代議制度の組織に一院制を可とするや二院制を可とするやは、立憲制度の歴史に於いて、今日まで、幾度となく繰返し論ぜられた所である。一八六一年に初版を発行したジョン・ステュアルト・ミルの「代議制論」の中にも、既に『代議政治の理論に関する総ての問題の中で二院制の問題ほど多く議論せられた問題は無い』と曰つて居る。就中フランスに於いては、大革命以来、或は一院制を取り、或は二院制を取り、而して其の改革毎に両者の理論上の可否や実際上の利害得失やに就いていつも激しい論争が行はれた。殊に大革命直後の第一共和政府の憲法及び一八四八年の革命に依る第二共和政府の憲法には、共に一院制度を取つたことは、恰もイギリスに於てクロムウェルの共和政時代に一時貴族院を廃止して一院制度としたのと同様であつた。其の主たる理論上の根拠は、国民の意思を代表すべき機関は唯一つであるべきである。国民の意思が一あつて二なく、分割すべからざるものであるとすれば、之を代表すべき機関も亦二つに分たるべきものではないといふに在る。其の実際上の論拠はさまざまであるが、就中、二院制であれば両院の不一致の為に立法が妨げられ、容易に必要な改革を実行し得ない恨みがあり、又之が為に全体としての議会の勢力を弱くする傾が有ることは、其の最も強い理由として主張せられた所である。併ながら今日の各邦の実際に於ては、ブルガリア、ユーゴースラヴィア、独逸連邦内の各邦、瑞西連邦内の各邦といふやうな小さな国を除いて、稍大きな国では、殆ど例外なく其の議会制度に付いて二院制を取らないものは無い。フランスに於て二回の共和政府に於いて一院制度を経験したに拘らず、現在の第三共和政府は王政時代と同様に二院制を取つて居るのを始めとして、世界の各立憲国は君主政体であると共和政体であるとを問はず、又古くからの立憲国であると新しく憲法を作つた国であるとを問はず、皆二院制度を取つて居り、二院制は殆ど立憲制度の必然の原則の如くに看做されて居る。世界戦争は多くの国の憲法に重要な変革を持ち来したけれども、議会の二院制に就いては、依然として旧の如く、戦争後に作られた新興諸国の憲法も等しく同じ制度を維持して居る。
議会の二院制度が此の如く広く諸国の共通の制度と為つて居るのは、一つには代議制度の祖国たるイギリスの議会が最初より貴族院、庶民院の二院に分かれて発達したことが、其の一の原因を為して居るのであるが、外の諸国に於いて同じ制度を取るに至つたのは、決して単にイギリスの制度を真似たといふに止まるものではない。イギリスの二院制度は寧ろ偶然な歴史的事情の結果であつて、意識した立法の結果ではないが、外の諸国では、何れも理論上及び実際上の可否得失を考察して、二院制を適当なりと認めて、立法に依つて之を定めたのである。言ひ換ふれば二院制度が広く世界に通じて行はれて居るのは、決してイギリスに於ける歴史的発達の結果にのみ基いて居るのではなく、二院制そのものに一院制よりも優れた長所が有ると認められた結果に外ならぬことは明瞭である。
然らば二院制度には如何なる長所が有るかと曰へば、フランスの故エスマン教授は之を左の三点に帰して居る。
(一)立法議会の勢力が余りに強大となることを妨げ、議会専制の弊を防止し得べきこと。
議会は立法権及び予算議定権を有つて居る結果として、其の性質上政権の中心勢力となるべき必然の傾向を有つて居る。併しながら議会専制の害が決して君主や独裁者の専制に譲るものでないことは、歴史の証明する所である。此の弊害を避くる為には議会を両院に分つことが最も適当の方法である。之に依つて議会は過大の勢力を独占することが出来なくなり、行政権や司法権と対立して丁度適当の地位を有するに至るであらう。
(二)政府と議会との衝突を緩和し得べきこと。
立法権と行政権とは少くとも或る程度に於て分離せられて互に独立の地位を有つて居るのであるから、其の間には衝突が起り易く、時としては避くべからざることが有る。此の衝突が余りに激烈であると、遂には暴力に訴へることともなり、憲法破壊にも導く虞が有る。議会を両院に分つことは、此の衝突を緩和して成るべく平和の手段を以て両者の調和を得せしむることに頗る有利である。何となれば、多くの場合に於て衝突は何れか一院と政府との間に起るのが普通で、此の場合には他の一院が其の衝突の極度に達することを妨げ、其の仲裁者の役目を行ふことが出来るであらうし、若し両院が一致して政府に当る場合であれば、正理が議会の側に在るものと認むべきは当然で、勝利が議会に帰するのは国の福利に適するものと看なければならぬ、若し又両院相互の間に衝突が起ることが有れば、政府が其の仲裁者となり得るであらう。
