統治二論 後篇 社会政治の真の起源、限界及び目的に関する論文, ジョン・ロック

第六章 父権について


五二 この種の論文において、世間に既に認められている言葉や名称にけちをつけることは、あるいはぶしつけな批判だと非難されるかも知れない。しかしそれでも、もし古い言葉が人を過らせやすい時には、新しい言葉を提供することは恐らく不都合なことではあるまい。例えば父権という言葉が多分人を過らせて来たことと思う。その言葉は両親の子供達に対する権力を全く父親にあるものとして、まるで母親はそれに与からぬかのように定めているらしい。ところが、もしもわれわれが理性や天啓の意見を求めて考えてみれば、母親も同等の権利があることが分るであろうし、そうすれば、その言葉は親権と呼んだ方がもっと適切ではなかったのではないかと、尋ねてよい理由が一つ与えられるかも知れない。即ち自然と生みの権利とがいかなる義務を子供に課しても、その義務は確かに子供をば、その義務を生ぜしめる父と母という並立する二つの原因に等しく拘束せねばならぬ。従って神の成文法の到る処で子供の従順を命じている時、父と母とが区別されずに結び合わされているのをわれわれは見るのである。例えば「汝の父母を敬え」(『出エジプト記』第二〇章一二節)、「すべてその父またはその母を呪う者は……」(『レビ記』第二〇章九節)、「汝らおのおのその父を畏れ……」(『レビ記』第一九章三節)、「子たる者よ、汝ら……両親に従え」(『エペソ書』第六章一節)等のように新旧約聖書の文体がなっている。

五三 別に深く問題を探求しなくても、この一事に充分の考慮が払われさえすれば、恐らく人々はこの親の権利について彼等が犯したような悲しい誤りに陥らないですんだであろう。この親の権利は「父権」という名称の下に、専ら父親の持つ権利であるように見えた時には、絶対支配権とか君主権とか呼ばれても、大して耳障りに聞えないかも知れない。だがもしもいわゆる子供達に対する絶対権力なるものが親権と呼ばれ、そう呼ばれることによって母親にも属する権力であることを暴露したとすれば、それは奇妙にしか聞えなかっただろうし、絶対支配権という名前自体において不合理を露顕したことになろう。即ち母親も父権と呼ばれるものに与かるべきであるということは、あのように彼等のいわゆる父たるの絶対権力及び権威を主張する人々にとっては、誠に都合悪いことになるであろう。また親権という名前そのものによって、彼等が唯一人の支配の根拠にしようとする基本的権威が一人ではなくて二人の人間に連帯的に置かれていることが明かになると、それは彼等が主張する絶対君主権を擁護するどころか、不利に陥らしめることになったろう。だがこの名称の問題などは閑話休題としておこう。

五四 私は前に(第二章で)「人は皆、自然の状態においては平等である」と述べたが、誰も私があらゆる種類の「平等」を意味するとはとるまい。年齢や徳によって人には当然優越が与えられる。優秀な才能や功労によって一般人の水準以上におかれる者もあろう。ある時は氏素性が、ある時は同盟もしくは恩恵が人をして、自然の情、感謝の念、あるいはその他の顧慮から当然払わるべき敬意をある人々に対して表せしめてもよいのである。しかもこのことはいずれも、甲が乙に対して払う支配権などに比較して言えば、万人が平等であるということと矛盾しないのである。何故なら、平等とは第二章で問題とされていた事柄に(訳註:自然の状態)特有のものとして、私が語った状態だからである。即ちいかなる他人の意志や権威にも服従せしめられないで、自然の状態における自由を、各人が平等に享受し得る権利こそ、私の言う平等のいいなのである。

五五 実を言えば子供達は生れながらにしてこの完全に平等な状態にあるのではない。彼等はやがてそうなるべき身として生れるのであるが。彼等の誕生当時、及びその後しばらくの間は、両親が彼等に対して一種の支配と制裁権とを有するが、それは一時的なものにすぎない。この服従のきずなは赤ん坊を巻き纏う産衣の如きものであり、これが柔弱な幼年時代の彼等の身体を包んで保護してやる。成長するにつれて年齢と理性の力によってその絆は弛められ、遂には完全に脱落して、後には自分の自由に行動出来る成人がのこる。

