一と目で恋をする事は日本では西洋で程普通でない。其理由は一つは東洋の社会の特殊な組織からで、一つは両親の執成で、恋の悲しみを知らぬ中に早く結婚するからである。然るに一方に恋故の自殺は余り珍しくもない。ただ其場合は大抵二人一緒であるという特殊性がある。且又大抵は不義の関係の結果と考えられる。でも正直な勇敢な除外例もある。そしてそれは普通田舎に多い。そんな悲劇の恋は最も無邪気な、自然な、幼馴染から突然発展したものなどで、尋ぬれば二人の幼年時代に遡る歴史を有つのがある。併しそんな時でも西洋の情死と日本の情死との間には、甚だ奇妙な相違がある。日本の情死は苦悩から起こる盲目な急速な狂気の結果ではない。冷静で秩序ある上に宗教的でもある。死を以て誓約書とする一種の結婚を意味する。男女は神々を証にしてお互いに誓詞を立て、遺言状を認め、そして死ぬのである。如何なる誓詞もこれよりもっと神聖であることは出来ない。だから若し思い掛けぬ外部の妨害と医療とで、情死の片割が死の手からもぎ離された時は、其片割は愛と名誉の厳かな誓約に依って、出来るだけ早い機会を捉えて命を捨てる義務がある。勿論双方救われた時は問題はない。併し一旦女と死ぬる誓いをした後に、女だけを一人で冥途に旅立たせた男として後指さされるよりは、悪虐な罪過を犯して半生を牢獄の裡に送る方が遥かに優だとされて居る。女は誓いに背くことがあっても幾分寛大視されるが、男は妨害に逢うて死に損ね、一度目的が挫かれたばかりに、おめおめと生き存えようものなら、終生偽誓者、殺人犯、人非人、人間の面汚しとして見らるるが常である。自分はそんな実例を一つ知って居る――併し自分は今寧ろ東国の或る村にあった、賤が家の恋物語を紹介する。
村は広いが極浅い川に臨んで居て、其川の石多い川床は雨季の間のみ完全に水に蔽われる。そして此川は、南北は地平線に連なり、西は青い山脈に囲い込まれ、東は森林の茂れる丘陵に仕切られてる、広濶な水田の中を横断して居る。村と丘陵との間は僅に半マイルの水田に隔てられてる計りであるが、其手近い丘陵の頂上に、十一面観音の堂があって、其付属地に村の重なる墓地がある。村は物資の集散地として余り詰まらぬ村ではない。普通の田舎風の藁葺家が数百軒ある外に、繁盛な二階建ての商店、綺麗な瓦屋根の宿屋などが一杯並んで居る街路が一筋ある。其外に又風雅な氏神、即ち日の女神を奉祀した神道の社と、桑畠の中に蚕神を祭った美しい祠がある。
明治の七年に此村の内田という染物屋に、太郎という男子が出生した。処が其出生の日が悪日であった――陰暦の八月七日であった。そこで旧弊な両親は心配し且つ悲しんだ。併し同情せる隣人は彼等に説いて、暦は勅令に依って改正せられた、其新曆では其日は吉日であるから万事意の如く運んだではないかと、思いかえさせようとした。此忠告は幾分か両親の心配を緩和した。併し小児が氏神へ宮詣りの折には、神前へ大きな紙灯籠を献納し、凡ての殃禍を小児の身上から払わせ給えと熱烈に祈願した。神主は古風な儀式を繰り返し、神聖な御幣を小さな坊主頭の上へ振り廻わし、小児の頸へ掛ける小さな護符を作って呉れた。両親はそれから更に丘の上の観音堂へ参詣し、そこでも供物を供えて、彼等の初生子を護らせ給えとあらゆる仏に祈願した。
太郎が六歳になった時、両親は村の近処に建てられた新しい小学校へ通わせようと決心した。太郎の祖父が筆紙、教科書、石板などを買い与えて、或る朝早く手を引いて学校へ連れて行った。太郎は大悦喜であった。石板だの其他のものは新たな玩具の様に思われるし、又誰れも彼れも学校は面白い処で、遊ぶ時間が沢山あると云う上に、学校から帰ると沢山菓子をやるという母の約束もあった。
