眠れる者の目覚め, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

展望台から


こうして奇妙な時間跳躍の後、疑惑と戦いの道を通り抜け、十九世紀から来たこの男はついにこの複雑な世界の元首という自らの地位へと就いたのだった。

最初、彼が長く深い眠りから目覚めて、その後に救出と評議会の降伏が起きた時、彼は自分の状況をよくわかっていなかった。苦労して彼は自分の頭の中から手がかりを探り出し、起きた出来事全てを思い出したのだった。最初は耳にした物語か本で読んだ何かのように実感がともなわなかった。記憶がはっきりする前でも逃げ出した時の喜び、自分が有名になっていることへの驚きは思い出せた。彼はこの世界の所有者、地球の主人なのだ。この新しい偉大な時代は完璧な意味で彼のものなのだ。彼はもはや自分が体験しているものが夢であることを証明しようとは思わなかった。今では、これは現実だとなんとか自分を納得させようとしていた。

一人の卑屈な侍従が偉そうな侍従長の指示の下、彼の着替えを手伝っていた。侍従長は小柄な男でその顔は彼が日本人であることを示していたが、話し方はイギリス人のようだった。後になって彼は状況についていくらかを学んだ。すでに革命は事実として受け入れられ、都市のいたるところですでに商売が再開されていた。国外では評議会の崩壊はおおむね喜びをもって受け入れられていた。評議会の評判が良い場所はどこにもなく、二百年経ってもまだニューヨークに嫉妬しているアメリカ西部、ロンドン、東洋の国々はグラハムが幽閉されたという報せの二日前にはほぼ全会一致で蜂起していた。パリでは内戦が起きていた。そして世界の残りは固唾を飲みながら宙吊り状態にあったのだ。

朝食をとっていると電話のベルの音が部屋の隅から鳴り響き、オストログの礼儀正しく呼び出す声に侍従長が彼の注意を向けさせた。グラハムは返答するために食事を中断した。間をおかずリンカーンが到着するとすぐにグラハムは、人々と会話し、自分の目の前に開かれた新しい生活についてさらによく知りたいという強い要求を表明した。リンカーンは彼に、三時間ほどしたら公職者とその妻たちによる代表者集会が風向観測所所長の公舎で開かれることを告げた。しかしながら都市の通りを歩きたいというグラハムの要求は現在のところ不可能だった。人々がとてつもなく興奮するからだ。しかし風向観測所管理者の展望台から都市を鳥瞰することはまったく問題ない。そのためにはグラハムは侍従の案内に頼らなければならなかった。リンカーンは侍従に礼儀正しく感謝の言葉を述べながら、一緒に行けないことを謝って、行政の仕事に対する現在の重圧について説明した。

最も巨大な風車よりもさらに高いところにこの展望台は吊るされていた。屋根の上からは優に千フィートはある。ちょうど金属製の透かし細工の槍につけられた小さな円盤状の小片のように、それはケーブルで固定されていた。頂上へ着いたグラハムはワイヤーで吊るされた小さな揺り籠に乗っていた。華奢に見える鉄骨は明かりの灯った空中廊下で、その周囲にはチューブの束が垂れ下がっていた――しばし彼らは上から眺めた――外周のリング状のレールの上をゆっくりと回転していきながら。そこには反射鏡があってそれが風向観測所管理者の鏡と共鳴するのだ。その一つでオストログは彼にその支配の到来を見せたのだった。日本人の侍従は彼の前を進んで登り、二人は一時間近く質問とそれへの返答を繰り返して過ごした。

明るい兆しと春の雰囲気で満ちた一日だった。吹く風は暖かい。空は濃い青色で見渡す限りに広がるロンドンは午前の太陽の下でまばゆいばかりに輝いていた。空気には煙ももやも無く、山あいの渓谷の空気のように甘かった。

評議会議事堂の周囲のいびつな楕円形の廃墟とそこではためく降伏の黒い旗を除けば、上空から見たこの巨大都市に、迅速に起きた革命の痕跡はほとんど無かった。迅速に起きた革命。それによって彼の考えるところでは一昼夜にして世界の運命は変えられたのだった。大勢の人々がいまだこの廃墟の上を群れ動き、遠くには巨大な骨組みの飛行ステージが見えた。平時にはそこからヨーロッパやアメリカのさまざまな巨大都市へと航空便が飛び立つのだろうが、そこもまた勝利した者たちの群れで黒くなっていた。廃墟を横切るようにして渡された橋脚の上の板張りの狭い道では、労働者の集団が評議会議事堂と都市の他の場所との間のケーブルや電線の接続の復旧作業を忙しくおこない、風向観測所の建物からオストログのいる本部を移動させる準備をしていた。

