眠れる者の目覚め, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

三日間


リンカーンは飛行ステージの下の小部屋でグラハムを待っていた。彼は、何が起きたかについて興味津々に耳を傾け、グラハムがどれほど飛行を喜び、楽しんだか聞いて満足しているようだった。グラハムは興奮状態だった。「飛び方を学ばなければ」彼は叫んだ。「必ずや習得して見せる。こんな機会もないまま死んだ全てのかわいそうな人たちを哀れに思うよ。あの甘く吹き付ける風! 世界で最もすばらしい体験だ!」

「この新しい時代ですばらしい体験をなさっていくことでしょう」リンカーンは言った。「今、何にご関心があるかわかりませんが、現代の音楽も斬新に感じられると思いますよ」

「今のところは」グラハムは言った。「飛行に夢中だよ。もっと詳しく学ばせて欲しい。学ぶことに対しては何か労働組合の反対があると飛行士が言っていたが」

「あったように思います」リンカーンは言った。「しかしあなたであれば――! それに集中したいのであれば、明日にでもあなたを宣誓済み飛行士にしてみせますよ」

グラハムは自分の希望を強く伝え、しばらくの間、自分がいかに興奮しているかを話し続けた。「ところで状況についてですが」突然、彼は尋ねた。「事態の進行はどうなっているのですか?」

リンカーンは話を逸らした。「オストログが明日あなたにお教えします」彼は言った。「全て落ち着いています。革命は世界中で達成されました。もちろん、あちらこちらでの小競り合いは避けがたいものです。しかしあなたの統治は盤石だ。事態をオストログの手に委ねておけば安心です」

「あなたが言っている宣誓済み飛行士というのに私がなることは可能でしょうか、すぐに――今夜、私が眠る前に?」歩きながらグラハムは言った。「そうできれば明日一番にもう一度……」

「可能だと思いますよ」リンカーンは考え込む様子で答えた。「もちろん可能です。間違いなくそうできるでしょう」彼は笑い声をあげた。「何か娯楽を提案する準備をしていましたが、あなたは自分にぴったりのものを見つけてしまったようですね。ここから航空局に電話して、それから風向観測制御局のあなたの部屋へ戻ることにしましょう。夕食の時間には飛行士になれるでしょう。夕食後の方がよろしいですか――?」彼はそこで口を閉じた。

「ええ」グラハムは言った。

「ダンサーのショーを用意しています――カプリ島から連れて来た連中ですよ」

「バレエは嫌いだ」グラハムは言った。「ずっと前からね。何か他のものを――。とにかくそんなものは見たくないな。昔からダンサーはいましたよ。なんなら古代エジプトにだっていた。だけど飛行は――」

「その通りです」リンカーンは答えた。「しかし現代のダンサーは――」

「彼らは待ってくれますよ」グラハムは言った。「待ってくれますとも。間違いなくね。私はラテン系じゃありません。専門家に聞きたい質問があるんです――この時代の機械に関して。私は夢中になってるんです。娯楽は不要だ」

「この世界はあなたの思いのままです」リンカーンは言った。「あなたが欲するものは何でもあなたのものだ」

アサノが姿を現し、屈強な護衛に付き添われて彼らは都市の通りを抜けてグラハムの部屋へと戻った。出かける時に集まった群衆をはるかに超える群衆が彼の帰宅を見ようと集まっていて、そうした人混みからあがる叫び声や歓声が、グラハムの空の旅をきっかけに始まった際限のない質問に対するリンカーンの答えをときおり飲み込んだ。当初、グラハムは群衆からあがる歓声や叫び声に頭を下げたり手を振ったりして応えていたが、リンカーンは彼にそうした儀礼は間違った振る舞いと捉えられると警告した。そこで、何度も繰り返す儀礼行為にすでに少しうんざりしていたグラハムは人々の前を進む残りの道のりを、自分の臣民を無視して進んだ。

すぐに一行は彼の部屋に到着した。アサノは動いている機械の映像資料を探しに出ていき、リンカーンはグラハムの命令を大小の機械モデルに入力して過去二世紀に起きたさまざまな機械の進歩について説明させた。電信コミュニケーションのための装置の小さな一群は世界の主人の興味を強く惹き、大勢の可愛らしい気の利く若い女性たちによって給仕される準備万端の楽しいディナーはしばらくの間、待ちぼうけを食らわされた。喫煙の習慣は地球上からほとんど完全に消え去っていたが、彼がその道楽を求めると、調査がおこなわれ、フロリダで見つかったとても高品質なタバコがまだディナーがおこなわれている間にも気送管で送られてきた。その後、あの飛行士がやって来て、現代のエンジニアの手による独創的で驚異に満ちた祝宴がくり広げられた。ともかくしばらくの間は、計算機や建設機械、回転エンジン、特許済みの扉、爆発モーター、穀物や水のための昇降機、屠畜用機械、収穫装置の実に巧妙な仕組みがバレエの演目ラ・バヤデールよりもグラハムを魅了したのだった。「私たちは野蛮人だった」と彼は何度も繰り返した。「私たちは野蛮人だった。これに比べれば――石器時代にいたも同じだ……。他にはどんなものがあるんです?」