ガラス窓のある大きな二階建ての学校へ到着すると、校僕が大きな質素な室へ案内する。其処には厳粛な顔をした人が机を控えて坐って居た。太郎の祖父は其厳粛な人に丁寧にお辞儀をして先生と呼び懸け、恭しく此小児を御教授下されと乞うた。先生は立ち上がって礼を返し、鄭重に挨拶した上、太郎の頭へ手を載せて優しい言葉をかけた。併し太郎は直に怖くなった。祖父が別辞を述べた時益々怖くなって、逃げて還りたくなった。が、先生は彼を連れて、大勢の男女の子供が腰掛に並んで居る、大きな、天井の高い、白壁の室へ往って、一つの腰掛を指し、坐るように命じた。男女の生徒は悉く頭を転じて太郎の方を見ながら、互いに耳語きあって笑った。太郎は笑われると思うと、甚だ悲しくなり出した。大きな鐘が鳴った。と、室の一方の教壇に上がった先生は、太郎を喫驚させた程の声で静かにと命じた。一同静まり返った処で先生は喋り始めた。其詞は太郎に非常に恐ろしく感ぜられた。学校は面白い処だと先生は云わない。学校は遊ぶ処でない、勉強する処だと告げた。又勉強は苦しいものだ、併し苦しくてもむつかしくても生徒は勉強せねばならぬと告げた。又守るべき校則の話や、それに背いたり不注意の時に蒙るべき処罰の話しをした。一同恐懼して粛然とした処で、先生は全く語調を変えて慈父の如く語り出した――我が子の如く一同を愛すると約束して。つぎに学校は天皇陛下の叡慮に依って建てられたことや、それに依って此国の男児も女児も賢男善女となり得ることや、天皇を深く敬愛し陛下の為めには喜んで身命をも抛つべきことを告げた。それから又彼等は父母を愛すべきこと、彼等の父母は彼等を学校へ通わす為めに職業に一層骨を折って居ること、それに勉強すべき時間に怠けて居るのは忘恩悖徳の所業であることを告げた。それが済むと先生は生徒を一々指名して、今告げたことに就て試問をした。
太郎は先生の詞の一部分しか聴き取れなかった。彼の小さい心は彼が初めて室へ入った時、生徒一同が彼を見て笑った事実で殆ど一杯になって居たのだ。何を笑われたかが彼には非常に切なかったので、其外の事などは考える余裕もない。従って先生が彼の名を呼んだ時にも全く彼には用意がなかった。
「内田太郎、お前は一番何が好きか」
太郎は驚いて起立して正直に答えた。
「菓子です」
男生女生悉く彼の方を見て笑った。先生は叱るように問い返した。「内田太郎、お前は父母よりも菓子が好きか。お前は天皇陛下に尽くす忠義よりも菓子が好きか」
其時太郎は何か大きな間違いを云ったなと気が付いた。それで顔は熱くなる、一同には笑われる、遂に泣き出した。それも一同を益々笑わせるに過ぎなかった。先生が一同を叱り飛ばして、同じ問をつぎの生徒に懸けるまで笑いは止まなかった。太郎は袖を眼に当てて啜り泣いた。
軈て鐘が鳴った。先生はつぎの時間には、他の先生から初めての習字の授業があるが、先ず教室を出て暫く遊んで来てもよいと告げて出て行った。男女の生徒は悉く校庭へ遊びに出た。誰れあって太郎を顧みるものもない。太郎は初めに衆目環視の的となった時よりも、こう打棄れた事を一層心外に感じた。先生の外に誰れ一人言葉をかけるものもなかったが、今は其先生も彼の存在を忘れた様だ。太郎は小さい腰掛に又腰を下ろして泣きに泣いた。生徒等が又帰って来て笑われぬように声を立てまいと苦心しながら泣いた。
突然彼の肩に手が掛けられ、優しい声が耳元に聞こえた。振り回るとこれ迄に見た事がないような情深い二つの眼を認めた――太郎より一歳位年長な小娘の眼であった。
「どうしたの」彼女はやさしげに問うた。
太郎は一寸啜り泣いて、手縁りなげに鼻を鳴らした後に答えた。「面白くない。家へ帰りたい」
「何故」と娘は腕を太郎の頸へそっとかけながら問うた。
「皆が己れを嫌うんだ。口もきいて呉れず、遊ぼうともしない」
「そうじゃあないよ」娘は云った。「誰れもお前を嫌やァしないよ、ただお前は新参だからよ。妾が去年初めて学校へ上がった時も、丁度其通りだったよ。怒っちゃいけない」
「外の奴はみんな遊んでる、己ればかりここに居るんだ」と太郎は抗議を持ち込んだ。
「アレ焦れちゃアいや、サアお出で、妾と遊ぼう。妾がお友達になってあげる。サア」
太郎は声を挙げて泣き始めた。自ら憐むの念と、感謝と、新たに得た同情の喜びとが、彼の小さい胸に一杯になったので、遂に制え切れなかったのだ。泣いてるのを慰められるのはそれ程嬉しかったのである。
併し娘はただ笑って、素早く太郎を室外に誘い出した。彼女の胸にある小さい母性愛が機を察して動いたのである。「泣きたいならお泣き」娘は云った。「だが、遊ぶのもいいよ」かくて二人は愉快に遊んだのである。
学校が済んで太郎の祖父が迎えに来た時、太郎は又泣き出した。それは此小さい遊び友達に別れを告げなければならなかったからである。
祖父は笑って云った。「およしじゃアないか――宮原およしだ、およしも一緒に来て家で遊ぶがよい。丁度帰り途だ」
