民主主義, 文部省

第十三章 新憲法に現われた民主主義


一 日本国憲法の成立

太平洋戦争が最後の段階に達し、日本の完全な壊滅が刻々に迫っていたとき、連合国はドイツのポツダムにおいて宣言を発表し、日本のすべての軍隊に無条件降伏を求めると同時に、日本国民の自由に表明した意志によって、平和的傾向を持った責任のある政府ができあがるまで、日本を連合軍の占領下におくという方針を示した。更に、この宣言を受諾するという日本の申し入れに対するアメリカ合衆国の回答も、日本の最終の政治形態は、日本国民の自由に表明する意志によって決定されるべき旨を、重ねて明らかにしたのである。

近代の国家では、政治の根本の形態は憲法によって定められるのを常とする。したがって、戦争後の日本の政治形態をポツダム宣言の示した方針に従って確立するためには、日本国民の意志による憲法が作られなければならない。ところが、これまでの日本の憲法は、天皇の命令に基づいて制定された欽定きんてい憲法であった。しかも、前の章で述べたように、明治憲法は、ある点まで民主的な政治を行いうるようにくふうされてはいたけれども、また、民主主義の発達を妨げるさまざまな制度を含んでいた。そこで、終戦後の日本では、まもなく憲法を根本から改めるということが問題になり、いろいろな曲折を経た後に、国民を代表する議会の審議によって新しい憲法が作りあげられた。その新憲法が公布されたのは昭和二十一年十一月三日、それが施行されたのは昭和二十二年の五月三日である。名づけて「日本国憲法」という。

二 国民の主権

これまでにもたびたび述べたように、政治上の制度のうえに現われた民主主義には三つのたいせつな原則がある。その一つは、政治は「国民の政治」でなければならないということである。その第二は、政治は「国民による政治」として行われなければならないということである。その第三は、政治は「国民のための政治」を目標としなければならないということである。日本を根本から民主主義の国にするために作られた新憲法は、当然にこれらの三つの原則を基礎としている。このことは、新憲法の前文にある次のことばによって、はっきりと示されている。いわく、

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と。

「人類普遍の原理」というのは、どこの国でも、どんな時代になっても、正しい政治はかならずこの三つの原理によって行われなければならないという意味である。アメリカでは、第一章に述べたリンカーンの有名な民主主義の定義以来、「国民の、国民による、国民のための政治」ということが、ただ一つの正しい政治のあり方とされてきた。日本の新憲法も、これと同じ三原則を掲げて、それを政治の根本の方針と定めた。だから、新憲法に現われた民主主義を正しく理解するためには、日本の政治形態がこれらの原則に従ってどういうように改められたかを知らなければならない。

まず、その第一の原則は、新憲法では、国政の権威は「国民に由来し」ということばでいい表わされている。これは、リンカーンの「国民の政治」ということばと同じく国の政治を行う力の源泉が国民にあることをいう。これを更に別のことばでいうと、国民に主権がある、国民が主権者であるという意味になる。だから、新憲法は、前文の始まりのところで「主権が国民に存することを宣言し」ているのである。

新憲法がとったこの根本の態度を明治憲法のそれと比べてみると、その間にきわめ重大な変革が行われたことが、一目でわかる。なぜならば、明治憲法の上諭には、「国家統治ノ大権ハ朕カコレヲ祖宗ニケテ子孫ニ伝フル所ナリ」と書いてある。その意味は、国家を統治する権力は、日本国の始まったとき以来、歴代の天皇が代々受け継いできたもので、これを、更に同じように自分から子孫に伝えるというのである。

では、この権力のそもそもの根源はどこにあるのだろう。つまり、いちばん初めの天皇は、どうしてこういう権力を得たのであろう。これは、建国の神話では、天照大神あまてらすおおみかみが「豊葦原とよあしはら瑞穂みずほの国は、これわが子孫うみのこきみたるべきくになり」と言われたためだと説明されている。いいかえれば、国を治める権力は神勅によって天皇に与えられたので、その源は神の意志にあるというのである。明治憲法はこの考え方をそのまま採用して、この憲法は祖宗の残された教えを明らかにしたものであると述べた。これに反して、新憲法は、この考え方を捨てて、まったく新しい別の立場を採った。国を治める権力の源は、国民の意志にあるのであり、したがって、主権は国民に存するというのである。このように、新憲法は、まず国民主権の原則を第一に確立した。そうして、それと同時に、主権者たる国民には、これまでとはまったく違った重大な責任が課せられることになった。

