我が国法に於ける枢密院制度は、世界の何れの立憲国にも殆ど類例を見ない日本の特有の制度である。
勿論、単に外形から言へば英国にも枢密院(Privy Council)と称せらるるもののあることは、誰も知つて居る通りで、日本の枢密院制度も恐くは英国の制度から換骨奪胎したものと思はれるけれども、日本の枢密院が英国の枢密院に類似して居るのは、唯名称及外形のみであつて、其の実質に於ては、組織に付いても、権能に付いても、又は政治上の実際の権力に付いても、全然類を異にして居るものである。
英国の枢密院は旧時代から伝はつた遺物で、近代に於ては唯名目のみを存して全く実権を失つたものである。枢密院が国王の顧問府としての実を備へて居たのは、近代の如き内閣制度の未だ発達しなかつた時代の事で、それは第十七世紀以前に属する。第十七世紀の下半期殊に第十八世紀以後今日の如き内閣制度が発達してからは、旧時代に於ける枢密院の権能は全て内閣に帰属することとなり、内閣が枢密院の地位に代つたのである。唯英国の内閣は法律上に公認せられた制度ではなく、枢密顧問官が余りに多人数で機密に国の大事を審議するには不適当となつた為に、顧問官の中で特に国王の信任ある少数の人が国王の真の顧問機関として機密の会議を開くことになつたことに其の端緒を発したものであつて、初めは英国の伝統的の憲法に違反するものとして世の非難を受けながらも、遂にそれが確定の習慣となつて今日に至つたものである。若し慣習即ち法であることを認めず、国家が形式的に承認したものでなければ法ではないとするならば、英国の内閣は国法上の存在を有しないもので、随つて又内閣大臣(Cabinet ministers)といふやうな特殊の官職もない。英国に於いて国王の輔弼機関たり顧問機関たるものは、此の意味に於ての国法から言へは、今日に於いても枢密顧問官あるのみで、内閣大臣は唯其の枢密顧問官たる地位に於いてのみ国王を輔弼する職責を有するのである。新内閣が組織せられると言つても、敢て内閣に列せしむといふやうな辞令を受くるのではなく、唯枢密顧問官に任ぜられるのみで、随つて総ての内閣大臣は必ず枢密顧問官であり、枢密顧問官としてのみ国王に忠誠及び秘密を誓ふのである。
換言すれば英国に於ては内閣の外に別に枢密院が有つて、之と相対して居るのではなく、内閣は枢密院の一部分に外ならないもので、多数の枢密顧問官の中に内閣大臣たる顧問官と然らざる顧問官とが有り、而して法律上は国王を輔弼する職務は全枢密院に存するのであるが、実際には内閣大臣たる枢密顧問官(即ち内閣)のみが輔弼の任に当り、其の他の枢密顧問官は唯顧問官たる称号を有するだけで、何等実際の職務を有しないものである。枢密院議長(President of the Council)は常に内閣大臣の一員たる慣習であるが、議長としては別段の職務を有するものではなく、実際は全く無任所大臣(minister without portfolio)と同一である。要するに英国に於ては法律上は枢密院あつて内閣なく、実際上は内閣あつて枢密院なしと曰つて可いのである。
英国に於て国王が内閣の輔弼に依つて大権を行ふ場合に、之を「枢密院に於ける国王」(King in Council)と曰ひ、内閣の輔弼に依り国王の発する勅令を「枢密院に於ける命令」(Order in Council)と曰つて居るのは、此の理由に因るもので、法律上の名義に於て「枢密院」と曰つて居るのは、其の実は内閣の意に外ならない。
日本の枢密院が之と比らべて、名称だけは同一であつても、如何に其の実体を異にして居るかは論ずる迄もなく明瞭である。
第一に、日本の枢密院は内閣の外に立ち内閣と相対立するものである。枢密院議長も亦英国のとは異つて、内閣の一員たるものではなく、内閣の外に在つて、専ら枢密院を統轄するの職務を有するものである。(但し伊藤博文が枢密院議長であつて特に勅旨に依り内閣に列せしめられた特例が有る)。勿論日本の枢密院官制にも、各大臣は職務上当然枢密院に於て顧問官たる地位を有し議事に列し表決に加はるの権が有ることを規定して居るけれども、是は唯外形上に英国の制度を模倣したに止まり、其の実際の意義に於いては、全く英国の大臣が必然に枢密顧問官たるのと異つて居ることは、言ふ迄も無い。英国の内閣大臣は其の枢密顧問官たることに依つて始めて法律上輔弼の任を有するのであるが、日本の内閣大臣は大臣として輔弼の任に当り、而して別に顧問官たる職務を兼ね行ふものと、定められて居るのである。而もそれも唯官制の明文に掲げられて居るのみで、実際は稀有な例外を除き殆ど実行せられて居ないものと伝へられて居る。要するに内閣と枢密院とは日本では相対立する別々の者で、而も内閣も英国のとは異つて単に事実上存在するに止まるものではなく、官制に依つて法律上公認せられた機関であつて、法律上に天皇の大権を輔弼するの職責を有し、而して之と相並んで別に枢密院なるものが有つて、重要の国務に付き天皇の諮詢に応ふるの任務を有するのである。進んで輔弼すると諮詢を待つて意見を上奏するとの差は有るにしても、等しく国務に関して天皇に進言する機関たることに於ては、内閣も枢密院も同様であつて、言ひ換ふれば日本の国法は天皇の国務上の大権に関して二重の顧問機関を設けて居るのである。是が日本の枢密院制度の特色であつて、それが世界に類例を見出し難い日本特有の制度である所以も、実に此の点に存するのである。
第二に、日本の枢密院は単に法律上に重要の国務に関して天皇の諮詢に応ふる任務を有つて居るばかりでなく、実際上にも内閣に対して自己の独立の意見を主張し、屢々内閣を制肘して、自分は全然無責任の地位に在りながら、責任者たる内閣の意見に反対し、之が為に内閣の方針を変更せしめ又は少くとも其の実行を遅延せしむることが尠くない。是が日本の枢密院をして英国の枢密院の如き唯名目のみを存して全く実権の無いものと異ならしむる最も重なる原因である。
此の如き制度が日本の国情に於て果して必要なものであらうか。仮令絶対の必要は認められないにしても何等かの存在の理由を有するものであらうか。それを論ずる為には先づ其の制度が如何にして設置せられ、又現行の国法に於て其の組織及権能が如何に定められて居るかを明にする必要が有る。
日本の枢密院は明治二十一年四月二十八日裁可同月三十日公布の勅令第二十二号に依つて始めて設置せられたもので、其の勅令の上諭には特に
朕元勲及練達ノ人ヲ撰ミ国務ヲ諮詢シ其啓沃ノ力ニ倚ルノ必要ヲ察シ枢密院ヲ設ケ朕カ至高顧問ノ府トナサント欲ス
と仰せられて居る。始めて枢密院の設けられた第一の理由は、憲法及皇室典範の草案を審議せしむることに在つたので、創立後第一に付議せられた諮詢案は言ふ迄も無く此の両草案であつた。之を諮詢せられるに当つては同年五月四日特に左の如き勅諭が枢密院に下された。
朕前ニ閣臣ニ命シテ起草セシムル所ノ皇室典範及憲法ノ案ヲ以テ枢密院ニ下シ詢議ニ付ス惟フニ立憲ノ大事ハ朕カ祖宗ニ対スルノ重責ニシテ終営創始朕自ラ之ヲ断スルノ任ヲ取ラントス而シテ惟幄ノ中励精研思卿等ト之ヲ倶ニシ献替啓沃一ニ卿等ノ忠悃縝密ニ倚藉セスンハアラス其他重要ノ法律勅令ニシテ憲法ト関係ヲ有スル者更ニ相続キテ院議ニ下サントス朕卿等ノ労劬ヲ勉メ機務ヲ慎ミ日ヲ期シテ功ヲ終ヘ以テ夙夜ノ憂ヲ分タンコトヲ望ム
併ながら、枢密院の設けられたのは決して単に憲法及皇室典範の草案を審議するだけの臨時の任務の為ばかりではなく、初めから恒久的の機関として設けられたのであつて、二十一年に定められた官制の中にも既に其の恒久的の職務権限を規定して居り、而して憲法の制定せられるに及んでは、憲法第五十六条に於て特に『枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス』と明言し、以て枢密院をして憲法上の必要機関たらしめた。即ち憲法の改正せられざる限り枢密院は必ず設置せられねばならぬ機関であつて、之を廃止することは憲法上許されない所とせられて居るのである。
枢密院の権限は最初に定められたのと今日の官制に依つて定められて居るのとの間には多少の相違が有る。
最初の官制には、其の第六条に
枢密院ハ左ノ事項ニ付会議ヲ開キ意見ヲ上奏シ勅裁ヲ請フヘシ
一 憲法及憲法ニ附属スル法律ノ解釈ニ関シ及予算其他会計上ノ疑義ニ関スル争議
二 憲法ノ改正又ハ憲法ニ附属スル法律ノ改正ニ関スル草案
三 重要ナル勅令
四 新法ノ草案又ハ現行法律ノ廃止改正ニ関スル草案列国交渉ノ条約及行政組織ノ計画
五 前諸項ニ掲クルモノノ外行政又ハ会計上重要ノ事項ニ付特ニ勅令ヲ以テ諮詢セラレタルトキ又ハ法律命令ニ依テ特ニ枢密院ノ諮詢ヲ経ルヲ要スルトキ
と定められた。即ち之に依れば、総ての法律は皆枢密院の諮詢を経べきものとせられたのであつたが、明治二十三年に帝国議会が開かれ、法律には議会の議決を要することとなつたので、其上に更に枢密院の議を経なければならぬものとするのは、徒に煩雑に失するのみであるので、二十三年十月八日勅令第二百十六号に依り同条に重要な改正が加へられた。改正せられた規定は左の通りである。
枢密院ハ左ノ事項ニ付諮詢ヲ待テ会議ヲ開キ意見ヲ上奏ス
一 皇室典範ニ於テ其権限ニ属セシメタル事項
二 憲法ノ条項又ハ憲法ニ附属スル法律勅令ニ関スル草案及疑義
三 憲法第十四条戒厳ノ宣告同第八条及第七十条ノ勅令及其他罰則ノ規定アル勅令
四 列国交渉ノ条約及約束
五 枢密院ノ官制及事務規程ノ改正ニ関スル事項
六 前諸項ニ掲クルモノノ外臨時ニ諮詢セラレタル事項
是が今日迄継続して効力を保つて居る権限規定である。改正の重なる諸点は(一)旧規定に於ては枢密院が単に諮詢に応ふる機関たるに止まるや又は進んで自ら会議を開き意見を上奏し得るやが不明であつたが、新規定では枢密院が特に定められた例外を除くの外常に諮詢を待つて会議を開くに止まり、自ら進んで決議を為す権限の無いものであることを明にしたこと(二)旧規定では総ての法律案及び重要な勅令案は常に諮詢を要するものとせられて居たのに反して、新規定では特殊の性質を有するものの外諮詢を要しないものとしたこと(三)枢密院自身の官制及事務規程に付き其の諮詢を要するものとしたことに在る。
此の規定に依つて我が国法が枢密院の職務権限に属せしめて居るものを見るとそれには凡そ五種を分つことが出来る。
第一 皇室の機関としての職務
第二 憲法に関する職務
第三 議会に代るべき職務
第四 枢密院の自律的職務
第五 其の他の職務
以下此の順序を逐うて現在の我が国法上枢密院が如何なる任務を有するかを説明しようと思ふ。