太郎の家で二人は一緒に約束の菓子を食べた。およしはからかう様に先生の厳格な態度を模ねながら問うた。「内田太郎、お前は妾よりもお菓子が好きか」
およしの父は若干の田を手近に所有って居る上に、村にも店を持って居た。母は武士の子で、士族の解放された時、宮原家へ養われたのであった。子供は大勢生んだが末子のおよしのみが生き残って居た。其母もおよしがまだ赤ん坊の時死んで了った。宮原は中年を超えて居たが、小作人の娘の伊東お玉という若い娘を後妻に娶った。お玉は新しい銅貨のように赤黒かったが、目立って綺麗な百姓娘で、丈高く丈夫で活発であった。併し読み書きは少しも出来ないので、人々は宮原が此娘を選んだのを奇異に思った。奇異の思いはやがて可笑しさに変った。それはお玉を家に入れると、直ぐお玉は絶対主権を握って、それを振り廻わしたからである。併しお玉の人となりが段々分かると、隣人は宮原の意気地なしを笑うのを中止した。お玉は良人の事業を良人よりも能く了解して、万事を監督し、巧妙に家政を処理するので、二年と経たぬ中に彼の収入は倍加した。宮原は明らかに、お蔭で金持ちになれる女房を貰ったのである。継母としては自分の長子が生まれた後までも親切に挙動たから、およしは手厚き介抱を受け、学校へも正式に通わせられた。
子供等がまだ学校通いをして居る中、久しく待ち設けられた驚くべき事件が起こった。頭髪と鬚の赤い、長の高い妙な人間――西洋人――が日本人の労働者を大勢連れて此村へやって来て鉄道を造り上げた。それは田甫と村の後ろの桑畠の向こうの、低い丘陵の麓に沿うて出来たのだが、観音堂へ行く旧道と交叉する処に小さい停車場が建てられて、歩廊に立てた白い札に村の名が漢字で記された。少し経ってから一列の電信柱が線路と並行に立てられた。も少し経ってから汽車が来て、笛を吹いて、停まって、そして出て行った――古い墓地にある仏像を蓮華の台石から揺り落とさぬばかりにして。
子供等は此不思議な、水平な、灰の撒布されてる道に、二本の鉄がぴかぴか南北へ延びて雲煙の中に没し去るのを見て驚嘆した。更に列車が嵐を吹く龍の様に、大地を震るわせながら、吼えたけり煙を吐きつつ来るのを見て恐怖した。併し此恐怖の後には好奇心が入れ替った。――此好奇心は教師の一人が黒板に図を描いて、機関車の構造の説明をしたので一層強められた。其教師は又、電信の更に一層不思議な作用を教えた。そして新東京と京都との間は鉄道と電線で結び付けられるから、両都の間を二日以内で旅行も出来るし、数秒で通信も出来るということを告げたのである。
太郎とおよしは大仲善しになった。一緒に勉強もし、遊びもし、相互の家を訪問しあった。併し十一の時およしは学校を下げられて、継母の手伝いをさせられる事になったので、太郎がおよしに会うことは稀になった。する中に彼は十四になって学校を卒業し、父の家業を習い初めた。悲しみは来たった。彼の母は一人の弟を生んで死亡した。其年の中に、彼を初めて学校へ連れてった親切な祖父も、母の後を追うた。それから後は世界が暗くなったように思われた。併し彼が十七になる迄、彼の生活には其後何の変化も起こらなかった。折々はおよしと話しをする為めに宮原の家を訪れた。およしはすらりとした美しい女になった。が彼には楽しかった昔の面白い遊び仲間に過ぎなかった。
或る柔らかな春の日に、太郎は甚だしく淋しさを覚えて、およしに逢ったら楽しかろうという考えがふと浮かんだ。多分彼の記憶には、淋しいという一般感覚と、彼の初めての学校生活の特殊な経験との間に或る確かな関係が存在したのであろう。兎に角、胸の中の或る物――多分死んだ母の愛が作り上げた、そうでなければ他の死んだ祖先に属する或る物が――一片の情味を要求した。そしておよしから其情味が貰えると信じたのである。そこで太郎はおよしの小さい店へと歩を進んだ。店の真近まで来た時、およしの笑い声が聞こえてそれが馬鹿に優しく響いた。およしは年老いた百姓に物を売ってる所であったが、百姓は満足な様子で声高に喋って居た。太郎は待たせられて早くおよしの談話を独占し得ぬのを腹立たしく感じた。併しおよしの近くに居るだけでも少しは晴れ晴れしくなった。彼はじろじろ彼女を眺めて居たが、突然今迄彼女がこんなに美しいと思わなかったのを不思議に思い始めた。