他にも催眠技術での非常に興味深い進歩について知る応用心理学者たちもやって来た。ミルン・ブラムウェルジョン・ミルン・ブラムウェル(一八五二年五月十一日-一九二五年一月十六日)。スコットランドの医師、催眠療法士。フェヒナーグスタフ・テオドール・フェヒナー(一八〇一年四月十九日-一八八七年十一月十八日)。ドイツの物理学者、心理学者。リエボーアンブロワーズ・オーギュスト・リエボー(一八二三年九月十六日-一九〇四年二月十八日)。フランスの医師、催眠療法士。ウィリアム・ジェームズウィリアム・ジェームズ(一八四二年一月十一日-一九一〇年八月二十六日)。アメリカの哲学者、心理学者。マイヤースフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース(一八四三年二月六日-一九〇一年一月十七日)。イングランドの古典学者、詩人、心霊現象研究者。心霊現象研究協会の設立者として知られる。ガーニーエドマンド・ガーニー(一八四七年三月二十三日-一八八八年六月二十三日)。イングランドの作家、心理学者、心霊現象研究者。の名前は現代では彼らの同時代人を仰天させるほどの評価を得ていることを彼は知った。いくつかの実際的な心理学の応用は今では普通に使用されるものとなっていた。それは医療における薬剤、消毒剤、麻酔剤の大部分を置き換え、何らかの精神的な集中を必要とするほとんど全ての人間に使われていた。人間の能力の真の拡張はどうやらこうした方向で達成されたようだった。「計算少年たち」の妙技マイヤースらによって報告された、知識の無い少年たちが催眠によって高度な計算をおこなった事例を指すと思われる。マイヤース著「Human Personality and its Survival of Bodily Death」を参照。、グラハムが常々注目していたこの催眠奇術師メスメライザーによる驚異は、今では熟練の催眠術師の施術を受ける余裕のある者であれば誰でも手の届くものになっていた。こうした手段によって教育における古臭い試験方法はずっと以前に捨て去られていた。何年にも及ぶ勉強の代わりに受験者は数週間の催眠状態に入り、その催眠状態の間に指導役は適切な解答のために必要な要点全てをただ繰り返し、催眠後にそれら要点を思い出すよう暗示を加えるだけなのだ。とりわけ数学的な作業ではこうした補助は目覚ましい働きをし、現在では、チェスやいまだ見つかる手先の器用さが必要とされるゲームのプレイヤーは絶えずそれを使っていた。実際のところ、有限の規則の下でおこなわれる、準機械的な種類の操作の全ては現在では想像力や感情による迷走から体系的に解放され、比類ないほどの高さの精度にまで達していた。労働階級の小さな子供たちは催眠が可能な年齢になるとすぐに、規則正しく信頼のおける機械管理者へと見事に作り変えられ、長い長い思春期から即座に解放される。めまいに襲われる飛行訓練生はその想像上の恐怖から逃れられた。どの通りにも催眠術師が待ち構えていて、頭に恒久的な記憶を焼き付ける準備をしているのだ。名前や数字の列、歌や演説を憶えたいと思えば、誰でもこのやり方でそれを達成できたし、反対に記憶を消し去ったり、癖を直したり、欲求を消滅させることもできた――実際のところ、いわば精神的外科手術は普通に利用されるようになっていた。侮辱や屈辱的な経験はそうして忘れ去られていた。未亡人は前の夫の記憶を消し去り、怒りに駆られた恋人たちはその奴隷状態から自らを解放する。とはいえ、欲求の移植はいまだ不可能だったし、思考の転送はまだ体系化されていなかった。心理学者たちは、青い服を着た青白い顔の子供たちの一団を使っておこなわれたある驚くべき記憶実験によって自分たちの議論を説明してみせた。

以前いた時代のほとんどの人間と同様にグラハムは催眠術師を信用していなかったが、もし信用していれば多くの苦しい悩みから彼の心は解放されていたのかもしれない。しかしリンカーンが保証したにも関わらず、彼は、催眠にかかるということはある意味で自分の人格を明け渡し、自分の意思を放棄することであるという昔ながらの論理を堅持した。始まったばかりのすばらしい体験の祝宴のさなかで彼は完全に自分自身であり続けることを強く望んでいた。

