現代憲政評論 選挙革正論其の他, 美濃部達吉

震災に由る戒厳令の施行


震災に際する応急の手段として、非常徴発令、流言浮説取締令、支払延期令、暴利取締令、輸入税免除低減令、府県会議員任期延長令、租税減免猶予令、行政処分に依る権利利益の存続期間延長令、臨時物資供給令、臨時物資供給特別会計令など幾多の重要な緊急勅令が発せられたが、中にも一般人心の鎮静に最も偉大な効果を収め、歴史上未曽有な大変災に際して、人心恟々きょうきょう、所に依つては殆ど無警察無秩序の状態にも陥いらうとするおそれの有つた場合に、何よりも大きな安心を与ふることの出来たのは、言ふ迄もなく、戒厳令の施行であつた。軍隊のありがたみの一般の民心に痛感せられたのは、恐らくは此の時ほど著しかつたことは無からう。唯戒厳の任に当つた将校軍人の中に思ひがけない犯罪事件が起つて、之が為に突知として戒厳司令官の交迭をまで見るに至つたのは、千秋の遺憾であるが、此の変事及び国際上に起つた多少の恨事を除いては、戒厳令の施行に依り能く治安維持、民心鎮静の目的を達し得たことは何人も認むる所で、今回の如きは戒厳令の最も有効に適用せられた実例となすべきであらう。因つて後日の参考の為に、主として法律的の方面から、今回の戒厳令施行に付いての経過を記し、之に多少の説明を加へようと思ふ。

戒厳令施行の緊急勅令は、震災の翌日九月二日を以て発布せられた。其の全文は左の通りである。

ここニ緊急ノ必要アリト認メ帝国憲法第八条第一項ニ依リ戒厳令ノ適用ニ関スル件ヲ裁可シ之ヲ公布セシム

御名 御璽

摂政名

大正十二年九月二日

内田臨時内閣総理大臣以下国務各大臣副署

勅令第三百九十八号

一定ノ地域ヲ限リ別ニ勅令ノ定ムル所ニ依リ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルコトヲ署

附則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

此の緊急勅令は、枢密顧問に諮詢しじゅんせらるる暇も無く、咄嗟の間に発布せられたので、随つて総ての緊急勅令には上諭の中に『枢密顧問ノ諮詢しじゅんヲ経テ』といふ文字の加へらるる例で有るのに、其の文字を欠いている。枢密院官制に依れば総て緊急勅令は枢密院に諮詢しじゅんせられねばならぬのであるから、単に官制の文字から言へば、此の点に於て違法のものと言はねばならぬやうであるが、法令の規定は決して事実上の不能を要求しているものと解すべきではなく、而して此の場合は一刻をも猶予することの出来ぬ緊急な場合で、而も交通機関は全く杜絶し、枢密院の会議を開くことは事実上不可能であつたのであるから、枢密院に諮詢しじゅんせられなかつたが為に、違法といふことの出来ないのは勿論である。仮りに官制違反の行為であるとしても、それは唯当時の内閣の責任を生ずるといふだけで、緊急勅令の効力に影響する所はない。枢密院に諮詢しじゅんせられねばならぬことは、唯手続に付いての定めであつて、緊急勅令の効力発生の要件ではない。それは恰も条約が枢密院に諮詢しじゅんせられないで締結せられても、其の有効に成立することを妨げないのと同様である。

加之しかのみならず、若し単に法令の規定の上から言へば、それよりも一層重要な欠陥とも言ふべきものは、『官報ヲ以テ之ヲ公布ス』といふ要件を欠いて居ることである。それは敢て此の緊急勅令に止まらず、震災以後九月二十四日までに発せられた法令は同様の欠陥を有つているものである。通常の場合の法理から言へば、官報を以て公布することは、法令の効力発生の要件であつて、公布なくして効力を生じ得べきものではなく、而して公布と言へば必ず一般人民をして知らしむることの出来るやうな方法で、広く官報を発行しなければならぬことは勿論である。然るに震災に依り印刷局の事務所及び工場は共に全焼の厄に逢つた為に、官報の印刷発行は事実上に全く不可能となり、已むを得ざる応急手段として、僅に謄写版を以て官報号外として此等の法令を印刷し、之を重なる官署公衙こうがに配布したに止まつた。これは無論正式の公布とは言ひ得ないもので、広く一般に発行したのではなく、唯重立つた役所に配布しただけでは、公式令に謂ふ所の『官報を以て公布す』といふ要件を満たしたものと言ふことは出来ぬものである。併しそれが為に此等の法令は本来無効であるべきであるといふやうな議論を為すのは固より正当ではない。それは矢張り国法は事実上の不能を要求するものに非ずといふ原則に依つて、若し法令の要求して居るところが事実上不可能である場合には、事情の許す限り其の要求に近い条件を満たすことに依つて、其の要求を満たしたものと看做すべきものであるといふことに依つてのみ、説明し得べきところである。