その他の場所では光に照らされた土地に混乱は無かった。混乱している地区と比べればずっと広い地域が平静を保っていて、上から眺めているうちに次第にグラハムは見えないところで何千もの人間が倒れ伏せていることを忘れかけてしまった。いわば地下迷宮の中で人工の強烈な光に照らされて、前夜に負った傷で死んだか死にかけている人間たちだ。忙しく動き回る多くの医者や看護師、担架の担ぎ手たちのいる間に合わせの病室のことも忘れ、また電灯の下での驚きも狼狽も新奇なもののことも全て忘れた。眼下の蟻塚の隠された道を見れば革命が勝利したことはわかった。いたるところを黒色が席巻していた。黒い看板、黒い旗、黒い花綱が通り中に掲げられている。そしてこの場所、清涼な日光の下の、戦いによるクレーターのはるか上空では、この地球上に何も起きていないかのようだった。評議会が支配していた頃から一つ二つと増えていった風向計の森は、その絶え間なく続く役目を果たしながら穏やかにうなり声をあげていた。

遠くには風向計によっていびつなノコギリ歯のような輪郭になったサリー・ヒルズが青くかすかに隆起していた。北の方やもっと近くではハイゲートやマスウェル・ヒルの急峻な輪郭が同じようにいびつにゆがめられている。田園地帯全体、かつては生け垣が絡み合い、山小屋、教会、宿屋、農場家屋が木々の間にたたずんでいたあらゆる山の峰や丘には、彼が目にしたのとよく似た風車があった。この新しい時代の荒涼とした独特のシンボルである巨大な広告塔はその回転する影を投げかけながら、都市の幹線道路の全てへ絶えず流れ去るエネルギーを絶えず蓄えているのだ。そしてそれらの下では、彼の所有物であるイギリス食料企業合同体ブリティッシュ・フード・トラストの飼う無数の羊や牛が、孤独な見張りや飼育員とともに歩き回っている。

眼下の巨大構造物の群れに割り込むような見知った姿はどこにもなかった。セント・ポール大聖堂がまだあることを彼は知っていたが、それも、ウェストミンスターにある古い建物の多くも、見えないところにうずもれていた。この偉大な時代の巨大な発展に飲みこまれ、その頭上を構造物に覆われていたのだ。テムズ川もまた、雑然とした都市に憩いを与える滝や銀のしぶきを生み出してはいない。喉を渇かせた水道管が、ロンドン・ウォールにたどりつく前にその最後の一滴まで飲み干してしまうのだ。洗われて低くなっている河底と河口は今では海水に満ちた運河となっていて、薄汚れたはしけの船頭たちが競い合うようにして重量のある交易品をプール・オブ・ロンドンから労働者たちのすぐ足元まで運んでいた。東の方には大地と空の間に、プール・オブ・ロンドンにいる巨大な船舶のマストの群れがたむろしているのがかすかに見えた。急を要しない重量のある交易品は全て巨大な帆船で地球の果てから運ばれ、緊急性のある重量のある商品にはもっと小さくて速度の速い動力船が使われている。

西の方、丘の上には下水用の海水が流れる巨大な送水路が引かれ、さらに三方向に分かれて青白い線が走っていた――それは幹線道路で、動き回る灰色の点で覆われている。最初の機会が訪れた時に彼は出かけていってそうした幹線道路を見ようと決めたのだった。それは彼が目下、体験している空飛ぶ船の後のことになるだろう。彼に付き添う幹部の説明では、それは対になった百ヤードの幅を持つ緩やかにカーブする舗装路で、それぞれが一方通行になっていて、イーダマイトと呼ばれる物質でできている――これは人工物質で、彼が推測できる限りでは強化ガラスに似ていた。この幹線道路に沿って奇妙な車両の流れが弾丸のように行き交っている。細いゴム製の足回りの乗り物、巨大な一輪、あるいは二輪、四輪の乗り物だ。それらが分速一マイルから六マイルの速度で流れているのだ。鉄道は消え失せていて、わずかな盛土が錆びた王冠を戴いた溝としてあちらこちらに残っているだけだ。いくらかはイーダマイト道路の土台として利用されていた。

中でも最初に彼の注意を引いたのは広告用のバルーンと凧の大船団で、それは旅客飛行機の航路に沿って北と西に向かっていびつな光景を描きながら消えていっていた。大きな飛行機は見当たらなかった。そうしたものの往来は途絶え、小さそうな一機の単葉機がささやかな滑空する点となって遠くサリー・ヒルズの上の青空で円を描いていた。