自分の信ずる所に依れば枢密院は単に国家機関であるばかりでなく、同時に皇室の機関たる地位を有する。それは枢密院が始めて設置せられた時からの予定の方針であつて、前にも述べた通り枢密院創立の際第一着に憲法草案と同時に皇室典範草案をも之に諮詢せられたのは、即ち之をして国家の機関たらしむると共に皇室の機関たらしむるの趣旨を明示せるものである。日本の国法は皇室に関係する事柄は、仮令それが同時に国家に関係するものであつても、皇室の自ら定むる所に任かせて居るのであつて、皇室典範は即ち此の皇室の自律の権能に基いて定められた法規である。憲法義解の著者が『皇室典範ハ皇室自ラ皇室ノ事ヲ制定ス而シテ君民相関カルノ権限ニ渉ル者ニ非ザレハナリ』(第七十四条註)と曰ひ、又『皇室典範ハ皇室自ラ其ノ家法ヲ条定スル者ナリ故ニ公式ニ依リ之ヲ臣民ニ公布スル者ニ非ス』(皇室典範義解前註)と曰つて居るのは、皇室典範の内容が多くの重要な国家的法規を包含することを認めない誤りが有り、其の誤りなることは明治四十年に発布せられた公式令に依り将来に於ける皇室典範の改正増補は正式に之を臣民に公布することを要するものとせられたことに依つて公認せられたけれども、それは皇室典範の性質に付いての誤解であつたに止まり、皇室典範が皇室に依つて制定せられたもので、政府に依つて制定せられたものでないことに於ては、固より正当な見解である。此の皇室の権能を行はせらるるに当り之を枢密院に諮詢し、且つ皇室典範自身の中にも皇室の大事に関し枢密院の議に付せらるべき多くの事項を定めて居るのであるから、枢密院が初めより国家機関たると共に皇室の機関たらしむる趣旨を以つて設置せられたものであることは明瞭である。
換言すれば枢密院は憲法上の職務と皇室法上の職務との二様の職務を有つて居るもので、前者に付いては国家の機関たり、後者に付いては皇室の機関たるものである。憲法第五十六条に枢密顧問が重要の国務を審議することを定めて居るのは、即ち国家機関としての職務に関するもので、此の外に枢密院は皇室法に依つて重要の宮務(皇室事務)を審議するの任に当つて居るものである。
勿論枢密院官制の中にも枢密院の権能として第一に「皇室典範ニ於テ其権限ニ属セシメタル事項」を掲げて居るけれども、枢密院の此の権能は決して官制の規定に依つて始めて与へられたものではなく、官制とは独立に皇室法に依つて与へられたものである。官制の此の規定は有つても無くても其の結果に何の相違も無い。それであるからこそ、官制には唯「皇室典範」と曰つて居るのみであるが、典範の外に皇室令に依つても種々の権能を枢密院に付与し、而してそれが有効であり得るのである。
皇室典範及皇室令に依り枢密院の審議を経べきものとして居るのは左の各種の事項である。
一 皇位継承の順序の変更(典範九条)。
二 天皇久しきに亘る故障に由り摂政を置くべき場合の決定(典範一九条)。天皇故障止み大政を親らする場合に付いては皇室典範には別段の規定は無いけれども等しく皇族会議及び枢密院の議決に依り故障止みたる事を認定するを要するものと信ずる。
三 摂政又は摂政たるべき者の順序の変更(典範二五条)。
四 太傅の選任(典範二七条)。其の退職(典範二九条)。
五 世傅御料の編入(典範四六条)、世傅御料の解除(皇室財産令八条二項)。世傅御料に属する土地の上に物権を設定すること(皇室財産令一五条二項)。
六 皇室典範の改正増補(典範六二条)。
七 皇族の臣籍降下(典範増補一条二条四条五条)。
八 皇族の失踪の宣告(皇族身位令二一条)。
九 元号の制定(登極令二条)。
此等の中最後に掲げた元号の制定だけは皇室典範及び登極令に規定せられて居るけれども、其の性質から言つて皇室に関する事務ではなく、性質上純然たる国務に属するものである。それが、憲法に規定せられずして皇室令の中に規定せられたのは、恐くは起草者の不注意に出でた誤であらう。さればこそ大正天皇の登極の際「大正」の元号を制定し給うた詔書にも、今上陸下の践祚に当り「昭和」の元号を定め給うた詔書にも、国務大臣のみ之に副署し宮内大臣は之に副署しなかつたのである。若しそれが皇室の事務であれば当然宮内大臣の副署が無ければならぬのである。それであるから、元号の制定に関する枢密院の職務は、仮令皇室法に依つて定められて居るとしても、尚国務上の職務と見るべきもので、皇室の機関としての職務に属するものではないであらう。
皇室の機関としての枢密院の職務権限には種々の点に於て他の職務とは異つた著しい特色が有る。
(一)他の総ての職務に付いては枢密院は常に諮詢を待つて意見を上奏するに止まるのであるが、皇室機関としての職務に付いては諮詢に応ふる場合の外に、例外として自ら進んで議決を為し其の議決が法律上の拘束力を有する場合を包含して居る。
それは、天皇又は摂政が故障の為に諮詢をなすことの不能である場合であつて、即ち
一 天皇久しきに亘る故障あるに由り摂政を置くべきことを決定する場合(典範一九条)。
二 天皇故障止みたるに由り摂政を廃し大政を親らしたまふべきことを決定する場合。
三 摂政重患又は事故あるに由り之を変更すべきことを決定する場合(典範二五条)。
四 摂政となるべき者重患又は事故あるに由り其の順序を変更すべきことを決定する場合(典範二五条)。
の四の場合である。此等の場合に於いてのみは枢密院は単なる顧問機関でなくして実に議決機関たる地位を有し、而も其の議決は皇族会議の議決と相待つて最高の国家意思を決定するの効力を有するのである。それは天皇又は摂政が親ら大権を行はせらるることの不能であることから生ずる已むを得ざるの変例であつて、此の限度に於て一時国家の最高権が皇室の機関としての皇族会議及び枢密院に帰属せしめられるのである。
(二)他の総ての権能は官制に依つて始めて枢密院に与へられたものであるに反して、皇室の機関としての枢密院の権能は、官制に依らず直接に皇室法に依つて之に与へられたものである。
勿論、憲法自身に於ても枢密院の権能を規定して居るけれども、憲法には唯抽象的に『枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応へ重要ノ国務ヲ審議ス』とあるだけで、如何なる事項に付いて審議の権が有るかは総て之を官制の規定に譲り、憲法は自ら之を規定して居らぬ。随つて憲法自身は直接には枢密院に何等の権能をも授与して居らぬのであつて、官制に依つて始めて其の権能が与へられて居るのである。言ひ換ふれば国務に関する枢密院の権限は、憲法自身に基いて存するのではなく、元号の制定に関する権限を除いては、専ら勅令たる枢密院官制に其の根拠を有つて居るのである。
之に反して皇室の機関としての枢密院の権限は直接に皇室典範及皇室令に其の根拠を有つて居る。それは官制に依つて与へられた権限とは全然無関係で、独立なる別個の淵源に基いて居るものである。
其の結果として、国務に関する枢密院の権限は勅令を以て之を変更することが出来るが、皇室の機関としての権限に付いては、皇室の立法即ち皇室典範及皇室令に依つてのみ変更し得べき所で、勅令を以て左右し得べき所ではない。
(三)右に述ぶる所と関連して、皇室の機関としての枢密院の権限と国務に関する権限との間には、其の法律上の効果の上にも大なる差異を認めねばならぬと信ずる。
それは枢密院が前に述べた如く議決機関たる地位を有する場合には最も明瞭で、此の場合には枢密院の議決に依つて始めて法律上有効なる国家意思が決定せられるのであり、而して此の如きは国務に関する枢密院の権限に付いては全く見るを得ないものである。
併ながらそればかりでなく、枢密院が単に顧問機関として天皇の諮詢に応ふる場合に於ても、国務に関すると宮務に関するとの間には法律上重要なる差異が有る。
国務に関しては枢密院の諮詢を経ることは唯命令的の意義を有するに止まり、それ等の国務上の行為の効力発生の要件と認むることが出来ないことは、後に述ぶる通りである。それは其の権能が勅令たる官制に依つて定められて居ることに依つても当然の事柄で、勅令は一般に命令的規定を定め得るに止まり能力的規定を定むべき力を有しないのを原則とし、随つて勅令に依つて国家行為の効力発生の要件を定むることを得ないのを原則とするからである。
之に反して皇室の機関としての枢密院の権限は皇室法に依つて定められ、而して皇室法は皇室の事に関しては如何なる事でも規定し得べく、勅令の如き制限を受くるものではないから、皇室法に依つて規定せられた事柄に付いては、必ずしも枢密院の諮詢を経ることが其の行為の効力発生の要件に非ずと解することは出来ぬ。
就中皇室典範の改正増補が皇族会議及び枢密院の諮詢を経るを要するものとせられて居るが如き、其の諮詢に応ふる所の意見は固より絶対の拘束力は無く、其の採否は聖断に依るべきものであるとしても、少くとも両者に諮詢して其の意見を聞くことは皇室典範の改正増補の有効要件とせられて居る趣旨であると解するのが正当であらうと思ふ。若し然らずとすれば憲法改正の手続と対照しても、皇室典範の改正の手続が余りに軽々しいものと言はねばならぬ。
其の外皇嗣を変更し、皇族を臣籍に降下し、太傅を選任し又は之を退任せしむるが如き、其の他総て皇室法に依つて枢密院の諮詢を経べきものとせられて居る行為は、其の諮詢を経なければ其の行為が有効に成立し得ないものと解することが、行為の性質から見ても、皇室法の精神に適するものと信ずる。
(四)皇室の機関としての枢密院の職務は、世傅御料に関する事件を除くの外は、総て皇族会議と並立して、其の双方に諮詢せられ、又は双方の議決に依るべきものとせられて居るのも、一の著しい特色である。
唯枢密院の職務とせられて居るのは、皇室の大事たると同時に国家の大事たる事件にのみ限られて居る。純然たる皇室の内事に属し国務に関係なき事件に付いては、皇族会議に諮詢せられても枢密院は之に与らない。
皇室の大事で国家に関係するものに付いて、皇族会議の外に特に枢密院の議に付すべきものとせられて居るのは、我が憲法の根本主義として、皇室の事に関しては仮令それが国務に関係することであつても、尚議会の議に付せないものとして居ることから生ずる結果である。議会に於て皇室の事を論議するのは、我が国体に於いて憚り多い事柄であるといふ思想から、特に枢密院に付議せらるべきものとせられて居るのであらう。
(五)国務に関して枢密院に諮詢せらるべき事柄に付いては、内閣から案を具して諮詢を奏請し、之に関して枢密院との交渉の任に当るものは専ら国務大臣であるが、宮務に関して諮詢を奏請し枢密院に交渉する者は宮内大臣である、枢密院事務規程第三条に『枢密院ハ内閣及各省大臣トノミ公務上ノ交渉ヲ有シ』云々とある所謂各省大臣は宮内大臣をも包含するものと解すべきで、而して皇室の事務に関しては専ら宮内大臣が其の交渉の任に当るのが当然であらう。