緊急勅令には『別ニ勅令ノ定ムル所ニ依リ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルコトヲ得』とあつて、如何なる区域に戒厳令を適用するか、戒厳令の如何なる条項を適用するかに付いての定は別の勅令に委任せられたのであつたが、此の勅令は同じ九月二日に勅令第三百九十九号を以て発せられた。何故に之を同じ勅令の中に規定しないで、別の勅令に委任したかと曰へば、それは地域の定めや、適用すべき条項の範囲は、実施の都合に依つて、或は時々改正の必要を生ずるかも知れぬので、それを一々緊急勅令の形式に依るよりは、根本の規定だけを緊急勅令で定め、其の他は普通の勅令に依る方が、枢密院に諮詢しじゅんする手続を省略する上から言つても、適当であると認めたからであらう。実際にも此等の点に付いては後に改正の必要を生じた。

この勅令の全文は左の通りである。

勅令第三百九十九号(九月二日)

大正十二年勅令第三百九十八号ニ依リ左ノ区域ニ戒厳令第九条及第十四条ノ規定ヲ適用ス但シ同条中司令官ノ職務ハ東京衛戍えいじゅ司令官之ヲ行フ

東京市 荏原郡 豊多摩郡 北豊島郡 南足立群 南葛飾郡

附則

本令ハ公布ノ日ヨリ施行ス

此の勅令の発布の後同じ九月二日に内閣の交迭が行はれて、山本内閣が組織せられたが、九月三日には勅令第四百一号を以て、右の勅令の中、左の改正が有つた。

「東京衛戍えいじゅ司令官」ヲ「神奈川県横須賀市及三浦郡ニ在リテハ横須賀鎮守府司令長官、其他ノ区域ニ在リテハ関東戒厳司令官」ニ、戒厳令適用地域ヲ「東京府、神奈川県」ニ改ム

同日又勅令第四百号を以て関東戒厳司令部条例を発布せられた。

関東戒厳司令部条例

第一条 関東戒厳司令官ハ陸軍大将又ハ中将ヲ以テ之ニ親補シ天皇ニ直隷シ東京府及其付近ニ於ケル鎮守警備ニ任ス

関東戒厳司令官ハ其任務達成ノ為前項ノ区内ニ在ル陸軍軍隊ヲ指揮ス

第二条 関東戒厳司令官ハ軍政及人事ニ関シテハ陸軍大臣ノ区処ヲ受ク

第三条 関東戒厳司令部ニ左ノ職員ヲ置ク

参謀長
参謀
副官
主計
軍医
陸軍司法事務官
下士、判任文官

第四条 参謀長ハ関東戒厳司令官ヲ補佐シ事務整理ノ責ニ任ス

第五条 参謀、副官、主計、軍医及陸軍司法事務官ハ参謀長ノ命ヲ受ケ各担任ノ事務ヲ掌ル

第六条 下士、判任文官ハ上官ノ命ヲ受ケ事務ニ服ス

附則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

当分ノ内衛戍えいじゅ司令官ノ職務ハ之ヲ停止ス

其の翌九月四日には更に勅令第四百二号を以て戒厳令施行区域の中に『埼玉県、千葉県』を加へた。

大体以上のやうな経過を以て、東京府、神奈川県、埼玉県、千葉県の一府三県に戒厳令が施行せられることとなつたのである。

今回の処置は、普通に戒厳令の施行と言はれて居るけれども、正確に言へば戒厳令の中第九条及第十四条の二箇条が適用せられたのみで、正式の戒厳宣告の場合とは明に区別せねばならぬ。憲法第十四条には『天皇ハ戒厳ヲ宣告ス、戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム』とあり、而して戒厳の要件及び効力に付いての規定は、明治十五年太政官布告第三十六号戒厳令が今も猶法律として効力を継続して居る。それに依れば戒厳を宣告し得べき場合は、戦時若くは事変に際し兵備を以て全国若くは一地方を警備すべき必要を生じたときに限るのである。而して其所謂「事変」といふのは戦争とまでには至らないでも、殆ど戦争に準ずべきやうな内乱、暴動の起つた場合を意味するのであつて、今回の災害の如きは之に該当するものでないことは明瞭である。戒厳令の中に戒厳地域を臨戦地境と合囲地境とに分つて居るのを見ても戒厳が常に戦争又は之に準ずべき場合を予想するものであることが知れる。戒厳の制は元来仏蘭西から出て居るのであるが、仏蘭西で état de guerre 又は état de siège と謂ひ、独逸で Kriegszustand, Bekagerungszustand と謂つて居るのも、同じ意味を言ひ表はしているものである。

