社会契約論――政治的権利の諸原則 第二篇, ジャン・ジャック・ルソー

第一章 主権は譲り渡すことができぬ


前述の諸原則から生ずる、第一の、そうして最も重要な結果は、国家設立の目的たる公共の福祉に従って、国家の諸々の力を指導することのできるものは一般意志のみであるということである。けだし個々人の利益が相衝突するからこそ社会の設立が必要になったのだとすれば、社会の設立を可能ならしめたものはこの個々人の利益の一致だからである。この各個人の千差万別の利益の中に存する共通点こそ社会的結合の連鎖なのである。もし全人の利益が一致する点が全然何もないとしたならば、如何なる社会も存在し得ないのである。ところが、この共通の利益に基づいてのみ、社会は統率されねばならぬのである。

だから私は言う。主権は一般意志の行使に外ならんのだから、決してこれを譲り渡すことはできぬ。また主権者は集合体に外ならんのだから、その集合自身においてのみしか代表され得ない。権力なら交付することもできるが、意志を交付することは出来ない。

実際、一個人の意志が何等かの点で一般意志と一致することは不可能でないとしても、少なくもこの一致が恒久的に持続することは不可能である。何となれば、個人の意志はその性質上特権に向い、一般意志は平等に向うからである。いわんや、この一致の保障を得ることは、更に不可能である。この一致がたとえ常に存在すべきであるとしても、それは人力をもって如何ともすべからざる天運だからである。主権者は『余は現在かくかくの人が欲していること、少なくも彼が欲しているであろうことを余もまた欲する』と言うことはできる。けれども、主権者は『この人が明日欲するであろうことを余もまた欲するだろう』と言うことはできぬ。それは意志が未来に関して自縄自縛することは不合理なことであり、如何なる意志も、意志する人の利益に反する事柄を承諾することはできないからである。故に、もし人民が服従することを約すれば、ほんのそれだけの行為によって人民は解体し、人民としての資格を喪失してしまうのである。支配者が生ずると同時に主権者はなくなり、それと同時に政治体はもう破壊されてしまうのである。

これは、主権者が、国家の元首の命令に反対する自由をもちながら、これに反対しない時でも、元首の命令を一般意志と見倣すことができぬという意味ではない。こういう場合には、人民全体が沈黙していれば、人民がそれに同意しておると見てよいのである。そのことはもっと群しく説明して行こうと思う。


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