五六 アダムは完全な人間として創造され、肉体は力を、精神は理性を完全に所有していたので、生れ出た最初の瞬間から自分の生命を支え、保存すべき糧を用意し、神が体内に植えつけた理性の法則に従って自分の行動を制御することが出来た。彼以来世界には彼の子孫が住むようになり、それらは皆、生れた時は子供で、柔弱で無力であり、知識も悟性もない。しかし成長して年齢をとれば子供達も改善されて、この不完全な状態における欠点をなくしてしまうのだが、それまではこれを補うために、アダムとエバ、及びその後の両親は皆、彼等の生んだ子供を彼等自身の作品としてではなく、彼等自身の創造者、全能の神の作品として保存し、養育し、教育すべき義務を自然の理法によって授けられた。彼等は子供のことについては神に責任を負わねばならなかったのである。

五七 アダムを支配すべき法則は彼の子孫をことごとく支配すべき法則と同一であり、それは理性の法則であった。しかし彼の子孫は彼とは別の方法で、即ち自然出産によってこの世に生れ出て来たので、その結果として、生来無知であり、理性を使わないため、生れて直ちには、その法則に従えなかった。けだし自分に対して発布された法則でなければ、誰も服することは出来ぬ。それにこの法則はただ理性のみによって発布され、公表されるものであるから、まだ自分の理性を行使するまでに達していない者は、この法則に支配されているとは言い難い。そしてアダムの子孫達は生れるや否や、直ちにこの理性の法則に支配されているのではないから、直ちには自由にならなかったのである。即ち法とは真の概念においては、自由であり且つ良識的な行為者に対しては、彼等自身の利害を制限するより、むしろそれを指導するのである。そしてその法の支配の下に人々の一般の福祉を指図する以上に出るものではない。もし彼等がこの法則がない方がもっと幸福になれるのなら、それは無用のものとして自ら消滅してしまうであろう。われわれをただ沼地や断崖の危険から防ぐ障壁を束縛の名で呼ぶことは当らない。故に、いかに間違った立法がなされることがあっても、法律の目的は自由を廃止したり、抑圧したりするのではなく、自由を保存し、拡大するにあるのである。何となれば、法則に従う能力を持つ、被造物たる人間のあらゆる生活状態においては、法則がないところに自由はないのである。そして自由とは他人からの抑圧とか暴力を免れることであるから、この種の自由は法則のないところではあり得ないのである。それは前述の如き、「誰でも自分の好きなことをしてよい自由」ではないのだ。何故なら、もし人が自分以外のあらゆる人の気分に支配されるとしたら、どうして自由であり得ようか? そうではなくて、自由とは自分が従っている法則の許す範囲内において、好きなままに自分の身体、行動、所有物及び全私有財産を自由に処理し、調節し得る状態、そしてそこにおいて他人の気ままな意志に服従せずに、自由に自分の意志に従い得る状態である。

五八 そして両親が子供達に対して有する権力は、彼等が生んだ子が、まだ幼年期という不完全な状態にある間、その世話を見なければならぬという、彼等に課せられている義務から生ずるものである。まだ無知な、未成熟は状態にある間は、理性がそれに取って代って、そういう手数をはぶいてくれるまで、彼等の頭をつくり、その行動を統御してやることは、子供達の欲するところであり、両親もそうすべき義務がある。即ち神は人間に、己の行動を律すべき悟性を与え給うことによって、彼を支配するその理法の圏内での意志の自由と行動の自由を、本来人間の悟性に属するものとして、許し給うたのである。しかし彼の意志を律すべき、自分自身の悟性を持っていない状態にあっては、彼が従うべき自分自身の意志を持つことは出来ないのである。その時には彼のために悟性を働かせてくれる人が、また彼のために意志を働かせねばならぬ。その人が彼の意志に指図を与え、彼の行動を取り締まる。しかし彼の父親を自由人にさせた状態に彼が達すれば、息子たる彼もまた自由人となるのである。

