一五 ロバート卿は、『アリストテレスの政治学に関する覚書』の序文中で、「人類の天賦の自由は、アダムの創造を否定せずには考えられぬ」と言っているが、私には、アダムが全能の神の手から直接生を享けたというに過ぎないアダムの創造が、どうしてアダムが他の一切のものを支配する権力を与えられたことを意味するのかわからぬ。従って、何故、「天賦の自由を仮定することが、アダムの創造を否定することになる」のかも了解に苦しむところである。それ故、誰か(というのは、われわれの著者自身それだけの誠意を示してくれないから)彼に代って、このわけを明かにしてくれれば、大変有難い次第である。私自身はアダムの創造を信ずる者であるが、同時に、人類の自由を想定することにも何の困難も感じない。アダムは、神の直接の力により、両親の介在なしに、即ち、彼の親たるべき人間が彼の前に存在することなしに、神の好む時に生まれた、というよりは生存を始めたのであった。彼以前に、動物の王たるライオンも、同様に、神の創造によって生まれてきたのであった。神によって、こういう生まれ方をしたというただその事実が、他を支配する権力を与えられたことを意味するならば、われわれの著者の議論からすれば、ライオンも、アダムと同じ位有効な、少なくとも、アダム以上に古い権利を与えられていたと見なければならぬ。然るに、「否」である。そのわけは、他の箇所の文句であるが、「アダムは、神の定めるところによって、彼の資格を得た」からである。即ち、アダムは、単なる創造によって支配権を与えられたのではなかったのである。それならば、アダムが君主となったのは彼のいわゆる「神の定め」たところだったのだから、アダムの創造を否定せずとも人類の自由を想定することは出来る筈である。
一六 しかし、われわれの著者が、「アダムの創造」と「神の定めるところ」とを、どう結びつけているかを考察しよう。ロバート卿は言う。「アダムは、創造されるや否や、神の定めたところにより、臣民は未だ従えてはいなかったが、世界の君主となった。臣民が居ない中は、実際の支配ということは有り得ないが、アダムが彼の子孫の支配者であることは、天賦、自然の権利によって定められたことであり、アダムは、創造以来、事実においてはとにかく、少なくとも素質においては王であったのである」と。ここで、「神の定めるところ」という言葉の説明が欲しいところである。何故ならば、摂理の示すところも、自然の掟の命ずるところも、明確な啓示の明かにするところも、すべて、「神の定めるところ」と言われ得るから。しかし、われわれの著者は、第一の意味、即ち、摂理の示すという意味に用いたのではあるまい。この意味にとれば、「アダムは、自然の権利によって、彼の子孫の支配者となることになっていた」から、創造されるや否や、事実において君主であったことになる。然るに、現実に、支配も行われず、支配すべき臣民もない時、(これは、われわれの著者自身もここで認めている)アダムが神によって、事実において世界の支配者に定められたということは有り得ない。「世界の君主」という言葉も色々の意味に用いられている。全世界の独占的所有者という意味に用いられることがよくある。例えば、われわれの著者は、前掲の序文中の同頁で、次の如く言っている。「アダムは、子孫を殖し、地球を満し、これを征服するように命令を受けると同時に、他のすべての禽獣を支配する権力を与えられ、全世界の君主となった。彼の子孫の一人として、彼の授与か許可を受けるか、彼を継承するか以外には、何物をも所有する権利を持つ者はない」と。ロバート卿自身がこれと対応する箇所でやっているように、「君主」を「世界の所有者」ととり、「神の定めるところ」を「神のアダムへの現実の贈与と啓示的な授与」(『創世記』第一章二八節)ととるならば、彼の議論は次の如くなる。「アダムは、自然の権利によって、子孫の支配者となることに定められていたが故に、神の明確な授与によって、創造されるや否や、世界の所有者となった」と。この議論の進め方には、二つの明白な虚偽が含まれている。