(六)枢密院官制には『各大臣ハ職権上ヨリ枢密院ニ於テ顧問官タルノ地位ヲ有シ議席ニ列シ表決ノ権ヲ有ス』とある(一一条)。此の所謂『各大臣』の中に宮内大臣を含むや否やは文面上では明瞭ではないが、此の条の趣意とする所は、枢密院は天皇の最高の顧問府であり、随つて天皇の輔弼の責に任ずる者は当然その議決に加はり得るものでなければたならぬとすることに在るのであるから、此の趣意から言へば、宮内大臣は枢密院が皇室の事務に付いて審議を為す場合に限り、国務大臣と同じく参列及表決の権が有るものと解するのが当然であらう。但し聞く所に依れば実際には宮内大臣は此の権能を行はない慣例であるといふことである。
純然たる国家事務に関して枢密院の最も重要なる任務として定められて居るものは、憲法に関する任務である。普通に枢密院が「憲法の番人」と称せられて居るのは、枢密院の総ての性質を説明するものでないことは勿論であるが、其の最も主要なる任務を言ひ表はして居るものとして、必ずしも不当ではない。枢密院が始めて設立せられた当時に、第一に其の審議に付せられたものは、憲法草案であつたことは、前にも述べた所で、即ち枢密院は既に憲法の制定それ自身に参加した者であり、而して憲法が制定せられた後は憲法の擁護に関する特別の任務を負はしめられて居る者である。
憲法の擁護に関する枢密院の任務は更に之を三に分けることが出来る。(一)憲法改正草案の審議、(二)憲法附属法令に関する草案の審議、(三)憲法及附属法令の解釈に関する疑義の決定是である。
(一)憲法改正草案の審議 憲法の改正に付いて其の発案権を専ら勅命に留保して居ることは、日本の憲法の最も著しい特色の一であつて、他の国の憲法に殆ど類例を見ない所である。憲法の上諭の中にも「将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改訂スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ」と曰はれて居る。即ち憲法改正に付いての「発議ノ権」は一に至尊に専属するものとせられて居るのである。而して勅命に依りて之を発議せらるる場合に於ては、其の議会に提案せられる前に当つて、必ず先づ枢密院に諮詢せられねばならず、又既に議会の議決を経たる後之を裁可せられる前に当つて再び枢密院に諮詢せられねばならぬ。
憲法改正の発案が一に勅命に留保せられて居り、且つ枢密院に諮詢せられるを要することは、決して憲法の改正に関する国務大臣の輔弼の職務を否定するものでないことは勿論である。憲法の改正に付いても枢密院は唯諮詢に応ふるの権あるばかりで、自ら進言し得るものではなく、而して枢密院に諮詢せらるるには、国務大臣の輔弼に依るべきことは、他の総ての国務に於けると異なる所は無い。国務大臣は将来若し憲法の或る条章を改正すべき必要ある事情を生じた場合には適当なる改正案を具して勅鑑を仰ぎ、之を枢密院に諮詢せらるべきことを奏請する職責を有するもので、而して改正案を起草する為には之を調査する為に勅裁を請ひ、其の準備の機関として内閣の下に憲法改正調査会といふやうな委員会を設置することは固より之を否定すべき理由は無い。学者が往々憲法改正の発案が専ら勅命に依ることを理由として、此の点に於ける国務大医の奏請権を否定せんとする者の有るのは到底首肯し得られない説である。
(二)憲法に附属する法令勅令の草案の審議 是には法律と勅令とを区別して論ずるのが便宜である。先づ法律に付いて謂ふと、旧枢密院官制が総ての法律に付いて枢密院の審議に付せらるべきことを要求して居たのに反して、現行の官制は一般の法律に付いては枢密院に諮詢せらるることを要しないものとなし、独り憲法附属の法律に付いてのみ其の諮詢を要するものとして居る。法律が原則として其の諮詢を要しないものとせられて居ることは固より当然であつて、法律は政府の専断に成るものではなく、議会両院の議決を経るのであるから、其の上に更に枢密院の議を経ることは啻に不必要であるばかりでなく、不当に議会の権限を抑制するの結果となるを免れないからである。独り憲法に附属する法律に付いてのみ、其の議会両院の議決を経るものであるにも拘らず、尚枢密院に諮詢せらるべきものとせられて居るのは、枢密院の憲法擁護機関としての任務を認めた結果に外ならぬことは疑を容れぬ。
併ながら憲法附属の法律に付いて枢密院に諮詢せられることは、憲法それ自身の改正草案に付いての場合とは、著しく其の趣を異にするもので、其の必要は甚だ痛切ではない。
憲法それ自身の改正は専ら勅令に依りてのみ発案し得るのであつて、而して勅命に依り之を発議せられる場合に於いて、国務大臣の進言のみに依つて之を為さず、更に枢密院に諮詢せられることを要するのは、其の発議を鄭重にし、憲法の尊厳を保持する所以であり、其の発案権が専ら勅命に留保せらるることから見ても、相当の理由ある事として首肯せられ得る。
憲法附属の法律に至つては、憲法それ自身の改正とは異つて、議会各院からも発案し得るのであり、而して議院の発案に係る法律案に付いて、既に議会両院の議決を経た後更に枢密院に諮詢せられることは、仮令憲法附属の法律であつても、其の必要を認め難い。既に議会両院の議決を経たものである以上は、之を修正することは絶対に不可能であるから、仮令枢密院に諮詢せられたとしても、枢密院の議決し得べき所は唯其の全部に付いて之を可とし又は之を否とするにのみ止まるものでなければならぬ。而も議会両院の一致の議決に対し之を否とすることは、国民の要望に対し勅裁を拒否せらるべきことを上奏するものであり、事態極めて重大であつて、之を枢密院の如き全然議会に対する責任を負担しない機関の権限に属せしむることは、甚だ危険と曰はねばならぬ。実際に於いても枢密院が此の如き権限を行使しようとは、容易に想像し得られない所で、随つて既に両院の議決を経た法律案は、仮令枢密院に諮詢せられても、それは唯形式に止まつて、実際には枢密院は其の儘之を可決するの外は無いものと見なければならぬ。果して然りとすれは其の諮詢は実際上大なる必要の有るものと曰ふを得ないのは当然である。
既に議会両院からの提案に係る場合に於て、枢密院に諮詢せられることが実際上の必要を認められないとすれば、同じ法律案に付いて政府から之を提案する場合にも、之と道理を異にすべき理由は無い。何となれば議会の各院に発案権が有る以上は、政府の提案に対しても無制限な自由の修正権が有ることは勿論で、而して議会に於て自由に修正を加へ得る限りは、其の提出に際し予め枢密院に諮詢せられたとしても、実際上大なる効果を期することは不可能であつて、それは徒に時間を遅延せしむるに過ぎない憾がある。最近の選挙法改正(大正十四年の所謂「普選法」)の如きも枢密院の審議に多くの時を費したに拘らず、議会に於て更に修正が行はれて、政府も之に同意を表し、枢密院の審議は殆ど徒労に終わつた観が有つた。
それ故に憲法附属の法律に付いては、之を枢密院に諮詢せられることは、憲法それ自身の改正ほどには必要を認められない事柄で、之を削除しても不可なきものと信ぜられる。此等は寧ろ政府と議会との審議に任かせた方が適当であらう。
「憲法に附属する法律」といふ語自身も、甚だ明瞭を欠いて居る。普通に「特定の法律に附属する命令」と謂へば、該法律の委任に基いて該法律の指定する特定の事項を規定する命令及び該法律を執行するに必要なる事項を定むる命令、即ち簡単に謂へば該法律の委任命令及び執行命令を意味するのであるが、若し「憲法に附属する法律」といふ語を此の如き意味に解するならば、其の範囲は非常に広いものとなり、憲法第十四条の戒厳法も、第十八条の国籍法も、第二十条の徴兵法も、第二十一条の租税法も、其他第二十二条以下の規定に依る種々の警察法規も皆憲法に附属する法律とならねばならぬ。所謂「憲法附属法」の意が此の如き広き意味に解せらるべきものでないことは勿論である。「憲法附属法」とは憲法自身に規定せられて居る事項に付き之を補充するが為にする法律の意に解すべきもので、議院法及選挙法は其の最も主要なるものであるが、其の外憲法第五章司法の規定に対する補充法として裁判所構成法、陪審法、行政裁判法、憲法第六章会計の規定を補充する為の会計法等は恐くは其の中に入るものと解すべきであらう。
次に勅令に付いて謂ふと、憲法に附属する勅令には、貴族院令と其の他の勅令とを分たねばならぬ。貴族院令は名称は勅令であつても、他の一般勅令とは全く其の類を異にして居るもので、寧ろ法律に近い性質を有つて居る。其の法律と異つて居る所は唯衆議院の議決を経ないことのみに在るのであつて、貴族院の協賛を要することに於いては勅令よりも寧ろ法律に近く、法律と勅令との中間的性質を有つて居る。貴族院令の改正に付いて貴族院に其の発案権ありや否やの問題に付いては、政府は「勅令」といふ名称に拘泥して、貴族院の発案権を否定する解釈を取つているけれども、是は当否頗る疑はしく、自分は寧ろ貴族院令に付いては、衆議院の議決を経ないことの外には、総て法律に関する規定を準用すべきものと解するのが正当であると信じて居る。何となれば貴族院は議会の一院として政府から全然独立した機関であつて、それが自分の組織の改革に付いて自ら発案するの権能なく、一に政府の発案に待たねばならぬとすることは、其の独立の機関たる地位と相容れないものと信ずるからである。之を議院法の規定に付いて見ても、貴族院令に関する貴族院の議事に付いては、何等別段の規定を設けて居らぬから、法律案に関する議事の規定を準用するの外なく、以て議院法が貴族院令を以て法律に準ずべきものと解して居ることを推測するに足りる。若し此の解釈を以て正しいものとすれば、貴族院令の改正に付いても前に法律に付いて述べたと同様に、政府と貴族院の審議とに任かせて不可なきもので、敢て枢密院に諮詢せらるべき必要を認め難い。
貴族院令以外の勅令に付いては稍之と趣を異にする。貴族院令以外に於いて憲法に附属する勅令と言へば、其の種類甚だ多くはないが、公式令、栄典令、恩赦令、請願令、内閣官制など恐くは其の中に入るべきものであらう。此等の勅令は何れも政府のみに依つて制定せられるもので、随つて、法律に於けるよりは、枢密院に諮詢せらるべき理由が比較的強いものと謂ふことが出来る。何となれば政府の専断に依るものに付いては、枢密院の審議は其の軽卒を戒め、専横を抑制するの効果を有し得べきものであるからである。