いまや、新憲法のもとでは、われわれ国民が政治の主人である。新憲法の標語にいわれたように、「われらが治めるわれらの日本」となったのである。これは、日本の歴史始まって以来の大きな変化である。明治憲法では、君臣の別が定まっているということが基本的な観念であり、国民道徳は臣民の道に尽きていた。君は上にあって統治し、民は下にあってこれに仕え、ただ命これつつしまなければならないとされていた。新憲法はこの観念を完全に排除したのである。われら国民は、もはや臣民ではない。自由で平等な国民として、自ら主権者なのである。

それでは、国民の持つ主権とはいかなる力であろうか。主権にはいろいろな力が含まれているが、その中でも根本的な意味を持つものは政治の形態を自分で決める権利である。しかるに、国の政治の形態は憲法に示されているのであるから、主権が国民にある以上、憲法は国民によって制定されなければならない。新憲法の前文が、主権は国民にあることを宣言したすぐあとにひき続いて、日本国民はここに「この憲法を確定する」といっているのは、その意味である。新憲法そのものが国民によって作られたばかりでなく、今後それを改正する場合にも、国会が発案し、国民がこれを承認したうえで、天皇が国民の名で憲法改正を公布するものとしている(第九十六条)。これもまた、明治憲法が天皇の定めた欽定憲法であり、それを改正する場合にも、天皇が発議の権をとり、帝国議会の議に付することとなっていたのとは、根本的に異なっている。

このように、国民が主権者となり、国の政治の根本はすべて国民の意志によって定まることとなったとすれば、天皇の地位は、どうなるのであろうか。新憲法は、その第一条でこの点を明らかにして、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と定めた。これも、明治憲法とは根本から趣を異にする点である。もとより、明治憲法においても、天皇が象徴でなかったわけではない。しかし、単なる象徴であるだけではなかった。それが新しい憲法では、象徴であるだけになった。では、いったい象徴とはどういうことであろうか。

一八四八年のフランス共和国宣言に、「三色旗は、平等・自由・友愛の象徴、秩序の象徴である」ということばがある。フランス国民が仰いで祖国の旗を見るとき、そこに自由・平等・友愛の理想がひるがえっているのを知り、この旗のもとに、フランス国民が一体となっているのを感ずるというのである。新憲法で、天皇は象徴であるというのも、同じような意味である。

新憲法のもとでは、憲法を改正するのも、法律を制定するのも、内閣総理大臣を任命するのも、国民の主権の現われである。しかし、八千万の国民が一堂に会してそういう行為をするということは、明らかに不可能である。そこで、国民が一体となってそういう行為をするのであるということを象徴する意味で、天皇が憲法の改正や法律を公布し、国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する(第六条・第七条)。天皇の行うこれらの行為は、なんらの政治的権力を伴なわない単なる象徴としての行為にすぎない。実際には、国民が憲法の改正を承認し、国民を代表する国会が法律を制定し、内閣総理大臣も国会が指名するのである。だから、天皇は、単なる象徴であってなんらの政治的権力をも持たない。これも、明治憲法において、天皇が象徴であると同時に政治的権力を持っていたのと、根本から違う点である。

では、新憲法では、だれが政治的権力を持っているのか。いうまでもなく、それはわれわれ国民である。われわれ国民であって、それ以外の何者でもない。

三 国会中心主義

新憲法では、主権は国民にある。国民が最高の政治的権力を持っているのである。したがって、その政治的権力を行う者も、また国民であり国民だけでなければならない。これが前にいった民主主義の第二の原則で、リンカーンは、これを「国民による政治」といっている。