五九 このことは自然の理法であれ、民法であれ、人間を支配するあらゆる法則に当てはまる。ある人間が自然の理法の支配下にあると仮定して、何が彼をその理法の自由人たらしめたか? 即ち何が彼にその理法の圏内で自分の意志に従って、己の私有財産を自由に処理し得る権利を与えたか? 私は答える――それはその理法をわきまえると考えられる状態、従って自分の行動をその理法の圏内にとどめ得る状態であると。その状態に達した時には、彼はその理法がどの程度まで自分を導かねばならぬか、彼がどの程度まで自分の自由を利用してよいかを知っていると見做され、かくして自由を持つに至る。それまでは誰か他の人が彼を導かねばならぬし、その人は理法がどの程度の自由を許すかを知っていると見做される。もしこのような理性の状態、このような分別の年頃が彼を自由にしたのなら、彼の息子も同じことによって、将来自由になるだろう。次にある人がイギリスの法律の支配下にあると仮定して、何が彼をその法律の自由市民たらしめたか? 即ち何がその法律の許す圏内で自分自身の意志に従って、自由に己の行動、所有物を処理し得るようにしたか? それはその法律をわきまえる能力である。イギリスの法律によっては、それは二十一才の時、場合によってはもっと以前だと仮定されている。もしこうして父親が自由になったのなら、息子もまた将来自由になるだろう。それまでは法律は息子に意志を持つことを許さず、彼は彼の父親か、または後見人の意志によって導かれねばならぬ。その人が彼のために悟性を働かせてくれるようになっているのである。そしてもし父親が死んで、この仕事を委任される代理者を代りに作っておかなければ、言いかえれば息子の未成年の間、即ち悟性に欠けている間、彼を統御する保護者を用意しておかなかったなら、法律が面倒を見て、それを作ってくれる。即ち彼が自由の状態に達し、彼の悟性が自分の意志を支配するに適するようになるまでは、誰か他の者が彼を統御し、彼の意志とならねばならぬ。しかしそれ以後は父親と息子は、あたかも教師と未成年を過ぎた生徒とがそうである如く、等しく自由であり、同じ法律に平等に従う。そして二人が単に自然の状態の下にあり、自然の理法の支配下にあるにせよ、一国、一政府の成文法の支配下にあるにせよ、もはや父親にはその息子の生命、自由、財産に対する支配権は少しも残されていないのである。

六〇 しかし、もしたまたま自然に恵まれないで、満足に育たなかったために、普通なら法律をわきまえ、その規則に外れずに生活出来ると思われてよい時になっても、その程度の理性を持つようにならない人があれば、その人は自由人になることは出来ず、従って自分自身の意志のままに振舞うように放任されるわけにゆかない。何故なら、彼は自分の意志に対する限界を知らず、意志の適当な指導者たる悟性を持たないからである。自分自身の悟性がそういう任に堪えられない間は、ずっとつづけて他人の保護支配を受けるのである。だから狂人や白痴はその両親の支配から釈放されない。「自分自身を導くべき正しい理性を行使し得る年齢に未だ到達しない子供、いやしくもそういう理性を行使することを、生来の欠陥によって不可能ならしめられている白痴、第三に、当分はとてもそういう理性を行使出来そうもない狂人、この三者は、彼等の保護者たる他人を指導すべき理性を、彼等の指導者として持ち、それによって自分達の利益を求め、獲得してもらう」とフッカーが言っている(『教会政治』第一巻七節)。以上はすべて神と自然が人間に対して、他の被造物に対してと同じく、自分の生んだ子供を、彼等が自力で生計を立てられるようになるまで保護してやるために、課した義務に他ならぬと思われる。それが両親の王者としての権威の実例や証拠となることはまずないだろう。

六一 かくてわれわれは生れながらにして自由であり、理性的である。ただ自由にせよ、理性にせよ、生れながらにして実際に行使出来るものではないのである。年齢をとるに従って後者が与えられると、それに伴って前者もまた生ずるのである。このようにしていかに人間の生れながらの自然の自由と両親への服従とが両立し、共に同一の原理に基づくものであるかが分るであろう。子供は父親の持つ資格によって、即ち父親の悟性によって自由なのであり、子供が自分自身の悟性を得るまでは、それに支配されねばならぬ。人間が分別のつく年頃になっての自由と、まだ分別のつかぬ間の子供の両親への服従とは決して矛盾せず、明かに区別し得べきものである。従っていかに盲目的に、「父親たるの権利によって」絶対君主権の擁護論を戦わす者も、これを見落すことは出来ない。いかに強情であっても、これを承認しないわけにはゆかない。何故なら、たとえ彼等の学説がことごとく真理であったとしても、そしてアダムの正当な相続人が今日知られて、その資格によって君主の位に即き、ロバート卿が述べているような、絶対的な、無制限な権利をすべて授けられたとしても、彼が、自分の子供の生れるや否や、死んでしまえば、どうであろうか? 彼の子供はその時程、自由であり、万人に卓越した時はなかったにも拘らず、年齢を重ね、教育を受けることによって、自分自身及び他人を支配し得る理性と能力を獲得するまでは、母親と乳母、保護者と監督者に服従せねばならぬのではないか? 彼の生活の必要品、身体の健康、頭脳の知識を得るためには、彼は自分自身の意志ではなくて、他人の意志に指導される必要があろう。けれども、この拘束、服従は彼が相続すべき権利を持ったところの自由、主権と矛盾し、それを彼から奪うことになったとか、あるいはそれらが未成年時代の彼を支配した者に彼の統治権を譲渡することになったとか、考える者があるだろうか? この、彼に対する支配は、彼が自由、主権をそれだけ立派に、早く持つことになるための準備であったのにすぎない。もし誰かが、私の息子がいつ自由人たる適齢に達するか、と尋ねたら、私は、それは丁度息子の君主が統治者たる適齢に達する時だと答えるだろう。賢明なフッカーは言っている――(『教会政治』第一巻六節)「しかし、いつ人間は、当然自分の行動の指導者たるべき法則に対する理解力を充分に与えてくれるだけの理性を、行使するやうになったと言えるだろうか? この問題は常識で見分ける方が、どんな人でも、分別や学識によって決定するよりも遥かに容易である」と。