(三)憲法及び附属法令の解釈に関する疑義の決定 枢密院官制第六条第二号には「憲法ノ条項又ハ憲法ニ附属スル法律勅令ニ関スル草案及疑義」と曰つて居るが、其の所謂「疑義」が何を意味するかは甚だ明瞭ではない。
第一に、之を以て枢密院が憲法争議の裁判所たる地位を有するものと解することの不当なるは言ふまでもない。若し枢密院を以て憲法裁判所たる地位を有せしめ、其の議決が政府、議会、裁判所又は一般国民に対して拘束力を有するものたらしめようとするならば、それは唯憲法自身の条項に依つてのみ規定せられ得べき所で、勅令たる官制を以て規定し得べき事柄ではない。
枢密院の議決は此の場合に於いても固より其れ自身に法律上の効力あるものではなく、況んや議会や裁判所を拘束すべき力を有するものではない。憲法及び其の他の法令の解釈に関しては、政府、議会各院、行政裁判所、司法裁判所、会計検査院はそれぞれ独立の権限を有つて居るもので、自己の職権に属する範囲内に於ては、何れも自己の独立の解釈を以て憲法及び法令を運用し、毫も他の解釈に依つて拘束せられるものではない。
それであるから枢密院の官制に於いて、枢密院の権限として、憲法及附属法令の疑義が規定せられて居るとしても、それに依つて憲法及附属法令の最高解釈権が定められたものと解することは出来ぬ。
従来の実例に於て、此の条項の適用に依り、憲法上の疑義に関し枢密院に諮詢せられたのは、唯一回を想起し得るのみである。それは明治二十五年の臨時議会に於いて、同年度の歳入出総予算追加案の審議に際し、衆議院に於て政府の原案の中より軍艦製造費及震災予防調査会設備費の両款を削除したのを、貴族院に於いて政府の原案に復活したのが、憲法上正当の行為であるや否やに付き両院の間に解釈を異にし、衆議院に於いては貴族院は衆議院の議決した案を原案と為すべきもので、それに新なる款を加へることは貴族院の権限を超ゆるものであると為し、貴族院に於いては予算に関しては両院対等の権あるもので、其の修正は適法であると主張し両院の意見一致しない為予算の審議を進めることが不可能となつたので、已むを得ず貴族院より天皇に上奏して勅裁を仰いだが、天皇は之を枢密院に諮詢したまひ、而して枢密院の上奏を容れて、貴族院に対し左の勅答が有つた。
其院六月十一日附ノ上奏ノ件ハ憲法上ノ疑義ニ属スルヲ以テ朕ハ之ヲ諮問シタリ枢密顧問ハ憲法第五十六条ニ依リ議決シテ上奏スルコト左ノ如シ
憲法上予算ニ対スル貴族院及衆議院ノ協賛権ハ我帝国憲法第六十五条ニヨリ衆議院ハ貴族院ニ先チテ政府ヨリ予算案ノ提出ヲ承クルノ外両院ノ間軒輊スル所ナキ者ナリ故ニ後議ノ議院ハ前議ノ議院ニ対シテ何等羈束セラルルコトナク従テ前議ノ議院ニ於テ削除セル款項ヲ存留スルハ素ヨリ後議ノ議院ノ修正権内ニ属スヘキモノトス但シ後議ノ議院ハ前議ノ議院ニ対シ議院法ノ命スル所ニヨリ同意ヲ求ムルヲ以テ惟一ノ手段トスルノミ
朕ハ此ノ枢密顧問ノ議決ヲ採納シテ其院ノ上奏ニ答ヘ之ヲ領知セシム
此の実例に於いては、枢密院は事実上に恰も憲法裁判所の如き働きを為し、貴衆両院の間の憲法上の争議が、枢密院の議に依つて解決せられたやうな外観を為して居る。
併ながら是は憲法実施以来今日迄唯一回の例に止まるばかりではなく、此の実例に於いても、法律上の観察から言へば、それは唯貴族院の上奏に対する勅答であつて、衆議院には直接の交渉は無く、議会両院に対する天皇の命令たる形を為して居るものではない。此の勅答に対し議会両院が之に従つたことは勿論であつて、それは臣下の倫理的の本分として道徳上当然の事ではあるが、単純なる法律論として、此の勅答が憲法裁判所の判決としての効力を有し、法律上議会両院が之に依つて拘束せらるるものと解すべき根拠は無い。随つて此の一回の実例を以て、枢密院が憲法裁判所の如き働を為すものと解するのは早計である。
此の時より以後或は法律と条約との関係に付き、或は緊急勅令の承諾に付き、其の他憲法上の疑義に付いて、議会各院と政府との間に意見を異にした場合は尠くないが、議会から上奏して勅裁を仰いだ例も無く、又枢密院に諮詢せられた例も無い。
要するに枢密院の権限のとして解釈上の疑義を決することが認められて居るとしても、それは枢密院の他の一般権限と同様に天皇の諮詢に応へて意見を上奏するだけであつて、而して其の之を諮詢せらるることも、他の総ての国務上の事項と同様に、専ら国務大臣の輔弼進言に基くものである。唯他の事項と異なる所は、他の事項に付いては之を諮詢せられることは官制の必ず要求して居る所で、憲法改正草案は勿論、憲法附属法令の草案でも、又は緊急勅令でも、若し政府が枢密院に諮詢せらるべきことを奏請せずして之を処理するならば、それは官制違反たることを免れないが、独り解釈に関する疑義に付いては必ずしも枢密院に諮詢せられることを要するものではなく、唯国務大臣の責任を以て単独に之を決定することを不適当と認むる場合にのみ、其の諮詢を奏請すべきものであることに在る。何となれば政府は絶えず憲法及び附属法令を運用し執行するの任務を有するもので、其の解釈に付き疑を生ずる毎に、一々之を枢密院に諮詢せられねばならぬとすれば、政府は一日も自家の責任を以て其の職権を行ふことを得ないものとならねばならぬ。而して是れ官制の要求する所と解すベからざることは勿論であるからである。
従つて官制に於て特に「疑義」に付いての枢密院の権限を掲げて居ても、それは実際上の適用を見ることは甚だ稀であり、又其の議決が法律上の拘束力を有するものでもない。之を存置するの必要は甚だ疑はしい。憲法擁護機関としての枢密院の主たる任務は此の点に在るのではなくして、憲法草案の審議の外には、枢密院の審議に附せらるべき各種の法令に付いて、其の憲法に抵触するものならざるや否やを審査するにとに在らねばならぬ。
皇室事務に関する職務及び憲法に関する職務の外に枢密院の最も重要な職務は、憲法上議会の議決を経ず政府の専断に依つて行はるべきものとせられて居つて、而も事柄の性質から言つて政府の専断に任かせるには余りに重大である事務に付いて、天皇の諮詢に応ふるの職務である。
それには更に二種類を分つことが出来る。
その一は議会の閉会中に限りて行はれるもので、憲法第八条及び第七十条に依る緊急命令がそれである。それは本来は議会の議決を経て行はるべき事柄で、しかもその閉会中に緊急の必要が起りその議決を求むることが出来ない為に、政府の専断を以て行ふことが許されて居るものである。欧州大陸の多くの諸国殊にドイツ系の諸国に於いては、議会閉会中に議会に代りて緊急の議決を要する事項を処理する為には議会の常設委員会が設けられて居るものが有る(例、ドイツ共和国新憲法三五条、プロイセン新憲法二六条、サクセン新憲法二三条、バーデン新憲法四七条。チェコスロヴァキア憲法五四条等。バーデンは旧憲法五一条に於いて既に此の種の委員会を設けて居た)。斯かる委員会の設置せられて居る所では、緊急命令の発布には該委員会の同意を要するものとして居ることは勿論である。わが憲法は此の如き委員会を設けて居らぬので、枢密院が言はば此の如き委員会に該当すべき職務を行ふものとして定められて居るのである。
併しながらそれは唯職務の上に於いての類似たるに止まり、その憲法上の地位に於いては全然類を異にするものであることは言ふまでもない。枢密院は決して議会の委員会ではなく、議会とは全然独立の地位に在るもので、枢密顧問官は法律上ではなくとも少くとも慣習上は議会の議員と相兼ねることをすらも許されないものである。随つて委員会は議会に代つて本来議会に属する権限を行ふものであるに反して、枢密院は議会とは何等の関係なく、法律上の意義に於いては勿論、政治上の意義に於いても議会の代理機関たるべきものではない。枢密院が緊急命令に付いて諮詢に応ふる機関とせられて居るのは、緊急命令の発布を政府だけの専断に任かすことを不穏当とし、議会の議決を経ないまでもせめては枢密院の諮詢を経ることを要するものとすることに依つて、その手続を慎重ならしめて居るのであるが、本来議会の権限に属する事柄を全然議会とは関係の無い独立別個の機関たる枢密院の議に付するものとして居ることに於いて、制度上に大なる無理が含まれて居る。議会の委員会であれば議会の意見を代表するものであるから、委員会で否決せらるれば議会の否決したものと同一に看るのは当然であるが、枢密院は全然議会と関係なく、実際にも議会とは全く反対の意見を有することが有り得るのであるから、議会に提出すれば当然同意を得らるべき事柄でも、枢密院に諮詢すれば否決せられることが有り得る。その結果は後に述ぶべき若槻内閣の例の如くに、議会の多数を占めて居りながら枢密院の反対の為に総辞職を余儀なくせられ、少数党が却て内閣を組織するといふやうな変例を生ずるのも、已むを得ないところである。是れは制度上当然に起り得る結果で、その主たる原因は事実上議会と何等の関係も無い機関をして議会に代るべき職務を行はしめて居ることに在る。議会に代るべき職務を行ふ者は議会の委員会でなけれはならぬことは事理の当然である。それはわが地方制度に於いては認められて居るところで、府県会と府県参事会との関係、市会と市参事会との関係は即ちその例である。独り中央政治に付いてのみ枢密院の如き無関係なる機関をして議会に代るべき職務を行はしめて居るのは、容易に賛成し難いところである。
緊急命令に付いて枢密院の諮詢を要するものとして居る釣合から言へば、所謂責任支出即ち予備費以外に予算外の支出を為す場合にも枢密院の諮詢を要するものとするのが、権衡上当然の事と思はれる。何となれば所謂責任支出も亦本来議会の議決を経べきもので而もその議を経ずして行はるるものであるからである。枢密院官制が之を脱して居るのは権衡を失するものと言はねばならぬ。若しドイツ系の諸国のやうに、閉会中の議会代理機関として委員会が設立せられるやうにならば、責任支出は当然その同意を得べきものでなければならぬ。
その二は、事柄の性質上は議会の議決を経るのが当然であるが、唯或は機密を要し或は敏速を要する為に、議会の開会中と閉会中とを問はず、憲法上初より議会に附議するを要しないものとせられて居る事柄で、之に属するものは(イ)国際条約(ロ)戒厳の宣告(ハ)罰則の定ある勅令の三種である。