しかし、古代ギリシアの都市国家のような小さい国ならばいざ知らず、現在の諸国のように規模の大きい国々では、国民が政治上のすべての問題をいちいち自分で審議決定することは不可能である。そこで、今日の民主国家では、たいていの場合、実際の政治は国民の代表者によって行われる。だから、そのような「代表民主主義」の国では「国民による政治」は、「国民の代表者による政治」として行われるのがならわしである。われわれの新憲法もまた、この方法に従った。新憲法の前文に、「その権力は国民の代表者がこれを行使し」といっているのは、この意味にほかならない。

このような代表民主主義の制度では、自分たちに代わって国家の公務を行う者を選ぶということが、国民にとってのきわめて重要な仕事になる。すなわち、国民の代表者たる公務員を自由に選び、もしもそれらの人々の中に不適任な者があれば、それをやめさせることができるという権利が、国民の主権から導き出されてくるのである。これは、国民に固有の権利であって、なんぴともこれを他人に譲り渡したり、放棄したりすることはできない(第十五条)。公務員を選ぶに必要な資格は、原則として成年であるということだけであって、男女を問わない。しかも、選挙の秘密は厳重に守られる。つまり、満二十歳以上の国民は、だれの監視も受けることなく、自由に、自分の良心に従って、これはと思う人に投票することができる。この秘密で自由な選挙の権利は、国民の主権の最もたいせつな現われの一つである。そう考えると、投票がどんなに重要な意味を持つ事柄であるかが、よくわかるであろう。もしもこの一票をそまつにするようなことがあれば、国民は自分で主権者である地位を危うくしているのであるということを、忘れてはならない。

国民によって選ばれ、国民に代わって政治のことをつかさどる公務員には、いろいろあるが、その中でもいちばん重要なものは、主として「立法」のことにあたるところの国会の議員である。国家の公務には、立法のほかに「行政」と「司法」とがあって、それらをつかさどる人々も、国民の代表者であることに変わりはない。しかし、行政を行う国務大臣や、司法のことにあたる裁判官は、国民が直接に選ぶわけではない。国務大臣のうち、内閣総理大臣は、国会の指名によって決まるし、その他の国務大臣は総理大臣が任命する。裁判官も内閣の任命による。だから、行政や司法にたずさわる公務員は、国民によって間接に選ばれるのである。これに対して、国会の議員は、国民が直接に選ぶところの公務員である。国会議員の選挙が主権者たる国民にとってどんなにたいせつな仕事であるかは、これによってもきわめて明らかであろう。

国会は、衆議院と参議院との両院から成っている(第四十二条)。だから、新憲法によって定められた立法機関は、二院制である。しかし、この二院制は、明治憲法の二院制とは非常に違っている。明治憲法で衆議院と並んでいた貴族院の義員は、国民の中のごく一部の特権階級、すなわち、皇族・華族・多額納税者などから選ばれた。これに反して今度の参議院議員は、衆議院議員とまったく同じように、国民体の中から選ばれたほんとうの国民の代表者である(第四十三条)。だから、参議院は、衆議院となんら変わらないりっぱに民主的な立法機関であるということができる。

もっとも、参議院は衆議院に比べると、かなり権限が弱い。ごく簡単にいうと、国会が法律案を議決したり、予算を決定したり、国際条約の締結を承認したり、内閣総理大臣を指名したりする場合、もしも両議院の意見が一致しなければ、衆議院の議決が優先することになっている(第五十九・六十・六十一・六十七条)。この点は、イギリスの庶民院と貴族院との関係に似ているのである。

しかし、参議院は、イギリスの貴族院よりは、ずっと民主的にできている。したがって、ある場合には、新憲法も、参議院に衆議院とまったく同等の権限を与えている。たとえば、憲法改正の場合などがそれで、憲法改正案の発議にあたっては、両議院のおのおのの総議員の三分の二以上の賛成が必要だから、参議院議員の三分の一を越える反対があると、その案は提出されえないことになる(第九十六条)。こうみてくると、参議院と衆議院とは互に助けあって国会を形作っているのであって、その重要性においては変わりはないといわなければならない。