六二 国家自体も国民が初めて自由人として行動し得るようになる時期に注意し、それを認めている。従ってそれまでは、忠誠、恭順の誓、その他彼等の国の政府に対する承認、服従の公式の表示を要求しない。

六三 そして人間の自由、即ち自分自身の意志に従って行動し得る自由は、人間が理性を持っていることに根拠をおいている。その理性が人間に己を律すべき法則を教え、どの程度まで自分の意志を自由に行使することを許されているかを知らせてくれるからである。人間が己を導く理性を持つ前に無制限な自由に放任されることは、自由であるという天性の特権を許すことではなく、人間を獣の間にほうり出し、獣に劣らずみじめな、人間以下の状態に見捨てることになる。これだからこそ、両親の手に、子供達の未成年の時代を支配する権限が委ねられるのである。神は両親に、その生んだ子に対してこのような監督をするという仕事を与え給うた。また神は両親の心に慈愛と関心という二つの性向を与え給うたが、それは親の支配権を和らげるに適している。即ちそれは子供が親の支配権に従うを要する限り、親がこの権利を神の叡智の定め通りに、子供の福祉のために使うにふさわしい性向である。

六四 しかしこのことからいかなる理由で、両親がその生んだ子に対して当然行うべき、この監督を押し進めて、父親の絶対専制支配にまで持ってゆくことが出来ようか? 父親の権力とは、子供達にこの上もなく有効と思われる躾をすることによって、彼等が自他共々に対して最も有用な人物となる最善の適性を与えるように、肉体には力と健康を、精神には勇気と正直とを与える程度のものにすぎない。またそれは、父親の状況から必要ともなれば、子供達が大きくなった時には、生活の資を自ら働いて稼げるようにしてやる程のものである。しかもこの権力には母親もまた父親と共に与かるのである。

六五 否、それのみならず、この権力は何か特別の自然の権利によってではなく、ただ父親が彼の子供達の保護者であることによって、彼に属するにすぎないものであるから、彼が子供達を監督するのを止めれば、彼の、子供達に対する権利も失われる。その権力は子供達を養育し、教育する限り、それに伴って存続し、そのことに不可分に附け加えられている。従ってそれは子供の実父のみでなく、捨子の養父の権力である。もしも人が彼の子女に対して見てやる面倒が単に彼等を生むということで終ってしまい、これだけが父親としての名と権威を持つことを許す資格のすべてであるのなら、この行為だけでは彼等に対して極めて僅かの権力をしか持つことを認められないのである。例えば世界の中で一人の婦人が一時に一人以上の夫を持つ地方では、この父権はどうなるだろうか? またアメリカで往々起ることだが、夫と妻が別れる時、子供達が皆母親の手許に残され、母親にしたがい、全く母親の監督と養育の下におかれるような地方では、父権はどうなるであろうか? 更に、もし父親が生きていれば子供達は彼に対して服従の義務を負う筈なのに、彼等の幼年時代に父親が死ねば、同じ義務を母親に対して負わねばならなくなるのが、どこにおいても自然ではないか? だからとて、母親が子供達に対して立法権を持つべきだとか、彼等を絶えず拘束すべき恒久的法則を定め、そして、その法則に基づいてこそ子供達は彼等の私有財産に関する諸事をことごとく調整し、全生涯を通じて自分達の自由を制限すべきであるとか、あるいは母親はこの法則の遵守を死刑を以て強制出来るとか言う者があるだろうか? というのは、これではまるで為政者が本来所有すべき権力であり、父親はその微塵をだに有しないものである。彼の子供達に対する支配は一時的のものにすぎず、彼等の生命や財産にまで力を及ぼすものではない。それは子供達の未成年の時代の柔弱と不完全の助けとなり、彼等の教育に必要な躾となるものにすぎない。子供達が欠乏のため死ぬような危険になければ、父親は彼自身の所有物を好きなように処分して構わない。だが彼の権力も、子供達自身の勤労の結果として、あるいは他人の仁愛のお蔭で彼等のものとなった生命や財産にまでは及ばないし、また彼等が一度分別ある年頃の解放の時期に到達すれば、その自由を父親はどうすることも出来ないのである。その時には父親の主権は終りを告げ、それ以後、彼は他人の自由と同様、息子の自由をも勝手に奪うことは出来なくなる。それは絶対的、恒久的支配権などとは大違いでなければならず、人は神の権威から「父母を捨てて妻と結びつく」権利を許されているのだから、父親の支配を脱して構わないのであろう。