グラハムがすでに学んだことで彼には想像もつかないと思われたのは、田園地帯のほとんど全ての町、ほとんど全ての村が消え去っていたことだった。彼の理解によれば、いくつかの巨大ホテルのような大建造物が数平方マイルの一様な農地の中にそびえ立ち、そこに町の名前を――ボーンマス、ウエアハム、スワネージといったように――留めているのだった。しかし幹部はこうした変化がなぜ避けがたいものなのかをすばやく彼に納得させた。旧秩序においては田園地帯には農場家屋、支配する地主の二、三マイルごとの地所、それに宿屋や靴屋、食料雑貨店、教会の集まる場所――つまり村が点在するように配置されていた。おおよそ八マイルごとに存在する田舎町には弁護士や雑穀商、羊毛商、馬具屋、獣医、医者、服屋、帽子屋といった人々が住んでいる。八マイルごと――これはたんに商売で行き来する上で八マイル、つまり片道四マイルというのが農民にとってちょうど都合がいいからに過ぎない。しかしすぐに鉄道が操業を始め、その後に軽便鉄道、そして新しく現れた高速な自動車が続いて、荷馬車と馬を置き換え、さらに木材とゴムとイーダマイト、そしてあらゆる種類の弾性耐久素材によって作られた幹線道路が現れるやいなや――こうした短い間隔で市場町がある必要性は消えてしまったのだった。そうして大都市が成長していった。それら都市は尽きることのないように思われる仕事の重力で労働者を引きつけ、無限に広がる労働力の大海を示すことで雇用主を引きつけた。

また生活水準が向上し、生活様式の複雑さが増すに従って、田園地帯での生活はますます高コストになり、また手狭で実行不可能なものに変わっていった。都市に住む専門家たちによって教区牧師や郷士は消滅し、一般開業医は絶滅したが、それは村に残された最後のわずかな文化をも奪い去った。電話、映写機、蓄音機が新聞や書籍、学校教師、手紙を置き換え、電力ケーブルの届く範囲の外で生きるのは孤立した未開人として生きるのと変わらなくなった。田園地帯には(この時代の洗練された概念における)衣服や食べ物を得る手段も無く、急病のための良い医者もおらず、仲間や気晴らしも無いのだ。

さらに農業用の機械装置によって一人のエンジニアは三十人の労働者と等しくなった。そうして、石炭で汚れた空気のせいでロンドンにほとんど人が住めなかった時代の都市の事務員の状況は反転し、今では労働者たちは夜に都市へとやって来てそこでの生活と娯楽を楽しみ、朝になると再び去っていくようになっていた。都市は人類を飲み込み、人間はその発展における新しい段階へと入ったのだ。第一段階は遊牧民と狩猟民、次に農業国家の農耕民が続き、そこには町や都市、港があったが、しかし首都や市場は田園地方にあった。そして今、発明の時代の論理的な帰結としてこの巨大な新しい人間の集合体が存在することとなったのである。

こうしたことは、この時代の人間にとってはたんに事実を述べたものに過ぎなかったが、グラハムの想像力を強くかき立てた。そして「その向こう」の、大陸に存在する目新しいものを垣間見た時、彼は完全に虚を突かれたのだった。

彼が思い描いていたのは都市に次ぐ都市、大平原に広がる都市、大河のほとりの都市、縁海に広がる大都市、雪をいただく山々に取り囲まれた都市だった。地球の大部分では英語が話され、スペイン系アメリカ人、ヒンドゥー、黒人、「ピジン」の方言を合わせれば、実に人類の三分の二がそれを日常言語としていた。大陸では、遠縁の興味深い生き残りとして他に三つの言語が独立して話されていた――アンティオキアやジェノバにまで勢力を伸ばしカディスではスペイン英語としのぎを削り合っているドイツ語、ペルシアやクルディスタンでインド英語と出会ったフランス風ロシア語、そして北京の「ピジン」英語である。またフランス語はいまだに明瞭な輝きを持っていて、明解な言語としてインド英語、ドイツ語とともに地中海地方で使われており、黒人方言を通じてコンゴにまで勢力を伸ばしていた。

そして熱帯の管理された「暗黒ベルト」地帯を除けば、今では都市が存在する地球上のあらゆる場所に同一の国際的社会組織が広がり、極から赤道にいたるあらゆる場所にまで彼の資産と責任は及んでいた。全世界が文明化され、全世界の人間が都市に住み、全世界が彼の所有物だった……。

薄暗い南西の方角ではあの映写蓄音機で見たり、通りで出会った老人が話していた、きらびやかで見慣れない、官能的な、そしてどこか恐ろしげな歓楽都市が光り輝いていた。伝説の都市シバリスを思わせる奇妙な場所、芸術と美、欲得の芸術と欲得の美、不毛で素晴らしき運動と音楽の都市、そこは下層の燃え上がるような迷宮で繰り広げられる熾烈で名誉なき経済闘争によって利潤を手に入れた全ての者が傷を癒やす場所だった。

それが熾烈なものであることを彼は知っていた。どれほど熾烈であるかはこの時代の人々が十九世紀のイングランドを牧歌的で気ままな暮らしの象徴として懐古することからもわかった。彼は再びさっきまで眺めていた光景へと目を移し、その入り組んだ迷路のような巨大工場について考えようとした……。


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