(三)議決の軽卒と過誤とを避け得べきこと。
総ての議決機関は動もすれば軽卒に誤つた議決を為す傾を免れないものであるが、二院制は明に此の危険を救ふの利益がある。若し一院制であれば、其の議決が直に法律となるのであるから無思慮な悪法が容易に作られる虞が有るが、二院制であれば、一院の過誤は他の一院が之を正し、一院が軽率に議決した事柄は他の一院が充分之を熟慮することが出来る。殊に議員の提出案は調査不充分の嫌あるものが少くないので、両院が重ねて之を審議することが極めて必要である、議員の発議に基いて修正を加へる場合も同様である。
以上はエスマンの説であるが、此等の三点の中、最も重きを置かるべきものは疑もなく第一の点に在るであらう。故ゼームス・ブライス卿の名著「米国共和政」に於ても、米国諸邦の憲法が尽く二院制を取つて居ることを論じて『今日では二院制度の必要は政治学上の公理とも看做されて居る、其の理由は総て合議体は本質上軽卒、専制、腐敗に趣くべき傾向を有つて居るもので、之を防ぐには必ず同等の権威ある他の一院の並立することを要するといふ確信に在る』と、曰つて居る。ジョン・ステュアルト・ミルも亦二院制の最も大なる長所は議会専制の弊を矯めるに在るとなし、曰く『自分の判断に依れば、二院制を有利ならしむる最も強い根拠は、一人にもせよ合議体にもせよ、総て権力を掌握する者が自分以外に同意を得ねばならぬ者が無いことを自覚することから生ずる、心理上の悪影響に在る。何人と雖も、仮令一時的であつても、自分以外に他の者の同意を得る必要なく、自分だけの独断を以て万事を決し得るやうな権力を有たしめてはならぬ。一院の多数党が長い間絶えず多数を占めて居り、而して若し其の行為が他の一院の同意を得るや否やを考慮する必要が無いとすれば、容易に横暴専制となることを免れないと。
此の最後の論旨は理由のある説であつて、自分も二院制度の本旨は主としては多数党の横暴を抑制せんとすることに在ると信ずる。二院制に反対する論者が国民の意思を代表すべき機関は唯一つであるべきであるといふのは一応の理屈の有る説のやうであるが、併し、それは衆議院が真に適切に国民の意思を代表し得る機関であることを前提として居るもので、若し一院だけでは到底完全に国民を代表することが出来ないとすれば、其説は全く成り立ち得ないのである。而して一院だけで完全に国民を代表することは、如何なる選挙方法を取るとしても、事実に於て全く不可能である。如何にして議院を最も能く国民を代表する者たらしむることが出来るかは、選挙法制定に付いての最も大切な問題であつて、普通選挙といひ、女子選挙権といひ、比例代表といひ、何れも成るべく完全に此の目的を達せんとする考案たるに外ならなけれども、それは唯比較的に適当なる方法たるに止まつて、如何なる方法を取つたとしてくも、選挙といふこと其れ自身が其の根底に於て救ふべからざる欠陥を有つて居るのであるから、選挙に依つては絶対に完全な国民代表の機関を得ることは不可能であり、而も選挙以外の方法に依つては尚更之を望むことは出来ぬ。議会の権限を一院だけの専制に任かして置くことの不当なることは、玆に其の主たる理由を有つて居るもので、一院に於ける多数党の横暴を抑制すべき他の機関を必要とする所以も亦主として此の点にある。
それであるから第二院の任務は、第一院とは独立して、第一院に於けるが如き政党の争の外に立ち、其の智識と経験とを以て公正に且つ忠実に第一院を監視し、万一第一院が正常なる判断を誤り多数横暴の弊に陥いつた場合には、之を抑制して其の再考を促がすことに在らねばならぬ。其の任務は殊に第一院に於て一の党派を以て絶対過半数を占めて居る場合に於て大切である。何となれば多数党横暴の危険は此の場合に於て最も著しいからである。若し之に反して第一院に於て多数の小党が分立し何れの一党を以ても絶対多数を占める者が無ければ、第一院自身に於て既に政党相互の間の抑制が行はれて、多数党の横暴を防ぐことが出来るから、第二院の任務は比較的に其の重要さを失ふであらう。若し又第二院の多数が第一院の多数と相結託し一の党派を以て両院を縦断するが如きことが有つたならば、それは全然二院制度の本旨を没却するものと言はねばならぬ。
議会を両院に分つことは右述ぶるが如く殆ど各立憲国に共通の制度となつて居るが、第二院の組織を如何に定むべきかに付いては、国に依つて大に其の制度を異にして居る。それには先づ連邦的の国家と統一的の国家とを分つ必要が有る。