六六 しかし、父親自身がいかなる他人の意志にも服従することがないのと同様、子供もある時期に達すれば、父親の意志と支配に服従することなく、親子双方とも、自然の理法であれ、その国の国法であれ、二人に共通な拘束以外には隷属しないようになる。けれどもこの自由が認められるからと言って、決して息子は神と自然の理法に従ってその両親に対し敬意を表すべきであるという義務を免れることは出来ない。神は両親を、人類を存続せしめんとする神の偉大な計画に使われるべき道具となし、また彼等の子供達に生命を附与するための好機となし給うたからである。神は両親にその生んだ子を養育し、保護し、教育する義務を課し給たように、子供達には両親を尊敬すべしという永久的な義務を課し給うた。この尊敬とは、その中にすべての外面上の表現によって示されるべき心の中の敬服と崇拝の念を蔵している。子供が自分に幸福と生命とを授けてくれた両親の同じ幸福、生命をいやしくも傷つけ、辱しめ、あるいは妨げ、危うくするようなことをせず、自分が生れ出で、何等か人生を享楽することが出来るようになった恩人たる両親を護り、救い、助け、楽しませるように、あらゆることを行おうとするのは、この尊敬の念に拘束された結果である。子供はどんな状態にあっても、いかに自由を享受しても、この義務から解放されることはあり得ない。しかしこのことは、両親に、子供達に対する支配権、即ち勝手に法律を設けて、好きなままに彼等の生命や自由を処分し得る権利を与えることとは大変な相違がある。尊敬、敬意、感謝、援助の念を抱かせることと、絶対的な恭順と服従を要求することとは全く別のことである。玉座に即いた君主も両親に対して払われるべき尊敬の念を彼の母親に示す義務があるが、それだからと言って、このことは決して君主の権威を弱めたり、彼を母親の支配に服従せしめたりすることにはならないのだ。

六七 未成年者の服従は父親に、その子供の未成年時代が終れば共に終ってしまうような、一時的な支配権を与える。一方、子供が当然支払うべき尊敬の念によって、両親は敬意、崇拝、支持、服従を恒久的に受けるべき権利を認められる。その権利はそれまでの父親の教育における監督、犠牲、親切の多少に正比例する。そしてこの権利は子供の未成年時代が終ってもなくならず、人間の一生のあらゆる部分、状態を通じて拘束力を有する。この父親の有する二種の権力、即ち子供の未成年時代の保護を行い得る権利と、一生を通じて敬意を受けるべき権利の見分けがつかなかったことが、恐らくはこの問題についての誤謬の大部分が犯された原因かも知れない。けだしこの二権力について正しく言ってみれば、その前者は父権という特権であるよりもむしろ子供の特典であり、親の義務である。子供達を養育し、教育することは、彼等のために両親が是非せねばならぬ義務である。従って両親は何によっても子供の養育、教育に気をつけるべき義務から解放されない。他方、子供達を支配し、懲罰し得る権力はこの義務がある限り、それに伴って存続するのではあるが、神は人生の本質の中に、自分の生んだ子に対する愛情を織込んだので、両親が余りにも苛酷に権力を行使するおそれはほとんどない。即ち苛酷の側に度を過すことは、愛情という人性の強い傾向が反対側に引張るので、滅多にないのである。故に全能なる神はよくイスラエル人に対して優しい仕打ちを示し給たが、その時の神の御言葉に、神は彼等を戒め給うたが、「人のその子を戒むる如く、神彼等を戒めたもうなり」(『申命記』第八章五節)とある――即ち神は愛情と慈悲を以てし、従って、一見苛酷な懲罰を下し給うたようだが、それは、実は、彼等に対して完全な意味での最善をはかり給うたにすぎない。そして、逆に、もし神の粛正の手が緩めば却って不親切になっただろう。両親の骨折と苦心が増大したり、恩を仇で報いられることがないようにと、子供達に従順が命ぜられるのは、この意味での親の権力に対してである。