このようにして構成されているところの国会は、国権の最高の機関であり、国のただ一つの立法機関である(第四十一条)。国会が国のただ一つの立法機関であるということは、民主主義の立場からみて、非常に重大な意味を持っている。その意味は、表と裏との二つの方面から考えることができるであろう。

第一に、法律は国会の手だけで作られ、それ以外の国家機関の協力を必要としない。明治憲法では、法律の制定は天皇の統治権の現われであって、帝国議会はただそれに「協賛」するにすぎないということになっていた。それに比べると、新憲法の規定は根本的に違った政治理念に立脚していることがわかる。もっとも、国会で議決した法律が実際に行われるようになるためには、国務大臣がそれに署名したり、天皇がこれを公布したりすることが必要である(第七十四条・第七条)。しかし、これは、どちらも、すでに国会の議決によって完全に法律としてできあがったものに対して、更に形式のうえで付け加えられる手続きにすぎない。法律それ自体は、国民を代表する国会が、他のあらゆる国家の機関から独立して制定する。そうして、その法律が、すべての行政や裁判の規準となるのである。

第二に、だから、新憲法のもとでは、国会以外には、国会から、独立して法律を作ることのできる国家機関はありえない。明治憲法には、国会の議を経ないで作られる「緊急勅令」とか「独立命令」などというものがあったが、それらは新憲法ではすべて廃止された。法律は、政治の筋道を定めたり、犯罪を犯した者に刑罰を加えたり、国民に収入に応じて租税を課したりすることを定めるものであるから、国民自身によって選ばれ、したがって、国民を正当に代表する国会だけが、それを制定する権限を持つということは、民主主義にとってきわめてたいせつなことである。もしも国会以外の機関、特に行政権だけをつかさどっているはずの政府が立法権を持てば、国民の自由と幸福とは、政府の独断によって左右されることになる。それは、独裁主義の最も著しい特色の一つである。ヒトラーの独裁政治のそもそもの始まりは、議会から立法権を奪って、それを政府が独占したところにあったことを、われわれは決して忘れてはならない。

立法権と並んで、国会の行う重要な権限は、内閣総理大臣を指名するということである(第六十七条)。国会の議決によって指名された内閣総理大臣は、自分でいろいろな国務大臣を任命して、内閣を組織する。そうして、その内閣が国の行政権を行うのである(第六十五条)。

このように、国の行政をつかさどる内閣の最高の責任者が国会によって選ばれるということは、日本の民主政治の型を決定する重大な意味を持っている。つまり、内閣は国会の多数によって支持されないでは成立しないし、存続もしえないのである。明治憲法では、行政権は天皇が国務大臣の輔弼ほひつを受けて行うことになっていた。したがって、国務大臣の責任は、国民に対する責任ではなくて、天皇に対する責任であると考えられていた。これに反して、新憲法のもとでは、すべての公務員は国民の「公僕」でなければならない。だから、行政について最も重要な仕事をする内閣は、国民を直接に代表する国会に対して責任を負っているのである(第六十六条)。ただ、国会で「指名」された内閣総理大臣は、天皇によって「任命」されることになっているが、それは、前にもいったとおり、単なる国民の象徴としての形式的な行為であるにすぎない(第六条)。

新憲法によれば、ただに内閣総理大臣が国会によって指名されるだけではなく、内閣総理大臣が国務大臣を任命する場合にも、その半数以上は国会議員の中から選ばなければならないことになっている(第六十八条)。そうして、このようにして成立した内閣も、もしも、衆議院が内閣不信任の決議を行い、または、信任の決議案を否決した場合には、十日以内に衆議院が解散されないかぎり総辞職をしなければならないのである(第六十九条)。更にまた、条約を締結したり、予算を作ったりする場合には、内閣は国会の承認を受けなければならない(第七十三・第八十六条)。したがって、国会の多数意見を基礎としないでは、内閣はとうていその政策をながく実行していくことはできないしくみになっている。その意味で、内閣は国会の下に立つといわなければならないような地位にある。いいかえれば、立法部は行政部よりも優越した地位を占めている。もしもこの関係が逆になって、行政権が立法権よりも強くなる場合には、その政治組織はそれだけ独裁主義に近づいたことになるのである。

