東の国から:新日本に於ける黙想と研究, 小泉八雲

石仏


官立学校(訳者註)の後ろの丘陵のいただきに――小さく仕切った畠が段をなして斜面に重なって居る其上に――村の古い墓地がある。が、黒髪村の住民は今はもっと奥の方に死人を埋めるので、最早此処は用いられない。そして畠は既に此墓地の限界を侵蝕し初めつつある様である。

訳者註 第五高等学校の事。

授業時間の間に一時間の閑暇ひまがあるので、自分は此小山の巓をおとなうて見ようと決心する。登る途中は無害な小さい黒い蛇が道を切ってのたくり、朽葉色した無数の蝗虫が自分の影にざわめき立つ。未だ墓地の入口の破れた石段に達せぬ中に、小さい畦路あぜみちは野草に蔽われて見えなくなる。墓地の中にも全く路はない――雑草と碑石があるばかり。併し此巓からの見晴らしはよい。広く青い肥後の平野が見え、其向こうには真青な山嶺が半円形をなして地平線の光りに映えて見え、更に其向こうには阿蘇の火口丘が永遠の煙を噴いて居る。

自分の下には、近代都市の縮図の様な学校が鳥瞰図の如くに見えて居る。皆一八八七年建造の、窓の沢山ある建物で、それが長く連なって居る。これは十九世紀の純実用的の建築を代表するもので、之をケントやオークランドやさてはニュー・ハンプシャーに移しても少しも時代の調子に合わぬように見ゆることはあるまい。併し其上に段階をなして連なる畠と、働いて居る農夫の姿とは五世紀頃のものとも見れば見られる。自分がかれる墓の上に刻してある文字は梵語の音訳である。そして自分のそばには、石の蓮華の上に加藤清正時代に坐せしままの態度で今も坐せる仏像がある。此仏の瞑想的の眼光まなざしは、半眼に開ける眼瞼の間から、学校と其騒がしい生活を見下ろし、そして怒るに怒られぬ傷害を受けた者が微笑する様に微笑して居る。但しこれは彫刻師が刻み出した表情ではない。苔と垢とに歪められた結果である。自分は又両手も欠けて居るのを認めた。気の毒になって自分は仏の額の象徴的な小突起から苔を掻き退けようと努める――『法華経』の古い経文の一節を想起しながら。

「世尊の眉間の白毫びゃくごうから一道の光明発出した。其及ぶ所一百八十万の諸仏世界にわたり、下は阿鼻地獄、上は沙婆世界のはてに至る迄、ことごとく光明に照らされた。沙婆六道の界に在る者一として照らされざるなく、仏土涅槃の境地にある諸仏亦ことごとく照らし出された」

太陽は自分の背後に高く、前方の風景は古い日本の絵本にある通りだ。古い日本の彩色版には原則として影がないが、肥後の平野には全く影がなく緑色に展開し、地平線上には青い山嶺のまぼろしが熾烈な光の中に漂う様に見ゆる。併し此広濶こうかつな平面は一様な緑色ではない。あらゆる調子の緑色が帯の様に、縫い目の様に交錯し、丁度筆で染め出したようである。此点も日本の絵本の中の景色に似て居る。

初めて日本の絵本を開いた者は、特に意想外な印象、驚愕の感を受ける。そして「日本人というものは、珍妙不思議な風に自然を感じたり見たりするな」と考えさせらるる。此驚異の感は段々大きくなる。「そもそも日本人の感覚は吾等のとは全然異なるのであろうか」という疑いが起こる。いかにもそんな事もあり得べきだ。併しも少し見て居ると第三の、そして最後の考えが判然と浮かんで前の二つを確証する。日本の絵は同じ景色を描いた西洋の絵よりも一層自然に近いことを――西洋画にはない自然の感じを喚起することを感ずる。そして実に其処には様々の新たに発見すべきことが含まれて居る。併しその前にも一つつぎの様な疑問が起こるであろう。「これは不思議に判然はっきりして居る。云うに云われぬ此色は正しく自然の色である。併し何故こんなに無気味に見えるだろう」

それは主として影のない為めである。ぐ影のないのに気付かせないのは、色彩の価値を識別し、之を駆使する驚くべき技能に依るのである。併し風景は光線が一方から来ないで、全体が光線にひたされて居るかのように描かるる。実際風景はこんな風に見ゆる瞬間があるのだが、西洋の画家はそれを研究して居ない。