六八 反対に、子供が親から受取った恩恵の返礼として、感謝の念が要求するところの尊敬や支持などはすべて子供にとっては必須の義務であり、両親にとっては当然の特権である。これが両親の利益のために充てられているのは、丁度他方両親の監督が子供の利益のためであるのに似ている。もっとも幼年時代の無知と柔弱が拘束と矯正を必要とし、それが明かに支配と一種の主権の行使であるからには、教育は両親の義務であるとは言うものの、極めて強大な権力を有するように見える。そして恩義感は年少者よりも成長した子供の方が強いが、「尊敬」という語に包含される義務は子供が成長する程、従順を要求しなくなる。即ち「子供達よ、汝の両親に従順なれ」と命ぜられているからと言って、既に自分の子供を持つ程の人も、まだ幼い子供が自分に対すると同じ程度に、自分でもその父親に対して服従すべきであるなぞと誰が考え得るか? また父親が権威者としての自惚れから、無分別に彼をなお少年として取扱ったならば、この戒律によって、父親のすべての命令に従わねばならぬなぞと誰が考えようか。

六九 そして、父たるの権力、と言うよりはむしろ義務の第一の部分を占める教育は、父親に属するとはいえ、ある時期に達すれば終ってしまう。教育の仕事が終れば、それは自然になくなってしまうものであり、またそれ以前にも他に譲渡し得る。即ち人はその息子の保護権を他人の手に譲って構わないのである。また自分の息子を他人に徒弟奉公に出した者は、その間中、彼及び母親に対する服従の義務の大部分を免じたのである。しかし父たるの権力、義務の今一つの部分を占める故の義務はすべて、それにも拘らずそっくりそのままの形で両親の手中に残る。いかなるものを以てしても、それを廃することは出来ぬ。それは両親双方から離すことの出来ぬものであり、父親の権威を以てしても母親からその権利を奪うことは出来ないし、誰も彼の息子から、彼を生んだ母親に関する息子の尊敬の義務を免ずることは出来ないのである。しかも教育と尊敬という、これらの二つのものは法律を作り、財産、自由、四肢、生命にまで及ぶところの刑罰を以てそれを強制するような権力とは大違いである。両親の支配権は息子の未成年時代が終ると共に消滅する。それ以後も尊敬と敬意、支持と保護、その他人間が生れながらにして蒙ることの出来る恩恵の中で、最高の親の恩に対する感謝の念より生じ得るいかなる恩義感も、当然息子からその両親に対して支払わるべきではある。しかし、そうかと言ってこれはどれも父親の手中に王笏、即ち君主の支配権を授けるべきものではない。父親は息子の財産や行動に対してなんらの支配権を有しないのである。万事に際して父親の意志が息子の意志を指図すべき権利はないのだ。もっとも、そうしたとて彼やその家族にとって大して苦にもならない多くの場合、父親の意志に敬意を表することは息子にとって、いかにもふさわしいことではある。

七〇 人は老人や賢者に対しては尊敬と敬意を、自分の子供や友人には擁護を、困窮している者には救済と支持を、そして、恩人には感謝を与えねばならず、それは自分の持っているすべてを以てしても、自分に出来るすべてを以てしても、充分には果すことが出来ぬ程であると言ってよかろう。しかし、それらを受取るべき人は、そのいずれによっても、彼に対して支配権や立法権を与えられることはないし、またこれがすべて単なる父親という名前に対して与えられるべきものでもないことは明かである。そのわけは単に前述の如く、母親にも与えられるべきであるからという理由によるのではない。これらの両親に負っている義務や、その他子供達に要求される義務の種々の程度は、子供達の上に親の払った配慮、親切、労苦、費用の大小多寡の相違に応じて、変化し得るという理由に基づくのである。

七一 このことによって、どうして種々の社会に属する両親が、そこにおいては彼等自身も臣民でありながら、彼等の子供達に対して権力を保持し、自然の状態の下にある場合と同じように子供達に服従を命ずる権利を持つようになるか、その理由が明かになる。もしもすべての政治権力が父権にすぎず、実際に両者が同一であったとすれば、そんなことは恐らくあり得なかっただろう。というのは、もしそうならすべての父権は君主の手中にあるのだから、臣民は当然父権を持たなかった筈である。だが、実際は、政治権力と父権というこれらの二権力は全く異なった別々のものであり、違った根拠に基づき、違った目標を与えられている。だから、父親であるところの臣民は誰でも、その子供達に対して、丁度君主が自分の子供達に対して持つのと同じ程度の父権を持つことが出来るのである。また両親をもつ君主は誰でも、彼の臣民の中で最も卑賤な者がその両親に負うているのと同じ程度に、彼の親に対して子たるの義務と服従を払わねばならぬのである。従って君主や首長はその親に対する態度の中には、彼の臣民に対して持つような支配権を一部たりとも幾分たりとも、包含することは出来ないのである。