次の日も、その次の日も、さらにまた次の日も、同じような関心事で過ぎていった。どの日もグラハムは飛行というすばらしく愉快なエンターテイメントに多くの時間を費やしていた。三日目、彼はフランス中部を横断飛行し、雪を頂いたアルプス山脈を目にした。こうした盛んな運動によって彼は安らかな眠りを得られていた。最初に目覚めた時のしおれた無気力状態からほとんど完全に彼は回復していた。そして飛行していない、目覚めている時にはリンカーンが彼を楽しませるために熱心に働いていた。現代の発明における目新しい好奇心をそそる全てのものが彼の前に引き出され、ついには彼の目新しいものへの欲求はほとんど完全に満たされてしまった。紹介された見慣れぬもので十数冊の雑記録を埋めることができるほどだった。毎日、午後になると彼は一時間ほどの御前会議を開くことになっていた。彼はこの時代の人々に対する自分の関心が個人的で親密なものに変わりつつあることに気づいた。最初に彼を警戒させていたのは主にそのよそよそしさと風変わりさだった。彼らの服装の派手派手しさ、彼の考える貴族階級と彼らの立場や振る舞いが一致しないこと、それが彼を不快にさせたのだが、そうした違和感やそこから呼び起こされるかすかな敵対心がどれほど速やかに消え去ったかを思うと彼は驚かされた。なんと速やかに自身の立場の持つ真の意味を彼が認識し、過去のヴィクトリア朝を縁遠い古臭いものに思うようになったことか。気がつくと彼はあの赤い髪の、ヨーロッパ養豚場の経営者の娘をとりわけ愉快に思っていた。二日目の夕食の後、彼はこの時代のダンサーの女性の一人と知り合いになり、彼女が驚くべき芸術家であることに気づいた。またその後には催眠のさらなる驚異を知った。三日目、リンカーンが世界の主人は歓楽都市を訪れるべきだと提案したが、グラハムは丁重にそれを断り、さらに飛行を試している間は催眠術を受けるつもりもないと言った。地元とのつながりが彼をロンドンに留めていた。かつて知っていた場所を特定することに彼は喜びを見いだすようになっていたが、これは海外ではできないことだった。「ここで――いや、ここの百ヤード下で」そう彼は言うのだ。「ロンドン大学にいた頃にはよく昼食にカトレットを食べたものだ。この真下にはウォータールーがあってまぎらわしい列車を苦労して探した。よくあそこに立って待ったものだよ。かばんを手に、信号機の森の上の空を見つめながら。いつの日か百ヤード上空を飛ぶなんて思いもよらなかった。そして今、このかつては灰色の煙で覆われていたまさにその空を、私は単葉機に乗って旋回しているんだ」

この三日間、グラハムはこうした娯楽のことで頭がいっぱいで、彼のいる地区の外で大きな政治的動きが進行していたにも関わらず、ほとんどそれに注意を払っていなかった。周囲の人間は彼にほとんど何も教えなかったのだ。毎日のように、指導者ザ・ボスであり、大宰相であり、宮殿の長であるオストログがやって来て、曖昧な言い回しで彼の支配が着実に確立されていっていることを報告した。「ささいな問題」はこの町ではすぐに解決されるでしょう。「わずかな混乱」が起きているのです。社会的暴動を歌った歌はもはや彼の耳には聞こえてこなかった。それが国内の規制によって禁じられたことを彼が知ることはついぞなく、展望台でのとてつもない感動だけがその頭の中でまどろんでいた。

しかしこの三日間の二日目と三日目、あの養豚場経営者の娘に興味を持ち始めていたというのに、彼は気づくとあの少女のことを思い出していた。あるいはそれは彼女との会話が呼び覚ました考えによるものだったのかも知れない。あのヘレン・ウォットンという娘、あの風向観測所管理者の集まりで彼にとても奇妙な話をした少女のことだ。彼女が残した印象は強いものだったが、新しい環境で絶えず出会う驚きがそのことをしっかり考え直す時間をしばらくの間、彼から奪っていた。しかし今では彼女の記憶ははっきりとした輪郭を持ち始めていた。あの途切れ途切れの半ば忘れかけた言葉で彼女が何を言おうとしていたのか彼は思案した。機械への興味が薄れていくに従って、彼女の瞳のイメージとその顔に浮かんだ真剣な情熱がより鮮明になっていった。ほっそりとした彼女の美しさが彼と目の前の恥ずべき情熱的な誘惑の間に強い力で割り込んでくる。しかし丸三日が過ぎるまで彼が再び彼女に会うことはなかった。


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