連邦制度の国に於ける第二院は統一制の国の議会とは著しく其の形を異にして居る。連邦制度の国は統一的の国とは異つて一の国家が更に多数の小国家から成り立つて居るのであるから、全国民を代表する機関が必要であると共に、連合各邦の代表機関が必要である。それであるから連邦国に於ては必ず第一院として国民の代表者たる議会を置いて居る外に、第二院として連合各邦の代表者を以て組織する連邦会議を置いて居る。それは連邦に特有な性質から来る当然の必要で、此の二種の合議体は同じ議会を構成する両院であるといふよりは、別個の性質を有する独立の機関であるといふ方が寧ろ正しい見方である。アメリカ合衆国の憲法は元老院と代議院との両院を以て合衆国議会を構成するものと定めて居るけれども、其の実は元老院は連合各邦の代表議会であり、代議院は国民の代表議会であつて、其の性質を異にし、其の権限を異にして居り、随つて又元老院のみを以て単独に開会し得る場合を認めている。ドイツに至つては、革命の前後共に、連邦会議たる「ライヒスラート」(旧制では「ブンデスラート」)と国民議会たる「ライヒスターグ」とが全然別個の合議体であることを初より憲法上に公認して居る。其の他の連邦国に於ても略同様である。要するに、連邦国の第二院は他の国の第二院とは全く異つた必要に基いて出来て居るもので、之と同一には論じ得べきものではない。
統一制度の国では、之に反して、両院は共に国民代表の機関たることに於て、其の性質を同じうするもので、唯一院だけでは完全に国民代表の実を得ることが不可能であるから、別に一院を設けて成るべく其の欠点を補はうとするものに外ならない。それであるから、連邦制の国に於いて、両院の組織が自ら其の性質に依つて定まり、国民代表の議会は全国民から選挙し、各邦代表の会議は各邦から選挙するといふことが、先天的に定まつて居るのとは異つて、第二院の組織に付いて、性質上記必ず斯く有らねばならぬといふ一定の制度は存在しない。
統一制の国に於ける第二院の組織に付いての諸国の制度には、凡そ二種の型を分つことが出来る。其の一つは全然国民から選挙する方法を採らず、貴族又は勅任議員の類を以て組織するもので、之を貴族院式又は旧制度型の第二院といふことが出来る。他の一つは第一院と等しく直接又は間接に国民から選挙するものとし唯選挙の方法を異にして居るもので、之を元老院式又は新制度型の第二院といふことが出来る。
民主政体の国では、貴族といふ階級は全然之を認めないのであるから、貴族院制度の存在の余地なく、其の第二院は必然に元老院式である。君主政体の国でもベルジウム、オランダ、デンマルク、スウエーデン、ノルウエーの如き多数の国は、何れも選挙制度を取つて居る。但し其の選挙に付いては、或は一般国民から選挙するものも有り、或は種々の職能的の団体から選挙するものも有る。
貴族院式の第二院は主としてイギリスに発達した制度で、イギリスの影響の下に、革命前まではプロシア其の他独逸連邦内の君主国、オーストリアなどに行はれて居たが、革命に依つて此等の諸国は何れも民主政に移ることとなつた為に、第二院の組織も亦当然選挙に依ることとなり、随つて今日ではイギリスの外には日本、イタリア、スペーン等に其の例を見るのみである。イタリアの第二院は名は元老院と称し、貴族院とは称して居らぬが、其の組織から言へば国民の選挙に依るものではなく、二十一年以上の皇族男子及び勅任に依る終身議員から成り立つて居る。勅任議院の数には定限なく、高職を占めた者、学術、文芸其他の職に優秀な地位を占める者又は多額納税者から勅任せられる。スペーンの第二院も亦元老院と称し、其の議員は(一)法律上当然議員たる者(二)勅任議員(三)地方団体其他種々の団体から選挙せられる議員の三種から成り立つて居る。
各国に於ける第二院の組織が斯くさまざまになつて居るのは、主として歴史上の沿革と各国国情のちがふことに原因して居るのであるが、若し此等の歴史的沿革と各国特有の事情とを度外視して、抽象的に第二院の組織を如何にするが最も適当であらうかと言へば、それは必ずしも一般に断言し得べき問題ではないが、自分の見る所に依れは、第二院の本分から考へて、殊に左の諸点を考慮すべきものであると思ふ。
(一)第二院は第一院と組織を異にすることが必要であり、殊に第一院に於けると同様な政党の分立は成るべく第二院には存在しないやうにすることが必要である。第二院は第一院の欠陥を補ふが為に存在するのであるから若し両院共に同様の組織を為し、殊に同じ政党が両院を縦断して両院に於いて共に多数を占めるやうになれば、二院制度の本旨は全く失はれて、第二院は全然存在の価値の無いものとならねばならぬ。此の点から見て、第二院も第一院と同様な方法を以て一般国民から公選するのは、適当な制度とは言ひ難いであらう。