これでみてもわかるように、新憲法のもとでは、政治の中心は国会にある。国会は、まさにその意味で「国権の最高機関」なのである(第四十一条)。しかるに、このような国会中心主義の民主政治が最も発達しているのは、イギリスであろう。だから、第二章や第三章で説明したイギリスの制度の歴史とその現在の組織とをここで読み直してみると、現在の日本の政治のしくみがいっそうよく理解されうるであろう。

四 違憲立法の審査

立法および行政と並んで行われる国権のもう一つの作用は、司法である。そうして、司法権を行うものが裁判所であることはいうまでもない。ところで、民主主義の国家組織の最も重要な特色の一つは、裁判の作用が行政権から完全に独立しているということである。専制主義の時代には、裁判は国王や領主の干渉のもとに行われた。したがって、公正な裁判が行われないで、権力者の独断によって国民の自由と権利とが不当に侵されることが多かった。これは、独裁政治の場合も同様である。それだけに、民主主義は特に「司法権の独立」を重んずる。新憲法も、もとよりその精神を高く掲げ、裁判官は、良心に従って独立に裁判を行うべきものとし、憲法および法律以外のなにものによっても拘束されえない旨を明らかにした(第七十六条)。

裁判所には、憲法によって定められた最高裁判所と、法律によって設けられる下級裁判所とがある。最高裁判所は、憲法および法律によって司法権を行ういちばん上級の裁判所であるばかりでなく、国会で制定される法律や、政府の発する命令が憲法にかなっているかどうかを決定する最終の権限を持っている(第八十一条)。すなわち、国会が法律を制定しても、最高裁判所の裁判官の多数が、その法律は憲法に違反していると考えた場合には、これを無効とすることができるのである。これを、「違憲立法審査権」という。

これは、今までは主としてアメリカ合衆国で行われていた制度であった。しかし合衆国でも、この制度は慣習によって作られているのであって、憲法の中にそのことが明記されているわけではない。日本の新憲法は、これをはじめて成文の規定の中に取り入れたのである。

代表民主主義の制度では、国民を代表する議会が法律を作り、その法律が行政の指針となり、裁判の規準となる。しかし、議会といえども、人間の集まりなのであるから、そこで制定した法律が常にかならず正しいとはかぎらない。法律は憲法の趣旨にかなったものでなければならないのであるが、なんらかの事情で、憲法の規定に違反するような法律の制定されることがないとはいえない。新憲法は、そういう場合を考慮して、最高裁判所に法令が違憲であるかどうかを決定する権限を与えたのである。これは、憲法の精神を守るために万全を期するための制度であって、そのかぎりにおいては、司法権の方が立法権よりも上の立場に立っているともいうことができる。

新憲法は、最高裁判所にこのような重い使命を負わせているのであるが、それならば、最高裁判所の判断ならばかならず正しいといいうるであろうか。最高裁判所とて人間の集まりなのであるから、その裁判官が常に適任者であり、その判決がいつも正しいというわけにはいくまい。裁判官によい人を得るための方法としては、それを国民が選挙するということも考えられる。現在、アメリカなどでは、裁判官を国民が選挙する場合もある。しかし、日本の新憲法はその制度を採らなかった。最高裁判所の長たる裁判官は、内閣が指名して天皇が任命することになっているし、最高裁判所のそれ以外の裁判官は内閣がこれを任命するのである(第六条・第七十九条)。そこで、そのようにして選ばれた裁判官が、はたして適任者であるかどうかを、更に審査するしくみが望ましい。それでは、それを審査する者はだれか。ほかでもない。それは、国民である。だから、新憲法は、最高裁判所の裁判官については国民が十年ごとに審査して、国民の多数が不適任の投票をした裁判官はやめなければならないものとした(第七十九条)。ここにも、国民がすべての上に位する主権者であるという事実が、はっきりと現われている。