先ず、アダムは、創造されるや否や、神からこの授与を受けたというのは、この神の授与は、聖書で、アダムの創造の直ぐ後に出る言葉であるが、エバが作られ、アダムといっしょになった後に始めて、アダムに語られた言葉であることが明かであるから、偽である。こういうわけであるから、どうして、アダムが創造されるや否や、君主となったと言い得よう。殊にわれわれの著者は、神がエバに告げた「汝は夫をしたい、彼は汝を治めん」(『創世記』第三章六節)を「支配権の最初の授与」としているようであるが、これが語られたのは堕落以後であって、創造の時から、少なくとも、時間的にいくらか距っており、境遇的に言えば、はるかに距っているから、「アダムは創造されるや否や、神の定めるところによって、世界の君主となった」とは言い得ない筈である。次に、アダムが創造されるや否や世界の君主となったということが正しいとしても、われわれの著者が与える理由は、これの説明とはならない。「アダムは、自然の権利によって、子孫の支配者となることに定められていたが故に、神の明確な授与によって、創造されるや否や、世界の君主であった」という推論は、アダムが生まれながら支配権を与えられていたのなら、明確な授与の必要はない筈であるし、少なくとも、支配権を与えられたからと言って、明確な授与の行われた証明にはならぬから、誤りである。
一七 ひるがえって、「神の定めるところ」を自然の掟(もっとも、ここで、「自然の掟」を「神の定めるところ」の代りに用いるのは、すこし耳障りである)ととり、「世界の君主」を人類の至上の支配者ととっても、文意はたいして明瞭にはならない。この解釈によれば、問題の一句は次の如くなる。「アダムは、自然の権利によって、彼の子孫の支配者となることに定められたが故に、自然の掟によって人類の支配者になった」と。これは、自然の権利によって支配者であるから、自然の権利によって支配者となったと言うに等しい。しかし、人が自然の権利によって、彼の子供の支配者であることが認められたとしても、すぐ「アダムは創造されるや否や君主となった」とは言い得ない。何故ならば、この自然の権利とは、彼が彼の子供の父たる点に存するのであるから、彼が父であったより以前に、父たることによってのみ得られる「支配者たるの天賦の権利」を得たとは考えられぬから。まさか、彼が父たる以前に父であり、権利を持つ以前に権利を持っていたと言うのではあるまい。
一八 ロバート卿は、この反駁を予想して、甚だ論理的に、「アダムは行為においてではなく、素質において支配者であった」と答える。これは、支配しない支配者、子のない父、臣民を持たぬ王というのと同じであるが、うまい言い方をしたものである。この言い方によれば、ロバート卿は、彼の著述をなす以前に著者であった――「行為においてはとにかく、素質においては」。そのわけは、彼がひとたび彼の著書を著わした時に、「天賦自然の権利によって」著者たることが許されたと言えるのは、アダムが子供を儲けた時に、「子供の支配者となる」ことが許されるのと同程度であるから。こういう「世界の君主」――「行為において」でなく、「素質において」の――が世界の君主として通るならば、ロバート卿が適当と思ういく人かの友人にこの種類の君主の称号を与えたとしても、私はたいして彼等を羨ましがらないであろう。この「行為」、「素質」の文字は、われわれの著者の言葉の使い分けの妙を示す以外に何か意味があるのかも知れないが、ここでは、彼に都合のよい言葉ではないのである。問題は、アダムが実際に支配権を振ったかどうかにあるのでなく、実際に、支配者たるの資格を持っていたかどうかにあるのであるから。「アダムは、自然の権利によって、支配者たることに定められていた」とわれわれの著者は言うが、この、自然の権利とは、そもそも何であるか、彼は、グロティウス(訳註:オランダの法律学者、自然法の開祖、一五八三―一六四五)のいわゆる、父が子を儲けることによって得る子を支配する権利であるというが、それならば、この権利は、子を儲けることによって生ずるわけで、子を儲けた後に得られるものである。従って、われわれの著者の論法によって、微妙な言い方をすれば、「アダムは、創造されるや否や、行為においてではなく、ただ、素質において、」資格を持っていたわけである。これは、平易な言葉で言えば、「彼は実際には、何の権利も持っていなかった」ということになる。