(二)第二院は第一院が一般民衆を代表するのに対して、成るべく智識と経験とに富み、且つ社会上の各種の勢力を代表するものたらしむるやうに組織するのが適当である。第二院と雖も等しく議会の一院であつて国民代表の為の機関であることに於ては第一院と異なる所は無いが、唯第一院と同様の組織であつては二院制度の目的に適しないのであるから、第一院が直接に一般国民から公選せられ、社会上の地位や勢力や智識経験やに依つて区別せられないのに対して、第二院は其れ等の点に顧慮して、平等に全国民から公選するものと為さず、何等かの方法に依つて此等の特殊の能力を代表するものたらしむるのが相当であらう。
(三)第二院をして第一院をも圧倒して議会の中心勢カたらしむるやうな組織を為してはならぬ。議会は国民代表の為の機関であることは争ふべからざる所であつて、而して国民代表の機関としては必ず直接に一般国民から公選した第一院が中心勢力とならねばならぬことは言ふまでもない。第二院は唯第一院の欠点を補ひ万一の場合に於ける専制横暴の弊を抑制するが為に存するのであるから、議会に於て必然に従たる地位を占むるものでなければならぬ。若し第二院の方が却て第一院を圧倒するだけの勢力を有するやうなことが有れば、それは本末顛倒であつて、議会が国民代表の機関であることと相容れない結果となる。是れは主としては実際政治の問題であつて、組織の問題ではないけれども、組織に付いても斯ういふ結果を生じ得るやうな組織は努めて之を避ける必要が有る。
日本の貴族院制度は言ふまでもなく、イギリスの貴族院制度の影響を受けて居るものであるが、イギリスの貴族院は昔の封建時代の遺物が大なる変化を受けないで其の儘今日に伝はつて居るのであるから、其の制度をそのままの形で日本に輸入することは、到底日本の事情に適しないことは勿論であり、随つて日本の憲法に於ける貴族院は決してイギリスの制度をそのまま受け継いだものではなく、多くの点に於てイギリスと異つた制度を取つて居り、外の諸国には全く類例を見ない日本の独特の制度を為して居る。
就中、日本の貴族院制度の最も著しい特色としては、左の諸点を挙げることが出来る。
其の第一の特色は、其の制度の定め方に在る。憲法第三十四条には『貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス』と有つて、即ち貴族院の組織に付いての詳細の定めは上貴族院令を以て規定すべきものとして居る。其の貴族院法と曰はずして貴族院令と曰つて居るのは、法律に依らず勅令を以てすべきことを示して居るものと解釈せねばならぬことは言ふまでもない。即ち衆議院の組織は法律を以て之を定め、随つて衆議院自身の外に貴族院も等しく其の議決権を有つて居るのに反して、独り貴族院の組織に付いては、衆議院は全然其の議決に与ることが出来ないものとして居るのである。是は外の国には全く例を見ない所で、憲法草案の起草者が如何に衆議院に対し危惧の念を懐いて居たかを察知し得べきものである。
憲法には貴族院令の改正には貴族院自身の議決を要することをも明言して居らぬ、而して別段の規定の無い限りは勅令は勅裁のみに依つて成立し、随つて勅裁のみに依つて改正することの出来るのは当然であるから、貴族院令の改正に付いても、若し普通の原則から言へば、貴族院の議決を経る必要も無く、政府だけで之を為し得るもののやうに考へられる。然るに貴族院令第十三条には『将来此ノ勅令ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スルトキハ貴族院ノ議決ヲ経ヘシ』とあつて、其の改正には貴族院の議決を経ねばならぬものとして居る。此の貴族院令の規定は憲法上当然の事を規定したに過ぎないものであるか、又は憲法の認めない新な権限を貴族院に附与したものであるかは、往々争の有る問題であるけれども、自分は前の解釈の方が正しいことは現に疑を容れぬと思ふ。即ち自分の信ずる所に依れば、貴族院令の改正に就いて貴族院の議決を要することは、貴族院が議会の一院たる性質上明文を待たない当然の事柄で、仮令憲法には其の明かな規定は無いにしても、貴族院令は全く一般の勅令とは性質を異にしたもので、単に勅裁のみに依つて任意に之を改正し得べきものでない。何となれば、第一に、貴族院は議会の一院であつて、政府からは全く独立の地位を有つて居る者である、若し其の組織を政府の一存で任意に改造することが出来るものとすれば、貴族院は全然政府の機関となつて了まひ、其の独立の機関たる地位と全く相容れないものとならねばならぬ。