宇宙戦争 第一部 火星人の到来, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

金曜日の夜


その金曜日に起きた奇妙で不可思議な出来事の中で私にとって一番印象的だったのは、現代社会の秩序ある普段の暮らしが社会の秩序をひっくり返す一連の出来事の始まりとなめらかに繋がっていたことだ。金曜日の夜、ウォーキングの採砂場の周りにコンパスで五マイルの円を描いたとしよう。死んであの共有地に横たわるステントや何人かの自転車乗りやロンドンから来た人間の親類を除けば、その円の外側にはあの来訪者によって感情や暮らしに影響を受けた者はひとりもいなかったのではないだろうか。もちろんあの円筒については多くの人が耳にして面白半分に話題に上げてはいたが、ドイツへ最後通告を出したら起きるであろうほどの騒ぎは間違いなく起こってはいなかった。

ロンドンではその夜、あの飛翔体が徐々に開いているという哀れなヘンダーソンの電報はデマだと判断されていた。彼に確認の電報が送られたが返信がなかった――彼は殺されていた――ので夕刊では特別編集版を発行しないことが決められた。

五マイルの円の中でさえ、大多数の人々は鈍い反応しか示さなかった。私が話しかけた男女の振る舞いについてはすでに述べた通りだ。その地域の人々はみな、夕食の真っ最中だった。仕事を終えた人々は一日の労働の後の庭仕事をしていたし、子供たちはベッドへ追いやられていた。若者は恋人と逢瀬を楽しみ、学者は座って読書に没頭していた。

おそらく村の通りはざわめきで満ち、酒場では火星人が目新しい話題となっていたことだろう。あちらこちらに話を広める者や、あるいはついさっき起きた事件を目撃した者さえいて、興奮の渦や叫び声、走り回る人々を生み出していた。しかし働き、食べ、飲み、眠るという日課のほとんどは長年続いてきたのと同じようにおこなわれていたのだ――まるで空には火星などという惑星は存在しないとでもいうように。ウォーキングの駅やホーセル、チョブハムでさえそれは同じだった。

ウォーキングの分岐駅では遅い時間になるまで列車がやって来ては去り、あるいは側線へと引き込まれ、乗客は降車して次の列車を待っていた。全てがいつもとほとんど変わらないやり方で続いていた。スミスによる新聞の寡占を切り崩すべく、町からやってきたひとりの少年がその日の午後のニュースが載った新聞を売っていた。貨車のぶつかる音、分岐駅から聞こえる蒸気機関の甲高い音が「火星から来た人間!」という叫び声と混じり合った。九時ごろになると興奮した人々が信じがたい知らせを持って駅にやって来たが引き起こされた騒ぎは酔っぱらいが起こすものと大差なかった。ロンドン行きの列車に揺られる人々は客車の窓の外の暗闇を見つめ、ときたまホーセルの方角からの明滅する閃光のダンスや星空へと立ち昇る赤く輝く薄い煙のベールを目にするだけで野火が起きているという以上の深刻さはなかった。何らかの騒ぎが見て取れたのは共有地の境界あたりだけだったのだ。ウォーキングの境では半ダースほどの別荘が燃えていた。共有地に面した三つの村の家々はどれも明かりがつき、その住人は夜が明けるまで眠らずに過ごしていた。

物見高い群衆はうろうろと居残っていた。人々はやって来たり去ったりして入れ替わっていたが群衆自体はずっと残り、チョブハムやホーセルの橋の上もそれは同じだった。後でわかったことだが冒険心に富んだ一、二人の者が暗闇にまぎれて火星人のすぐ近くまで這い進んでいたが、彼らが戻ってくることはなかった。この時も戦艦のサーチライトのように光線が共有地を動き回り、熱線が追跡の用意を整えていたのだ。そうした出来事を除けば共有地の広大な領域は静かで人気がなく、炭化した死体は星空の下、ひと晩中、そして次の日も横たわったままだった。穴からはハンマーを打つような音が聞こえ、多くの人々がそれを耳にしていた。

これで金曜日の夜がどのような状態だったかはわかったかと思う。我らが古き惑星である地球の表面に、この円筒はまさに毒矢のように突き刺さったのである。しかし毒はまだほとんどその効き目を見せてはいなかった。周りに広がるのはところどころでくすぶる煙を上げる静まった共有地、あちらこちらにねじ曲がった姿勢で横たわる黒く形の定かでない物体だった。そこかしこで茂みや木々が燃えていた。その向こうに興奮の境界があり、その境界より先にはいまだ炎は這い進んではいなかった。世界の他の場所では絶え間なく続く生活がいまだ有史以来と同じように送られていたのだ。次第に血管をつまらせ、神経を鈍らせ、脳を破壊するであろう戦争の熱気はいまだ広まっていなかった。

一晩中、火星人たちは眠ることも飽くこともなく槌音と振動を上げ続けていた。用意していた機械を組み立てていたのだ。ときおり緑白色の煙の噴出が星空へと上がった。

十一時ごろになってホーセルから兵士の部隊がやってきて共有地の境界に沿って非常線を張った。さらに少しすると二番目の部隊がチョブハムから行進してきて共有地の北側に陣取った。インケルマン兵営の数人の将校はその日の早くから共有地にいたが、そのうちのひとりであるイーデン少佐は行方不明だと報告されていた。連隊の大佐がチョブハムの橋まで来て、深夜の群衆にせわしなく質問して回った。軍当局は間違いなく事態の深刻さを鋭敏に感じ取っていたのだ。翌朝の朝刊に載ったように十一時ごろには一隊の軽騎兵、二丁のマキシム機関銃、軽騎兵連隊の四百人がオールダーショットから出発していた。

午前零時を少し過ぎた頃、チャートシーの街道やウォーキングにいた群衆が天から北西の松林に落ちる流れ星を見た。それは緑がかった色をしていて、まるで雷鳴のない稲光のように静かな閃光を放った。これが二番目の円筒だった。


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