(イ)国際条約は少くともその内容が国内法規に関係し又は国庫に金銭上の負担を負はしむるものなる場合には、議会の同意を得なければ有効に成立することを得ないものとすることが、欧州大陸諸国の普通の例であり、又それが議会の権限から言つて当然の事と認むべきである。何となれば国内的立法及び国の歳出が一般に議会の議決を要するものとせられて居る以上は、仮令それが国際条約を以て定められるとしても、等しくそをの議決を経るのが当然であるべきであるからである。唯わが憲法第十三条には総て国際条約の締結を以つて無条件に天皇の大権に属せしめ議会の議決を要しないものとして居る。それは恐らくは条約の締結が性質上機密の政策を必要とすることが多く、衆議に謀つて之を決するのを適当としないといふ理由に基いたものと思はれる。併し条約は国内法に関係し又国庫の負担に関係することが多いのであるから、之を政府のみの専断に任かすことは不適当であると為し、枢密院官制に依り枢密院の諮詢を経べきものとせられて居るのである。
(ロ)戒厳の宣告も一時法律の効力を停止する効果を生ずるもので、事柄の性質から言へば、立法機関の議に依らねばならぬことを当然とする。唯事急速に行はるることを要するものであるから、憲法第十四条は之を至尊の大権に任じ、而して枢密院官制に依り枢密院の諮詢を要するものとして居る。
(ハ)罰則を定むる勅令に付いても、憲法の一般原則から言つて議会の議決を経べきことを当然とするものである。総て刑罰は憲法第二十三条に依り法律に依りてのみ之を定め得べきことを原則として居る。所謂刑罰法定主義とは単に総ての罰則の定が成文法たるべきことを要求するのみならず、議会の議決を経たる法律たることを要求するものである。唯此の原則に対する著しい例外として、明治二十三年法律第八四号に依り或る限度の罰則は命令を以ても定め得べきものとして居り、而も人民を刑罰に処することは、人民の権利の上に最も重大な関係を有するものであるから、議会の議に付せないせめてもの代りとして、勅令を以て罰則を定むる場合には、枢密院に諮詢せらるべきものとして居るのである。
唯罰則を定むる命令は必ずしも勅令のみではなく、閣令、省令、庁令、府県令でも、或る限度の刑罰を定めることが出来、而もそれは財産刑のみならず自由刑をも科し得べきものとせられて居る。然るに勅令を以て罰則を定める場合には枢密院の諮詢を要し、閣令以下の命令を以て之を定める場合には官庁限りの専断を以て之を定め得るものとして居るのは、甚だ権衡を失して居るものと言はねばならぬ。勿論、枢密院は至尊の顧問府であるから、閣令以下官庁の発する命令に付いて直接に枢密院の議に付せらるべきものでないことは当然であるが、併しながら、罰則を定むる勅令に付いてすらも、政府の専断に任かすを不適当とし、枢密院に諮詢せらるべきものとして居る以上は、一層強い理由を以て、単個の大臣や、警視総監や府県知事などの専断を以て罰則を定むることを得せしむることの不適当なるべきことは言ふまでもない。況んやそれが自由刑にまで及び得べきものとして居るに於てをや。
それであるから、罰則を定むる勅令に付いて枢密院の諮詢を要するものとして居る立法の趣意を貫徹する為には、行政官庁の発する命令には全然罰則を附するを得ないものとするか、又は少くともその罰則の限度を軽微な罰金又は科料の刑に止めるか、然らざればその罰則を定むる為には勅裁を請ふことを要し、而してその勅裁を賜はるには枢密院に諮詢せらるべきものとせられるのが当然である。之を従来の実例に見ても、例へば警察犯処罰令の如き従来刑法法典の一部を為して居たものを一片の内務省令を以て定めたが如きは、偶此の制度の欠点を悪用して、故らに議会の議決又は枢密院の諮詢を経るの煩累を避けた専制的官僚思想の現れと見るより外はない。
以上の三種は議会の開会中でもその議決を要しないものであることに於いて緊急命令とは性質を異にして居るけれども、性質上議会の議を経ることを当然とする事項であることの意味に於いては、等しく枢密院が議会に代る職務を行ふものと謂ふことが出来る。それは若し議会の常設委員会が設置せられるとすれば、やはりその委員会の議を経て行はるるのが適当であるべきものである。
此等の三種はその何れに付いても、先づ枢密院に諮詢してその意見を聴いた後に決せらるべきことを要件とすることは、枢密院官制の明文上疑を容れぬところであるが、唯国際条約に付いては従来之に違反した実例が尠くない。それは条約締結の手続に関する実際上の慣習に関連するもので、条約の締結に関しては全権委員が之に調印する場合に、批准を留保して将来批准交換の行はれることをその効力発生の条件とすることが有るが、時としては批准の留保なく全権委員の調印のみを以て直に効力を発生するものとせらるることが有る。場合に依つては外務大臣又は全権大使等の名を以てする覚書の交換に依つて両国の協商が成立することも有る。稀なる実例としては、例へば日韓併合条約の場合の如く、条約の締結に先ちその案文に付いて先づ御裁可を仰ぎ、既に御裁可を得た案文をそのまま条約として全権委員が之に調印し、その調印に依つて直に成立するものとせられることも有る。条約締結の手続が斯く異つて居るに随つて、枢密院に諮詢せらるるや否やも亦一様ではない。条約が批准を必要とする場合にはその批准に先ちて枢密院に諮詢せらるべきことは当然であり、全権委員の調印に依つて成立する場合でも、予めその案文に付いて御裁可を仰ぐ場合には、その御裁可に先ちて枢密院に諮詢せられねばならぬ。之に反して案文に付いて予め裁可を得ることもなく、又調印の後批准を経ることを条件とすることもなく、全権委員の交渉に依つてその案文を定め、その調印に依つて確定的に成立するものとせられる場合、又は覚書の交換に依つて二国間の協商を為す場合には、その成立前には全然勅裁を仰ぐことが無いのであるから、随つて又枢密院に諮詢せらるベき機会も無いのは当然である。唯全権委員の調印に依つて既に成立した条約に付いても、之を国民に向つて公布する場合には、更に御裁可を仰ぐことが例であり、而してその御裁可を仰ぐ場合には改めて枢密院に諮詢せられる慣例である。併し此の場合には条約は既に完全に成立して居るのであるから、之を枢密院に諮詢すると言つても、その実は唯事後に之を報告してその諒解を求めるといふだけの意味を有するに過ぎない。
是れは枢密院官制の明文から言へば、官制違反の疑が無いではない。それは又実際にも政争の問題とせられた所で、大正十二年に日本と支那との間に郵便条約が締結せられた場合に、此の種の条約に於ける従来の先例に従つて、批准を留保せず調印に依つて確定したのであつたが、之を国内法として公布せんとするに当りて、その裁可を奏請し、随つて枢密院に諮詢せられた。之に対して枢密院に於いて、条約が既に確定成立した後に枢密院に諮詢せられるのは順序を顛倒するもので枢密院官制の違反である、総て条約はその成立前に諮詢せられねばならぬものであるといふ議論が盛で、政府は頗るその弁明に苦んだといふ風聞が伝へられた。此の風聞は恐くは真実であつたものの如く、次いで開かれた議会に於いても、此の問題を囚へて政府を攻撃する材料とする者が有り、政府の之に対する答弁は甚だ明確を闕いて居たが、その趣意とする所は、要するに条約は批准の留保の無い場合でも調印のみに依つて確定的に成立するものではなく、裁可を得て始めて確定するものであるから、裁可の前に枢密院に諮詢せらるれば枢密院官制に違反するものではないといふに在つた。併し此の政府の弁明は甚だ窮したものであつて到底同意し得べきものではない。全権委員は条約の締結に関して全権を委任せられ随つて完全に国家を代表する権能を有するものであるから、若し全権委員が何等の留保をも為さずして条約に調印するならば、それに依つて条約は確定的に成立し、国家はその拘束を受くるものであることは当然である。事後に於いて更に裁可を仰ぐのは決して条約の成立に必要な条件ではなく、唯之を国内法として発布する為の形式たるに過ぎぬ。それは同じく裁可と称せられて居ても、法律の裁可とは全く性質を異にしたもので、法律の裁可は新なる国家意思を成立せしむる行為であるに反して、条約の裁可の場合は国家の意思は既に成立し、唯裁可に依つて之を承認し、形式上それまでは唯全権委員の行為であつたのを天皇の詔勅たらしむる効果を有するものたるに止まる。法律は裁可あるまでは唯法律案たるに止まり之を裁可すると否とは自由である。条約はその批准を要しないものに在りては、裁可以前に於いて既に完全の条約であつて、之を裁可すると否とは自由ではなく、必ず裁可せられねばならぬものである。その裁可の前に枢密院に諮詢せられたとしても、条約は既に確定して居るのであるから、枢密院は可否を献替し得べきものではない、その諮詢は実は唯報告の意義を有するに過ぎない。それであるから若し枢密院官制の趣意とする所が、総ての条約に付いて必ずその成立前に枢密院に諮詢せらるることを要求して居るものとすれば、批准の留保なく全権委員の調印に依つて直に条約を確定することは、明に官制に違反するものと言はねばならぬ。問題は官制の規定が果して斯く厳格なる意義に解釈せらるべきものであるや否やに在る。
惟ふに条約の締結は単純なる国内法上の問題とは頗る趣を異にし、外交上の駆引と国際慣習とに依つて支配せらるべき性質を多分に含んで居るものであるから、単純な国内法の規定のみを標準としてその文字通りの意義に解することの出来ない場合が尠くない。問題は主として国際関係に於いて何人が外国に対し条約締結の為に国家を代表する権能を有するかに在る。若しアメリカの憲法の如く大統領が条約締結の権能なく総ての条約が元老院の同意を得なければ成立しないものとして居るか、又は欧州大陸諸国の憲法の如く或種の条約が議会の同意なければ成立しないものとして居るが如き場合に於いては、君主又は大統領は有効に条約を締結する権能なく、随つて君主又は大統領の命じた全権委員もその権能を欠いて居り、而して何人が条約の締結に関して国家を代表する権能が有るかを知ることは対手国の義務であるから、仮令全権委員が何等の留保を為さずして条約に調印したとしても、尚元老院又は議会の同意を条件として居ることを対手国に対して主張することが出来るけれども、日本の憲法は条約の締結を無条件に天皇の大権に属せしめて居り、随つて又天皇の全権委員は条約締結の全権を有するもので、枢密院の諮詢を経るが如きは単に官制に依つて定まつて居る純然たる国内的規定に過ぎないのであるから、条約の締結に付いて天皇から全権の御委任を受けた者が留保を為さずして調印したならば、それに依つて条約が完全に成立したものと見ることは、当然であつて、枢密院官制の規定を以て対手国に対抗し、その諮詢を経なければ未だ成立しないものであることを主張し得べき余地は無い。
それであるから、枢密院官制の文字に於いては総ての国際条約に付いて差別なく枢密院の諮詢を要するものの如くに規定せられて居るけれども、その規定は唯天皇の批准を要する国際条約に付いてのみ適用の有るもので、批准を要しない条約は敢てその諮詢を要するの限りではないと解するのが正当である。それは官制の規定が国際法に依つて制限せられるものであることから生ずる当然の結果である。