但し昔の日本人は月下の影を愛して、それを描いたことも忘れてはならぬ。それは月影は幽玄で、色彩に何の交渉もないからである。併し白日の下に万象の姿を暗くし其美を傷つける影を好まぬ。若し昼景色に影の点景があったら、それはほんの薄い影である――夏の雲の下に移動する薄暗がりのようなもので、ただ色の調子をかえるだけである。又日本人に取っては外界のみならず、内的世界も同様に明るいものであった。心理的に彼等は影のない人生を見て居た。

其時西洋が彼等の仏教的平和を破って闖入した。そして彼等の絵を見て買収を始め、取り残された絵の中で優れたるものを保存する為めに、国法がかれるまで止めなかった。最早買収すべきものもなくなり、しかも新作品が出ては、既に買収したものの価値が下落することもあろうと思われた時、西洋は云った。「そう云う風に物を見たり描いたりすることはやめ給え。それは芸術ではない。影の見方を学ばれよ。そして、伝授料を此方こっちへ遣わされよ」

かくて日本は謝礼を払うて自然の影、人生の影、思想の影の見方を習った。西洋は神聖な太陽の唯一の業務は、安価な影の製造であることを教えた。又高価な影は西洋文明のみが産出し得ることを教えて、之を嘆美し採用することを勧めた。其処で日本は機械や煙突や電信柱の影に驚嘆した。鉱山、工場及び其処に働く人間の心の影に驚嘆した。二十階も高い家屋と其下に食を乞う飢餓の影、貧乏を増加するばかりの大きな慈善の影、悪弊を増加するばかりの社会改革の影、虚譌、偽善と燕尾服の影、さては火刑にする為めに人間を作ったと云わるる外国のゴッドの影に驚嘆した。此処迄来て日本は稍々本気に復って、此上影絵を学ぶことを拒絶した。世界に取っては幸運にも、日本は最初の比類なき芸術に復帰した。日本に取っては幸運にも、本来の美しい信仰に立ち戻った。併し影の幾分かは尚お其生活にこびりついて居る。恐らくそれを全く脱却することは出来まい。最早再び万有が前の様に美しく日本の眼に映ずることはあるまい。

墓地の直ぐ向こうでは、生垣で囲った狭い畠の中に、一人の百姓が牛を使って神代の鋤で黒い土をいて居ると、女房が日本建国よりも古いくさかきで跡をならして居る。人も牛も労働は生活の代価であるという考えに、容赦なくせき立てらるるかの如く、妙に熱心に働いて居る。

其百姓を自分は前世紀の錦絵の中で屢々しばしばを見た。もっと古い掛物の中でも見た。更にずっと古い屏風の絵でも見た。正しく同一物である。数え切れぬ程の他の風習は消滅しても、百姓の編笠と蓑と草鞋わらじとは依然として残って居る。其扮装よりも更に古いのは、比較にならぬ程古いのは彼自身である。彼が耕す土は、実に幾千万回か彼を呑み込んだが、其度毎に彼を吐き出して新たな生命を賦与し、新たな力を与えた。そして彼は此反覆更新に満足し、それ以上を要求せぬ。山は其形を変え、河は其流れを改め、星も空に其位置を更えたが、彼は決して変わることがない。彼自身は変わる事なくとも彼は変化を作り出す本元である。彼の労働の総額から軍艦が生まれる、鉄道が生まれる、石造の宮殿が生まれる。大学や新学問、電信、電灯、連発銃、さては科学の機器、商業の機関、戦争の機関、皆彼の手から代価を払わるるのである。彼はあらゆる物の寄付者である。其代わりとして彼が与えらるる物は――永久に働く権利ばかり。さればこそ彼は人間の新しい生命を植え付ける為めに、幾千年の過去を犁くのである。かくて世界の仕事が終わるまで――人間の終末まで、働き続けるであろう。

併し其終末とはどんなものだろう。悪いものか善いものか。それとも我等人類には遂に解き難き秘密であるだろうか。

西洋の智者は之に答えて云うであろう。「人間の進化は完全と幸福とへの進展である。進化の目標は平衡である。悪は善なるもののみが残る迄、一つ一つ消失するであろう。其時知識は極度に展開せらるるであろう。心は尤も驚異すべき花を咲かすであろう。精神の一切の煩悶と苦悩は止むであろう。生活のあらゆる禍害と過誤は消失するであろう。人間は不死という事の外、凡てに於いて神の如くなるであろう。各人の寿命は幾百年に延ぶるであろう。生のあらゆる喜びは、詩人の夢よりも美しい地上の楽苑に於いて、万人共通のものとなるであろう。又治者もなく被治者もなく、政府もなく法律もなくなるであろう。一切の秩序はただ愛に依って決せられるであろう」