五 国民の基本的権利

これで、「国民政治」ということと、国民の代表者の手で「国民による政治」を行うしくみとは、ほぼ明らかになった。しかし、民主主義には、最後にもう一つのたいせつな原則がある。その第三の原則は、リンカーンのいわゆる「国民のための政治」である、新憲法の前文によれば、国民のもたらす福利は、「国民がこれを享受する」のである。新憲法は、この民主主義の大きな目標をどういうようにして実現しようとしているのであろうか。われわれは、すすんでその点を明らかにしていかなければならない。

ところで、その点を考える前に、念を押しておく必要があるのは、「国民のための政治」は「国民の政治」「国民による政治」と離れてあるものではないということである。なぜならば、国民のために政治をするということは、少なくとも表向きは、たいていの政府が口にすることで、民主政治だけに限ったことではない。しかしただ口に言っているということと、ほんとうにそうだということとは違う。いったい、ただひとりの人、あるいは少数の人々だけが政治の権力を握っている場合、その人が政治は国民全体の福利のためにするものだといっても、ほんとうにそうなるだろうか。歴史はそうではないことを証明した。独裁者や少数の特権階級が権力を独占していたのでは、国民全体が福利を享受するような政治は決して行われない。だから民主政治は、「国民のための政治」でなければならないからこそ、同時に「国民の政治」「国民による政治」でなければならないのである。いいかえれば、この第三の原則は、他の二つの原則によって裏うちされてはじめて生きてくるものであるというのが、民主主義の確乎かっこ不動の信念なのである。

さて民主政治は、国民の福利を保障することを眼目とするものではあるが、しかし、国民の幸福や利益は、労せずして国民に与えられるべきものではなく、国民自らの努力によって築きあげられてゆくのでなければならない。「天は自ら助くるものを助く」という。民主主義の重んずるのは、自立の精神であり、自助の態度である。すべての国民は、自らの力によって立ち、自らの手で自己の幸福を追求する権利を有する。民主主義の保障するものは、このような権利であり、このような自由である。ゆえに、民主主義が「国民の福利のための政治」を行うということは、かくのごとき意味での国民の基本的権利を平等に保護し、他人の自由を侵さない限度において各人の人間としての自由を確立するということにほかならない。

図 人民の人民による人民のための政府

それでは、民主主義を実現するためにどうしても欠くことのできない自由には、どんなものがあるであろうか。ルーズベルト大統領は一九四一年の年頭の議会教書の中で四つの基本的な自由として言論の自由、信教の自由、恐怖からの自由および欠乏からの自由を掲げた。このうち、恐怖からの自由と欠乏からの自由の二つは、同年八月に発表された有名な「大西洋憲章」の中にもおごそかに宣言されている。われわれの新憲法は、はたしてこれらの自由を保障しているかどうか。それを検討してみよう。

まず、第一の言論の自由については、新憲法の第十九条に、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という規定がある。日本では、太平洋戦争の始まるずっと前から、国民の思想ばかりでなく、その良心までも、権力の手で強制されてきた。しかし、国民自身が正しいと考えることを信じ、それを自由に発表することが許されないならば、政治がどんなに脱線しても、それを正しい軌道の上に引きもどすことはできない。過去の日本では、言論の圧迫がはなはだしく、国民は政府によって統制された宣伝を無批判に受け取るようにしいられていた。だから、民主主義の行われるための根本の前提は、思想と良心の自由である。したがって、それを発表する言論の自由でなければならない。

次に、第二の信教の自由についてみると、新憲法第二十条は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定して、その精神を明らかにしている。宗教が人間の精神を動かし、その行動のうえに影響を与える力は大きい。したがって、もしも宗教が国家の権力者によって利用されるならば、――ちょうど、戦争中にわが国の為政者たちが国民の心に極端な国家主義の神国思想を植えつけた場合のように、――その結果はおそるべき破局を再びもたらすであろう。宗教は個人が自由に選びうるものであり、純粋な宗教心から信仰されなければならない。政策的な見地から、ある宗教を特別に保護したり、それを国民に強制したり、それとは違った信仰を圧迫したりするようなことがあれば、個人の尊厳を基礎とする社会生活は脅かされ、高貴な人間精神の自由は著しく阻害されてしまうであろう。