枢密院の如き純然たる天皇の機関ですらも、其の内閣に対して独立の地位を有つて居る結果として、枢密院官制及び枢密院事務規程は枢密院自身の諮詢を経ねば改正することの出来ぬものと定められて居る。況んや貴族院は立法部の一院として完全に独立の地位を有たなければならぬもので、政府だけの意向を以て其の組織を改造することの出来ないことは、憲法上当然の事理と言はねばならぬ。第二に、若し憲法の解釈として貴族院令の規定が貴族院の議決を経ないで改正することの出来るものとすれば、貴族院令第十三条の規定は、貴族院に憲法の認めない新な権限を付与したものと言はねばならぬ。併ながら貴族院の権限は憲法自身の定むる所に依るべきもので、勅令を以て新に其の権限を付与し得べきものではない。憲法に依つて貴族院令に委任せられて居るのは、唯組織に関する規定のみで、権限に関する規定は委任の範囲には含まれない。其の委任の範囲を超えて勅令を以て新な権限を貴族院に与へたとしても、それは全く効力の無い規定とならねばならぬ。加之、第三に、若し貴族院令がその本来の性質上は普通の勅令と同じく勅裁のみに依つて改正し得べきものであつて、唯第十三条の規定の有る為にのみ貴族院の議決を要するものであるとすれば、其の当然の結論として、第十三条の規定自身が勅裁に依つて変更し得べきものであり、随つて仮令此の如き規定を設けたとしても、それは実効の無いのとならねばならぬ。要するに、貴族院令第十三条の規定は唯当然の事を明言して居るのみで、此の如き規定なくとも、貴族院の組織に関する勅令が貴族院自身の議決を要することは、憲法上自明の事柄であると信ずる。
それは何れにしても、貴族院の組織が法律に依らず勅令を以て定められ、しかもその勅令は貴族院の議決を経ねば改正し得ないものとせられて居ることは、貴族院の改革を甚だ困難ならしむる原因を為して居る。若し法律を以て定められて居れば、衆議院からその改正案を提出することも出来るし、衆議院の決議を以て貴族院に迫ることも出来るけれども、勅令を以て定められて居る限り、それは不可能であり、此の点に於いて先づ貴族院の優越の地位が憲法上に保障せられて居る。私は之を以て我が貴族院制度の第一の不合理な点と信じて居る。
我が貴族院制度の第二の重要なる特色は、貴族院が解散せられない特権を有しながら、しかもその権限に於いては衆議院と全く対等のものとせられて居ることに在る。
貴族院が解散せられないことは、イギリスを初め他の貴族院制度を採つて居る国に於いても等しく認められて居る所であり、又貴族院が世襲の貴族や終身の勅選議員から成り立つて居ることから生ずる必然の結果であるが、しかし不解散の特権は貴族院の地位をして衆議院とは頗る異つたものたらしめて居る。
衆議院に対しては、政府は解散の武器を有し、若し衆議院が政府に反対する場合には、解散に依つて信を国民に問ふことが出来る。貴族院に対しては之に反して政府は如何なる武器をも有しないのであるから、若し貴族院が衆議院と同様に立法及び予算に付いての絶対の議決権を有するものとすれば、貴族院の同意を得ない限りは、法律も予算も全く成立することは不可能であり、随つて政府は仮令衆議院の信頼を得て居るとしても、貴族院が反対すれば、その反対を制する何等の手段もなく、輿論の支持を得ながら、貴族院の反対の為のみに因り辞職するの余儀なきに至り、若し強ひてその職を維持しようとすれば、自己の意思に反して貴族院の意見に盲従せねばならぬ結果となることは免れない。
それであるから、貴族院が自ら其の本分を守り、自ら抑損して政府と衆議院との一致の意見に対しては濫りに之に反対しないことの習慣を作るのでない限りは、貴族院が政治上に最も優越した勢力を得るに至ることは避け難い結果である。
就中わが貴族院をして政治上に強大な勢力を有せしむるに至つた主たる原因を為すものは、貴族院議員の最大の団体であり、院全体の大勢を左右するだけの実権を有する研究会である。若し貴族院議員にして、凡て一人一党主義を守り、忠実に各人の所信に従つてその職務を行ふものであれば、貴族院が仮令法律上に衆議院と対等の権限を有すとしても、その政治上の勢力は決して斯くまで強大になる憂は無かつたであらう。不幸にして研究会は院の全体を制し得べき程の多数議員を一団体に糾合して居るのみならず、その幹部の命令は能く全会員を束縛し、議員は自己の良心に従ふのではなくして、会の命令に従つて投票するの例を為して居る為に、研究会は殆ど政府の死命を制する程の勢力を養ひ得たのである。
それであるから、歴代の内閣が貴族院殊に研究会の歓心を得ることに努め来つたのは已むを得ないところで、それが為に益々その勢力を増長せしめ、遂に清浦内閣に至つては、研究会が自ら内閣の組織の首脳者たるに至つた。是に至つては貴族院の本分は全然無視せられたものと言はざるを得ない。
