社会契約論――政治的権利の諸原則 第四篇, ジャン・ジャック・ルソー

第五章 保民官


国家を構成している各部分の間に、正確な比例を打ちたてることが出来ない場合、あるいは、どうしても取り除くことのできない原因が、各部分間の関係を絶えず変えて行く場合には、他の部分と全く独立した特別の行政官を設けて、各項を真の関係に置き換え、王府と人民、王府と主権者、あるいは、必要な場合には同時に双方の連繋者あるいは中項たらしむる必要がある。

私が保民官 tribunat と呼ぶであろうところの、この団体は、法律と立法権との維持者である。 それは、時としては、ローマの保民官 tribuns du peuple がなしたように、政府に対して主権者を保護する任にあたることがある。また、時としては、今日ヴェニスの十人評議会 le conseil des Dix がなしているように、人民に対して政府を支持する任にあたることがある。しこうしてまた、時としては、スパルタの監察官がなしたように、両者の均衡を維持する任にあたることがある。

保民官トリビューンは、決して、都市国家の構成部分をなすものではない。だから、立法権または執行権を少しでももってはならない。とは言え、それ故にこそ、保民官の権力は絶大なのである。何となれば、保民官は、何もすることができないために、何でも阻止することができるからである。保民官は、法律の擁護者であるから、法律の執行者である王府よりも、法律の作製者である主権者よりも、神聖であり、崇敬される。それは、ローマにおいて、常に全人民を軽蔑していた尊大な貴族パトリシアン が、何等の保護も、裁判権ももっていなかった、この一介の人民の官吏オフイシエ・デュ・プープルには、頭を下げざるを得なかった事実によって明かにわかるのである。

穏健、聡明な保民官は、善良な組織の、最も強固な支柱である。けれども、保民官が、少し力をもち過ぎると、何もかも転覆してしまう。保民官は、その性質上弱過ぎるということはないのであるから、いやしくも保民官が存在している限り、それは保民官として弱すぎることはあり得ないのである。

執行権の調節者に過ぎない保民官が執行権を僭奪し、法律の保護者に過ぎない保民官が法律をつくろうとする時には保民官は暴君に堕してしまう。スパルタが、その風紀を保存していた限りは、危険のなかった監察官エフオールの大なる権力は、一度び腐敗がはじまると、この腐敗を加速的に促進した。スパルタの僭王(暴君)等に殺されたアギス Agis の血は、その後継者によりて復讐された。 監察官エフオール等のこの罪と罰とは、等しく、共和国の滅亡を促進した。しこうして、クレオメネス Cléomène 以後は、スパルタは、もはや物の数にも入れられなくなった。ローマもまた同じ轍を踏んで滅亡した。即ち、保民官は、徐々に権力を獲得して来て、その権力が過大になり、遂に、自由のために設けられた法律の助けを借りて、この自由を破壊した皇帝達の擁護者となった。ヴェニスの十人評議会に至っては、これは、血の法廷であり、貴族パトリシアンにとっても人民にとっても等しく恐怖の的であり、法律の保護というような高尚な使命を全く失って、堕落してしまってからは、ただ、闇の中で、誰にも気が付かれずに闇打ちをするだけのものになってしまっている。

保民官は、政府と同じように、その構成員の数を増すと弱くなる。ローマの保民官は、最初二人で、次に五人となったが、その数を更に倍加しようとした時に、元老院は、彼等が欲するままにさせた。それは、元老院は、保民官が、互いに牽制しあうことを確信していたからであるが、果してその通りだった。

かような恐るべき団体の僭権を防止する最上の手段は、これまで如何なる政府も気の付かなかった手段であるが、それは、この団体を常設的なものとしないで、一定の期間を定めて、その間は保民官をなくすることである。この期間は、悪政を増長せしむるに足る程長くてはならんから、法律によりて、必要に応じて、非常委員によりて、容易に短縮することができるように決めておくことができる。

この方法には、別段不都合はないように私には思われる。何となれば、前に言ったように保民官は、国家組織の一部をなすものでないから、これをやめても国家組織には何の影響も及ぼさぬからである。しこうして、この手段は有効であると私は思う。何となれば、新たに設けられた行政官は、前任者のもっていた権力から出発するのではなくて、法律が彼に与えた権力から出発するのだからである。