七二 両親に課せられたその子供を養育すべき義務と、子供に課せられたその両親を尊敬すべき義務とは、前者に対しては全権力を、後者に対しては服従を包含し、それらはこの親子関係に特有のものである。しかし通常父親には今一つの権力があり、それによって父親は子供達の服従に対して一つのきずなを結ぶ。それは父親が他の人々と共有するものであるが、それを示す機会は父親にとっては彼一個人の家庭にほとんど絶えず起るものでありながら、他の場合にはその絆が実際に見られることは稀であり、それ程気にもとめられないので、世間では「父権」の一部として通用している。即ちこれは人々がその財産を最も気に入る者に与えるために通常持つ権力である。父親の財産は大抵各国の法律や習慣に従ってある比率に応じ、子供達によって期待され相続されるものである。しかしこの子あるいはあの子の振舞が父親の意志や気質と一致しないとか、するとかに応じて、それだけ財産を出し渋ったり、気前よく出したりするのは通常父親の勝手である。

七三 これは子供達に対する絆としては決して弱いものではない。そして土地を享有することには、その土地が属している国の政府に対する服従が条件として常に附帯しているので、父親はその子孫に彼自身が臣民として属していた政府に対する忠誠の義務を負わすことが出来、父親の契約が子孫を拘束すると普通考えられて来た。しかし、実際は、それはその政府の治下にある土地に附帯する必要条件に過ぎないものであり、土地をその条件附きで取る者にだけ効力を発するものである。従って、それは生れつき備わっている自然の絆や約束ではなくて、自分の意志で行う服従である。即ち各人の子供達は自然の状態においては彼自身及びその先祖と同様に自由であるから、そのように自由である間は、彼等が加わりたい社会ならどれでも、彼等が属したい国家ならどれでも、選択して構わない。しかしもし彼等が父祖の遺産を享受しようとするなら、彼等の父祖と同一の条件でそれを取り、そのような財産に附帯されるすべての条件に服さねばならぬ。なるほど、この権力によって父親は子供達に、たとえ未成年の時期をすぎても、父親に対する服従の義務を課し、ごく一般にはまた彼等をあれやこれやの政治的権力に服従させる。しかし、これはいずれも、なにか特殊な父親たるの権利によるのではなくて、父親がこのような服従を強制し、またそれに報いるために、手許に持っている報酬によるのである。そして、それは次のような事情の下にあるフランス人がイギリス人に対して持つ権利に過ぎない。即ち、あるフランス人があるイギリス人に財産を遺す見込があれば、後者はきっと彼の従順を前者に示すべき強い絆をもつだろう。そして、もしも財産がこのイギリス人に遺されて、彼がそれを享受しようとすれば、彼は必ずその土地財産の所在国がフランスであれ、イギリスであれ、その国においてそれに附帯されている条件に基づいて財産を相続せねばならぬ。

七四 さて結論を言えば、父親の支配権はその子供の未成年時代より先に及ばず、また、ただその年頃の躾と支配に適当な程度にとどまる。そして、子供達がその一生を通じ、いかなる状態にあっても、必ずその両親に対しては、尊敬と敬意、及びラテン人が敬虔と呼んでいるものすべてを負うているに拘らず、また、両親に対してはあらゆる支持と擁護とを払わねばならぬに拘らず、それらの義務は父親に対してはなんらの支配権――即ち子供達に対して法律を設け、処罰を強いる権利を与えないし、また父親に息子の財産や行動に対してはなんらの主権をも持たしめないのである。しかしながら、世界の初めの頃には、また人口希薄の為、なお各家族がそれぞれ私有地化されない地方に分散していて、人家のまばらな所への移住や植民の余地がまだあったような場所では、家庭の父親がその首長になることがいかに容易であったかは想像に難くない(註)。父親はその子供達の幼年時代当初から支配者であった。そして彼等が成人しても何か支配性が存在しなければ一緒に生きてゆくことは難しいので、子供達が明確に、あるいは暗黙裡に同意することによって、支配権がなんの変化も蒙らずには存続し難いだろうと思われた場合にも、父親の手にとどまったことは極めてありそうなことである。もっとも、その場合には、父親の支配権の発生に必要とされたものは、彼の家庭内に限って、各自由人が自然の状態において持つ自然の理法の執行権を父に許すこと、またそれを許すことによって彼に、その子供達が家庭にとどまる間、絶対君主権を譲渡することだけであった。しかしこの支配権が父権によるものではなくて、ただ彼の子供達の同意のみによるものであったことは次のことから明かである。即ちもしも偶然に、あるいは用事があってよその人が彼の家庭を訪れ、そこで彼の子供の中の誰かを殺したり、その他の罪を犯したら、彼は彼の子供の中の誰とも同様に、きっとその男の罪を咎めて死刑もしくはその他の罰に処することが出来よう。その場合、彼は自分の子供でもない人に対して父権を振廻しても、そんなことは出来なかろうが、彼が人間として当然持つべき自然の理法の執行権によってこそ、処罰が可能だったのである。そして、彼の家庭においては子供達は彼を尊敬して、斯かる権力の行使権を放棄し、彼等から進んで、家族の中でも取分け父親の手中に残さるべきを欲した威厳と権威に服したので、彼のみがその男を罰し得たのである。