併しそれから後はどうなる。

「それから後はどうなる。おお、それから後は、勢力不滅の法、其他宇宙の理法に依って壊崩の時が来る。一切の結合せるものことごとく解体するであろう。これは科学の証明する所である」

然らば一切の得られた物は失われ、一切の作られた物は破壊さるるであろう。一切の打勝たれた物は打勝ち、一切の利福の為めにめさせられた苦艱くげんは再び無意味にめさせられるであろう。未知から過去の無限の苦痛が生まれた如く、未知へ将来の無限の苦痛は没するであろう。然らば吾等の進化の価値は何処にある。生の――闇と闇との間の幻の様な此の閃光の意味は何処にある。進化とは絶対神秘から寂滅への移行であるか。彼の編笠の農夫が、之を最後に己が耕す土中に永久に帰って仕舞ったら、其時、今迄幾百万年の労働は果たして何の役に立つであろう。

西洋は云う、「否、そういう意味の寂滅というものはない。死はただ変化を意味す。其後には別の宇宙が現わるるであろう。我等に壊崩を信ぜしむる所のものは、同様に更生を信ぜしむる。溶けて星雲となった宇宙は、再び凝って別に無数の世界を形成する。其時彼の農夫は忍耐強き牛と共に再現し、紫色若しくは菫色の太陽の下で何処かの土地を耕すであろう」併し其復活の後はどうなる。「新たな進化が起こり、新たな平衡が現われ、新たな壊崩が来る。これが科学の教うる所、これが恒久の法則である」

併し其復活した生は果たして常に新しいであろうか。寧ろ無限に古いのではあるまいか。現在あるものは確かに永久にあるに相違ないと同様に、将来あらんとするものは永くあったものに相違ない。終りなきが如く始めもなかったに相違ない。そう考えると、時というものも幻覚に過ぎない。そして替わり番に現われる幾千億の太陽の下に新しいものは何もない。死も死でない、休息でない、苦の終わりでもない。ただ恐ろしい虚偽である。しかも此永久の苦痛の渦巻からの逃げ路は誰れも知らぬ。然らば彼の編笠の農夫より我等は少しも優っては居らぬ。彼はそれを知って居る。彼は子供の時、寺小屋で手習を習った僧侶から、彼自身には無数の前身があった事や、宇宙が出現したり消滅したりする事や、さては生の統一などに就いて教えられて居る。西洋人が数理的に発見した所のものは、東洋人には仏陀出現前から知られて居る。どうして知ったかと云えば、宇宙の度々の壊崩にも拘らず、生き残った記憶があったのであろう。併しそれはどうであろうと、西洋人の所説は非常に旧い。ただ方式のみが新しく、東洋古来の宇宙説を肯定したに過ぎぬ。そして永久の謎のもつれを益々もつらすばかりである。

こう云うと西洋は答える、「そうでない。乃公おれは世界が或は現われ或は消ゆる永久作用の韻律リズムを発見した。乃公は凡ての有情生物を発展させる苦痛の法則、思想を発展させる苦痛の法則を推測した。乃公は悲しみの減ぜられる方法を発見し、発表した。乃公は努力の必要と、生の最高義務を教えた。生の義務を知る事は、たしかに人間に尤も価値ある知識である」

或はそうであろう。併し西洋人の発表した様な必要の知識、義務の知識は、彼等が未生以前から存在する知識である。多分彼の農夫は此地球上で五万年も前にそれを知って居たろう。いや神々にさえ忘られた古い古い昔に、今は消え失せたもとの地球上にあった時でも知って居たろう。若しこれが西洋人の知識のどん底なら、彼の編笠の農夫は仏陀に依って無知の者――「生き替わり死に替わり墓地を賑やかす」者の中に数えられては居るが、知識に於いては我等と同等である。

科学は之に答えて云う、「農夫は知るとは云えぬ。精々ただ信ずるのみだ、或は信ずる積りで居るのだ。彼を教えた最も賢明な僧侶でさえ証明する事は出来ぬのだ。乃公のみが証明した。乃公のみが絶対の証明を与えたのだ。乃公は破滅を証明したと非難されるが、倫理的革新を証明したのだ。乃公は人知の超ゆからざる最極限を定めた。併し又最高の疑問――此疑問は即ち希望の実体であるが故に、至って有益な疑問――の動かす可からざる基礎を永久に定めた。乃公は人間の思考行為はどんな小さいものでも、永遠の中へ没入する目に見えぬ震動に依って、自ら登録しつつ永久に記録を残すことを示した。そして乃公は恒久の真理の上に新道徳の基礎を置いた。尤も之に依って古来の信条を只だ殻ばかりにはしたが」