今回の戒厳令の適用は、之とは異つて、戒厳令自身に於て予想して居る場合ではなく、其の規定以外に、特別の臨時の必要に基づいたものである。之を我が国での先例に求むれば、明治三十九年に日露講和条約の締結に際し、民心激昂、日比谷の国民大会から次いで交番の焼打となつた為に、一時東京市内に戒厳令の一部が施行せられたのが、恰も今回の場合と同様の例である。戒厳令に予想せられて居る戒厳の宣告は、専ら軍事行動の必要に基くもので、即ち軍事的戒厳である。今回の如き場合は、軍事上の必要から来たのではなく、専ら治安維持の必要の為に警察だけでは力が足りない為に軍隊の力を仮りたのであつて、行政的戒厳である。Kriegszustand ではなくして、寧ろ Ausnahmezustand と言ふべきものである。

正式の戒厳宣告であれば、それは戒厳令に予想せられて居る所であるから、敢て緊急勅令を以てする必要は無く、憲法第十四条に依り、普通の勅令か又は詔書を以て公布せらるべきものである。然るに行政的戒厳は、戒厳令の予想する場合ではなくして、一時普通の法律の効力を停止しようとするのであるから、必ず緊急勅令の形式に依るか、又は若し議会が開会中であれば議会に提出して其の協賛を得ねばならぬ。今回の戒厳令施行が緊急勅令に依つて行はれたのは、此理由に基いて居るものである。

戒厳令の中今回の緊急勅令に依つて適用すべく定められたのは、第九条及び第十四条の二箇条で、其規定は左の通りである。

第九条 戒厳地境内ニ於テハ地方行政事務及ヒ司法事務ノ軍事ニ関係アル事件ニ限リ基地ノ司令官ニ管掌ノ権ヲ委スル者トス故ニ地方裁判官及ヒ検察官ハ其戒厳ノ布告若クハ宣告アル時ハ速カニ該司令官ニ就テ其指揮ヲ請フ可シ

第十四条 戒厳地境内ニ於テハ司令官左ニ列記ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス

第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト

第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト

第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト

第四 郵便電報ヲ開緘かいかんシ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸軍通路ヲ停止スルコト

第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テへ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト

第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物艇舶中ニ立入リ検察スルコト

第七 合囲地境内ニ寄留スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト

此等の規定は何れも本来軍事上の戒厳に適用すべき趣意を以て定められたものであるから、其まま之を今回の如き行政上の戒厳の場合に適用し難いものが有る。例へば第九条に地方行政事務及び司法事務の軍事に関係ある事件が司令官の管掌に帰するものとせられて居るけれども、本来軍事上の目的に出でた戒厳ではないから、軍事に関係ある事件といふものが有る訳は無く、是は戒厳の目的たる治安維持に関係ある事件といふ意味に解釈すべきは当然であり、第十四条の列記事項の中でも、第五の戦状に依り云々といふやうな事項は適用の無いものと見るのが当然である。

要するに、戒厳令の適用に依つて生じた法律上の効果は、大体に於て二つに分つ事が出来る。

一は戒厳の目的に必要な限度に於て、地方行政事務及び司法事務の指揮権が戒厳司令官に移つたことで、其限度に於て警視総監、府県知事、警察官吏、市町村長、郵便局長などは何れも司令官の指揮に服するのである。戒厳令には司法事務に付いても司令官が之を管掌することに定めて居るけれども、是は今回の如き行政上の戒厳には其必要を見ない為に其適用を見なかつた。戒厳司令官はただに行政機関に命令し得るばかりではなく、直振に人民に対しても命令し得るのである。

一は第十四条に列記せられたやうな事項に関して、人民の法律上の自由が停止せられて、戒厳司令官の権力に基いて此等の点に於ける人民の自由を拘束することが出来ることに在る。それは固より人民が全然法律の保護を受けないといふのでないことは勿論で、戒厳司令官と雖も何等の法律の制限を受けずして、公安を害すと認むる者の生命を奪ふやうな権力を有するものでないことは言ふ迄も無い。唯戒厳令に列記せられて居る範囲内に於いて、普通の法律の支配を受けないで、必要に応じて人民の自由を拘束し得るのである。而してそれはただに軍隊の力に依つて行はれ得べきばかりでなく、軍司令官の命令に基いて、警察官に依つても行はれ得べきものである。

