、勿論天皇の大権に属するものであるが、大権輔弼の任に当る内閣が予め之を審議してその意見を決定することは、固より当然であり、而して勅裁を仰ぐに先ちその決定を発表したとしても、それは唯内閣の意見の発表たるに止まり、毫も大権を干犯するものではない。
若し又内奏を経て然る後に発表したとしても、其の内奏は、唯閣議の決定を聖聞に達したに止り、減俸案そのものに付いて御裁可を得たのでないことは明瞭である。減俸案の裁可は唯勅令の裁可の形に於いてのみ行はるるもので、既に勅令として御裁可を得た後に於いて、之を撤回するの已むを得ざるに至つたとすれば、聖旨を軽んずるの非難を免れないことは勿論であるが、単に閣議の決定を内奏したに止まるとすれば、更にその閣議を改めたとしても、敢て大権を侵すものでないことは、言ふまでもない。
減俸案に関連して起つた注目すべき事件の一に、尚官吏の団結権の問題が有る。それは判事及び検事の一団が相結束して共同に減俸に対する反対の意見を表示し、之を阻止せんとする運動を起したことである。
官の規律といふ側から見れば、官吏が多数結合して政府の定めた方針に反抗する運動を為すが如きは、官規を紊るの甚しきもので、官吏の本分に反するものと思はれないではない。
併し官吏と雖も決して政府に対して絶対の服従義務を負ふものではない。官吏を以て政府の奴隷の如くに、如何なる命令に対しても絶対に服従せねばならぬものと考へるのは、封建時代の思想であつて、法治国家の思想ではない。官吏は唯其の職務に関してのみ服従義務を負ふもので、それに付いてすらも官吏服務規律には、上官の命令に対し意見を述べることは之を許容して居る。況んや職務外の事柄に付き、殊に自分の生活上の問題に付き、意見を述ぶるが如きは、固より官吏の義務に違反するものと見るべきではない。
わが国法には勿論ドイツの新憲法に見るやうな官吏の団結権を公認して居る規定は無いが、集会結社の自由は特に禁止せられない限り官吏にも固より認められて居る折であり、各個の官吏の独立の意見では到底重きを為すに足るものではないから、それに重みを加ふる為に、多数の協議た依つて共同の意見として陳述することも、当然に許さるる所と認めねばならぬ。勿論官吏は公務を担任し、忠実にその職務を行はねばならぬ地位に在るものであるから、一般の労働争議に於けるやうに同盟罷業を為し、同盟怠業を為すことは、法律上から言つても、徳義上から言つても、許されない所であるけれども、其の職務を怠らない限りに於いて、相結束して意見を纏め、之を上官に陳述し政府に要求することは、敢て之を否定すべき理由は無いであらう。今回の検事の団結行動に対し、政府が之を容認し、その責任を質すべき何等の処置を取らなかつたのは固より当然である。
(昭和四年十二月発行「法学協会雑誌」所載)