一九 もうすこし平たく、もうすこしわかり易く言えば、「アダムは、子を儲けることが可能であり、可能であることによって、これから生ずる子を支配する天賦の権利――その内容が何であれ ――をも穫得することが可能であることから、支配者たることにも可能な立場にある」となろう。しかし、このこととアダム創造の事実との間に、われわれの著者をして、「アダムは、創造されるや否や、世界の君主であった」と言わせる程の関係があるであろうか。もし、関係があると言うならば、ノアだって、自分の子孫を除くすべての人より長命の可能性(可能性を持つことは、われわれの著者においては、十分、君主、素質においての君主を作るに足る)を持っていたのであるから、彼についても、「ノアは、生まれるや否や、世界の君主であった」と言われ得るだろう。即ち、アダムの創造と彼の支配権との間に、「人類の天賦の自由は、アダムの創造を否定せずには考えられぬ」程の必然的関係があったとは、私には遺憾ながらわからない。また、「神の定めるところ云々」の文字が、これにどんな説明を施そうと、綴合せて多少とも意味を持つ、少なくとも、結論たる「アダムは、創造されるや否や、行為においてではなく、素質において王であった」(即ち、実際には、王でなかった)というわれわれの著者の主張を立証するに足るだけの意味を持つとは私には思われない。
二〇 私は、議論の重要性が必要とする以上にながく問題の一句に拘泥して、読者を退屈させたかも知れぬ。しかし、われわれの著者のように、いくつもの仮説を、しかも、紛らわしくて曖昧な言葉で、雑然と並べ、私がその間違いを示すにも、一々の言葉の一々の意味を吟味し、多数の中でいずれを取れば、まとまった脈絡を持つ文章になるかを考えた上でしなければならぬ程混乱した文章を書く者が相手では、真にやむを得なかったのである。現に、われわれが今、問題にしている「アダムは創造から(原文は from creation)王であった」という主張にしろ、この「創造から」という文字が、その前にある言葉「アダムは、創造されるや否や、君主であった」が意味するように、「創造以来」ととるべきか、(勿論そう取って差しつかえない)それとも、「人は創造されたという事実によって、彼の子孫の君主となった」とあるように、「創造が原因となって」ととるべきかを調べた上でなければ論ぜられぬ。更に、アダムが、王になったことの真偽を決する為には、王というものが、この一句の最初の数語が説くように、その「個人的支配権」即ち、神の明確な授与によって、「神の定めるところに従って世界の君主となった」という仮説に基づくものなのか、それとも、元来、自然の権利によって父に与えられている子を支配する権力に基づくものなのか、あるいは、その両方であるのか、あるいは、そのいずれでもなく、アダムが創造されたという事実によって、両者とは異なった方法で君主となったのかを調べなければならぬ。この「アダムは創造から王であった」という主張は、いかなる意味でも間違っているが、その前の言葉から引き出される明瞭な結論であるかのようになっている。しかし、これは、実は、単に一つの主張に過ぎないもので、これを他の同種の主張と、曖昧で不明瞭な言葉を以って、自信たっぷり、つなぎ合せて、議論らしく見せたまでである。そこには、何の脈絡も証明もないのであるが、これは、われわれの著者のよくやる手であって、その見本は、ここで既に御覧に入れたから、今後は、議論上どうしても必要な場合以外は、これに触れることはやめる。実は、ここでも、その意志はなかったのであるが、私は、証明を伴わぬ支離滅裂の内容や仮説がうまい言葉ともっともらしい表現で巧に言い現わされれば、注意深く吟味しない限り、強力な論証、立派な良識として通用し勝ちなことを世人に知らせたかったのである。