枢密院の第四の職務は枢密院自身の組織及び議事規則に関する職務である。即ち枢密院官制及び事務章程の改正に付いては、政府だけで決することを得ないもので、必ず枢密院に諮詢せられねばならぬのである。それは枢密院が内閣に隷属する機関ではなく、独立の地位を有するものであることから生ずる当然の結果で、若し政府だけの専断に依つて枢密院の組織及び議事法を改定することが出来るとすれば、枢密院の地位の独立が失はるる結果となることを免れないからである。
唯同じく内閣に対して独立の地位を有する司法裁判所、行政裁判所及び会計検査院の組織に関しては、何れも法律を以て之を定むることを要するものとして居るのに反して、枢密院の組織が法律に依らず行政各部と同じく官制大権に基く勅令を以て定められて居るのは、枢密院の天皇の最高顧問府たる地位に基いて居ることは言ふまでもない。
枢密院官制には枢密院に諮詢せらるべき事項を列記した後、最後に尚『其ノ他臨時ニ諮詢セラルル事項』を審議するものとして居る。単に官制の明文から言へば、臨時の諮詢事項は唯例外の場合に限られて居り、原則としては唯列記事項のみが諮詢せらるべきもののやうに考へられるし、それが又正当な解釈であらねばならぬが、実際には官制に列記せられた事項の外に、別に秘密の内規の定めが有つて、種々の事項に関する勅令案に付いて列記事項と同様に枢密院に諮詢せらるべきものとして定められて居るやうに伝へられて居る。実際にも重要の官制、文官試験令、学制令などに付いては常に諮詢せらるる例であるのを見れば、此の如き内規の定が有るのは恐くは真実であらうと推測せられる。しかのみならずこれまで政府に依つて企てられた文官任用制度の改革、文官試験制度の改革等が、一再ならず枢密院の反対に依つて阻止せられたことも否むべからざる事実である。此の内規が如何なるものであるかは秘密に附せられて居り、吾々は之を知ることが出来ないけれども、之が為に枢密院の権限が表面官制に依つて定められて居るよりも事実に於いては遥に拡張せられ、官制改正の手続を為さずして而も実際には官制を改めたと同一の結果に帰して居ることは疑を容れないところである。
是れは甚しい変例であつて、若し真に枢密院の権限を拡張する必要ありとするならば、必ず官制を改正するの方法を取らねばならぬ。官制をそのままにして置いて、秘密の中に実際上官制改正と同一の効果を収めようとするのは、秘密の陰に匿くれて輿論の攻撃を避けんとするものと批評せられても弁解の途は無いであらう。理論上から言つても官制には『臨時ニ』諮詢せらるる事項とあるのであるから、それはどことまでも臨時でなければならぬもので、之を恒例の諮詢とすることは明に官制に違反するものである、而して単純な内規は勅令を変更する効力を有しないことは勿論であるから、内規が勅令と抵触する場合にはその内規は全く無効であり、随つて内規に如何なる定が有るにしても、官制に列記せられた事項の外は原則として総て諮詢を要しないものと解すべきが当然である。随つて文官任用制度、文官試験制度の改革の如きに付いては、内閣は原則として諮詢を奏請せず、閣議を具して直に裁可を奏請するのがその法律上の当然の職責である。
若し之に反して此等に付いても恒例として常に諮詢せらるべきことを奏請するならば、却つて官制違反の責を免れないものである。
以上官制に依つて定められた権限の外に、尚行政裁判法第二十条に依れば、権限裁判所の設置に至るまでの間、枢密院に於いて権限争議を裁判すべきことを規定して居るけれども、此の規定は権限争議に関する規定が発布せらるることを効力発生の条件とするもので、而もその後権限争議法は全く制定せられず、権限争議を提起するの権利を有する者が無いのであるから、それは今日に於いても全然効力を有しない規定であり、随つて現在の枢密院は皇室事務に関する職務の外には唯官制に定まつて居る職務を有するだけで、その以外に特別の権限を附加せられて居るものではない。
枢密院が現行制度に於いて有するところの法律上の権限は以上述ぶる通りであるが、枢密院が此等の権限を行使する上に於いて法律上及び政治上に如何なる働を為すかに付いて尚二三の注意すべき点を述べて置かうと思ふ。
(一)枢密院は天皇の諮詢に応ふるの機関である。例外として皇室の大事に関し天皇は摂政が親政不能に陥らせ給うた場合に、摂政の就任又は摂政の順序変更の事を議決することを除いては、唯御諮詢を待つて奉答するのみに止まり、自ら進んで意見を上るの権能を有するものではない。而して枢密院に諮詢せらるることを奏請するのは、皇室の事務に関して宮内大臣から奏請するのを除いては、全て内閣の職務に属するのであるから、枢密院の活動は右の例外の外は常に内閣の発議に基くものといふことが出来る。
勿論官制上必ず諮詢を要するものとせられて居るものに付いては、内閣は諮詢せらるべきや否やに付いて自由裁量の権を有しないけれども、然らざる限りは内閣は自分の自由の判断に依り諮詢を奏請すべきや否やを決することが出来、随つて枢密院の意見を求むることを欲しない場合にはその諮詢を奏請せずして自ら処断することが出来る。此の点に於いて主として問題となるのは憲法の解釈に関する疑議に付いてである。国務に閲する枢密院の最も重要なる任務とせらるるところはその憲法擁護機関としての職務であり、随つて官制には憲法の解釈に関する疑義に付いて枢密院に諮詢せらるべきものとして居るのであるが、政府はその職務の遂行上絶えず憲法の解釈運用に当つて居るものであるから、若し憲法の総ての解釈問題に付いて常に枢密院の意見を聞かねば之を決することの出来ないものとすれば、政府は独立には殆ど何等の職務をも行ふことを得ないものとなり、随つて此の規定は憲法の解釈に関する総ての疑義に付いて枢密院に諮詢するを要するものと定めた意義には解することは出来ぬ。その諮詢を奏請するや否やは内閣の自由裁量に任かされ、内閣だけで之を決することの出来難い場合、又は之を不適当とする場合にのみ、諮詢を奏請すべきものとするの意義に解すべきこと当然である。
その結果として憲法上の疑義に関して枢密院に諮詢せられた先例は、前にも述べた如く、第三回帝国議会に於いて貴族院の上奏に基いて行はれた唯一回の例が有るのみであり、その以外には政府と衆議院又は貴族院との間に憲法上の疑義に関して争を生じたことは屢々有つたに拘らず、一たびも枢密院に諮詢せられたことは無い。最も著しい一二の例を挙ぐるだけでも、例へば、所謂責任支出に付いてはその憲法違反であるといふ非難は屢々起つたけれども、何れの内閣も自分の意見を以て独立に憲法を解釈し、嘗て枢密院に諮詢せられたことはない。第六議会では衆議院は全院一致を以て条約の内容が法律を必要とする事項に関するものであるときは当然議会の協賛を経べきものであることを決議し、第二十六議会では同じく衆議院の全院一致の決議を以て法律を廃止したる緊急勅令は速に議会に提出してその承諾を求むべきことを言明し、何れも政府の憲法の解釈の誤れることを非難したけれども、時の政府は嘗て此等の憲法上の疑義に付いて枢密院に諮詢するの手続を取らなかつた。若し枢密院が真に憲法の番人として設置せられて居るならば、此等の憲法上の疑義に付いてこそ最も諮詢を必要とすべき事柄であるにも拘らず、諮詢を奏請する権能が内閣に任かされて居る結果として、実際には枢密院は憲法の番人としての任務をも充分には尽し得ない状態に在るのである。
(二)枢密院が諮詢に対し修正権を有するや否やは法律上多少の疑ある問題である。諮詢案の中でも国際条約及び既に議会の議決を経た法律案に付いては、その内容が最早動かすべからざるものとなつて居るのであるから、全く修正の余地の無いことは明白で、枢密院は唯その全体に付いて可否を上奏するにのみ止まるべきことは更に疑を容れないところである。勅令案文は将に議会に提出せんとする法律案に付いては、之に反して、その修正権を否定すべき理由に乏しい。勿論、枢密院は自ら発案権を有するものではないから、諮詢案の範囲外に出でて自ら新なる条項を追加することの出来ないことは当然であるが、その範囲内に於いて諮詢案に修正を加へて上奏することは、敢て枢密院の性質に反するものとは認め難い。実際に於いても枢密院が諮詢案に対し修正を行ふことは極めて頻繁で、その修正の余りに煩瑣であるため屢々枢密院は法制局の分局であるといふ非難を生じた程である。唯実際の慣例としては、その修正を行ふに当り本会議に於いて修正を議決して之を上奏するの方法に依らず、本会議に付する前に委員会の審査に付し、委員会に於いて修正を議決して、直に政府に交渉してその同意を求め、政府が之に同意すれば、政府に於いて自ら之を修正し、然る後本会議に付し、本会議に於いてはそのまま之を可決するのを常例とする。政府も亦委員会の交渉に対しては譲歩し得る限りは之に同意し、自ら之を修正することを例として居る。それであるから枢密院に於いて修正権を行ふと言つても、法律上の形式から言へば委員会の名を以て政府に修正を交渉するに止まり、法律上は政府自ら之を修正するの形式を取つて居るのである。枢密院で諮詢案を否決する場合も同様であつて、委員会から政府に交渉し、政府をして自ら之を撤回せしむる形式を取るのが普通であつて、本会議に於いて正式に諮詢案を修正し又は否決することは極めて稀なる例であると伝へられて居る。
(三)『枢密院ハ施政ニ干与スルコトナシ』といふ明文が官制に掲げられて居り、それが屢々枢密院は政治の事に容喙することは出来ぬといふ意味に誤解せられ、枢密院に対する非難の原因とせられることが有るけれども、是れは官制の正当なる解釈ではない。枢密院は官制に定められた各種の法律案条約案勅令案に付いて諮詢に応ふるもので、而して此等の諮詢案に付いて枢密院の審議すべき所は、決して単にそれが憲法に抵触するや否やの解釈問題にのみ止まるべきものではなく、進んでその実質に付いて国家及び国民の為に適当なりや否やにまで及ぶベきものであることは、官制の明文上疑を容るべき余地も無い。而して此等の法律案条約案勅令案は何れも国の政治に関係しないものは無いのであるから、その実質に付いて審査する以上は、当然政治の事に容喙する結果となることは言ふまでもない。若し枢密院が全く政治に関与することが出来ないとすれば、枢密院は全然その権能を行ふことの出来ないものとなるの外は無い。