貴族院の最も重要なる特色としては、言ふまでもなくその組織を挙げねばならぬ。
わが貴族院の組織の主要なる特色としては、皇族議員は別として、華族議員と勅任議員と約半数づつに分かれ、而して勅任議員の大部分は専ら政府の推薦に依る終身議員であることを挙げることが出る。
第一に、華族に貴族院議員たるの特権を与へたことは、明にイギリスの模範に倣つたのであるが、イギリスの貴族院は前にも一言した通り、封建時代の慣習が其のまま今日に伝はつて居るもので、之を日本に伝へたのは、日本が維新以後封建制度を打破し、階級的特権を全廃し、四民平等の主義を確立した国是と相矛盾するもので、再び明治維新以前の方針に逆行した観が有る。且つ日本の華族は皇族より降下せられた華族、公卿華族、大名華族、武家華族、勲功に依る華族など種々の分子を含んで居り、此等に対して区別なく等しく貴族院に列する特権を与へたのは、如何なる目的に出でたのであるか殆ど理解し得られない。若し華族に依つて門地を代表せしむる趣意であるとすれば、血統を重ずることは人類の天性に抜くべからざる根底を有つて居るものであるから、それも一理ある所であるが、それならば唯皇族降下華族、公卿華族にのみ限つて然るベきで、勲功に依る華族の如きは全然其の資格を欠いて居るものである。若し又社会に上流の地位を占めて居るからと云ふ趣意であるとすれば、それは決して華族にのみ限定せらるべき理由とはならぬし、又之に依つて智識と経験とを代表せしむるといふ趣意であるとすれば、それは全然選択を誤つたものと言はねばならぬ。要するに華族議員を以て貴族院の半数を占むるものとしたことは、唯漫然イギリスの制度を真似たといふことの外には、甚だ理由に乏しいものと言はねばならぬ。
併ながら日本の貴族院は決してイギリスの制度を其の儘採用したのではなく、勅任議員の事は別にして、華族議員だけに付いて言つても、イギリスの制度との間には大なる相違がある。其の特色は主として左の数点に求むることが出来る。
(一)イギリスの貴族院はスコツトランドの貴族を除いては選挙に依らず貴族たることに依つて当然貴族院議員となるのであるが、日本の華族は公侯爵を除いては凡て選挙に依つて議員となることの差異が有る。
此の差異に基いて更に重要なる結果の相違が有る。イギリスでは貴族に叙することは当然貴族院議員たらしむることを意味し、而して貴族に叙することは無制限に君主の大権に属し、内閣の奏請に依つて行はれるのであるから、若し貴族院が政府及び庶民院の一致の意向に反対する場合には、其の反対を制すべき最後の手段として、政府は幾百人でも新に貴族に叙せらるべき者を奏請して以て貴族院の多数を制するに足る可きだけの御味方議員を作ることが出来る。是は固より已むを得ざる場合の最後の手段であるが、政府が新に幾人かの貴族を作るべきことを発表すれば、それだけでも貴族院を威嚇する力を有つて居る。現に一九一一年の国会法制定の際の如き、此の威嚇に依つて遂に貴族院をして其の法律に同意するの已むを得ざるに至らしめたのである。日本の貴族院は之に反して華族になることが直に貴族院議員となることを意味するのでないから、華族に列せしめたとしても、直に之をして御味方議員たらしむることは出来ないのみならず、授爵を奏請するの権は内閣には属しないで宮中の大権に属するのであるから、イギリスのやうに新に貴族を作ることに依つて貴族院の反対を制する途は無い。日本に於て若し貴族院が飽くまで其の法津上の権能を主張して、政府及び衆議院に反対するとすれは、政府は其の反対を制すべき如何なる手段をも有しないのである。
(二)イギリスの貴族院議員は全然無歳費な名誉職であるが、日本の貴族院議員は公侯爵を除くの外衆議院議員と同様の歳費を受けて居る。是は小さい事のやうであるが、実は可なり重要な影響を与へて居るもので、而も其の影響は決して喜ぶべきものでない。貴族院式の第二院に於て民選議員と同様の歳費を議員に与へて居るのは、恐くは日本が世界に於ける唯一の例であらう。
(三)伯子男爵議員の選挙が連記投票の方法に依ることと為つて居ることも、華族議員の地位に著しい特色を与へて居ることは、何人も熟知する所である。是あるが為に同爵者の全数が唯一の国体の独占する所となり、従つて又貴族院に於ける研究会の勢力を築き上ぐる基礎となつて居ることも、玆に述ぶるまでもなく、一般に知られて居る所である。