然り西洋の信条を殻ばかりにした。併し更に古い東洋の信条をではない。未だ西洋人はそれをはかっても見ない。此農夫の信条の一部は西洋人が吾人の為めに証明した以上、彼自らそれを証明し得ぬとて何でもない。彼は其上に西洋人を遥かに超越する他の信条を有する。げに彼も行為と思想は人の死後迄残ることを教えられた。併し彼はそれ以上を教えられた。彼は各人の思想行為は、己れ一個人の存在の埓を越えて、未だ生まれざる他人の生に影響することを教えられた。又彼は最も秘密な願望を制御すべきことを教えられた。それはそんな願望は、様々な潜在せる能力を有するからである。そして彼は之を彼が着る蓑の藁の様に質素な言葉と簡単に織り成せる思想とで教えられた。彼が自分の所説を証明し得ぬとてそれが何か。西洋人が彼の為めに、又広く世人の為めに証明したではないか。いかにも彼はただただ未来に関する説を有したのみであるが、西洋人はそれが全く夢に基するものでないという、争うべからざる証拠を提供した。又西洋人の従来の研究は、ただ彼が単純な頭の中に蓄積した所信の一部を、確証するに過ぎなんだことを思うと、将来の研究も、亦西洋人が未だ調査の労を取らぬ彼が所信の、他の一部の真なることを、証するに過ぎまいと憶定しても全く愚ではあるまい。

「例えば、地震は大きななまずの所為と云うが如きことをか」

嘲笑し給うな。そんな事に就ては我等西洋人の思想も遂二三代前迄は丁度そんな馬鹿らしいものであったのだ。否、自分の意味することは、行為と思想は、只だ人間あってしかして後に起こる事件であるのみでない、人間を作る素因でもあるという、古い教理の事である。それは経文にもこう書いてある。「我々の現在は凡て考えた事の結果である。考えた事に基礎を有し、考えた事で作られたのである」

此処で自分には妙な実話が想い出さるる。

現世の不運は前世で犯した罪過の結果で、現世の過失は来世に祟るという一般民衆の所信は、多分仏教よりも古く、しかも仏の立派な倫理観と相抵触せざる、様々な迷信に依って妙に助成せられる。其中で恐らく尤も著しいのは、心の極の奥底でも人を呪うと、それが他人に不祥な影響を及ぼすという事である。

自分の友人の一人が今住んで居る家は憑物つきものがして居たという。其家は並外れて明るく、非常に美しく、そして比較的新しいから、憑物がして居るとは想像し難い。隅々端々まで暗い処もなく、周囲は大きな明るい庭になって居る――九州風の風景庭園で、幽霊の隠れるような大木もない。けれども憑物がして居た。それも白昼に出た。

読者は先ず此極東には、二種類の悪霊があることを知らねばならぬ。死霊しりょう生霊いきりょうとである。死霊は単に死人の霊で、此国でも他国に於けると同じく、夜間のみ現われるという古来の習慣に従う。併し生霊は生ける人の霊で、これはいつ何時なんどきでも現れる。そしてこれは人を殺す力があるので、死霊よりも遥かに恐ろしい。

処が今云った家には生霊が憑いて居るのである。

其家を建てた人は金持ちで且つ尊敬された役人であった。彼は老後を楽む為めに其家を設計し、工わるや美しい品々を集め、軒には風鈴を下げなどした。白木の良材の羽目板には、秀でた画工が、燦爛さんらんたる桜と梅の枝、松の木の頂上に金色の眼したる鷹の棲れる姿、楓樹の蔭に食を漁る華奢な鹿の子、雪中の鴨、飛ぶ白鷺、燕子花かきつばたの花、水中の月を掴む手長猿、其外あらゆる四季の景物、幸運の象徴などを描いた。

家主は実に幸運な人であった。けれども只だ一つの嘆きがあった――彼には跡取りの子がなかった。そこで妻の承諾を得、古来の習慣に従って、子を生ませる為めの女を家に入れた――田舎出の若い女で莫大な報酬の約束があった。やがて男子が生まれて女は還された。そして其男子をして実母を知らしめぬ為めに、乳母が雇い入れられた。これは凡て前以て契約されたので、古来の慣例の認むる所であった。併し男子の母が還される時、前に与えた約束は履行されなかった。