実際彼女は美しかった――村の何の娘よりも美しかった。太郎は且つ眺め且つ驚きつつあったが、彼女は益々美しくなるように見えた。余り不思議なので彼には訳が分からなかった。併しおよしはその熱烈な凝視の下に、初めて恥ずかしく覚えて耳の根まで真赤になった。其時太郎は彼女が世界中の何の女よりも美しく、可愛く、立ち優って居ることを確信し、それを彼女に云いたいと思った。と忽ち老いたる百姓が只だの女にでも話すように、およしに喋々と饒舌って居るのが癪に障って堪らぬのを感じた。数分にして太郎には全宇宙が全く一変した。しかも彼はそれに気が付かぬ。彼はただ暫く逢わぬ中に、彼女が天女の様になったのを認めた。それで機会が来るや否や、彼が愚かしき心中を打明けた。彼女も同じく心中を打明けた。そして二人の心がこうも同じであった事を不思議に思った。さてそれが大難の始めであった。
太郎が、およしに話してるのを見た年老いた百姓というのは、ただ買い物に彼の店を訪れたのではなかった。彼は本業の外に仲人即ち媒介を職業にして居たので、其時は岡崎弥一郎という富める米商の手先きを勤めて居たのであった。岡崎はおよしを見て非常に気に入ったので、此仲人業者に頼んで、彼女の身性と家族の状況を調べようとして居たのであった。
岡崎弥一郎は百姓共や、村の隣人等にも酷く嫌われる中老の男で、粗野で醜男で騒がしい無作法者であった。彼は又邪険な男と評判された。一年飢饉の折に米相場をして儲けた事は知られた事実で、百姓共はそれを罪悪だとして赦さない。彼は此県に生まれた者でもなく親戚があるのでもない。十八年前に女房と一人の子を連れて西国の方から此村へ移住したのである。女房は二年前に死に、虐待されたという評判の一人子息は、突然家出をして行方知れずである。其外彼には色々の悪い評判がある。其一つは西国に居た時、激せる暴民に家蔵を掠奪されて、命からがら逃げたというのである。今一つは彼が結婚の晩に地蔵尊に御馳走を出させられたというのである。
不人望な農民が結婚の時、花婿に地蔵を饗応させるのは今でも或る地方では行われる。巌畳な若い衆の一隊が、石地蔵を大道から或は近処の墓地から借りて来て、花婿の家に担ぎ込むと、大勢が後からついて行くのである。さて石像を座敷に置いて、酒肴をしこたま供養せよと命ずる。これは勿論彼等自身への供養の意味で、それを拒むのは非常に危険だ。そして此の招かれざる客共は、もう飲めぬ食えぬと云う迄御馳走になるのである。こんな饗応をさせられるのは、公然の懲戒であるばかりでなく、消すに消されぬ公然の恥辱であるのだ。
岡崎は年にも恥じず若い美しい妻を娶ろうという贅沢な野心を持って居た。併し彼の富を以てしても此願望は思ったように容易くは達せられなかった。縁談を申し込まれた家の中には、実行不可能な条件を並べて即座に謝絶したのが少なくない。村の村長はもっと無遠慮に己れの娘はお前に遣る位なら鬼に遣ると云い放った。そこで此米商は県外で嫁探しをするより外はないと諦めるだろうと思ってると、最後に偶然にもおよしを見付けたのである。此娘が又非常に気に入ったし、家は定めて貧乏であろうから、幾らか金でもやったら手に入るだろうと考えた。それで仲人を通して宮原家と談判を開始しようと試みたのである。小作人の娘であるおよしの継母は、全く無教育ではあるが、一筋縄で行く女ではない。彼女は其継娘を少しも愛しては居ぬが、怜悧だから理由なく虐待する様な事はしない。且つおよしは彼女の邪魔になる処ではない。忠々しく働きもするし従順で、気軽で、家の役にも立って居るのである。併しおよしの美点を認めた其冷静な敏感は、同様に結婚の市場に於けるおよしの価値をも計算した。岡崎は猾智に於いて己れよりも性来上手な女を相手にするとは夢にも思わなかったのであろう。お玉は岡崎の経歴を大分知って居り、富の程度をも知って居た。彼女は亦岡崎が村の内外の処々から女房を貰い損ねたことも聞いて居た。それでおよしの美顔が真に彼の熱情を惹起したのではないかと推察した。そして老人の熱情は多くの場合利用し得るものだということも知って居た。およしは実の処驚くべき程の美人でもないが、実際綺麗で優しく何処か愛嬌のある娘で、先ずこれ位の娘を手に入れるには、此近郷では望みがない。此娘を女房にする為めに岡崎が金を惜しむ様なら、外にもよい心当たりの若者がお玉にはあったのである。およしを岡崎に遣ることは遣るが、それには並大抵でない条件を付ける。先ず最初の申し込みをはねつけて見ると、其後の彼の出方で心の底が分かろう。ほんとにおよしに執心なら、此界隈の人では誰れにも出来ない程の支度金を仰せ付ける事も出来よう。そこで岡崎の真の執心の程度を知ることが非常に肝要で、又それ迄は当分此事をおよしに知らせぬようにする必要がある。仲人業の評判のよしあしは沈黙の点にあるのだから、仲人が此秘密を漏らすという恐れはなかった。