第二に、勅任議員中百二十五人の定員を占めて居る終身議員が総て内閣の奏請に因るもので、其の時々の内閣が自分に縁故あるものを奏請する慣習となつて居ることは、貴族院の組織に著しい特色を与へて居る。是れは恐くはイタリアの制度に倣つたものと思はれるけれども、イタリアでは勅任せらるべき者の資格を限定して居るのに反して、日本の勅任議員は一に之を内閣の奏請に任じ、『国家ニ勲労アリ又ハ学識アル者』といふやうな規定は有つても、事実に於ては全くそれ等の資格に拘らず、無制限に政府の奏請に任かされて居ることに於て、其の特色を有つて居る。
勅選議員の推薦が専ら政府の権能に属することの結果は、政党内閣となつて以来、各内閣は殆ど常に自分の政党に関係ある者のみを推薦するの例を為し、随つて政党の争が貴族院にまで及ぶことの大なる原因を為して居る。
加藤高明氏を総理とする三派連立内閣は、その所謂護憲運動に於いて、貴族院改革を主たる標識として居つたのであるから、自ら政権を握つた後は、必ず其の主張を実現する責任を負うて居た。
しかし、貴族院令の改正は貴族院自身の同意を得ねばならぬものであり、而して貴族院の同意を得る為には、その最大の勢力たる研究会の賛成を得ることが絶対の必要であり、しかも研究会自身の勢力を打破するやうな改正案に対しては、研究会の賛成を得ることは、容易に望み難いことは当然であるから、有効なる貴族院制度の改革は、言ふに易くして甚だ行ふに難いことを覚悟せねばならなかつた。
有効なる貴族院の改革を実現する為には、是非とも其の調査の為に有力なる特別の委員会を設けて、之をして適当なる成案を作成せしむるの外は無いであらう。或はイギリスで行はれた一九一七年から一八年に至るブライス卿を委員長とする貴族院改革調査委員の如く、貴族院及び衆議院両院から各若干数の委員を出だして組織するか、或は日本で加藤友三郎内閣が衆議院議員選挙法に付いて行つたやうに、法制審議会に委託するか、何れにしても、それ等の適当なる委員会の審議に付し、以て改革の機運を醸成することが欠くべからざる必要であつたであらう。
不幸にして加藤内閣は此等の何れの方法をも取らず、単に内閣に於いて自ら成案を作り、これを貴族院に提出するに止まつた。それが容易に貴族院の同意を得られ得べきほどの微温的な改革に過ぎなかつたことは、当然である。
それは殆ど改革の名には値しない程のもので、わが貴族院の勢力の最大の原因を為して居る研究会の根拠には一指をも染むることが出来なかつた。政府自身の解釈(此の解釈は自分の賛成しない所であるが)に依れば貴族院の同意を経ることを要せず政府の専権を以て改正し得るものとして居る伯子男爵議員の選挙規則をすらも、それが研究会の勢力と関係して居るが為であるか、その改正を断行することを得なかつた。
しかし微温的であるとは言ひながら、兎も角も貴族院をして或る程度の改革に同意せしむることに成効し得たのは、一に輿論の刺激に基いたものであることは、疑を容れないところであるから、若し有力なる委員会に依り、充分に世論を満足せしめ得るだけの合理的改革案が作られ、それが幸にして輿論の強力支援を得ることが出来たならば、一層有効な貴族院制度の改革であつても、貴族院の同意を得ることが必ずしも絶望ではなかつたであらう。加藤内閣が此の手段を取らなかつたことは遺憾である。
加藤内閣に依つて行はれた貴族院令の改正は、その要点とする所僅に左の三点に止まつて居る。
⑴ 伯子男爵議員の定数を聊減少したこと
⑵ 帝国学士院会員議員四人を新設したこと
⑶ 多額納税者議員の選挙制度を改めその定数を聊増加したこと
これに依り従来は華族議員が貴族院の過半数を占むることが、制度上に担保せられて居たのに対し、華族議員と勅任議員とが略相半ばするに至つたことが、此の改革に依つて得られた最も大なる収穫である。
それは、それ自身に於いて心ずしも強ひて反対すべきものではないにしても、貴族院制度の全体に対しては、何等の実質的の影響を与ふるものではなく、僅に護憲運動の責任を充たしたことの口実を与へたに止まり、真の意味に於いての貴族院改革は、凡てこれを後日に譲つたものである。
貴族院制度を改革して、それを真に合理的ならしむることは、頗る困難で、現在の貴族院が既得権を以て存立して居る以上は、容易に期待し得難いところである。
それは他日憲法改正の機運が向いて来た場合にのみ可能であつて、然らざる限りは、仮令その改革を実行し得るとしても、それは唯姑息の改革に止まらねばならぬであらう。