それでは、第三の恐怖からの自由とはどんなものであろうか。それを理解するには、独裁主義や軍国主義の時代に国民の生活がどんなに恐怖にさらされていたかを思い浮かべればよい。

昔、封建政治が行われていた時代には、武士が些細ささいなことから町人を殺しても、それが「切り捨て御免」としてとおり、町人はそれを訴え出る余地もなかった。どんな非道な裁判や拷問が行われても、国民は「泣き寝入り」をするよりほかはなかった。しかし、それは決して単なる昔だけの話ではない。今日の時代においても、まだ世界の国々は戦争の恐怖から除かれているとはいえないし、国内政治においても、政治を批判した者をむやみに捕縛したり、罪のないところに罪を作ったりするようなことが行われないとはかぎらない。恐怖からの自由とは、このように脅かされない平和な世界、そのような無法な人権じゅうりんの行われる危険のない政治を意味するのである。新憲法第九条で戦争の放棄を誓い、第十七条で、公務員の不法行為によって損害を受けた場合には、だれもがその賠償を求めることができるといい、第十八条で、なんぴとも決して奴隷的な拘束を受けることはないと保障し、第三十六条で、公務員による拷問や残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずると宣言し、その他の数多い規定を設けて、人身の自由を保障しているのは、この趣旨を徹底させるためにほかならない。

第四番めに掲げられるものは、欠乏からの自由である。経済上の民主主義では、適度の自由競争は経済発達の条件として重んぜられる。しかし、自由競争の結果として、国民の間にはなはだしい貧富のへだたりが生ずることは、極力避けられなければならない。どんなに経済的に不利な立場に陥った人々といえども、人間として人間らしい生活を維持することができるようにするのは、民主主義のたいせつな目標である。新憲法の第二十五条が、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」といい、国家が社会福祉の増進のために努力すべきことを示しているのは、そのためである。しかも、国民の生活を欠乏から守るためには、一方では、国民のすべてが勤労に従事しなければならないし、他方では、勤労しうるのに勤労する場所がないようなことが起らないようにしなければならない。そこで、第二十七条は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」と規定する。そうして、更に、第二十八条をもって、労働者の立場を保護するために、勤労者の団結権と団体交渉権とを保障している。新憲法は、これらの規定によって経済民主主義の平和な実現を期し、欠乏からの自由という目標への基礎を築いていこうとしているのである。

これらの四つの自由は、「国民のための政治」が行われるための根本を形作っているのであるが、新憲法は、これらの自由を確保すると同時に、更にそれから導き出されるいろいろな自由を保障し、国民の基本的人権が永久に侵すべからざるものであることを明らかにしている(第十一条)。しかも、このような基本的な自由と権利とは、手をこまぬいている国民の前に自然に与えられるものではなくて、国民の不断の努力によってのみ保持されることができる。それは、自由ではあるが、濫用されてよいものではなく、権利ではあるが、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を伴なっている(第十二条)。このようにして、「国民のための政治」を、国民自らの意志により、国民のたゆまぬ努力と責任とを通じて一歩一歩と実現していこうとしているところにこそ、新憲法を一貫する民主主義の高い理想があるといわなければならない。

日本国憲法(抄録)

前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

第一条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第四条天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
第六条天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
第十一条国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十五条公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
すべて、公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選挙に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第十七条何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第十八条何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第十九条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第二十五条すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第二十六条すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第二十八条勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
第三十六条公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
第四十一条国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第四十二条国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
第四十三条両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
第五十九条法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
第六十条予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
予算について、参議院で衆議院と異なった議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取った後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
第六十一条条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。
第六十五条行政権は、内閣に属する。
第六十六条内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
第六十七条内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
第六十八条内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
第六十九条内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
第七十三条内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
五 予算を作成して国会に提出すること。
第七十四条法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。
第七十六条すべて司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
第七十九条最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議院総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
第八十六条内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
第九十六条この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。