 「各家族の首長は常に言わば王であった、というアリストテレスの意見は決して信じ難い意見ではない。故に幾多の家族が一緒になって共に政治社会を形成すれば、『王』が彼等の間で最初の支配者であった。父親の中から支配者とされた王達になお『父』という名前が存続したのもこのためであるように思われる。また例えばメルキゼデクの如くに祭事を行う古代の統治者の慣習がある(訳註:『ヘブル書』第七章一節「このメルキゼデクはキレムの王にて、いと高き神の祭司たりしが……」)。即ち、国王でありながら、最初は世の父親がやった祭司の役目をも果たすようになったのも多分同じ機会からである。しかしながら君主制だけが世界で認められて来た唯一の種類の支配なのではない。ある種の支配が不便であると他に幾多の支配が案出されて来たのである。要するにあらゆる公的支配はどんな種類のものにせよ、明かに人々の間で慎重に助言、協議、妥協を重ね、それを便利な有利なものと判断した結果生じたものであるらしい。自然の状態それだけを考えてみれば、そこにおいては人がなんらの公的支配を設けずに生きようと思えば生きられたからである」(フッカー、『教会政治』第一巻一〇節)

七五 このようにして子供達が暗黙の、そしてほとんど自然の同意によって、父親の権威と支配に道を開くことは容易な、ほとんど自然なことであった。彼等は幼年時代に父親の指図に従い、彼等の小さないさかいの仲裁を彼に任すことに慣れていた。そして彼等が大人になった時、彼よりも彼等の支配者として適当な人物がいただろうか? 財産は大してなく、貪欲なところなどは尚更少なかったので、彼等の間にはそれ以上の大なる争議の余地はなかった。またそのような大きな争議が生じたとしても、彼等にとって父親以上に仲裁者としてふさわしい者はいなかった。何しろ父親の監督によって彼等は一人一人扶養され、教育され、彼の愛情を皆が受けて来たのである。彼等が被保護者たるの地位を去りたいとの望が抱けなかった時には、未成年と成年の間を区別せず、自己とその財産との自由処分を許される二十一歳あるいは幾何かの他の年齢に達するのを待望しなかったのは不思議なことではない。彼等の被保護者時代に受けて来た支配は、なおその後も、彼等にとって拘束としてよりも保護として存続した。そして彼等は父親の支配以外の場所には彼等の平和、自由、財産に対する、それ以上の保証を見出せなかったのである。

七六 このようにして家族の生みの父親は、気がつかぬうちに変って、また彼等の政治的絶対主権者ともなった。そしてその父親がたまたま長生きしてほぼ数代も続いて有能な立派な相続者を多く後に残したりなどすると、同時に種々の憲法及び風俗習慣が、たまたま機会に恵まれ、あるいは工夫の結果、あるいは色々の必要から形づくられ、そして彼等はその憲制の下に世襲制もしくは選挙制王国の基礎を築いたわけである。だが君主たるの資格が父権に存するとし、またそのことが、通常父親の手中に事実上の支配の行使権が見出されるという理由から、父親に当然の権利として政治的支配権が認められる証拠であると言うなら――即ち、この議論が本当に正しいとすれば、全君主が、否君主のみが祭司でなければならぬことも同様に力強く立証されることになるだろう。何故なら、最初のうちは「家庭の父親が祭司であったことは、彼が彼の家族の支配者であったことと同じく」間違いのないことだからである。