宮原家の政策はおよしの父と継母との協議で定められた。老宮原はとにかく女房の計画に反対する様な男ではないが、お玉は先ず用心深く、結婚は色々の廉で娘の利益になるようにせねばならぬということを強く説法した。そして岡崎に遣るとした時の経済上の利益を話し合った。この結婚には面白くない多少の危険もあるが、それは予め岡崎に二三の契約を結ばせれば防ぐことも出来ると説いた。それから宮原が此芝居で演ずべき役割を教えた。そして此談判中は太郎にも成るたけ度々来るように勧める事にした。此二人が好き合ってるのは、ほんの蜘蛛の巣の様な薄っぺらな情愛だから、必要な時には払い退けるに手間暇はいらぬが、当分は之を利用して遣るがよい。岡崎が若い鞘当て筋があると聞いたら、決心を早めて此方の思う壺にはまるであろう。
丁度其時、太郎の父は太郎の為めにおよしを貰いたいと初めて申し込んだ。併し右の理由で宮原家は唯とも云わなければむげに断わりもしなかった。只だおよしは太郎よりも一つ年上だということ、それからそんな配偶は習慣には背くということを述べた――それは実際其通りである。けれどもそれは薄弱な故障であった。尤もそれは明らかに薄弱なればこそ、そんな文句を選んだのであった。
同時に岡崎の最初の申し込みは其誠意が疑わしいと云わん計りの態度で迎えられた。宮原夫婦は仲人の意味が分からぬと称して、明瞭な証言をも頑固に腑に落ちぬ風を装うたので、岡崎は遂にこれならばと思う誘惑的な提議を持ち出すという政略に出た。宮原老人は其時此一件は妻の手に委ねて決定を待つことにする由を告げた。
するとお玉はあらゆる侮蔑的驚愕の態度で其提議を即座に拒絶した。そしてつぎの様な不快な話しをした。昔、金のかからぬ美しい女を手に入れようと思う男があった。到頭一日に二粒の飯しか食わぬという美人を見付けて結婚した。其女は毎日二粒の飯しか口にしないので彼は大いに満足して居た。然るに或る夜旅から帰って来た時、天窓から窃に覗いて居ると、彼女は食うも食う、山程の飯と魚とを頬張った上に、あらゆる食物を頭の頂上の髪の毛に隠れて居る穴の中へ押し込んで居るのを見た。そこで結婚した女は山嫗であったことを知った。
お玉は謝絶の結果を一と月も待った。欲しいと思う物の価値は、手に入れる困難が増せば増すように思われるということを知って居るから安心して待った。すると案の定仲人が再び現われた。此度は岡崎は前の様に鄭重でなく単刀直入に問題に触れた。最初の申し出を増額した上に誘惑的な約束をまで付け加えた。お玉はもう岡崎はこっちのもの、どうにでもなると知った。彼女の作戦は混入ったものではないが、本能的に人間の醜い方面を知って、其処に建てられた計画であった。そして彼女は成功を確信した。併し約束は愚者の餌食、契約証書は律義者の罠に過ぎぬ。およしを手に入れる前に岡崎は財産の少なからぬ部分を抛たねばならなくなった。
太郎の父は太郎とおよしとの結婚を心から願って、それを成り立たせようと一通りの手を尽くして見たが宮原家から判然した返答が得られぬのに驚かされた。彼は質朴な率直な人間だが同情的な性分に特有な直覚力があるので、平生好かぬお玉のわざとらしい丁寧な態度から、これは望みがないなという疑惑を起こした。寧そ此疑惑は太郎に話すが宜いと考えて、打明けた処が、太郎は焦慮の余り熱病に罹った。併しおよしの継母は、作戦の初期に太郎を失望に陥れようという意志はない。それで病中は親切げな伝言を人に託したり、およしにも手紙を出させたりしたので、彼の希望も又生き返るという、思う通りの結果を来たした。回復後に太郎が尋ねて行くと、歓待して店でおよしと談話をさせた。が彼の父からの申込に就ては一言も云わなかった。