しかし、私は決して貴族院の存在を不必要なりとするのではない。若し議会の一院制度を取り、衆議院のみが議会に属する総ての権限を独占することとなれば、内閣は衆議院の多数党に依つて組織せられ、随つて内閣と衆議院とは常に相一致するものと考へねばならぬのであるから、政府と議会とが相牽制することは全く望み難く、其の結果は多数党の横暴に対して、これを抑制すべき何等の機関も無いこととならねばならぬ。それは単一政党に依る専制政治と異なる所は無い。その横暴を抑制する為には、貴族院の存在が欠くべからざる必要であつて、此の点に於いて而して唯此の点に於いてのみ、貴族院は其の存在の理由を有するものである。
貴族院制度の改革は、此の貴族院の本分に適するやうに、その組織及び権限を改造することに向はねばならぬ。
それには、第一に貴族院の権限を改むる必要が有り、是がその制度の改革の最も大切な要件であると信ずる。
若し制度の上に於いて貴族院が衆議院と対等の権限を有するものと為さば、貴族院がその抑制機関たることの本分を超越して、政治上に内閣の死命を制するだけの勢力を保有し、国民の信頼とは何等の関係の無い貴族院が、真に国民の信頼を代表する内閣及び衆議院と、同等の勢力を主張するに至ることを防止すべき途が無い。
貴族院をしてこの本分を守らしむる為には、制度の上に於いて既にその権限を制限し、立法又は予算に関しても、単に停止的不同意権を有せしめ、衆議院に対してその再考を求め反省を促すの権を有せしむるに止むることが必要である。
斯くしてこそ始めて貴族院に対して解散の行はれ得ない事の正当な理由が成立し得るのである。
しかしながら、貴族院の権限を制限することは、憲法を改正しない限り不可能であつて、それが私の他日憲法改正の機運が熟した時でなければ、真正の意味に於いての貴族院改革が望み難いと為す所以である。
貴族院の機能を改めない以上は、貴族院の組織に多少の改革を加へたとしても、それは大同小異であつて、その実質に大なる変化を与ふるものとは信じ得ない。
唯将来に於ける貴族院の組織に付いての改革の目標と為すべきものは、貴族院をして出来るだけ党争の外に立たしめ、健全なる政治上及び経済上の常識に富める公平なる経験者を以て組織するものたらしむるやうに向はしむべきことである。
それには、華族は必ずしも適当の資格あるものとは謂ひ難いけれども、今日までの既得の地位を急に失はしむることは困難であり、一方には華族の一大部分は有閑有産階級として、私利に汲々せず、公平の見地を以て常識的に政治を論議し得る地位に在ることを期待し得べきものであるから、或る程度まで華族議員を存置することは、必ずしも不当ではないであらう。但し此の如き貴族議員を得る為には、イギリスと同様に貴族院放員の歳費制度は、これを全廃するのが適当であらう。
貴族院議員を直接又は間接に国民の選挙に係らしむることは、貴族院議員をして衆議院議員と同様の党争の渦中に陥いらしむるもので、私の賛成し得ない所である。殊に多額納税者議員の如きは、私は存在の理由を解し得ないものである。
同様に、勅選議員の推薦を、専ら政府の権能に属せしむることも、貴族院に政党の争を引き入れる原因となるもので、是も改革の必要あるものである。
此等の点から観て、若し現在の憲法の下に於いて貴族院の組織を改革せんとするならば、主として左の諸点を考慮すべきものと思ふ。
第一 貴族院議員の定数を減少すること、今の貴族院議員の数は衆議院に比較して過大に失するものであらう、貴族院は主として智識と経験とを代表すべきなので、一般民衆を代表するものではないから、衆議院に比らべて約半数くらいを以て適当とするであらう。
第二 貴族院議員の歳費を全廃すること
第三 華族議員の定数を著しく減少すること
第四 公侯爵が当然に議員たることを改め伯子男爵と共に選挙に依るものとすること
第五 華族議員の選挙方法に適当なる改善を加ふること。今の選挙方法が甚しく不完全であることは一般に認められて居る所であるが、之を改めて単記投票制とすることも決して適当の方法ではない。華族は全体を以ても其の員数は比較的僅少であるから、比例代表法を実行するに如くは無い。比例代表法の中でも華族議員の選挙には所謂単記移譲法が適当であらうと信ぜられる。単記移譲法は衆議院議員の選挙法には自分の賛成し難い所であるが、華族のやうに人数の少い選挙には最も適当である。各爵が現在の如く別々に選挙をすることも理由の無いことで、各爵を通じて選挙を行ふのが相当である。
第六 勅選議員を政府が勝手に任命する制を改め、適当なる選挙機関をして推薦せしむるの制を取ること
第七 随つて多額納税者議員は之を廃止すること
第八 華族議員及び勅選議員共に相当の任期を定め半数又は三分の一づつ定期に改選するものとなすこと。
本編は大正十三年八月発行「改造」所載の拙稿「貴族院制度に付いて」を基礎とし、本書刊行に際し、新に之に修補を加へたものである。(昭和四年十二月記)