社会契約論――政治的権利の諸原則 第二篇, ジャン・ジャック・ルソー

第八章 人民


建築家が、大きな建築物を建てる前に、地盤を観測して、その地質が建築物の重みを支えることができるかどうかを吟味するように、賢明な立法者は、最初から、それ自身で善い法律を起草するようなことはしないで、先ず第一に、彼がその法律を与えようとする国民が、果してそれに堪えられるか否かを検査する。プラトンがアルカディア人やキレニア人は、富裕な国民であるから、到底平等の原則を受けいれることはできんと知って、この二つの国民のために法律をつくることを断わったのはそのためである。クレタ島の法律は良いのに人民が悪いのもこのためであって、それはミノスが堕落しきった国民のために法律をつくったからである。

地上に栄えた無数の人民は、決して善い法律に堪える事ができなかったのである。しかも、これに堪えたかも知れぬ人民といえども、その存続期間中それに堪えた時期は極めて短期に過ぎなかったのである。大多数の人民は、個々の人間と同じように、御し易いのは若い時分だけであって、年をとると、どうにも陶治し難くなってしまう。一度び、習慣がついてしまい、偏見が根を張ってしまってからそれを矯正しようとするのは、危険にしてかつ無益な企てである。この人民は、災厄を取り除くために手を触れられるのをすら、しのぶことができないのである。それは馬鹿な勇気のない病人が医師の姿を見て身慄いするのと同じである。

あるいは病気が人間の頭脳を惑乱させて、過去の記憶をすっかり忘却させるように、時々、国家の一生にも、狂暴な時代があって、病気の危機が個人に及ぼすのと同じ影響を革命が国家に及ぼすことがある。その時には、過去の恐怖が忘却に代り、国家は内乱の焔に包まれ、言わばその焼け跡から復活し、死の腕から逃れて、力と若さとを回復するのである。リュクルゴス時代のスパルタがそうであった。タルクィニウス王 Tarquins の後のローマがそうであった。近代では暴君を放逐した後のオランダとスイスがそうであった(オランダがスペインの暴君を放逐し、スイスがオーストリアの暴君を放逐したことを指すのである)。

けれどもこういう事件は滅多にない。それは例外の場合である。その理由は、常に、その例外の国家の特別の組織の中に見出される。しかも、かような事件は、同じ人民に二度と起る気遣いはない。何となれば、人民は野蛮状態に留まっている間は、自らを解放することができるけれども、社会の力が消耗し尽くしてしまえば、もはや自らを解放することはできなくなるからである。そうなってしまえば、動乱によりて人民が滅亡することはあるけれども、革命によりて人民が復活することは不可能である。そこで、人民を拘束している鉄鎖が粉砕されてしまうや否や、その人民は四分五裂して滅亡してしまうのである。事ここに至れば、この人民にとって必要なものは支配者であって解放者ではないのである。自由の人民よ『自由を獲得することはできるが、自由を回復することはできない』という格言を銘記せよ。

青年期 jeunesse と幼年期 enfance とは違っている。人民にも、個々の人間に同じように、青年時代がある。あるいはこれを成年時代と言っても差支えない。人民を法律に従えようと思えばこの時代が来るのを待たねばならぬ。ところが一つの人民の成年時代というものは、常に容易にわかるものではない。もし成年時代が来ないうちに仕事に着手すれば、その仕事は失敗してしまうのである。ある人民には生れるとすぐから政治的訓練を施すことができるが、ある人民は十九世紀たっても政治に適しない。ロシア人の如きは、あまりに早くから開化されたものだから、いつまでたっても本当に開化されずにしまうだろう。ピョートル大帝(Pierre, ロシア建国の祖)は模倣の天才をもっていたが、無から有を創造する真の天才をもっていなかった。彼の施政には幾らか当を得たものもあるが、その大多数は機を得ていない。彼はロシア国民が野蛮であったことを知っていたけれども、まだ開化することができる程成熟していないということは知らなかった。彼はロシア国民が鍛錬を必要としていた時にこれを開化しようとしたのである。彼は、先ずロシア国民をつくらねばならぬ時にあたって、はじめからドイツ国民をつくろうとし、イギリス国民をつくろうとした。彼は、彼の臣民を、事実なれないものになったのだと思いこませて、実際彼等がなれるものにもなれないようにした。それは、フランスの教師が、その生徒を、子供の時から大人物にしようとして、結局つまらぬ人間としてしまうのと同じである。ロシア帝は将来ヨーロッパを征服しようとして、却って自分が征服されるだろう。ロシアの属国あるいは隣国なる韃靼人こそ、やがてロシアの支配者となり、我々の支配者ともなるであろう。この革命は避けがたいもののように思われる。ヨーロッパ諸国の国王達は、ことごとく協力してこの革命を促進している。