程なく金持ちの主人は病みついて、日に日に重るのみであった。家人は此家には生霊が憑いてると云い出した。数人の名医が出来るだけの手当てをしても衰弱は加わるばかり、遂には彼等も最早絶望だと白状した。妻は氏神に供物を供えて平癒を祈った。併し氏神はこういう答えを与えた。「これは人に難儀をかけた報である。其人の宥恕ゆうじょを得、かけた難儀を償い、罪亡ぼしをせねば病人は助からぬ。其方の家には生霊の祟りがある」

それを聞いて、病人は思い出した。そして良心に責められ、遂に家来を遣わして女を家に呼び戻そうとした。併し女は居なかった――何処か四千万同胞の中に行方を失って居た。そこで病気は益々重る、捜索は無効に帰する、そうする中に数週間が過ぎた。すると門に一人の百姓が来て女の在家を知ってる、旅費さえ呉れるなら尋ねて見ようと告げた。併し病人は聞いて云った、「いや、もう遅い。彼女がおれを宥そうと思っても宥すことは出来まい」そして死んだ。

其後寡婦と一族と小児とは此新宅を棄て、縁もゆかりもない人が移り住んだ。

奇妙な事には、世人は小児の母を非難した――憑依の罪を責めるのであった。

自分は最初不思議に思った。それは此事件の正邪曲直に関して何等自分に判然はっきりした意見があった為めではない。自分はくわしい顛末を知る事が出来ぬのだから、そんな判断を下すことは出来る筈がない。併し人々の批評を甚だ奇怪だと思った。

何故だろう。それは只だ生霊を出すのは、出す者が故意にする訳ではないからである。それは決して妖術ではないのである。生霊は当人が知らずに出て行くのである。(意識的に物を出すと信ぜられてる妖術もあるが、生霊はそうでない)これで読者は自分が若い女が受ける非難を甚だ不思議と思った理由が分かったであろう。

併し此問題の解決は読者には想像がつくまいと思う。それは全く西洋には知られてない観念を含む宗教的の問題なのである。生霊の出た女は決して妖女として非難はされぬ。人々は彼女が意識的に生霊を出したとは曖気おくびにも出さぬのみか、彼女の不平を至当とし同情して居る。ただ彼女が甚だしく恨んで居る事を――腹の中の憤怨を十分に制御せぬ事を非難したのである。その故は、人知れず怨恨を抱いて之を抑制せぬと、不祥な結果を他に及ぼすということは、彼女も心得て居べき筈だからである。

自分は生霊などというものが、良心の苛責としての外、存在し得べきであると、憶定して貰おうとは思わぬ。併し此思想も行為おこないを慎ませる感化力としては価値がある。其上此思想は暗示的である。心の奥の呪、外へ漏らさぬ怨恨、包める憎悪などが、此等を懐抱せる意志の外に力を及ぼさぬとは、誰が断言し得よう。仏陀のつぎの詞には西洋の倫理が認め能わぬ深い意味がありはせぬか。「憎悪は如何なる時でも憎悪に依って停止されぬ。憎悪は愛に依って停止せられる。是れ古来の法則である」それは仏陀の時でも古法であった。我等の時代にはこう云われて居る。「人汝に害悪を為す時、汝之を怒らざれば、其害悪は消滅す」併し果たして消滅するだろうか。之を怒らぬだけで果たして十分であろうか。害悪を為されたと感じた時、心に起こった動揺は単に被害者が何の行動もせぬというだけで消滅するだろうか。どんな力でも力は消滅せぬ。我等の知る力はただ形を変え得るのみだ。此事は我等の知らぬ力に於いても然りであろう。しかして生命感覚、意志――凡て「我」なる無窮の神秘を形成するものは皆我等の知らぬ力である。

科学は答える。「科学の職務は人間の経験を組織立てるにある。幽霊に就て学説を立てるのではない。そして時代精神は、日本に於いてさえ、科学が取る此態度を支持する。の下(訳註)では今何を教えつつあるか――予の教旨か、そもそ草鞋わらじ穿きの百姓の教旨か」

