統治二論 前篇 ロバート・フィルマー卿の誤れる原理及び根拠の摘発並びに打倒, ジョン・ロック

第一章 奴隷と天賦の自由について


奴隷は人間として卑しい、みじめな身分で、わが国人のように寛大な精神と勇敢な気性の持主とは、全く相容れないものであり、これを英国人、言わんや、「紳士」が擁護するとは、とうてい考えられぬのであるから、私は、この本を知った時、これも世人に、彼等は皆奴隷であり、また、そうあるべきだと説く他の論文同様、かの『ネロ礼讃』(訳註:散逸したローマの詩人ルカーヌス作と称せられる詩、ネロはローマの暴君、三七―六八)式の筆のすさびで、真面目な論文ではないと考えるところであった。しかし、そのいかめしい題目と書翰序文エピツスル、その巻頭を飾る口絵、世人のこの書の出版に対する賞讃などから、私は、著者も出版書肆しょしも大真面目であったと認めざるを得ない。そこで、私は、このロバート・フィルマー卿の『パトリアーカ』を、あれほどのセンセーションをまき起した書物に相応する期待を以って手にし、ていねいに通読したのであった。しかし、私は、ここで大いに驚いたことを告白せざるを得ない。というのは、この書が、元来、全人類を縛りつける強い鎖となることを目的として書かれたものでありながら、実は、一本の砂の綱にすぎないものになってしまっており、一さわぎを起しては人々の眼を盲にし徒に世人を迷わすことを専門の仕事とする輩の役に立つだけで、人間をしばる鎖は、どんなにていねいにやすりをかけ、磨こうとも、肌につけるに気持のよいものではないことを心得ている具眼の士を奴隷化するような力を持っていないからである。

私が、彼自身、君主の絶対権力の擁護者であり、絶対権力崇拝家連中の寵児であるこの書の著者に、こんな無遠慮な口をきくのは礼を失すると思う人があるかも知れないが、私は、ロバート卿のこの書を読んだ後も依然、自分を、法律の許す限り、自由な人間と考えざるを得ない者であって、少なくとも今度だけは、この小文を草する許可を与えてもらいたい。このロバート卿の論文が将来どんな役割を演ずるかを、私以上によく心得ている誰かが、長い冬眠を破って世にあらわれたこの書が、その議論によって世界から一切の自由を拉し去り、今日以後、政治論の「シナイ山上のひながた」(訳註:神がシナイ山上にモーゼを召し、見させた幕屋のひながた『出エジプト記』第二五章四〇節)となり、典型的な代表作となる恐れを著者に明かに示してやらない限り、私がこの文章を草することは間違っていないと思う。ロバート卿の体系は、数語の中に包括される。それは、

あらゆる支配は絶対君主的であり、その根拠は、
生まれつき自由な人間というものはないから

というに尽きる。

君主は絶対権力を神から授与されているという説をかかげて君主に媚びる一群の人々が現れて以来、君主がいかなる法律の規定の下に即位し、統治しようとも、いかなる条件の下に権威を帯びようとも、また、いかに厳粛な宣誓によってこの条件を守るという契約に批准しようとも、一般の人々は天賦の自由を要求する権利を拒否されて来た。 この一群の者は、そうすることによって、全力を尽して臣民を暴政と圧制の最大の不幸に曝させただけでなく、君主そのものの資格を危うくし、その王位を揺がせた(何故ならば、彼等の説によれば、君主たちも、また、唯一人を除いては、皆生まれながら奴隷であり、神権説の定めるところに従って、アダムの直系の相続人に対して臣民であるからである)。彼等は、あたかも、あらゆる支配に戦を挑み、人類社会の根底そのものを覆そうとするかのようである。

しかしながら、彼等が、われわれ一般の人間は生まれながら奴隷であり、これを変える方法はなく、一生涯奴隷の状態を続けなければならぬと言う時、われわれは、彼等のこの主張を、ただ、そう言う彼等の言葉以外に信ずる根拠を持ってはいない。生を享けるのと奴隷になるのとは同時であり、生を終えないかぎり奴隷の状態から解放されることは出来ないわけであるが、彼等がいかに、われわれが神の定めたところによって、他の者の無制限の意志に隷属していると説こうとも、そういうことは聖書のどこにも書かれていないし、また、理性の認めるところでもないのである。隷属! 何と結構な人類の状態であろう。しかし、この連中さえ、ごく最近まで、こういうことを考え出す知恵を持ってはいなかったのだ。ロバート・フィルマー卿は、彼に反対の説の方を新説だと罵倒するが、現代のわが国以外、いつ、どこで、絶対君主権は神の定めたものであると主張した者があったろうか。ロバート卿自身、「ヘイワード、ブラックウッド、バークレー(訳註:いずれも十六世紀初にかけての英国の法学者、王権論者)その他たいていの点では勇敢に君主権を擁護した者も、未だこの点には考えが及ばなくて、異口同音に、人類の天賦の自由、平等を認めて来た」と言っているではないか。

わが国で誰が初めてこの説を提唱し、流行させたか、又これがどんな遺憾な結果を招く因となったかは、私はこれを、歴史家の叙述とスィブソープやマナリング(訳註:共に十七世記前半の聖職者、王権を擁護し、チャールズ一世附きの牧師になる。長期議会、共和政府により投獄迫害される)の時代の人々の記憶にまかせて、ここでは、この議論を最も徹底させ完成させたと一般に認められているロバート・フィルマー卿が、この説を擁護する為どういうことを言っているかを考えてみようと思う。宮廷のフランス語のように上流に時めきたい連中は、皆、ロバート卿を先生とし、彼の簡単な政治体系、即ち、すべての人間は生まれながら奴隷であり、従って、自ら、支配者と支配形態を選択する自由を持ち得ないこと、奴隷は契約、あるいは、同意の権利を持たざるが故に、君主は彼の権力を絶対的に、且つ、神授権によって獲得していること、又アダムと彼以来のすべての君主は絶対君主であったことなどを鵜呑みにしているのである。


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統治二論(ジョン・ロック) 表紙画像
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