好いた同志には、又氏神の境内で折々出遇う機会もあった。およしは継母が末の孩児を背負って屢々其処へ出懸けたのである。其処では守娘や子供等や若い母達の間に混じって、噂に上る憂いもなく言葉を交わす事が出来た。一と月程の間は彼等の希望もこういう風に何の邪魔も受けなかったが、やがてお玉はからかい半分に太郎の父に迚も出来そうもない金銭上の相談を持ち懸けた。彼女は己が仮面の片隅を持ち上げたのである。岡崎は彼女の張った網に掛かって猛烈にもがいて居たが、もがきようが激しいので、もう最後の決定も遠くないと見込んだからである。およしはまだこんないきさつは知らなかったが、どうも太郎の処へ嫁って呉れぬではなかろうかという不安を感じて、日増しに肉は痩せ色は青ざめつつあった。
太郎は或る朝およしに逢う機会もがなと思って、末の弟を連れて氏神の境内に往った。丁度出逢ったので何やら心配になるよしを告げた。それは太郎が子供の時、母が頸に掛けて呉れた小さい木の護符が、絹の袋の中で破れて居たというのであった。
「それは縁起が悪いのではありません」およしが云った。「神様が貴君を守って下さった証拠です。村に疫病が流行った時、貴君も罹ったでしょう、そして快くなったでしょう。護符が守って下さったのです。だから破れたのです。今日にも神主に話して新しいのをお貰いなさい」
彼等は心甚だ楽まない。遂ぞ今迄人に悪い事をした覚えもない。それで自然因果応報の道理に話しが向いた。
太郎は云った。「己れ達はたしか前世で仇だったのだろう。己れがお前に悪い事をしたか、お前が己れにしたか、どっちかだろう。これは報いなんだ。坊さんはそう云うよ」
およしは例の冗談を交じえて答えた。「其時、妾は男で、貴君は女だったのね。妾は貴君を思って思いぬいたのに、貴君は妾を嫌ったの。よく覚えて居ますよ」
「菩薩じゃアあるまいし」太郎は悲しみを抑えて微笑みながら答えた。「前世の事を覚えて居られるものか。十階ある菩薩道の第一階に達した時、やっと覚えて居られるというじゃアないか」
「妾が菩薩でないこと、どうして分かります」
「お前は女じゃないか。女は菩薩になれやしない」
「併し観音様は女じゃないの」
「それはそうさ。併し菩薩なら、お経の外に何も愛さないよ」
「お釈迦様だって奥様も子供もあったわ。そしてどちらも愛したじゃないの」
「そうさ。併しお釈迦様は後に妻子を棄てたのだよ」
「お釈迦様でもそれは悪い。併し妾、其話みんな虚偽だと思います。貴君、妾を貰ったら、後で棄てるの」
彼等はこんな理窟を云いあって時には声を立てて笑った。一緒に居るのがそんなに嬉しいのであった。併し突然、娘は厳粛な顔をして云った。――
「あのね、昨夜、妾は夢を見たの。知らない河と海があって、妾は河が海へ流れ込む直ぐ傍に立って居ましたの。すると何だか理由も分からずに慄然としたんです。見ると河にも海にも水はなくって、其代わりに仏の骨が一杯あるんです。それが丁度水の様に動いて居るんですの。
すると又いつか家に還って居て、貴君から絹地の反物を貰ったのを衣服に仕立てて着ましたの。処が驚いた事には、初めは色々の色模様があったのに、いつか真白になって仕舞ったんです。それを又何て頓馬でしょう、死人の着るように左前に着たんです。それから親類廻りをして、これから冥途へ参りますって、暇乞いをしましたの。みんなから何故行くかって尋ねられて、返事が出来なかったんです」
「それは善い夢だ」太郎が答えた。「死人の夢は目出度いんだ。多分夫婦になれる吉兆だろうよ」
此度は娘が答えなかった。微笑さえしなかった。
太郎も暫し黙って居たが付け加えて云った。「善い夢でないと思うんなら、庭の南天の木へみんな小声で話して了うんだね。そうすると真夢にならないよ」
然るに其日の夜になって、太郎の父は、およしは岡崎弥一郎の嫁に遣るという通告を受けた。