訳註 五高の建物を指す。

そこで石仏と自分とは共に学校を見下ろす。すると仏の微笑は――多分光線の変化の故に――表情を変えて嘲笑となったように見ゆる。併し実は彼は非常な強敵の要塞を瞰下しつつあるのである。三十三人の教師に依る四百の青年の教育には、信仰の教授は少しもない。ただ事実の教授のみ――人間の経験を組織した明確な結果のみが教授せらるるのである。自分は絶対に信ずる。若し三十三人中の誰れにでも、仏教の事に関して問うて見た所で(漢文の教師である七十歳の一老人を除いては)答え得る者は一人もあるまい。彼等は新時代の人間で、こんな問題は蓑を着る百姓のみの考える問題だ、明治二十六年の現代に於いては、学者はすべかららく人間経験の組織の結果に没頭すべきであると考えて居る。併し人間経験の組織化は、決して何処から何処へ或は最大の難問たる何故に、に就て吾人を啓発する処がない。

「生の大法は一因より出発する――此大法を破壊するも亦此一因なりと仏陀は説いた。大釈迦牟尼は実にかかる真理をさえ説き給う」

自分は考えた。此国に於ける科学の教授は遂に仏陀の教えを忘れしむるであろうか。

科学は又答える。「一信仰の生存権の有無は、科学の啓示を受納し之を利用する力の有無に依る。科学は証明し得ぬものを肯定せぬと同様に、合理的に反証し得ぬものを否認せぬ。超自然力(神仏)の論議は人間性の止むを得ざるものとして、科学は承認し且つ憐れむ。其論議が科学の事実と並行線に進む間だけは、汝も、蓑着る百姓と共に論議を続けて差し支えない。併しそれから先はいけない」

それで自分は石仏の微笑の深い諷刺から霊感を求めつつ並行線上の論議を試みる。

近代学問の全傾向、科学教育の全傾向は、古インドの婆羅門バラモンが考えた如く超自然力は人間の祈願を受け付けぬという終局的確信に向いつつある。我等の中にも、西洋の信仰は結局永久に消滅し、我等の心的成年期に達すれば我等をして神に手縁たよらず、自分のみに手縁らんこと、恰も愛情深き母も、遂には其子を手離すに至るが如きであると感知して居る者が少なくない。其遠き将来に於いては、信仰は其役目を果たし終わり、我等をして十分に或る永久の精神的法則を承認せしめ、十分により深い人間同志の同情を成熟せしめ、又十分に寓話や童話や方便の虚偽に依って、深刻な生の真理を会得せしめた上で消滅するであろう。――人間同志の愛の外、神の愛などというもののない事を、世には全能の神も救世主も守護神もないことを、我等には我等自身の外に逃げ場のないことを知らしめた上で。

けれども其遠き将来の日に於いてさえ、数千年前、仏陀に依って与えられた啓示には我等も辟易せざるを得ぬであろう。「己れ己れの灯火たれ。己れ己れの逃げ場たれ。他の逃げ場に赴くことなかれ。仏はただ指導者に過ぎず。真理に縋ること灯火に手縁る如くなれ。逃げ場として真理に縋れ。己れ以外に逃げ場を求むることなかれ

此語驚くべきではないか。けれども天の助け、天の愛という美しい長夜の夢から、茫然と目覚めるという前途も、人間に取って尤も浅ましい前途ではない。もっと浅ましい前途がある。それも東洋の思想に依って暗示されて居る。科学はリヒテルの夢――死んだ子等が父ジーザスを求むれども逢わぬという夢の実現よりも遥かに恐ろしい発見を、我等自ら為すがままに委ねて置くかも知れぬ。唯物論者の信仰否定の中にさえ、或る慰藉の信仰があった――自己断絶の、永久忘却の自信があった。併し現存の思索家にはそんな信仰もない。我等は多分将来、此小世界の上で遭遇するあらゆる難問を征服した後、更に其先きに征服すべき障害が我等を待って居る事を、自ら会得せねばなるまい――如何なる組織の世界よりも洪大な障害が――幾百千万の組織を有する、想像をだも許さぬ全宇宙よりも洪大な障害が待って居る事を、又我等の仕事は今始った計りである事を、そして云うを得ず考えうるを得ざる程の時劫の助力の外には、如何なる助力の影さえも与えられぬことを会得せねばなるまい。我等が逃るることの出来ぬ生死の輪廻は、我等自ら作るもの、我等自ら求むるものなることをいつかは知るであろう――又三千世界を結び付ける力は過去の業障なることを――永久の悲哀は飽くなき願望の永久の飢餓に過ぎざることを――そして又燃え尽くした日輪は死せる生命の不尽不滅の情炎に依ってのみ再び点火せられることを、いつかは知るであろう。