戒厳令施行の後関東戒厳司令部の採つた処置の概要は、九月十四日に同司令部から発表せられた所に依つて、知ることが出来るから、左に之を掲げる。

関東戒厳司令部ノ採リタル処置ノ大要(九月十一日迄)

今次ノ震災ニ際シ陸軍ハ不取敢東京衛戍えいじゅ司令官指揮ノ下ニ在京近衛、第一師団ノ諸部隊ヲシテ直ニ震災地ノ警備ニ当ラシメ兼テ陸軍所有ノ糧秣諸材料ヲ提供シテ応急救済ノ処置ヲ講シタルカ災害地域広大ニシテ到底微弱ナル兵力ヲ以テシテハ其目的ヲ達シ能ハサル為九月三日東京府、神奈川県下ニ戒厳令ヲ布告セラレ陸軍大将福田雅太郎関東戒厳司令官ニ勅命セラレタリ而シテ兵力ノ不足ヲ補フ為ニ第二、第十三、第十四師団ヨリ歩兵各二連隊概シテ名古屋以東ノ師団ヨリ工兵隊ノ出動ヲ命セラル此等ノ部隊ハ直ニ出発東京及其附近ニ到著スルニ従ヒ戒厳司令官ノ指揮下ニ入レリ越エテ九月五日更ニ戒厳地域ヲ千葉、埼玉ノ両県ニ拡張セラルルト共ニ戒厳司令官隷下部隊モ亦著シク増加セラレ九月八日迄ニ戒厳地域内ニ到著シテ司令官ノ隷下ニ入リシ総兵力ハ約歩兵二十一連隊、騎兵六連隊、工兵十七大隊、鉄道、電信各二連隊、航空機、衛生機関及救護班等ニシテ其総員約三万五千ニ達セリ司令官ハ是等部隊ヲ千葉方面、埼玉方面、東京北部、同南部、神奈川方面、藤沢方面、小田原方面ノ各警備部隊ニ区分シ所要ノ兵力ヲ配置シテ警察官、憲兵ト協力一致シテ専ラ警備ニ任スルト共ニ一面鉄道、電信及工兵諸隊ハ鉄道、電線、道路、橋梁等ノ修理整頓ニ全力ヲ傾注シ糧秣ハ配給所員ノ奮励ニ由リ市、府吏員ノ分配ヲ容易ナラシムル如ク搬送ヲ実行シ衛生救護機関亦其ノ全力ヲ挙ケテ傷病者ノ手当ニ任スル等何レモ不眠不休罹災民ノ救護救恤きゅうじゅつニ努力シツツアリ此間海軍、地方官公吏、警察官等カ陸軍諸部隊ト密接ニ連繋シテ彼此相扶ケ警備、救護ニ隔意ナク協心戮力ノ実ヲ示サレシコトハ特ニ感謝ニ堪ヘサル処ナリ之カ為当初ニ於ケル流言蛮語モ民心ノ安定ト共ニ消失シ且糧秣配給ノ潤沢、交通整理ノ進捗ト相待テ旬日ヲ出テスシテ一般平穏ニ帰シツツアルハ誠ニ慶喜スル所ナリ唯兵力ニ比シ震災区域膨大ナルヲ以テ一見人ヲシテ事実以上ニ警備ノ十分ナラサルヤノ感ヲ抱カシムルハ遺憾トセル所ナルモ今ヤ配兵モ略希望ニ達シ民心ノ帰向亦前記ノ如クナルヲ以テ九月十一日以後補給、救護及技術的作業等ハ挙ケテ之ヲ陸軍次官ヲ長トスル陸軍震災救護委員ノ管掌ニ委シ戒厳司令官ノ隷下部隊ヲ以テ主トシテ警備ヲ担当スルコトニ改メラレ著々其ノ成果ヲ挙ケツツアリ

右の発表にも見えて居る通り、戒厳軍の主として活動したのは警備、救護、営造物の修理などであつて、人民の自由を拘束する権力は法律上には与へられて居ても、其権力を実際に活用することは、寧ろ稀であつた。戒厳司令官から一般人民に対して命令を発したのも、自警団の行動を戒めた九月四日の命令だけであつたと思ふ。是は軍事戒厳ではなく行政戒厳であることから生じた当然の結果であるけれども、戒厳令の施行に対し、一般人民が等しく満足感謝の意を表して居るのは、主として是が為である。

(大正十二年十二月東京商科大学一橋会発行「復与党書」所載)