お玉は実に怜悧な女であった。今迄に遂ぞ大きな誤り等をしたことがない。彼女は愚劣な人間を何の苦もなく操って成功して行くように巧く出来てる人間の一人であった。忍耐、狡智、悪賢い知覚、素早い先見、強固な勤倹など先祖代々の農民としての経験が、彼女の無学な脳髄の中の完全な機関に集中して居たのである。其機関は之を生み出した環境の中で完全に運転した。そしてその機関にぴったり当て嵌まるような百姓という特殊な原料を処理して行った。併し祖先伝来の経験でも説明することが出来ないので、お玉には理解の出来ぬ別種の人間があった。彼女は武士と平民とは性来が違うという旧思想を強く疑って居た。国法と習慣とで作り上げた差違の外には、武士階級と農民階級の間に何も相違ない、そして此国法と習慣とは悪かったと考えて居た。此国法と習慣との結果が昔の武士階級を無力に、阿房にして仕舞ったのだと考えて、窃に凡ての士族を軽蔑して居た。彼女は彼等が荒い労働は出来ず、商法は全く知らぬ為めに、金持ちから貧乏に落ちたのを見た。又新政府から彼等に与えた公債証書は、彼等の手から尤も卑劣な狡猾な山師の把握に帰したのを見て居た。彼女は意気地なしと無能とを排斥した。そして極下等な八百屋でも、老体を晒して当初通行の度毎に、履物を脱いで土下座をさせた者から憐れを乞う家老の果てよりは遥かに優れた人間だと考えて居た。それでおよしの母が士族の女であることを何の光栄とも思わず、却っておよしの弱々しいのはそれが原因だと考え、不幸な血統だと思って居た。彼女は又およしの性格の中で、劣等階級に属する彼女にも読まれるだけは明瞭に読み取った。中にも此子は猥りに虐待しても何の徳もないということを読み取った。そしてそんな性質はお玉も満更嫌いでもなかった。けれどもおよしには彼女が判然と見定めることの出来ぬ他の特質があった――妄りに現わしはしないが、道義上の過誤に非常に敏感な事、傷つけ難き自尊心、如何なる肉体の苦痛にも打勝ち得る意志の力を深く蔵して居る事などである。それが為め岡崎へ嫁くのだと告げられた時のおよしの態度には、反抗を予期して居たお玉はすっかり欺されて了った。彼女は誤算をしたのである。
およしは初めは死人の様に真青になった。が、つぎの瞬間には顔を赤くして、微笑を浮かべて、お辞儀をした。そして孝心深い言葉遣いで、万事御両親の仰せに従います、と答えて宮原夫婦を驚かした。彼女の態度にはその外に心中の不服を漏らすようなところは見えなかった。それでお玉は喜んで万事をおよしに打明け、縁談進行中に起こった喜劇を話したり、岡崎がどれ程の犠牲を払わせられたかを精しく話しなどした。更に進んで、当人の承諾も求めずに、老人へ嫁られる事になった若い娘へ云うような管々しい慰藉の詞の外に、岡崎操縦の方法という実際巧妙な秘訣を授けた。其間太郎の名は一度も口頭に上らない。およしは継母の告諭にはおとなしくお辞儀をして好意を謝した。そしてそれは確かに立派な告諭であったのだ。実際怜悧な百姓娘が、お玉の様な良教師に十分に教育されたら、岡崎の好伴侶となり得るに相違ない。併しおよしは全くの百姓娘ではない。彼女に保留せられて居た運命の宣告を聞いた後、最初は真青になり、つぎに真赤になったのは、お玉には全く推量も出来ぬ二様の情緒から起こったのである。そしてどちらもお玉が打算的の経験に現われたよりももっと複雑な、もっと迅速な頭脳の閃きを示すものである。
最初のは、継母が道義的に全く無感覚な事、抗弁の全然望みなき事、此結婚は不必要な利得を得ようとする唯一の動機から、此身を醜い老人に売るに等しいこと、縁談の談合が残酷で恥ずべき所為であった事等を認めるに伴なって起こった恐怖の衝撃であった。併しながら最悪の場合に面する勇気や力と、強固な猾智に対抗する機智とが必要だという十分な認識が、直ぐ後から彼女の心に突進したのである。彼女が微笑したのは其時であった。そして微笑した時には彼女の若い意志は、刃もこぼさずに鉄を割く鋼となったのである。彼女は直に己が為すべきことを精確に自覚した――武士の血がそれを教えた。そして時機を伺おうという目算を立てたのである。彼女は其時既に声を立てて笑おうとしたのをやっと制え付けた程の勝算があった。お玉は彼女が眼の中の光に完全に欺かれて、それはただ満足の感を現わすものと思い、更に其満足感は金持ちとの結婚で得られる利益の点を俄に悟ったものと想像した。
其日は九月の十五日であった。そして婚礼は十月の六日に挙げられる筈であった。然るに其三日後に、お玉が朝早く起きて見ると、およしは夜の中に消え失せて居たのを発見した。内田の太郎は前の日の午後から父親に姿を見せなかったという。併し二三時間後には両人からの手紙が到着した。