官制の定めて居るところは、敢て政治に関与することを禁止して居るのではなく、『施政』に関与することを禁止して居るのである。施政とは政治を行ふことの意であつて、即ち人民に対し国の統治権を行使することを意味するのである。枢密院は天皇の最高顧問府として内閣と相並んで最も重要な機関の一たるものであるが、而もその職務は唯諮詢に応ふるに止まり、人民に向つては寸毫も統治権を行使する権能は無い。即ち政治を行ふことに付いて全く之に関与することを得ないもので、官制の明文は唯此の意を示したものに外ならぬ。之を以て全く国の政治に関与することを得ないものとするのは大なる誤解である。
(四)官制に於いて枢密院に諮詢せらるべき事項として列記せられたものは、憲法上の疑義及び批准を要しない条約を除いて、その他は官制上各件に付き一々諮詢を奏請しなければならぬのであつて、若し諮詢せずして之を断行したならば、国務大臣は官制違反の責に任ぜねばならぬ。
併しながら枢密院の諮詢を経ることは、皇室法上の事件を除いては、敢て効力発生の要件と認むることは出来ぬ。それは憲法の改正及び法律に付いては疑を容れぬところで、憲法又は法律の有効要件は唯憲法又は法律自身に於いて之を定むることが出来るだけで、勅令を以ては定め得ない事柄である。而して憲法又は法律に付き枢密院の諮詢を経べきことは勅令たる官制に依つて定まつて居るのであるから、此の勅令に違反したからと言つても憲法や法律の効力に影響を及ぼすべき理由は無い。勅令に付いては之に反して勅令の有効要件は勅令自身を以ても定め得べきところであるから、事それほどには明白ではないけれども、官制に於いて同じやうに諮詢を経べきものとして定められて居るものの中、憲法及び法律だけは効力に関係なく、勅令に付いては効力要件であるとすることは、余りに不権衡であつて、官制の趣意を得たものとは解し難い。随つて緊急勅令にせよ、罰則を定むる勅令にせよ、仮令枢密院に諮詢せられないで定められたとしても、尚完全に有効なることを妨げないものと解するのが正常である。
実例に於いても、大正十二年の関東大震災に際し、東京市内の交通遮断せられ事実上一時枢密院会議を開くことが不可能となり、而も事態極めて急迫であつた為に、時の政府は枢密院に諮詢するの手続を取らずして、緊急勅令を以て戒厳令の一部を東京府下其の他の近県に施行することとした例が有り、而して何人もその有効なることを疑はなかつた。
(五)枢密院は唯諮詢に応ふるの任務を有するに止まるのであるから、その諮詢に対して奉答する意見は、法律上に於いては何等の拘束力を有するものではなく、内閣は枢密院の意見とは反対の案を上奏して裁可を仰ぐことが出来る。枢密院で否決した緊急勅令でも、若し内閣に於いて公共の安全の為に避くべからざる必要ありと認めたならば、裁可を奏請することが出来るし、枢密院で修正を加へた場合でも、若し内閣に於いて原案を是なりとするならば、原案に付いて裁可を奏請することが出来る。
しかのみならず、国民に対しても議会に対しても国政に関する一切の責任は内閣が之を負担するのであるから、若し内閣にして自家の責任上枢密院の意見に同意することが出来ないと信ずる場合には、法律上から言へば之に反対の上奏を為すことが、却て国務大臣としての職責を尽す所以であり、法律上当然の所置であると言はねばならぬ。自ら不同意であるにも拘らず、枢密院の反対の為に余儀なく之に従ひ、その裁可を奏請することは、責任政治の本義に反するものとも言ひ得る。
併しながら以上は唯法律上から見た理論たるに止まり、実際的政治的の観察に於いては、此の理論をそのまま是認することは出来ない。若し内閣と枢密院とが各自己の意見を固執して互に反対の上奏を為すことが有るとすれば、陛下はその何れを採択したまふべきであらうか。若し内閣の意見を採納したまふとすれば是れ枢密院に対する不信任の意を表明したまふこととなり、反対に枢密院の意見を採納したまはば明に内閣不信任の意を示したまふものである。何れにしても重大なる政治上の危機を導くべきことは疑を容れないところで、而して此の如き重大なる危機を一に聖断に依つて決せんとするのは、至尊をして独り社稷を憂ひしむるもので、仮令此の如き場合の輔弼機関として別に内大臣及び官制以外には元老の制が有るにしても、尚輔弼の任に当る者の容易に為し得べきところではない。
且つ総ての内閣大臣は同時に枢密顧問官としての職務を兼ね行ふもので、即ち枢密院はその組織の中に内閣大臣をも含んで居るものである。此の点に於いてはわが枢密院は恰もイギリスの Privy Council に類するもので、内閣は結局枢密院の一部たるに外ならぬ。随つて内閣が枢密院の意見に反対するのは、結局一部の少数者が多数の意見に反対することに帰する。総ての合議体は少数者が多数に服従することを要することを最高の原理と為すもので、多数決で定まつた意見に反対して、少表意見の裁可を奏請するが如きは事理に於いて為し得べき事柄ではない。枢密院官制の明文に於いて枢密院は天皇の『最高』顧問府なりと言つて居るのも、枢密院の意見が内閣の意見よりも一層尊重せらるべきことを示して居るものと言ふことが出来る。それであるから、枢密院の議決は法律上から言へば何等の拘束力の無いものであるにも拘らず、政治上に於いては殆ど絶対の拘束力を有し、内閣は自ら之に賛成であると否とを問はず、之に従ふの外ないことは、現在の制度の下に於いては已むを得ない結果である。啻に枢密院自身の議決が此の如き政治上の拘束力を有つのみならず、本会議の議決は実際上殆ど常に委員会の議決をそのまま承認するを例として居るから、委員会の意見が既に実際上内閣を拘束するの力を有し、内閣は之に従ふことを余儀なくせらるる実状に在る。
それは又決して人の問題ではなく、制度の問題である。単に人の問題から言へば、従来と雖も、枢密院の人々が内閣大臣に比し必ずしも政治上大なる勢力を有つ人々であつたといふのではない。政治上の勢力に於いては、内閣は少くとも通常は衆議院の多数党の後援を有することに於いて、枢密院の人々より遥に偉大でなければならぬ。枢密院の意見が政治上に重きを為す所以は、人に在るのではなくして、一に制度に在る。
或は曰く、枢密院議長、副議長及び顧問官の何れに付いても、その任免に関する奏請は総理大臣の責任に属するのであるから、若し此等の者が不当に政府の提案に反対する場合には、総理大臣はその免官を奏請し、新に適当の者を以つて之に任ずべきであると。併しながら枢密院は内閣の監督の下に属する機関ではなく、内閣と相並んで直接に天皇に隷する機関であり、若し内閣と意見を異にするときは、自己の良心に随つてその信ずる所を奉答することが、ろの顧問機関としての当然の職責である。若し顧問官等が官紀を紊乱し又はその他その法律上の義務に違反する場合であれば、その罷免を奏請することは、総理大臣の当然の職務に属するけれども、顧問機関としての当然の職責を尽して居る場合に、単に内閣と意見を異にするといふだけの理由を以てその罷免を奏請することは、制度上許さるべき事柄ではない。
要するに法律上から言へば内閣は一切の国政に付いて責任を負担するものであり、随つて自家の責任に於いてその最良と信ずる所を上奏して裁可を仰ぐべき任務を有するものであるにも拘らず、枢密院制度の結果として、実際政治に於いては常に枢密院の意見に拘束せられ、自家の所信に反しても枢密院の意見に服従することを余儀なくせられ、而もその結果に対しては自らその一切の責任を負担せねばならぬといふことになるのであつて、玆に枢密院制度の大なる矛盾が有る。
しかのみならず、内閣が枢密院の意見に服従するには自ら一定の限度が有り、必しも無条件に如何なる決議にも盲従し得べきものではない。それは内閣が国務に関する責任者たる地位から言つて当然の事柄で、その枢密院の意見に譲歩し得るのは、唯それに付いて自ら責任を取り得る限度に止まらねばならぬ。若し絶対に責任を取り得ない場合に於いては、之に同意することは不可能であつて、此の場合には内閣は総辞職を為すより取るべき途は無い。
それは又最近に於いて実際に起つた実例であることはまだ読者の記憶に新なるところである。簡単にその顛末を一言すると、世界大戦後に於ける急激な財界の変動に加ふるに、大正十二年の関東大震災の打撃が有り、為替相場の騰貴に伴ふ輸出の困難なども之に伴うて、金融恐慌の勢甚だ切迫し、殊に台湾銀行は既に一たび大整理を加へたにも拘らず、その整理は不充分であつて、将に破綻に瀕する状態であつた。此等の事情は固より政府の熟知する所であつて、若槻内閣はその救済の目的の為に昭和二年の通常議会に所謂震災手形善後法案を提出したが、それに対しても世上反対の声は頗る高かつたけれども、遂に両院を通過することを得た。然るに議会が三月の末に閉会して未だ三週間を経過しない間に台湾銀行の窮状は益々甚しく、而して台湾銀行が破綻すれば金融界の大恐慌を来す虞が顕著であつたので、若槻内閣は憲法第七十条に依る緊急勅令を以て日本銀行をして台湾銀行に対し非常貸付を行はしめ、而して之より生ずる日本銀行の損失に対しては、二億円を限度として政府が日本銀行に対し補償の責に任ずることを約束するの案を立て、之を枢密院に諮詢した。枢密院は先づ之を委員会の審査に付したが、委員会は全員一致を以て該緊急勅令が憲法第七十条の要件を備へないものであると為し、之に対する同意を拒んだ。普通の場合であれば委員会の反対に依つて内閣は自らその案を撤回するの例であるが、此の場合は若し此の儘無為に経過すれば財界の大恐慌を生ずべきとことが余りに明白であり、而して内閣としては到底その責に任ずることが出来ないものと為し、本会議に於いて否決せられることの運命が明白であつたにも拘らず、之を撤回することを為さずして、該緊急勅令案は三月二十日の枢密院本会議に付せられ、陛下の御前に於いて討論の末、国務大臣が之に賛成した外は全員一致を以て之を否決し、議長よりこの旨を上奏した。因つて若槻内閣は即日全員の辞表を捧呈したが、その結果は予想せられたよりも遥に以上に、金融界の未曽有の大恐慌となり、遂に二日間に亘る全国の総ての銀行の同盟休業となり、若槻内閣の後を襲うた田中内閣は枢密院の同意を得て第八条に依る緊急勅令を以て三週間に亘る「モラトリウム」を令し、更に臨時議会を召集して、七億円を限度とする日本銀行に対する政府の補償契約を通過せしむるに至つた。
以上の経過に於いて、第一に問題となるのは、枢密院に於いて内閣の総辞職を予想しながら該緊急勅令案を否決したことが、果して正当なる権限の行使と言ひ得るや否やに在る。