京都発の一番汽車が入って来た。小さい停車場は雑沓と雑音に満たされた。下駄の音、話し声、菓子弁当を売る村の子供の断続する――「菓子よろし」――「寿司よろし」――「弁当よろし」――。五分間経った。下駄の音も、列車の扉の開閉の音も、売り子の叫び声もはたと止んで、笛が鳴り列車が一と揺り揺れて動き出した。そして囂々という音を立て煙を吐いて北の方へと徐に姿を隠すと、小さい停車場は空虚になって了った。改札口に見張って居た巡査も、木戸を締めて砂を撒いた歩廊に出て、稲田を見渡しながら歩き廻り始めた。
秋――大明の節――が来て居た。太陽の光は俄に白く、影は鋭く、物の輪廓は凡て裂れたガラスの縁の様にかっきりと見える。夏の暑さで反り返って久しく目に付かなかった苔は復活して、凡て火山灰から出来た黒土の物蔭になってる明地は、明るく軟らかい緑色が一面に若しくは帯状に拡がって居る。松の樹の森は悉くツクツクボウシの鋭い声で慄えて居る。そしてあらゆる小さい堀や溝の上には、音のしない小さい電光の閃きが見える――濃緑色や薔薇色や鋼色の光が稲妻形に音もなく動いて居る――蜻蛉が飛び違って居るのである。
朝の空気の非常に透明なのに依るか、巡査は此時北の方を見ると軌道の遥か彼方に、何か或る物を見付けた。すると驚いて手を目の上に翳し、そしてつぎに時計を引き出した。併し概して日本の巡査の目は空を舞う鷹の眼の様に、其視域内に何か変わった事があると、屹度直ぐ見付ける。自分は嘗て遠い隠岐の国で、泊まって居る宿屋の前の街路に仮装踊りがあるのを、人に見られずに見ようと思って、二階の障子に小さい穴を明けて覗いたことがある。すると、下を雪白の制服と帽子被いとを着けた巡査が濶歩して居た。時は夏の真中であった。彼は踊り子と見物の中を分けて進んだが、何を見る様子もなく、首を左右に曲げることさえしなかった。然るに彼は突然足を停めて眼を丁度障子の穴へ据えた。それは彼が直に其恰好から外人の眼だと思ったものを認めたからである。そして宿屋へ這入って来て自分の旅券に就て問い質した。併しそれは既に検べられて居たものであった。
さて停車場で巡査が認めて後に報告したのは、停車場の北半マイル余の処で二人の人間が、明らかに村のずっと北西方の百姓小舎から出て来て、田甫を横切って軌道に達した事であった。其一人は女で衣服と帯の色で極若い女だと彼は断定した。其時東京発の急行列車が、あと十分で到着する筈で、其進んで来る煙は既に停車場から見分けられるのであった。二人は列車の来る軌道に沿って走り始めたが、曲り角を過ぎると見えなくなった。
此二人は太郎とおよしであった。彼等が走ったのは一は巡査の目を逃れる為め、一は出来るだけ停車場から離れて列車に出会う為めであった。併し曲り角を曲ると煙の来るのが見えたので走るのを止めて歩いた。汽車の車体が見え出すと機関士を驚かさぬ為めに一旦軌道を離れた。そして手に手を取って待って居た。忽ち低いどよめきが聞こえたので、時こそ至れりと、再び軌道に歩み還った。くるりと方向をかえると両腕をお互いに捲きかけ頰と頬とを押し付けて、静かに素早く、其時既に突進して来る汽車の震動で、金砧の様に唸って居る内側の鉄軌へ横さまに寝転んだ。
太郎は微笑んだ。およしは太郎の頸へ廻わした腕をしめて耳元へささやいた。
「二世も三世も妾は貴君の妻、貴君は妾の夫ですよ、ね! 太郎さん」
太郎は何も云う暇もなかった。其瞬間に、空気制動機のない汽車は、停めようと焦っても距離は百ヤード余りしかないので、遂に二人の上を通過した――大きな鋏の様に平等に切断して。
村人は比翼塚の上へ花を一杯挿した竹筒を立て、線香を焼いて祈りを上げる。これは決して正則ではない。というのは仏法では情死を禁じてあるのに、此処は寺の墓地であるから。併しこれには宗教がある――深い崇敬を値する宗教がある。
読者は、こういう死者に人々は何故又、どうして祈るかと疑うであろう。が凡ての者が祈る訳ではない。ただ恋をする者、殊に不幸な恋人が祈るのである。其他の者はただ香花を供え、経文を唱えるだけである。併し恋する者は霊験ある同情と助けを祈るのである。自分も其故を尋ねた事があるが、答は単に「此二人は並々ならぬ苦痛を嘗めたからです」というにあった。
されば、この祈りを促す思想は、仏教よりも古く同時に新しいものであるように見える――即ち永遠の苦痛の宗教という思想である。