それは政治問題としては軽々に論断し難いところであるが、併し憲法擁護の機関たることは、枢密院の最も重要な任務とせらるるところで、若し緊急勅令案が憲法違反であると信ずるならば、仮令その結果が内閣の更迭を惹き起すことになるにしても、その憲法違反なることを上奏するのは、敢て枢密院の権限を濫用したものとは言はれない。何となれば憲法の蹂躙を防ぐことは内閣の運命を保持するよりも枢密院に取りては遥に重要なる職責であるからである。而して枢密院が該緊急勅令案を違憲なりと解したことは果して正当な解釈であつたかと言へばそれも敢て不当なりとは言ひ難い。何となれば若し此の如き手段を取らなければ財界恐慌の虞が切迫して居るとすれば議会開会中に既に適当な手段を講ずべき筈であつた、然るに議会開会中はその手段を取らず、議会の閉会してから僅に三週間の後、而もその間に何等予期せられない事件の発生したものも無いのに、遽に此の如き非常手段を取らんとするのは、憲法の許さないところと見るのが当然であるからである。勿論、結果から見れば枢密院の否決の為に未曽有の大恐慌を惹き起し、モラトリウムとなり、七億円の補償契約となり、国家及び国民の大損害を来したやうであるが、枢密院が之を可決したからと言つて果して此等の結果を避け得たや否やは疑はしいのみならず、仮令それがその否決の結果であるとしても、之を否決せざるを得なかつたのは、政府が此の如き急迫の事情に迫つて居るにも拘らず議会開会中に於いて適当の手段を講じなかつた結果であつて、その責任は寧ろ政府に帰すべく、之を違憲なりとする者に帰すべきではないであらう。
第二に問題とをなるのは、枢密院の否決の結果内閣が総辞職を為したのは、果して穏当な行為であるや否やにある。
枢密院の反対に対して内閣が自家の責任上之に譲歩することの出来ない場合に於いて内閣の取り得べき手段としては、総辞職の外には、唯二つを想像し得るのみである。一は枢密院の反対に拘らず自ら是なりと信ずる所を奏請して裁可を仰ぐことであり、一は枢密院顧問官の罷免を奏請しその組織を改造することである。併しながら此の二の手段は何れも現在の制度の下に於いて到底取り得ないことは前に述べた通りであるとすれば内閣は総辞職を為すの外ないことは当然である。
要するに、今日の枢密院制度の下に於いては、内閣と枢密院とが政治上の重要なる問題に関し殊に憲法の解釈問題に関して意見を異にする場合には、時として枢密院の反対の為に内閣の更迭を生ずることも、制度上已むを得ない結果であり、それは又将来に於いても起り得べき事柄であると言はねばならぬ。
しかしそれが政治上果して適当であるかと言へば、其の甚しく不適当であることは言はずして明であらう。内閣の更迭は至尊の御信任の失はれた場合を外にしては、唯内閣内部の不統一に基くか又は国民的信頼殊に議会の信頼の失はれたことに基くことを常則とする。国民とは何等の関係も無い枢密院の反対の為に、議会の信頼の失はれないにも拘らず、又内閣の統一の維持せられて居るにも拘らず、内閣の総辞職を余儀なくすることが有り得るものとすれば、それが立憲政治の本旨に適しないことは余りに明瞭である。
而もそれが枢密院の正当なる権限の行使に基いて生じ得るとすれば、そこに制度の大なる矛盾が有ることは容易に看取し得られる。
(六)最後に、枢密院の著しい他の一の特質として看過することの出来ないことは、その会議が秘密会議であり、その議長副議長顧問官が外部に対し殊に議会に対して全く責任を負はない地位に在ることに在る。
枢密院の会議が秘密会議であることは、その名称に於いても既に示されて居るところであるが、それから生ずる重要なる結果として、枢密院は前に述べたやうな政治上に重要な地位を有するにも拘らず、国民は何故に枢密院が内閣に反対したか、何故に内閣の原案を修正したかの理由を全く知ることが出来ず、随つて枢密院は全然輿論の監視の外に置かて居るものと言ふことが出来る。尤も近来に於いては、枢密院の重要なる動静が屢々新聞紙上に現はれ、時としてその言論の一斑すらも紙上に伝へらるることが有るけれども、それは公の報道ではなく、果して真実であるや否やを保し難いのみならず、その報道も亦甚だ遺漏の多いことは勿論で、枢密院に提出せられた政府の原案の内容及び枢密院に於いて之に加へた修正の条項の如きも、公に発表せられないで終ることが多い。是れは民衆的政治に於いて甚しい異例であつて、裁判でも議会の議事でも総て国民の監視の下に公に行はれることを要件とする立憲政治の下に於いて、独り枢密院の如き政治上国民に対し重大な関係の有る会議が秘密の間に行はれるのは、注目すべき一の特質と言はねばならぬ。
枢密院が外部に対し殊に議会に対し全く責任を負はないことも、枢密院が前に述べた如き政治上に重大な勢力を行ふことと対照して甚だ奇異なる制度と言はねばならぬ。総て枢密院に諮詢せらるべき事項に付いては、内閣は苟も総辞職を為さない限り、終始枢密院の意見に服従するの余儀なき地位に在ることは前に述べた通りで、而も之に付いて一切の責に任ずるのは内閣であつて枢密院ではない。枢密院は秘密の裏に匿れて内閣を制肘し、而もそれより生ずる結果に付いては内閣が専ら責任の衝に当らねばならぬのである。内閣は枢密院の意見に従つたことを以ても、その弁解の辞と為すことを得ないのであつて、如何に不本意ながら枢密院の意見に従つた場合であつても、尚議会に対し国民に対し恰も自己の発意に成つた如くに弁明の責に任ぜねばならぬのである。それが合理的の制度であるや否やは言はずして明白であらう。況んや、枢密院の職務権限は実際には官制に定められて居るよりも遥か以上に拡張せられ、官制に列記せられない事項までも恒例として諮詢せられるものが甚だ多いに於いてをや。
枢密院が議会に対し責に任ずる機関でないことから生ずる結果として、議会は枢密院に対して質問を為すことを得ないのは勿論、その職務行動に対して之を非離するが如き決議を為すの権能を有するものではない。憲法には明に国務大臣が大権の輔弼に付いて一切の責に任ずることを明言し、又国務大臣及び政府委員のみが議会に出席する権あることを示して居る。是れは国務大臣及びその命を受くる政府委員のみが議会と交渉あることを明示するもので、議会は此等に対してのみ質問を起すことが出来又責任を問ふことが出来る。枢密院は議会とは何等の交渉の無いものであるのみならず、その総ての職務行動は正式には秘密の中に包まれ、議会は公に之を知ることを得ないものである。仮令それが外部に洩れたとしても、それは正確なる事実として公に承認し得べきものではない。何れの点から言つても議会は枢密院に対してはその責任を問ふことを得べきものでないことは明白である。
然るに本年の議会に於いては、枢密院に対する問責の決議案とも見るべきものが、憲政会の所属議員から衆議院に提出せられ、衆議院は多数を以て之を可決した。
是れは全く無意昧の決議であり、又議会の正当なる権能を超越したものと言はねばならぬ。議会と新聞紙とは異なる。新聞紙ならば裁判所の裁判を評論し、枢密院の言動を非難することも自由であるが、議会は国家の公の機関であつて、その為し得べき行動の範囲は唯法律上認められた権能内に限られねばならぬ。決議の如き単に意見を発表するに止まる場合であつても、それはその権能に属する事項に付いての意見に止まらねばならぬ。議会は国務大臣の責任を論議する機能を有するものであるから、国務大臣の行動を非難する決議を為すことはその権限の範囲内に属するものであるが、裁判所や枢密院の如き全然議会と交渉の無い独立の機関に対して弾劾的の決議を為すのは、的なきに矢を放つもので、議会の権限の範囲外に出づるものである。
現行の制度に於ける枢密院の権限とその作用とは以上述ぶる通りである。此の如き制度が立憲政治に於いて存在の理由を有するや否やが甚だ疑はしいことは、以上述べたところに依つても容易に推知し得られることと思ふ。
枢密院の最も重要なる任務は、第一に、皇室の大事にして同時に国家の大事たるものを審議することに在るけれども、窃に案ずるに、此の重大なる任務は枢密院の如き官僚の府よりは、寧ろ之を議会の権限と為す方が一層適当なるものではなからうか。わが皇室は六千万国民の奉戴する皇室であつて、単に官僚の皇室ではない。六千万の国民は皆陛下の忠良なる臣民でないものはなく、而して議会はこの国民の代議機関として協賛の任に備はつて居るものであるから、殊に皇室の大事にして同時に国家の大事たるものの如きは、此の国民の代表者たる議会の翼賛を以て行はるるこそ最も能くわが君民一致の国体に適する所以ではなからうか。枢密院の如き少数の官僚の府を以てその審議の機関とせらるることは、わが国体上決して適当な制度とは思はれない。少数の権臣が皇室を挟むことの弊害は藤原氏以来幾多の歴史的事実の証明して居るところである。従つて此の点に於いても枢密院は強い存在の理由あるものとは信ぜられぬ。
枢密院の第二の重要なる任務は、憲法の番人としての職務であるけれども、此の点に於いては、枢密院の如き単に諮詢に応ふるに止まる機関は、完全にその任務を尽し得ないことは前に述べた通りである。若し憲法擁護の任務を議会及び政府の権能に任ずることを以て危険なりとするならば、正式に憲法裁判所を設くるを以て遥に勝れりとする。枢密院の如き秘密会議であり、又諮詢を待つて始めて奉答し、而もその決議は法律上には何等の拘束力を有しないやうな機関は、憲法擁護の機関として決して適当なものではない。
その他の緊急命令、条約、戒厳宣告、罰則ある勅令の如きに至りては或は議会の議決か然らざれば議会の常設委員会の議決を以て行はるるものとすることを適当とすべきもので、是も枢密院の存在の理由を説明するものとはなし難い。
一方に於いては、枢密院制度の存するが為に、無責任の地位に在りながら秘密の蔭に在つて責任の衝に立てる内閣の行動を束縛し、甚しきに至つては内閣の進退を左右することすらあるに至つては、啻に存在の理由なきのみならず、或は有害の作用を為すものであるとの非難をも免れ難いであらう。
枢密院制度に若し長所が有るとすれば、それは唯公正の見地に立つて政党政治から生ずる弊害を矯正することに在らねばならぬ。併しながら政党政治の弊を抑制すべき機関としては、既に貴族院の制度が有り、その上更に枢密院を設くることは、屋上屋を架するものであるのみならず、枢密院は決して此の目的の為にも適当な機関ではない。政党政治の主たる弊害は政権を私利及び党利の為に濫用することに在るのであるが、枢密院は此の点に於ける弊害を矯正する為には、殆ど何等の実効をも挙げ得ないものである。
要するに、わが憲法に於けるが如き枢密院制度が世界の何れの国に於いてもその類を見ないものであることは、此の如き制度の必要ならざることを証明するもので、わが憲政の将来の発達は恐くはその廃止に向ふべきものであらう。
(昭和二年七月十四日稿)
(昭和二年八月発行「国家学会雑誌」掲載)